「Life」を求めて

「Life」を求めて

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2006.11.23
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カテゴリ: 哲学について
皆さんは自分の人生について、どこまで具体的に段取りできてます?

どんな仕事をして、
いくつで結婚して、
子供を何人作って、
いくつでマイホーム買って、
いくつで仕事引退して、
いくつでボケはじめて、
いくつで死ぬとか。。。

で、そんな自分の人生に見通しを立て、

人生設計を組み、
生活習慣を組み立て、
それを日々実行していく。

睡眠時間は何時間、
食事はこれに気をつけ、
健康の為に運動をし、
休日にはこれをやって、、、
という感じで日々生きていくこと。

人生にはもちろんトラブルがつきものであるので、あまりにガチガチに人生設計を組んでると、一つのトラブルで総崩れになるかもしれない。
だから、実践と検証を繰り返しながら生活を組み立てていく必要がると思う。

そんな生活を実践している人を見ると尊敬する。



誰と関わるかでも変わってくる。
交通事故に遭うかも知れないし、
大地震が起きるのかも知れない、
そんな何が起こるのかわからない予測の難しい人生を段取るということは、

一体どのようなことなんだろう。


自分の外から自分自身を反省することであると思う。
人間にしか出来ない哲学的な意識の働きであると思う。

行き当たりばったりで生きていくのは簡単だ。
そんな生も人生ではあるのだけれど、
人間的な人生ではないし哲学的な人生でもない。

人生には無限の時間とエネルギーはない。
人生の有限性を自覚するということが人間である、とも言えるのかもしれない。
人生の有限性を自覚することは、
かえって人生の有限性を超えていこうとする働きを人間にさせる。
即ち人間が自己の人生に対し、段取りをもって生きていこうとすること。


でも、一方でこんなことも考える。

そこまで人生を段取って、生きてみて何があるのだろう。
人間の見通しなんて、結局自分が死ぬまでで、死んでしまえばそれですべて終わりではないの?

結果論的な考えをすると、
死ぬ為に、自分の人生設計をしてるような気がしてくる。

だからやっぱり自分を超えていくような意識が必要になってくるのだろうか。

自分の生が、
自分の為だけのものでない事を知る必要があるのだろうか。

自分が結局死んでしまうこと、
自分が有限であることを知れば知るほど、
自分の生が常に自分を超えて在る、
ということを知ろうとしなければいけないような気がしてくる。

人生の見通しって何だろう?

みんなどんな見通しで自分の人生を生きてますか?





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Last updated  2006.11.23 21:29:57
コメント(6) | コメントを書く


■コメント

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自分らしく  
maru.  さん
行き当たりばったりの人生で。。。。
今は生きる意味を模索中です。 (2006.11.26 18:21:05)

ですよねえ  
エイジ@  さん
人生ほとんどそんな感じですかねえ。
仕事では「段取り8割 現場2割」とかって言っていても、
人生は「段取り2割 現場8割」な感じになってしまいます^^; (2006.11.26 23:22:15)

大事なのは手放す気持ちでしょうかねぇ。  
瓦割り  さん
私、実は大学を1年ちょっとで辞めてるんですが、それがいわば人生の計画総崩れにはならない確信はありました。
それなりに計画はイメージしていましたが、自分の周りが変化して、これは全ておじゃんにしたほうがいいなと。裸にした方がいいなと思ったんですね。
その経験があるから、ずいぶん飄々と生きられるようになりました。
計画は作るのも大切。捨てるのも大切。どっちでも、自分が決めたことなら、必ずやってよかったと思いますよ。
ちなみに、死んでも終わりじゃないですよ。
自分なんて消えないし、そもそも今認識してる存在なんて自分で決めたものですからねぇ。
般若心経の受け売りですけど、そういうもんですよね。 (2006.12.02 11:41:49)

しつれい、返事が遅れました!  
エイジ@  さん
>瓦割りさん
なるほど、大学を辞めれるほどの覚悟ってのは、それを凌駕できるだけの未来への「直観」があったんでしょうね。
そして現在からパッと手を放してしまうところが粋というかなんというか^^

>その経験があるから、ずいぶん飄々と生きられるようになりました。

「飄々と生きる」ってのは人生おいてわりと大事な態度である気がします。ウェットにならずに、もっとカラリと生きていきたいですね。

しかし「死んでも終わりじゃない」って人生観と、
「飄々と生きる」って態度は非常にマッチしますね。

>自分なんて消えないし、そもそも今認識してる存在なんて自分で決めたものですからねぇ。

さらに言えば、その「死んでも消えない自分」が、なぜ消えないかといえば、有限な自分は消えても、無限がは消えないからなんすよねえ。 (2006.12.11 22:36:14)

Re:しつれい、返事が遅れました!(11/23)  
瓦割り  さん
エイジ@さん
未来への直観…同じ意味でもっとダサイ言い方した方が
感じが合うんですよね。気分!とか、何となく、とか。

>無限は消えないからなんすよねえ。

まぁそんな感じですよね。
でもエイジ@さん、言葉かっこよく言いすぎですよ。
もっと不思議チャン系の言葉でいいですよ。
ほら、肉体が朽ちてもチャクラが開いてエーテルが残る!みたいな。よく女性誌に書かれてるじゃないですか。
レベル的にはその程度のもんですよ(笑)
話は変わりますが…
最近、言葉を敷衍するのが大好きで、哲学を井戸端会議で出せないかと試しています。
かっこ良い言葉を、もっと世俗的に言い換えてみると、意外に雑誌なんかにもありそうな言い方で言えるものなんですよね。例えば、ヘーゲルの言ってた、「螺旋的発展」でしたっけ?あれを、ポールマッカートニーが、GIGSかなにかのインタビューで「音楽もコイルみたいに成長する」と言い換えてました。敷衍して言い換える能力を持つと、現代に生きる人の心を掴めるものなんですよね。全然「見通し」と関係ない話題ですけど。 (2006.12.25 22:40:07)

Re[1]:しつれい、返事が遅れました!(11/23)  
エイジ@  さん
なるほど~。
「敷衍して言い換える能力」かあ、
考えさせられてしまいますねえ。
「螺旋的発展」=「音楽もコイルみたいに成長する」みたいに哲学用語に「言い換え」が可能なのは、やっぱその言葉自体が本質的だからだと思います。

哲学者は大抵その言葉を思いつくまでに、
色んな言い方、表現を考えて、駆使して、
やっとたどり着いたある本質的で決定的な言葉が哲学用語になるんだと思います。
文脈にぴったりマッチしたある決定的な単語が、
人の心に残り、歴史に残ったりするんじゃないですかねえ。

でも、「結果」として出てきた言葉を数多く記憶しておくよりも、
その言葉に至った「プロセス」のほうを記憶しておいたほうが日常的に使える気がします。
「言葉の本質」ってそうゆうことのような気がします。

例えば井戸端会議の会話ってのも、ある「文脈=プロセス」なんですよね。
プロセスの「型」を理解できてると、その文脈にマッチしたキレのある「哲学用語」が自ずと出てくる。
「敷衍して言い換える能力」ってそうゆうことですかねえ。
井戸端会議の文脈に哲学的思考のプロセスを敷衍させておくってことですね。

哲学用語それ自体は、それを使用することへの「遊び心」もくすぐられるんですが、なぜ、哲学者がその単語へ結果的に至ったか、を把握してるともっと遊び心の感度も高まるような気がします^^

いやあしかし、今、自分のこの返事を読み返してみて、
わかりづらくて、遊び心がないなあって。。。(笑 (2006.12.27 00:04:13)

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