ある日私は課長から呼び出された。 なんだろう。特に失敗もしていない。
まあ、褒められるようなことをした覚えもないが・・・。
「失礼します」
「あ、真山君。 ま、こっちに腰かけて。」
「はい・・・」
「いやね、突然だけど、きみ、事務の仕事に興味ない?」
「は?」
課長の話はこうだった。 受付には4月になれば新人が配属される。
そうなれば私のようなものは総務課に入り、新人教育にまわって欲しいと
いうのだ。 つまりは受付嬢をやめないかってことなのだ。 確かに30を
過ぎた受付嬢よりも入社したての若い子のほうがいいに決まっている。
私だって、いつかこんな日が来ることくらい、承知していなかった訳じゃない。
けれど、実際に言われてみると、そのショックは思った以上に大きかった。
まるで自分が女として終わったように思われた。 ここまで来ると雪乃の
慰めも、足のマッサージも何の効き目もない。 人は大きなショックを受けると
笑うのだ。 この日、私は初めてそれを実感した。 控え室に戻って、仲間が、
「真山さん、課長、何だって?」 そんな質問を興味本位でぶつけてくる。
私は、何も言えずに顔だけでなく「ははは・・・」と乾いた声に出して笑った。
きっと、変な顔だった。 顔のどこかが引きつっていたに違いない。
「お母さん、お風呂わいてる?」
「わいてるけど・・・ご飯より先にお風呂に入るの? 珍しいね」
私は部屋に戻って服を脱ぎながらふと鏡を見た。 32歳、独身、結婚予定なし。
それが私の現実だ。
湯船に浸かって、「はぁ~」なんて声を出してみると、いかにも自分が歳を
とって、オヤジくさい感じがした。 10年間かけて身に付いたゲスト用トークも、
もうなんの武器にもなりはしない。 そう考えてみると、自分にはこれから
仕事を続けていく何のスキルもないことを認識して、情けなくて涙がでた。
拭っても拭っても止まらない涙をまっていたら、結局私は一時間以上も
お風呂に入っていたようだ。 濡れた髪を拭きながら冷蔵庫に直行し、
冷えたビールを取り出した。 食卓にはテーブルの上にはハンバーグと
サラダが置いてある。 缶ビールのプルトップを開けると、プシュっと
いう音が、薄暗いキッチンに響いた。 時計を見ると、10時近い。
両親はすでに2階のベッドの上でテレビを見てる。 健康的な生活だ。
それが彼らの幸せなのだから、私は何も言うこともない。 テレビを
つけようと、リビングのテーブルの上にあるリモコンに手を伸ばすと、
白い封筒が目に入った。宛名もなく、封が開いている。 手にとって
中をみると一枚の写真だった。 事務所らしい場所でまっすぐに正面を
みて笑っている一人の男性。 だれだろう? 見たことがあるような気も
するが、母の知り合いかもしれない。 私は写真を封筒にしまって、
テレビのスイッチを入れた。 画面の中では若手のお笑いタレントが
ポーズを決めている。 最近人気のお笑いコンビだ。 めがねをかけた
ほうの人がキュートで可愛い。 腕を振り回して踊る姿が目に入る、
けれど彼らの話は私の耳には入ってこなかった。 耳に・・・と いうより、
心が空っぽで何も受け付けようとはしなかったのだ。 私はテーブルに
頬杖をつき、ちびりちびりをビールをすすった。 静かな部屋の中では、
お笑いタレントの途切れることのないトークと湧き上がる観客の笑い声
だけが響いている。 それは遠い遠い世界の声のようで、シンと
冷えわたった部屋の中がとめどなく寂しげで私をより一層心細い気持ち
にさせる。 不意にぽとりと涙がテーブルに落ちた。 この10年、私は
いったい何をしていたんだろう。 そして、これからの10年私はいったい
どんな風に暮らすのだろう・・・。
ソウルフル・キス step 12 June 23, 2009 コメント(2)
ソウルフル・キス step 11 June 21, 2009 コメント(4)
ソウルフル・キス step 10 June 20, 2009 コメント(2)