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2026/05/05
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カテゴリ: 会長日記
戦前は母親の実家が、大阪・心斎橋・商店街の大きな呉服屋で、その両隣が、下駄屋と人形店でした。
その三軒は戦後も、京都・福知山と大阪でしたが、互いに仲良く行き来しました。

それはいいのですが、その第二次世界大戦の時に、心斎橋は大空襲に遭い、福知山に疎開している内に、その後の心斎橋は、母親の呉服店だけでなく、全てのお店の土地や家屋跡が、乗っ取られてしまいました。

それだけでなく、母親は、第2子の息子の私を、母親の実家が「士族」の名称がついておりましたので、廃家にするのがもったいないと、私を母親の実家に養子に出し、自分は芦田家に籍を入れました。

ここが、私たちの土地・家だと、証明できる状態だったのですが、負けると判った相手から「これ以上裁判を続けると、お前達の命がない。」と脅かされ、全ての店が、そこで裁判を中止しました。

家、土地がなくなったのは、仕方ないとして、私の戸籍です。
私が復籍したのは、高校へ行けるギリギリの中学2年でした。
それはそうと、今日5月5日は、五節句のうちの一つである“端午の節句”です。

日本では、江戸時代に武家で飾られていた幟旗(のぼりばた)を、町民が真似するようになり、鯉のぼりを飾る風習となりました。


この時期に歌われる童謡「こいぼり」を聞くたびに、思い出すことがあります。
子供頃、家の前の畑に大きな鯉のぼりが上がり、私は母親に、「まごいってなぁに? ひごいってなぁに?」と聞きました。

教えられたかもしれませんが、当時はよく分からず、まごいは「真鯉」と書き、黒の大きな鯉で父親を表わし、ひごいは「緋鯉」と書き、小さな赤い鯉で、子供を表わしていると知りました。

今では、これ以外に緑や紫などの色も増え、緋鯉は母親を表わすようになり、そのほかの色は、子供たちを表わし。家族みんなで泳いでいる様子となりました。

私は、息子3人に恵まれ、天満の商店街で、親から鯉のぼりを買ってもらったのを覚えております。懐かしい思い出です。

合掌





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最終更新日  2026/05/05 10:18:10 AM
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