「Life」を求めて

「Life」を求めて

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2006.01.07
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カテゴリ: 哲学について
今日は自分の甘さについて。

夢ってなんだ?

わくわくすりゃそれでいいのか?

まあ、それも一つの要素ではある。

でも、
それだけじゃだめでしょう(-ε- )

甘い。

意識が。

だから夢からリアリティがどんどん遊離してっちゃう気がして。


ま、寝てる時のやつは置いとくとしても、いま現実において抱く夢の方は、まだ実現してないという意味で非現実だ。

でも夢ってのは、それを非現実から引き上げ、そして実現することにその意義が置かれるってことは、誰も否定しないだろう。

現実を変えて行ければ、自然と非現実も変化してくる。
生活を変えていけば、自然と夢へのイマジネーションも変化してくる。

現実(生活)と非現実(イマジネーション)の接点が、夢の実現ということだろう。

だから、実現するには、夢と現実をつなぐ「媒介」が必要で、

それが「弓道」

それが「哲学」

それが「Life」


でもここしばらくその媒介がうまく機能してない^^;

弓は練習不足。


仕事と両立しなきゃ。

ま、簡単に言えば、ちゃんとやれよ!ってこと。
そんな甘い意識だと夢のイマジネーションもだんだんとボヤけてきちゃうぞ。

だから、意識の甘さなんです。


学生時代の、当時の日々の練習と試合。



それと同等か、あるいはそれ以上の重さのものを背負って今後弓を引くことができるのだろうか。
そして、そんなものどこに?


哲学も同様だ。書くのが不自由だ。書けない。書けるけど書こうとしない。なぜもっと書こうとできないのか。
あの人のように、なぜそれに徹し切れないのか。

もっともっと現場に接していかなきゃいけないのにいつも現実から離れた戯れ言ばっかなのはよくない。戯れ言も、それを言う時と場合ってもんがあるだろうし。

だから欲しいのは
『覚悟』

生活の中のそれぞれの局面、
それぞれの覚悟は今後どこで得ることができるのだろう。
でもそれは、探して出てくるものじゃないのは経験上よく知ってる。
所謂「自力」でそれを得るものではないってことはよくわかる。
主客相分かれる認識論の領域じゃなくて、主客未分における経験論の領域においてあるってのも何となくわかるのですが。。。

…はい、というわけで今日のタイトルでそろそろ締め。
「スミマセン、今日も戯れ言です。。。」

さーて、明日から3連休だ^^





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Last updated  2006.01.08 04:05:46
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