「Life」を求めて

「Life」を求めて

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2006.01.06
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カテゴリ: 哲学について
今日は朝から風邪気味でした。

朝から喉が痛くて、午後からなんだか熱っぽくなってきてしまいましたねえ。しかも今日はエクセルで数字と睨めっこだったんで余計だるかったなあ。
さっき薬飲みました。
悪化する前に治してしまいたいと思います。

生活が崩れそうな予感を感じた今日は、ちょっと生活について考えてみたいと思います。

生活を段取ることってのは非常に大事なことだ。
一日の予定、一週間の予定、一月の予定、一年の予定、一生の予定
予定をあらかじめ確認し、それを実行・実践する。
最近は、段取りと現場がある程度近付いた生活が実現できてる感があったりする。(…気がする)


でも、それが極端になり、それを守るためだけの生活になっていくと、生活から不確定要素がなくなり、イマジネーションの働く余地も奪われ、自然「張り」も無くなってしまうんだろうか。
段取りの時点で鮮明に生活の絵が全て見えてしまうというのも面白くないかもしれない。
自分の生活を段取るということは、自分の意識を段取ることだ。
ただ、意識を段取りすぎて、そのうち自分の思い通りに意識が運ばないこがあったりしたら、それに対してストレスがやたら大きそうだ。

スケジュール帖に予定がぎっちりと詰められていることがまるで美学のように語られることがある。
その予定満載の手帳は段取りの取れた意識を意味するが、同時に固定され限定され尽くされた意識とも言える。意識が傲慢さを得る危険性を常に孕んでいる状態でもあるということに気付かなければいけないとも思う。

生活を段取ることは豊かな人生を得るために必要なことだ。
♪「段取り八割、現場二割」の生活。

でもその割合は絶妙なバランス感覚が大事で、どちらに偏っても人生はおもしろくない。(ビバじゃない)

思うに、

人生の不確定性は、人に不安と共に想像力を与える。

それが、イマジネーションの働く余地を奪うほどの段取りになってしまうことに逆に不安を覚える。

不確定性の忘却は、イマジネーションへの望郷も同時に奪う。
一日の予定を立てるのも、人生への目標を持つのも、そこから不確定性の契機だけは排除してはいけないなと思う。

だってそれだとわくわくしないじゃん。



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Last updated  2006.01.06 22:50:08
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