井田(上村)先生の名前は、いろいろなところに残っています。 前にも紹介 しましたが、佐保短大には、井田康子賞奨学基金を寄付されていますし、東城戸町会所でもある大国主命神社の 「拝殿」 には、井田先生の寄付を記した棟札が掲げられています。
売却された旧邸とその裏の広い敷地がどうなるのか、まだよく判りませんが、先日、二月堂の横で、井田(上村)先生のお名前の入った石碑を写真に撮りましたので紹介します。 (日記の日付は、前回よりかなり開いていますが写真にあわせました。)

場所は、二月堂の北側、お水取りの時にお松明が上がってくる階段を登りきり「北の茶所」へ向かう角のところです。「北の手水場」の右手に、他の寄進石碑などよりひときわ大きなものが三体立っています。
右から(写真から読み取った限りです)
「南無観自在 祠堂 金
貳阡
萬圓也 東城戸町 井田康子」
「南無観自在 奉献 一金壱億圓 上村耕作」
「春の雪 二・二六事件思出づ 宮中に入りて務め果せし(完二)
祠堂
金貳阡萬圓 井田完二 小浜生 奈良永住」
「南無観自在」とは、お水取りでおなじみの観音さま(観自在菩薩)に唱える名号ですね。
上村耕作というのは父上でしょうか。
井田完二氏は、先生の夫君で、昭和62年に亡くなられていますが、その晩年のお二人の様子は、平成13年になって歌集「続続 楽書日記」として出版されたようです。
(元同僚、 萩野先生のブログ
による)
教師としては、大変「堅い」「厳しい」先生で、生徒指導にうるさい「生活部長」として恐れられていた方でしたが、「高村光太郎」研究とともに、「源氏物語」についての研究もされていたように、夫君の死後の歌には人を恋うる想いが溢れているようです。
さて、 「井田完二」
という方は、三高(現京都大学)の卒業のようで、同窓団体「三高自昭会」の発行になる 「神陵文庫」
の第五巻に、その名前が見えます。
神陵文庫は、三高の同窓生が月例会や公開講演会で講演した内容を、冊子にまとめたもののようで、同じ巻には「小松左京」、東京都知事の「鈴木俊一」、京都府知事の「林田悠紀夫」、住友銀行の「磯田一郎」、交通工学の「天野光三」と、錚々たる名前が並んでいます。
そして、井田完二氏の講演は、ズバリ「二・二六事件と私」というタイトルで、昭和11年の2.26事件の際に、内務省地方局勤務の氏が、決起軍に包囲占拠された内務省庁舎を避けて、宮中の某所で内務省の業務を行った様子が描かれています。
なお文末には「井田特許事務所長」と紹介されています。
にしても、先生のお宅がこの後どうなっていくのか、大変気になるところです。聞くところでは、今回購入された会社では、三条通りのもと「都ホテル」のパーキングも購入されたとか。どちらも奈良の町にとって大きな意味のある場所かと思います。
(2015年1月5日石碑写真を再確認して加筆)高山右近は大和・宇陀にいた。 2011.09.25 コメント(1)
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