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いまの日本社会に必要なのは、「つながり」と「たまり」だとラヂオで聞いた。 「つながり=繋がり」であり、「たまり=溜まり」である(だろう)。 なるほどな~~と感心し、得心がいき、腑に落ちる思いがする。 「独居老人」とか「孤独死」とか喧伝されて久しい。 昨今は、それらに加えて、「無縁社会」という言葉もたびたび聞くようになった。 人の生き方はソレゾレだが、「無縁社会」とはいかにも淋しいイメージだ。 「ベタベタのお節介」は御免蒙りたいが、「東京砂漠」も寒くて歓迎したくない。 「人と人が繋がって、そこに、溜まりができる」というイメージは好い。 繋がりも溜まりも固定的ではなくアメーバ状態 であるのが好ましい。 その時々によって形態を変えていくというイメージは好い。 不動産関連業種では個人事業主が多く、仕事ごとにメンバーが変わるということはよくあるケースだ。 司法書士や弁護士などの、いわゆる「士業者」たちはみな個人事業主だ。 案件によって関わる士業者の組み合わせは変化する。 ここにも、「繋がり」と「溜まり」が存在する。 仕事は、 デキルやつ、それも気心の知れた性格のよい人と組みたい。 そこに、おのずと繋がりと溜まりができる。 地域社会においても同じだ。 地域ごとにある公民館や地区センターは趣味や習い事の拠点になっている。 そこへ出入りして知人友人をつくる楽しさを、このごろ、知った。 「自助・共助・公助」というが、共助=繋がり=溜まりのイメージだ。
2011/01/31
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越谷花田苑にある「こしがや能楽堂」での「新春茶会」を経験する。 越谷ユネスコ協会10周年を記念して開催されたものだが、茶道を習ったことのあるカミサンといっしょにお昼過ぎに出かける。 越谷花田苑は夏は蛍が舞い飛ぶ情緒豊かな和風庭園で有名だが、「こしがや能楽堂」はその仕様木材一つひとつが厳選の優れ建築物だ。 和服姿の妙齢のご婦人方が多く華やいだ雰囲気が好ましく感じられる。まず、はじめは、「立礼(りゅうれい)」の作法で一服つかまつる。並んだ順番がよく前列最右端に着座でき亭主直々の御点前を一服する。実に幸運なことである。 初めてのことで作法もなにも分からないが茶碗を手にした緊張感が好い。不躾ながら、特別に、写真を撮らせていただく。 茶道・・・、よいなあ・・、はまりそうだな・・・。 越谷ユネスコ協会理事の服部正一氏にあつく御礼を申し上げます。
2011/01/30
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不動産の営業は、「口八丁手八丁」のイメージがあるようだが、しかし、それは、ホンの一部であり全部ではない。そのような営業では、営業マンとしての寿命を縮めることになる。この「口八丁手八丁」という言葉のもつイメージが、「無責任、怪しい、信用できない」などと同義語となっているからなのだが・・。最強の営業は、実は、最強の聞き手なのだ。人間は、ほとんど例外なく、自分のことを話したい欲望をもっている。自分ことを話すのに、話し上手もいれば話し下手もいる。その両方の話を、よくヒアリングできる資質が不動産営業には必要だ。「聞き上手」になるには、至誠の精神が必要だ。相手に対して、誠実な関心をもち、その関心を相手に感じさせることだ。それは、テクニックではない。人間性そのものが、みごとに表出されるところだ。百才あるものは幸いだが、それは一誠にかなわないことを知るべきだ。
2011/01/28
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10代の頃から、活字中毒患者にも似て、濫読の日々を過ごしてきた。その傾向は、現在も改まってはおらず、むしろひどくなったかの感がある。いわゆる「自己啓発本」というのも、かなり読んだ。この種の本は、読み始めると、次から次へと連鎖的に拡大深化していく傾向がある。アレモコレも読まないと落ち着かなくなってしまう。これでは、しかし、ただの「本読み」におわってしまう。限りある生命、限りある時間の浪費になってしまいかねない。今日、思い立って、またしても幾度目かの本の整理をした。ドレもコレも手放すには忍び難いものがある。手元に数冊、昔から何度も読み返した本が残った。これらの本は、いわば、私の人生の根幹を形成してきたものだ。濫読のなかでも、繰り返し手にとって読み返した本も数多くあるのだ。「読書百回、意自から通ず」とはいうが、コレはなかなか・・・・・・・・。 年月を経て、また新たな指針を与えてくれる本は貴重だ。
2011/01/27
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2月6日の愛知県知事選・名古屋市長選・住民投票の結果は重たいものだ。 来月に行われる名古屋市議選は大いに注目される。 さて、政治史のはじめから、「政=税」であり、逆に、「税=政」である。 税を徴収し、それを分配するのが政治そのものである。 政治の執行機関として、「官吏=公務員」がある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 気がつくと、この国は「政・官=公」ばかりが肥え、「民」が瘠せ細ってしまった。 「民」のなかでも、「細民」ばかりが、ますます、痩せ細ってしまった。 個人はもちろん零細企業も、「細民」のうちに入る。 政治に関わる者には、生活の手段が目的化している者が増えているようだ。 世襲議員がその典型だが、新人たちのなかにもその傾向が顕在化している。 議員や首長に生活者としての危機意識が見られない。 安全地帯に身をおいている者の気楽さが感じられる。 公僕である公務員たちは、本来、信賞必罰であるべきだが、 責任の所在が不明確である者たちの典型になりきっている。 最近、地方では、特に、離島では、 「政・官=公」に対する「民」の不満・不信が急激に高まっているようだ。 税の徴税率や保険料などの徴収率が急激に低下傾向にあると聞く。 「払えない」ばかりではなく、確信的に「払わない」が増加傾向にある。 徴収する役人=公務員とのトラブルも増加傾向にあるらしい。 「民」の「政・官=公」に対するレジスタンスが現実のものになっている。 「政・官=公」の分野に属する者たちは、全員、税を喰らう者たちだ。 そろそろ、自分たちの居場所が安住の地ではないことを自覚すべきだろう。 「恥知らずども、恥を知れ!」と弾劾される日はそう遠くないのではないか・・。 ・・・・・・・・・・・・・・ 地方の首長=知事・市長・町長などは直接選挙によって選ばれる。 地方の議員(県会議員・市議会議員)も直接選挙によって選ばれる。 地方は首長も議員も直接選挙によって選ばれる「二元代表制」をとっている。 地方自治体は、中央政府の「議院内閣制」とその構成を異にするが、 いま、その「二元代表制」の是非が問われていると思う。
2011/01/25
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几帳面なビジネスマンの不可解な無断欠勤、昇進を目前にしての失踪。 優秀な学生の長期留年。無気力な現実逃避・・・など。これまでの神経症にはない「奇妙な心の病」がふえている。何が彼らをそうさせるのか?この本は、これらを丁寧に解析し読み解いていく。人間にはそれぞれに「本業」とでもいうべき生活部分がある。 その、いわば「本業」からだけ選択的・部分的に退却し、そのことだけに限って無気力・無関心になる。その他の面では特に異常性がみられない。そういう神経症を「退却神経症」としている。「退却」というのは軍隊用語のようだが、今まで第一線で十分にたたかってきた、サラリーマンの・・、主婦の・・、学生の・・突然の戦場放棄という退却。何か特別の理由があっての退却ではない。さしたる理由なしに起こる欠勤多発、長期留年、失踪、自殺。彼(彼女)らの、これまでのしっかりした生き方や性格からは不連続な、理解しにくい退却。何がこの不適応現象を生むのか。 講談社現代新書 笠原 嘉 著
2011/01/24
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人生イロイロには、ちがいない。それは異議なく、まさにそうだと思う。人一人の人生が、十把一からげにされては堪らない。人は皆、固有の存在で、その個性は十分に尊重されなければならない。昨今、「格差論議」が喧しいが、目に見えて格差は拡大していると思う。不動産を介して、接客していると、それは肌身に感じて実感する。月3万円に満たない家賃を何ヶ月も滞納し、退去勧告を受け、もう行き場がなくなって、切羽詰って相談にやってくる人がいる。 そういう不幸な女性は、一見してすぐに分かる。相談にのる、というカタチで、一応、ハナシは聞くが、もはやどうにもならないケースが多い。不幸な人がいる反面、たいそう贅沢な人もまたいるのがこの世の中だ。業務提携している、某ハウスメーカーの営業マンの接客に同席した。潤沢な資金計画のお客さんだが、設計変更が度重なる営業泣かせの典型だ。家族の意見がバラバラで、最終意思決定権者が不在の感がある。打ち合わせのたびに、それぞれの意見・希望が違ってくるらしい。数多ある他社の「ウリ」を、それぞれがそれぞれに取り込もうと夢み主張する。なんとも、歯軋りしたいような贅沢さを、臆面もなく開陳して憚らない。これでは、いつまで経っても、基本プランさえまとまらない。こういう時に、営業マンの仕事力というかリードする能力、いわば人間力が問われる。今時は、「十人十色」ではなく、家族内でさえ「一人十色」の時代だ。そして、それは、足し算ではなく、掛け算のカタチをとって現れる。物事には、「できること」と「できないこと」が、厳然として存在する。これを、よーく理解しながらの接客でないと、営業自体が成り立たないし、第一、お互いの不幸であると実感したしだい・・。
2011/01/22
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天下人・豊臣秀吉と千利休について書かれた書物は、巷にあふれている。そのほとんどが、「秀吉と利休」というふうになっているが、この邦光史郎氏は、「利休と秀吉」としており順番が普通のものと違う。この二人の関係は、いろんなことで参考になることが多い。現代社会でも同じような位置関係にある男たちは少なからずいるだろう。太閤記の秀吉は、実に面白く人間味に溢れすぎるほどに親近感がもてる。 天下人になってしまった秀吉には、コンプレックスの塊のような後ろ暗さがあっただろうことは想像できる。為り上がり者のもつ宿命的な悲哀か。織田信長の茶頭を務めた利休にとって、秀吉は複雑な存在であったろう。時として哀しいばかりに浅ましさをみせる秀吉は、その手にあまる厄介者であったことだろう。光秀と信長、利休と秀吉、この二つの主従関係はどこか似た色あいと匂いがある。男たちの関係は、時に、双方が望まない悲惨な結末となることがあるようだ。
2011/01/21
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身体的運動能力は、練習を怠るとすぐに眼に見えて低下することを実感する。スポーツ選手にとって、毎日の不断の練習は欠かせない。ましてプロの選手にとっては、選手生命そのものにかかわる。練習嫌いで有名な野球選手もいたが、彼とて相応の練習はしたに違いない。さて、いまの自分はどうだろうか?。仕事・業務面においての、いわば修練・習練を怠ってはいないか?!。報酬を頂戴して生活が成り立っているワケだから、その意味ではプロには違いない。顧みて思うに、未だ、草野球のレベルのままではないか。町内会の仲良しクラブチームで、少しだけ巧いだけのままのレベルではないか。それほど日々の業務が激務でもないのに、このごろ、勉強しなくなった。「街の不動産屋さん」というイメージを勝手につくりあげて、その中に安住してはいないか。不動産業の「サービス」を再点検し、それを拡充する努力を怠っていないか。心身の健康状態も含め、自己管理を厳しくし、常在戦場、プロとしての自覚を再認識すべきだ。スポーツは、練習したからといって必ずしも上達するとは限らない。しかし、練習しないと、まず間違いなく、上達はしないものなのだ。自分の日常業務も、スポーツと同じ・・・・・・。不動産業で独り仕事を始めようと思い立った、その初心を思い出しそこに回帰しないといけない。今日、ある同業者の仕事ぶりに接し、自らを省みて激しく反省した次第・・。
2011/01/20
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大雑把に言って、日本の法律(民法)は、「自分の権利を主張しない者の権利は、これを保護するに値しない」という主義・立場を取っている。不動産の場合、取得時効というのがある。他人の不動産を占有し続けていると、ある一定の年月が経過すれば、それを自分のモノとすることができる。悪意の場合は20年、善意の場合は10年とされている。悪意というのは、その不動産が他人の所有物だと知っている場合のこと、善意というのは、自分のものだと勘違いしていた場合である。いずれにしても、真の所有者は、他者が自分の不動産を占有していると知った時は、直ちに自己の所有である旨を主張しなければならない。それをしないで、ズルズルと時が経過すると、時効にかかってしまう。知らなかったでは済まないのだ。 土地持ちの相続人は、よーく自分の所有地を細かく確認する必要がある。俄かには信じられないハナシだが、自分の所有地を把握できていない地主が、意外と多いのが現実だ。
2011/01/20
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長い長い石畳の参道を歩いて三ノ鳥居をくぐり、神池に架かる赤い神橋を渡ると朱赤の色も厳かな楼門の前に出る。 左手にある手水舎で手や口を清めてから楼門をくぐり拝殿に進む。気のせいばかりではなく、本当に、清々しい気分になるから不思議だ。 約3万坪の境内地は、たしかに、「いやしろち」にちがいないと思う。 由緒書きによると、御創立は、今から約2000年余り前、第5代孝昭天皇の御代3年4月未の日とされている。 なんでも古ければよいというものではないが、境内を散策すると、その、深沈とした空気はなにか神々しいものがある。 生理的には、血圧が下がるような気がする。 とんだ勘違いで行き先が浦和から大宮に変更になったのだが、その勘違いも、氷川神社にひかされてのものだろうと一人合点して帰る。
2011/01/18
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連絡などはいつも突然にやってくるものだが、 今日の貴兄の突然のメールには、ホント、びっくりしたよ、まさすけクン。 医学部教授の貴兄が、「万葉集」に関する論文を・・・!?。 高校時代、古典・古文や漢文の類は大の苦手だったじゃないか。 人は変われば変わるもんだねえ~~~。 「万葉集」、「古事記」、「日本書紀」などの研究を始めて数年になるという。 まったく、私と同じ時期じゃないか。 メールのリンクをクリックして、読みましたよ、貴兄の論文集を・・・。 感動して感激しました。 そして、快哉を叫びました。 いや、ホントにうれしいですよ、まさすけクン。 「与論島の言語を日本語系統のなかに位置づけること」がライフワーク・・!。 私もその仲間に入れさせていただきますよ、たけふクン。 その昔、「与論島フォーク村」の創立メンバーだから、ね。 感動と興奮で胸騒ぎがするよ。 今、すぐに、会いたいね。 でも、九州・佐賀はチョット遠いなあ。
2011/01/17
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天が ある人に 大任をくだそうとするときには 必ず まず その人の精神を苦しめ その筋骨を疲れさせ その身体を餓えさせ その人の行為と意志を背反させ 思いどおりにさせないものである ・・・・・・・らしい。 孟子。
2011/01/16
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今年は選挙の年だ。 全国的には、4月の統一地方選挙がある。 昨日(1/14)、菅第二次改造内閣が発足した。 いろいろな意見や批判があるが、とにかく、本気全力で働いて欲しい。 本気全力ということは、意思決定を迅速果敢果断的確にということだ。 さて、私の身近な周囲にも選挙を控えた人が何人かいる。 町長、市議会、市長、県議会とサマザマだが、もう、全員、走り出している。 今回、越谷市議会議員選挙では、初めての試みがなされようとしている。 超党派の複数の立候補者たちによる「統一ローカルマニフェスト」の作成だ。 これが実現すれば、有権者の投票行動に大きな影響を及ぼすと思う。 候補者の誰々が「何に賛成し、何に反対か」が一目瞭然になるだろうからだ。 この「統一ローカルマニフェスト」が実現成功すれば、 新しい選挙のカタチができ、投票率アップにも大きく貢献すると思われる。 いやしくも政治家たらんと志す者は、政策的に旗幟鮮明にしていただきたい。 地縁・血縁・社縁ばかりを頼りにする選挙からの脱却をのぞみたい。
2011/01/15
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重なるときは重なるものだ。 今日は、朝一番、久しぶりに懐かしい人から携帯メールがあった。 特に、急な用事があるわけではないが写真添付があってうれしかった。 中学高校の同級生の弟さんから、CD/DVDが届いた。 昔の島の写真数十枚のスライドショーをバックに古典民謡の数々が聴ける。 聴き惚れて見惚れて時間の経つのも忘れてしまう。 忘却の彼方にあった懐かしい場所の古い時代の写真には涙が滲む。 与論の島の古今の森羅万象が私の脳のなかで甦り時空の旅人になる。 そんな状況のただなかに、またしても、与論の同級生からのメールが・・・。 そして、コレは毎日の定期便だが、孫娘「今日のめいちゃん」のムービーが・・。 ああ、島々が私を呼んでいる・・と、思ってしまう。
2011/01/14
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今朝の越谷は、冷たい北風が強く、寒かった。 早起きして、大相模不動尊大聖寺と山王日枝神社に参る。 自宅を出て、元荒川に架かる不動橋の上で朝陽を拝む。不動橋を渡って下りきりを右折し、東門から大聖寺に詣でる。本堂前で般若心経を一遍唱える。朝の勤行前の住職さんとの話のなかで、瓢箪から駒のような有り難い話が・・。午前6時、明け六つの鐘をうつことができるらしい。明朝から、午前6時前に鐘楼の下で待つことにした。 東門を出て、東へ、約300メートルいくと、山王日枝神社だ。申年生まれの私は縁起をかついで詣でている。日枝神社は不動産の神様でもあると聞いたことがある。 ここでは、持参の「大祓祝詞」を読み上げる。 境内で空を見上げると、「凛冽の宙(そら)」だ。 たしか、そのようなタイトルの小説があったな・・。 「越谷吉川を観る」 ・・・ いいですよ!。
2011/01/13
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「日暮硯(ひぐらしすずり)」という小著があるらしい。 ・・・あるらしい、というのは、ある本の中でほとんど全編を紹介していたものを読んだから・・。 この小著は、「日本人的政治哲学研究」の最も優れたテキストとして、アメリカのある機関で日本研究のために徹底的に研究されたとのこと。 江戸時代中期、財政困難に陥った信州真田松代藩の財政建直し記録である。 何故、この小著が「日本人的政治哲学研究」の最も優れたテキストなのか!?。 第一に、非常に短い短編であり、短期間で通読できる、 第二に、西洋的政治学の影響を受ける前だから文章が簡潔明瞭、 第三に、松代藩という非常に狭い地域だけのことだから事実関係が明白、 第四に、「ひぐらし硯に向かって」一気に書いたものだから内容が直截簡明、 第五に、「財政建直し」の記録であるから、その方法・過程・成果が明瞭で、 どこの国の人にも理解できる、 第六に、一見、すべてが非常に不合理・不公平でありながら、結果として、 全ては「まるくおさまって」おり、あらゆる人がその「仁政」を謳歌している ざっと、以上の6点であるが、いちいち得心がいくのである。 末席家老から大抜擢され、この大任を遂げた恩田木工(おんだもく)がよい。 世の中の、政治や行政に携わっている人たちには必読の一書である。 大多数の現役政治家や役人は、一読 、赤面汗顔のいたりではないか!。 政治家や行政官僚の率先垂範の鑑である。
2011/01/12
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一週間ぶりだ。 一週間は早い。 一日一日はそれなりに長い。 一週間前は、もう、だいぶ以前のような気がする。 1月5日午後から微行の旅に出て、 今日、1月11日午前に帰り着いた。 分かりにくいが、一言でいえば、「無知の智」を識る旅だった。 世の中には知らないことが多すぎる。 世の中には知らなくてもいいことが多すぎる。 「知らない」を選択する智もあることを知った。 それこそ、まったく、「個人的な体験」なのだが・・。
2011/01/11
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「為せば成る」・・・かどうかは分からないにしても、 「為さねば成らぬ 何事も」 ・・・はまったくそのとおりだと思う。 「成らぬは人の為さぬなりけり」・・・もまたそのとおりかなと思う。 「成る」と「為す」の言葉についてビジュアルに得心するものあり。
2011/01/04
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節目節目に遵守すべき作法や儀式はよく守り執り行おうと決めたばかり・・。 我が家で行う新年会では、古来作法に則り「与論献奉(よろんけんぽう)」を披露実践することにした。 島から取り寄せた黒糖焼酎「有泉(ゆうせん)」以外の酒類はご法度だ。 さて、いざ・・・、といきたいところだが、皆、昨夜来の呑み疲れで気息奄々のありさまだ。 しかたない・・、小生がひとり、呑み干してやるか。
2011/01/03
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毎年恒例の正月2日の会。 今年は、京葉線「検見川浜」の竹澤家次女の家で開催。 東京・谷中三丁目で生まれ育った三姉妹の家族親睦会だ。 三女=我が家の子どもらは遠隔地に散り参加できないのが残念だ。この親族にも世代交代が顕在化してきて、うれしいかぎりだ。 孫世代が一座の主役たちである。 還暦前後の三姉妹には健やかな日々であらんことを祈念する。
2011/01/02
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年の初めのためしとて・・・、第46回 越谷市元旦マラソン 5キロコースに出走し完走できた。 なんでもないことだが、私にとっては、たいへん大きな喜び事だ。 去年の11月は眩暈症候群に陥り、日常生活もママならない状態だった。なんとか、コレをやり過ごし、体調を回復して、「完走証」を手にできた。 2011年が明けました。気分も新たにスタートしましょう。 節目節目には、それに対応する、それなりの作法や儀式があり、コレらを大切にすることが大事であることを学んだ一年が昨年だった。 「日常」のなかに「非日常」を取り入れることの意味が分かった54歳だ。 なにごとも始めることに遅すぎることなどない。 右顧左眄せず内なる己の声を信じて我が道を進もうとあらためて思う元旦だ。
2011/01/01
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