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リンロン88

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2011.06.20
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カテゴリ: スピリチュアル



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「放蕩息子の例え」

聖書の中のいろいろな逸話や、またイエスがたとえ話を多用したことから、そういったたとえ話にはいろいろ有名な話が多い。今日の説教のテーマになった「放蕩息子のたとえ」もその一つ。

大筋は、二人の息子を持つ父親が、それぞれに財産を分け与える。下の息子は、その財産を売り払って現金にし、それを持って遠くの町へ行き、そこで遊蕩三昧して過ごし、そのうち全てのお金を使い果たしてしまう。そして食うに食えず、豚(当時も今も、もっとも穢れた動物とされる)の世話をするのだが、ある日、そんな生活に耐えられず、自分の非を悔いて神に謝罪し、故郷に戻る。

故郷では、この放蕩息子を見つけた父が、その非を責めるでもなく、案じていた息子が帰ってきたのを見て大いに喜び、祝いの宴を設ける。この息子は、神に謝罪したと同様に父にも自分の非を謝罪する。

しかし、これを見た長男の方は、この父の態度に対して文句を言う。なぜ父に従ってずっと働いてきた自分にはそんな宴を一度もしてくれたことがないのに、この放蕩の限りを尽くし、財産をすってきたこの弟にこんな盛大な宴を設けるのか、と。

この逸話、たとえ話は、何を言おうとしているのか。



もう一つは、この息子が実の父に謝る前に「神」に謝罪をした、という点を重視する話もある。

私は、それはそれとしてわかるが、個人的には、この長男の方の心情を考えてしまった。

人間として、こつこつ努力したのに、遊んでばかりいた別の人間が評価されたり、ましてや自分より「神に愛された」りしたら、どういう気持ちを抱くか、という点だ。

神の愛は、全ての罪を赦す、と言う。しかし、それでも過去の罪は罪として消えないし、そんな罪を犯さずにまじめに生きてきた(と思っている)人間にとって、このような事態が実際に起こったら、その不公平さに文句を言いたくなるに違いない。

しかし、見るからに、読むからに、そのような長男の態度、考えは逆に「非」とされる。なぜか?

ここに、人間、「幸せでいる」ということのキーがあると思う。







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Last updated  2011.06.20 07:47:49
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リンロン88 @ Re[1]:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) プチプチ大家さん >リンロンさん、もう楽…
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