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convientoさん
私と一回り以上も年が違う。弟か妹が生まれると知った時は、かなりショックで、「お父さんとお母さんって不潔っ!!」なんて思っていた。産前産後のころ、食事も同じようなメニューばかり作って、他のみんなを閉口させていたかもしれない。
生まれた時、ちょっと私だけふてくされた。サッカーを一緒にやれる弟が欲しかったのだ。無事に生まれるということが、どんなに素晴らしいことなのか、わからなかった。でも、家にやってきた赤ちゃんをみたら、家族中が夢中になった。赤ちゃんの魅力って素晴らしい。ウチの妹は世界中で一番可愛い、と思っていた。
高校の時、妹を友達にみせびらかすために、狭い家に友達を呼んで母を困らせた。
今でも仲間からあの小さかった赤ちゃんのが昔話に出てくる。彼女が今○○才だから、私たちも年くった訳よね~、と。大学の時はまだ幼稚園前の妹を遠足がわりに連れて行った。一限しか授業がなかったからなのだが、その一限も勉強をするつもりがサラサラ無かったと思う。隠し子だね~とからかわれても、見せびらかしたい気持ちの方が優先だった。幼稚園へ行くようになると、私も1限目に授業を組まないで、いっしょに登園するのを送っていった。彼女の入学と私の就職は一緒だった。
結納の時は4年生、結婚式の時は5年生、そして母が亡くなった時は6年生、父の時は中1だった。それからほぼ10年私の家族として一緒に過ごした。その間、ウチの子供たちが生まれ、末っ子だった妹は姉のように面倒をみてくれた。また、私たちは彼女のおかげでずっと転勤を免除されていた。私たちに転勤辞令がおりて一年で妹が結婚したのは、やっぱり寂しかったからだろうと思った。
彼女の結婚式のとき、夫も私もボロボロに泣いた。娘ではないが、娘を嫁に出すのと同じ気持ちを味わわせて貰った。父と母にも感謝した。どの妹ともいろいろ思い出があるが、法律上の保護者となって、反抗期に立ち向かい、いろいろ育児を助けてくれた末の妹には特別な思いがある。こんなこと思い出すのも、彼女の誕生日だけなのだった。
誕生日おめでとう、素晴らしい一年でありますよう。
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ゴルフ練習の隙を縫って、書き込みました(笑)以下は土曜に書き込み。
(こそこそ…夫が久しぶりに帰ってきました。パパっ子のドビーは大はしゃぎ。私も嬉しいんだけど~。夫がいるときはパソコンと遊ばないって約束があるので、日記や訪問しての書き込みは週明けになりそうです(^^ゞ…ひそひそ…)
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