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1994年9月18日フリエタが朝からケーキを焼いている。チョコレートたっぷりのチョコレートケーキ。日本のケーキほど見た目はきれいではないが甘くておいしかった。家の玄関先に少しスペースがありそこでゆっくりと食後のたばこを楽しんでいた時、「イタッ」なにやらビンのふたが頭にあたった。なんだろうと周りを見渡すとアパートの階段の脇に子供が笑って顔だけ壁からだしていた。(こいつか。。)子供はまたゴムみたいなものでコインのフタをはさんでこちらを狙って打ってきた。今度は体に当った。また無邪気に笑っている。俺も笑いながら「Come here」と手招きしながらこっちに呼び寄せた。子供も興味あるのかのこのこやってきた。そこを肩のあたりをハイキックしてやった。ふざけんな、なに人をばかにしてるんだってな感じで。子供はびっくりして逃げていった。。
2005年12月29日
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1994年9月17日今少し微妙な悩みがある。ホストファミリーを変更したいということだ。いや、正確には変更はしたくないが生活雰囲気を改善したい。というのはフリエタは親切だし、エリオスは最高の兄貴だが生活的にはすごく貧しいのがネックだった。普通AFS留学生を受け入れるホストファミリーはある程度裕福な家庭だ。俺たち留学生を無償で受け入れるのだからこの貧しい国の中でもある程度金銭的余裕がないと厳しいだろう。元々メキシコシティーのホストファミリー受け入れが決まっていた俺の留学予定も急遽ホストファミリーの都合で受け入れできなくなり一時的にここの家にステイさせてもらっているのだが生活において特に食事面がほとんど用意されない。母子家庭でフリエタも働いていて生活が厳しいのはわかるが毎日自分で朝食を用意し、夕食も自分で買ってきての生活は辛いものがある。最近は夜遅くまで誰も家にいない状況でホームステイしている感じがなくなってきた。エリオスに打ち明けると生活は生きていく為で必要なことでこの生活は変えることができないと言う。わかるよ、でも。。。ホストファミリーを変えてエリオスと違う生活になるのもつまらないがこの生活を続けるのも嫌だった。とりあえずは現状でもうしばらく様子をみるがいつまで耐えれるか。。
2005年12月21日
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1994年9月15日エリオスが大学に受かった!みんなで祝おうと俺は学校帰りにメルカドでお菓子、ジュースを買い込んできた。フリエタもスパゲティーを作ってくれたのでお祝いに来たマリーとフリエタ、エリオス、俺でささやかにお祝いをした。それから3人でソカロにでかけてアレクサンドラ、カレイトン、エダ、ハリーと合流。明日はメキシコの独立記念日で祝日!街は踊りと音楽に包まれて誰もが騒いでた!!そこへスコールのような大雨がいきなり振りだしたのでみんな服も髪の毛もびっしょり。でもみんなびしょぬれになってからは陽気に雨の中で踊ったり、歌を歌ったりとノリノリになってきた。そのままみんな濡れた服のままでクラブへなだれこむ。クラブの中もみんな独立記念日の前夜祭とばかりに盛り上がってた。スペイン語がもっと話せたらと思ったが今日は祝日気分にノリノリでハリーやエダと踊ったり、テキーラを煽ってまさにVIVA Mexico!クラブの帰りにエダの家に向かって歩いていると坂道で俺たちの後ろから車に乗った男が俺の前を歩いていたハリーの横をのろのろと車に乗りながら声を掛けてきた。ハリーがあっさりとあしらうといきなりハリーのお尻をわしずかみにしてから車の速度を上げて逃げて行く。このヤロー!と俺が思った瞬間、アレクサンドラが石を拾って車に投げつけるが残念、届かなかった。悔しがるアレクサンドラが中指を走り去っていく車に向けて「チンガトゥマドレ!」って叫んでた。スペイン語版”Fuck You”だ。俺も叫んだ。みんなもだ。そしてその後みんなで大笑いした。メキシコ人ばかりならず他の国々の友達たちと一緒に同じ事で笑い、怒り、分かり合えた今日、俺も少し独立できた気がした。日付はもうメキシコ独立記念日になっていた。。
2005年12月19日
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1994年9月14日学校への登校途中にパン屋で朝食用にとストロベリージャムがのったパンを購入して行った。校庭のカフェテリアのテーブルで先に座っているハリーやエダ達の席に混ぜてもらって食べた。ハリーが「あっ、それ昨日わたしも食べたわ。とてもおいしいでしょ?」「うん、昨日ハリーが食べていたのをみておいしそうだったから。」ハリーの通勤途中でバスを乗り換える所がソカロなので同じお店でかってきたのだ。学校のカフェテリアでミルク入りのコーヒー、”Cafe con leche”を頼んでゆっくりとした朝食の時間を友人たちとの会話を交えて楽しんだ。なぜかここの学校は授業が始まるのがばらばらで今日はゆっくりとした時間が過ごせた。~感想~こちらのパン屋さんはメインは味のついてない硬いパンが大半。それでも一番うれる。値段が安いからだ。俺が今日買ったパンは1つで1ペソ。でも硬いパンなら4つ買える。貧困層が厚いこの国では当たり前なのかもしれない。町で見かける物乞いの数の多さ、それはいまも変わってないかもしれない。。
2005年12月18日
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1994年9月12日学校をさぼった。授業がわからんというかスペイン語が理解よくわからなかったからだ。フリエタに今日は学校にいかないというと特に気にすることなく家にいることを許してくれた。フリエタは特に厳しく俺を縛ることもなく素直に聞いてくれるいい人だ。俺もいい人を努めていることもあるけど・・。午後からエリオスと銀行に行く。今日は円高傾向か。メキシコの銀行、両替所などはどこもその日のレートをボードにつけているがレートは日ごとに大きく変化する。100ドル変えるとなるとわずかなレートでもご飯2回分ぐらいになるのでタイミングをみないと。それからソカロでスト2で18時ごろまで遊ぶ。そういえば今日はイルマの家で16時からAFS生が集ってのミーティングがある予定だったので18時にイルマの家に行くとミーティングはすっかり終わっていた。予定時間は確かに16時だがメキシコ人はいつも時間にルーズなので俺もそれに合わせて2時間ぐらいいくのをずらしたのだがさすがに2時間遅れは遅すぎた。クエルナバカでAFS生をまとめるイルマにえらく怒られた。。エリオスがあまりに遅い俺を探しにでかけたままというのが怒られた以上に申し訳なかった。
2005年12月17日
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1994年9月11日朝から頭がだるい。日曜日で学校も休みなので家でシドニーシェルダンのストーリーのようなドラマがテレビでやっていたのでボーとみていた。スペイン語の動詞を22個覚えてからソカロへ。ソカロのゲームセンターで好きなスト2を遊ぶ。安くて長時間遊べる暇つぶしのゲーム。こんなことやってちゃいけないけど。公園で若者二人がボクシングをやっていた。別にグローブをつけるわけでもないが見ている限り本人たちはかなり真剣。相手を殴るまではいかないが寸止めまでは本気で打ち合っていた。~感想~日本に帰ってからビデオ屋で見つけたシドニーシェルダン氏のドラマ”真夜中は別の顔”。メキシコで見たときは似てると思ったけどやはりそうでした。シェルダン氏の小説は大好きです。
2005年12月16日
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1994年9月9日朝から雨がしとしと降っていた。校庭は雨に濡れ手サッカーやバスケはできなかったが俺が日本で学んでいた柔道や合気道の話を中心にメキシコの友達だけでなく同じAFS生のエダやカレイトン達まで興味を持ってくれたのはうれしかった。夜に学校でパーティーがあったので一度家に帰ってから出直す。学校の校庭で開かれた野外パーティーでは生徒が聖母マリアのように着飾ってなにやら演劇をしていた。その脇でスプライトとテキーラを割ってみんなで飲んだ。みんな未成年だが大人たちは特に咎めることもなくわきあいあいと楽しんでいた。勢いに乗ってそのあとクラブに行く。エリオス達と合流したがマリーと付き合うこととなり、それはもう、クラブの中でキスしたり、帰りのタクシーの中でもキスとどこかまわずキスしまくっているのには参った。。しかもディープ。。同じタクシー内のエダも気まずそう。。エリオスとマリーの熱々ぶりはすさまじかった。特にマリーはエリオスにぞっこんで全然周りの目が見えていない。恐るべしエリオスの魅力。
2005年12月15日
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1994年9月8日バスに不慣れだ。学校に向かってバスに乗り込んだはいいが乗換えにて不覚にもアギラスに乗り込み家に逆戻りした。途中でバスを乗り換えて学校に行くとなぜか門が閉じている。どうやら休みらしいが昨日そんな話は聞いていない。しょうがないので家にもどり、エリオスとチェスで遊ぶ。白熱した戦いで1対1となり勝敗は次回の勝負で決めることとした。チェスの後、エリオスが改まって俺にマリーのことを話はじめた。やっぱり付き合うことになったらしい。もちろん今イタリアにいる彼女が帰ってくるまででマリーも納得してくれたらしい。問題は彼女の母親、イルマ。エダの家のホストマザーだ。何かとエダの家に集ったりするのでマリーと付き合うことはすぐにばれるだろう。エリオスは内緒にするという。だから協力してくれと俺に言ってきた。エリオスには世話になってるし、できるだけ協力することにした。夜いつものようにエダの家に集り、イルマ達とだべってからエダと5目並べを勝負した。ここでも2対2、勝負は次回に持ち越された。今日はイーブンが多い。マリーとエリオスも今のところはイーブンか。。~感想~次回決着の勝負、エリオスとエダとの勝負は結局決まることなく勝負はしていない。。
2005年12月14日
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1994年9月7日マリーが家にきた。学校の帰りに今日は俺の家で一緒に勉強しようと誘ってきた。最近すごく俺に優しいマリー。わかってるよ。エリオスだろ。案の定、エリオスが仕事から帰ってきたらべったり。エリオスもまんざらでもないんだろうな。エリオスの部屋で二人が話し込んでたから俺はもう寝た。早く寝たので夜起きたときいフリエタが夕飯前だったのでオムレツを作ってあげて一緒に食べた。エリオスはマリーを送りに外にでているらしい。ちかいな、これは。~感想~エリオスの人柄はほんと誰からも好かれてました。それをきっかけに多くの友達と遊ぶこともたびたび。出会えたことを誇りにしています。
2005年12月13日
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1994年9月6日校長に怒られた。原因はたばこだ。この学校に来て間もないが休み時間にみんなタバコを吸っても何もいわれなかった。エダ、アレクサンドラ、俺も愛煙家だが自由に吸える環境に喜んでいた矢先だった。校長曰く、「ここは学ぶところだ、君たち留学生も見習うべきだ」って。だったらもっと前から禁止しておけよ。。他の学生も平気で吸ってるし、ここメキシコではよく路上でちっさな子供が平気な顔してたばこをすってるのを見かけてた。これもメキシコの生活文化と思っていたがやっぱりだめなのね。校長が俺たち愛煙家に背中を向けた瞬間、アレクサンドラが中指を立てた。これにはみんなワッとなって喜んだ。校長がこちらを向いたときにはアレクサンドラはそしらぬ顔。痛快だったね。
2005年12月12日
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1994年9月5日いよいよ学校が始まる。学校はとても小さいところだったのでクラスは全部で3クラス。1学年1クラスだ。一番上にクラスで俺たちAFS生全員が入った。最初の授業は数学、数学そのもののレベルは低いため問題は非常に簡単だった。ジョナサンやハリーは共にアメリカからの留学で母国ですでに第二言語としてスペイン語を勉強していたせいかよく理解しているようだった。驚くのはアレクサンドラ。久振りに顔を見たと思ったらスペイン語をかなりすらすらと話している。イタリア語はスペイン語と近いので覚えやすいという。俺は相変わらずスペイン語すら厳しい状態だったが休み時間には他のクラスの子も含め、バスケットを一緒にして遊んだ。スポーツは万国共通で言葉も多くはいらない。他のクラスにも個性的な奴がいて楽しい学校生活になりそうだ。
2005年12月11日
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1994年9月3日おもしろくない。エリオスと共に家を出てから他のAFS生と待ち合わせてダウンタウンにくりだしたのはいいが全く話せなかった。エリオスはもっと英語を上達したいなら自分から話しかけなければいけないという。しかし、単語もあまり知らないし、話題があってもそれをどう表現していいのかがわからないのだからしょうがない。エダ、カレイトンと別れてからマリー、エリオス、俺でメキシコの歴史資料館に行くがマリーとエリオスがべったりでなんだか俺が邪魔をしているようで嫌だった。最近明らかに急接近している二人。エリオスもまんざらではなさそうだ。付き合いのは時間の問題か。問題はエリオスの彼女はエダがホームステイ先のイルマの娘ということ。しかも彼女は俺たちと同じように今イタリアにAFS生として留学している。エリオスはもちろん彼女のことが好きだろう。だけど今は近くの花に手が届きそうになっている。どう動くのかきになるところだ。~感想~あのころは英語を話せないでいる自分に本当に悩んでいました。そのイライラを自分のせいではないことのように日記に書いていたのを今になって読み返してみると身勝手だったとつくづく思います。
2005年12月10日
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1994年9月2日エリオスには脱帽だ。いつものようにエダの家に集りみんなでだべっていた。エダ、イルマ、エリオスのメンバーでは特に気にすることなく話すことができるがそこに他の英語がペラペラのAFS生が集ると途端に話せなくなる。やはりいつもの言葉の壁が俺に立ちはだかるから。夜も遅くなりまたナイトクラブに行く話しになった。俺は例のごとく話せないことがネックになったので断るが英語を話せないことを行かない理由であるとは言えなかった。適当に踊れないからといっておいたらエリオスも行かないと言う。理由は足がまだ痛いから、と。あれ、エダの家に来る前はもう痛くないっていってはずなのに。。エリオスと家に帰って部屋に戻っているとエリオスがノックする。俺のベットに腰をおろし、じっと俺を見詰めてからなぜ今日みんなの誘いを断ったか理由を聞いてきた。理由は踊れないからだよ、しかし、エリオスは正直に言ってくれという。見透かされてる。なんで嘘ってわかったんだろう。。エリオスには正直に英語が話せないことが理由だと白状した。エリオスは納得したようにうなずいた。俺も聞く、「足はもう痛くないよね?エリオスはなんで断ったの?」「agirasが行かないからだよ。」痛いよ、その言葉。わざわざみんなには嘘までついてもらって。エリオスには俺がこの家にきてから本当にいろいろ気を使ってもらっている。なんかホントの兄貴のように感じる。~感想~あの時のエリオスの心遣いはほんとにうれしかった。去年仕事でメキシコシティーに滞在したときに会いに行きたかったが仕事の都合で無理だった。バスでほんの1時間ほどでいけたのに。でもいつかかならず会いに行くと決めている。
2005年12月09日
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1994年9月1日朝でドレラと町の途中まで一緒に行ってから一人で町をぶらついた。ゲームセンターを見つけたので日本ではまってたスト2をやる。が、なんだこれは?ケンを使ったが空中で波動拳コマンドをいれると空中で波動拳を打つ。こんなのは初めてだった。今度は昇竜拳のコマンドを入れるとなぜか昇竜拳と一緒に波動拳が5発ぐらいでた。笑える、これは。バトル開始から昇竜拳を打ちまくるだけで相手が倒せる。基盤が壊れてるんだろうか。とりあえず日本の友達に話そう。夜は近所のストリートバスケットコートでクリスチャンと知り合う。俺はスペイン語を話せないが彼は英語が話せない、意思の疎通が難しいように思えたがバスケに言葉はたいして必要なかった。ドレラの友達も参加してきた。友達の一人にホモというやつがいて思わず笑いそうになったがとても意味を本人に説明できない。
2005年12月08日
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1994年8月31日ピアスを空けた。フリエタがピアスの穴を開けたいと相談すると快く知り合いの病院へ連れて行ってくれた。フリエタの友達の看護婦が消毒をした後にいきなり針で貫いてきた。けっこう痛かったが自分でやるとためらうのでかえってよかったかも。すぐに金のピアスで膿まないようにしておいた。余談だが日本で左耳にピアスをつけたとき母にみつかったことがある。まだ穴をあけて次の日ぐらいだったが俺が眠っている間に母にピアスを抜かれて朝には穴がふさがってしまったことがあった。それに比べればこちらの母は心が広いね。夜エリオス、ぺぺとエダの家に集り、ナイトクラブに行く話しになったがエリオスが足を痛めているし、正直ナイトクラブのようなうるさいところではただでさえ聞き取れない英語が余計に聞き取れないと考えてやめておいた。まだまだスペイン語が話せない自分に腹ただしく思いながらも家に帰ってエリオスにスペイン語を教えてもらった。~感想~メキシコに到着して楽しい毎日でしたが慣れてくると自分の意思が思いどおりに伝えられないことに憤りをかんじることが多くなってきたころです。英語ですらままならないのにましてやスペイン語なんて。。悔しかったです。あと日付を忘れてました。
2005年12月07日
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1994年8月30日学校手続きも決まり、来週からいよいよ授業が始まる。それまで自由だ。朝のんびり起きていつも昼ごろ起きてくる3男ドレラと一緒に朝食を食べた。ドレラは俺より1歳年下だが学校にも行っていない。近所の同じくらいの子でも学校にいっていない子は何人もいるし、金銭的な問題かメキシコという国柄のためなのかはわからないが変に詮索するのも嫌だったので理由は聞かなかった。日本の朝の時間帯に合わせて日本の母に近況を報告する。いつもKDDIを使ってコレクトコール。メキシコに到着してから初めての連絡なので連絡が遅いと怒られた。。母にとって我が子の海外生活は心配だったでしょうね。母さん、すんませんでした。午後から近所に住むぺぺが仕事が終わったエリオスと一緒に来て、3人で他のAFS留学生と合流してアイススケートにいった。これだけ暑いメキシコではアイススケートなんぞ全く想像していなかったが狭いながらも室内でしっかりとした設備が整っている所があった。アイススケートはエダやカレイトンなどに比べて俺のほうが断然上だったので初めて彼らに勝てた。その後のカートでもエリオスやぺぺと競争して熱くヒートしてた。たっぷり遊んだ後はセルベサ(ビール)で乾杯。”乾杯”を日本語、英語、ノルウェー語で音頭を取り、もちろん最後はスペイン語で”サルー”。メキシコ到着直後はどうなるかと思っていたが楽しい友人、ファミリーに恵まれて楽しい毎日を過ごしてた。~感想~”乾杯”も国それぞれの言い方を覚えるのが楽しかった。ノルウェー語でなんだっけ?たしか”スコール”のような気が。
2005年12月06日
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朝7時に起きてフリエタの共にホストスクールに向かった。学校への入学手続きのためフリエタが校長室に向かっている間、狭い校庭の横にあるカフェテリアに同じAFS仲間達と待っていた。2日前にメキシコシティーから一緒に来たときはほとんど話せなかったが今日はお互いの家のことなど近況報告をしあったりしてわずかな間ながら話しなれてきた自分がうれしかった。みんなで歩いてソカロにある映画館に”Roye Lion"を見に行った。英語で聞いいてのスペイン語字幕では何を言っているのかさっぱりだったが小さなライオンが親の敵を討つために冷酷なハイエナ達に立ち向かう内容は映像と音楽だけでも十分俺の感動を与えてくれた。映画の帰りには銀行によってもらいドルをペソに両替してからエダのホームステイ先で昼食をごちそうになった。エダのホームステイ先はホテルを経営して山の渓谷が見渡せるすごくいい雰囲気の家だった。夜にはエリオスも友達のぺぺと一緒に遊びに来てみんなでトランプをしたりしてのんびりとした時間をすごした。~感想~今思うとその見た映画が有名な”ライオン キング”でした。英語もスペイン語もわからない中ものすごく感動した記憶がありますね。
2005年12月05日
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メキシコでの生活は到着直後から波乱だった。。出発前にAFSからいただいた俺の滞在するホームステイ先は首都、メキシコシティーに住む、娘一人を持つ一家のはずだった。が、実際に昨日バスでキャンプ地に移動してからAFSメキシコ支部の人が俺の名前を呼ぶので話を聞くと、なにやら家庭的な事情で俺のホームステイ受け入れができなくなったという。そんなばかな!俺の気持ちは露知らず、「大丈夫、大丈夫」と何が大丈夫なのかわからないままなだめられた。そして結局決まったのが首都メキシコシティーから車で1時間ほど離れた小さな町、クエルナバカのある家庭の家に一時滞在することとなった。新しい家族は暖かそうな母Furieta、長髪が目立つ次男のHelios、そして三男Dolel。兄弟の顔はいかにも南米人の顔そのもの。長男はカンクンという町でDJをしているらしい。家は3LDKだが生活は裕福ではなさそうだ。ここは正規に俺を受け入れてくれる家庭ではなく、俺の引き取り手が見つからないため一時的に滞在すると聞いていたから俺はうれしかった。AFSプログラムは無償でのホームステイの受け入れだから食費などその家庭にはいくらからの負担がかかる。そんな中で俺を受け入れてくれるのが感動だ。。
2005年12月04日
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日本を発ってから15時間以上が経ち、やっとメキシコシティーに着いた。空港には僕らと同じくして他の海外から来たと思われる外人がたくさん集っていた。AFSメキシコ支部の方らしき人が僕らに声を掛けてきた。どうやらここからバスでみんな移動するらしい。2台の大型バスとトランクなどを荷台に乗っけたトラックが2台、空港のそばにまっていた。バスに乗り込もうとした時、一緒に日本から来た留学生の一人が地面に落ちている銀のブレスレットを見つけた。拾い上げて片手を上げながら、「誰の?」と周りのアピールする。バスに乗りかけていた背の高くてきれいな白人が「私のだわ。ありがとう。」と言って受け取った。俺は英語が全く話せない。もちろんスペイン語も数字だけ覚えてきた程度だ。俺にもあんなふうにさりげなく英語やスペイン語を話して友達としゃべることができるのだろうか。一緒にきた日本人の子に嫉妬した。気を取り直してバスに乗り込む。どこか空いている席を探すとどこも開いていなかった。同じ日本人の仲間はちゃっかり全員座っているのに俺の席はなかった。こういう雰囲気は苦手だ。俺にどうしろというか。すると俺の心の呟きをきいたかのようにメキシコ支部の人が「大丈夫だよ、君にも席があるから。」と声を掛けてくれた。が、それは荷台に荷物を詰めたトラックの助手席だった。。ここですか?自分に自問自答しながら俺のメキシコ留学はこんな調子で始まった。
2005年12月03日
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1994年8月25日今日はいよいよメキシコへ出発。俺と同じくコスタリカへ留学する友達と名古屋から新幹線で成田へ。成田で友達とお互いの留学成功を誓ってから別れ、他のメキシコ留学生と合流。初めての飛行機、離陸に緊張しながらも感動しながら成田を発った。離れ行く地上の美しさに感動すると共に、離れていく母国に胸が哀愁が浸る。AFS高校留学プログラムに参加してから2年、異文化交流についての合宿や研修期間を得てついにこの時がきた。高校も休学した。友達も暖かく見送ってくれた。これから一年海外生活がはじまる。
2005年12月02日
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この間ふと家の片づけをしてたらでてきた3年連用日記。これは1ページに3年分の同じ日付の日記が書き込めるという日記。これをみると去年、一昨年にその日何をしてたか一目瞭然です。そういえば1994年にメキシコ留学が決まったときにその生活を綴ろうと前の年から日記をつけてました。デジカメもネットもなかったあの当時。10年以上の時間をさかのぼってちょっとメキシコ留学の日記を載っけていきます。VIVA!
2005年12月01日
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