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2007年11月04日
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カテゴリ: 学生時代の小説
「地球に愛されてるんだよ」


     ☆

〔N(ニュートン)〕が、9.8〔kgw(キログラム重)〕だって知ったのは期末テスト最終日の、最後の物理が終わったすぐ後のことだった。
「えーなにソレー」
 あたしは、机に突っ伏して顔だけひっくり返すみたいにしてうらめしげな上目づかいに、硝を見てちょっと眉をしかめておまけに唇までとがらせてみせた。
「きーてないよーそんなことーなにソレ超カンタンじゃんあーもぉすっごいソンしたー」
 ひといきに、
 いったら、ふ、て硝が笑った。

 前髪が、長すぎて眼はここからじゃ見えなくて、薄くて色が悪くてきれいなカタチの、くちびるのハシがちらっと上がったのしか見えなかったけどあたしは硝のその笑い方が好きだった。
「なぁんでー?」
「だって。教科書の1ページ目に書いてあるよ」
「いちぺぇじめはぁー中表紙だもん」
「はいはい」
 ワガママ、とか。ヘリクツとかいくらゆっても苦笑いひとつしないで硝は、ハイは一回でいいのに二回もいって何度も。
「じゃあ、帰ろうか」
 何度でもあたしに手をさしのべる。
「んー」
 厚みのない、骨と筋とあおじろい血管のめだつシラカバの枝みたいな硝の手を網にたとえるなら、あたしはわかめとかのりとかそういうだらしない海藻みたいにしてでろんと引き上げられた。
(つめたい)

 網にからまったわかめのあたしが仕方なく顔を上げたらふたり、眼が合った。
(……とけた、アイスノン)
 みたいなでも恐ろしいくらいに透明度のたかい真っ黒い眼を硝は、していて、溶けた後とろけたかたちのまま固まったガラスみたいだとあたしは良く思う。でもガラスは炎に突っ込んで良くは知らないけどたぶん1000℃くらいにならないと溶けなくて、そういう灼熱に一度でも通されたことのあるものの『すごみ』みたいのが硝にあるのかは分からなかった。
 ただ、あたしは。ぬるま湯みたいな、だけどあんな風ににごってない硝の眼が好きだったからからまったまま伸び上がって茶色っぽいやわらかい髪の毛に包まれたあんまりおおきくない頭を抱え込んで、(あたしから見たら、左の)まぶたの上にキス、した。
「……沙子?」

「こんにゃくゼリー」
「おいしかった?」
「んんーあじないーけど、硝はー?」
「?」
「め、て性感帯なんだよねぇねぇきもちよかったー?」
「変なことばっかり知ってるね」
「だって女子こーせーだもん思春期だもん」
「もしかして、欲情してる?」
「してるー」
「じゃあ、うちに来る?」
「いく」
 めずらしくのばさないで短くきちっといったら背すじも伸びたからようやく一人で立ってでも右手は硝の左手にぜんぶの指交互にからめたまま、
 歩き出した。

     ☆

 おと。
 あんまりしない静かな、空調と熱帯魚の水槽ポンプだけひかえめに大気をゆらしてる青っぽい暗い、
(硝の)
 へや。
(ゆれてる)
 のは部屋じゃなくてあたしでしかも正確にはゆれてるんじゃなくてゆさぶられてるんだけどそんなことはどうでもよくてはやくはやくおそく、切れ切れのいきがたくさんちらばってて苦しくてあつくてさむけがして、
(きもち、)
(いい)
 早くはやくおそくやさしくつよくとおくたかく、
 かなしく。
(うちゅう、が)
 倍になっていく。
(つよく)
 沈んで。
(やさしく)
 いのちがないて、

 ……硝がからだをひいた。

 ごろんと、あたしの横に転がってこっち見てしずかにいたずらっぽく、笑う。
「ごちそうさま」
「んーどおいたしまして」
 長くて肉のついてない指の先が腹がてのひらがあたしのからだをなぞっていく。
「やわらかいね」
「体脂肪率がぁ、たかい、てゆわれた」
「でも沙子はやせてるじゃん」
「だからぁ、かくれ肥満てーないぞぉに脂肪がついちゃってるのやばいの」
「それなら」
 いった硝の眼がカチリと光った。
(確信犯)
 みたいに。
「今度は沙子が上になってよ」
「えーめんどくさいぃー」
「動けば脂肪も減るよ」
「うーん」
 いかにもこじつけがましい下心みえみえの台詞だったけど硝もあたしがそんなのにのせられるわけないって知ってていってる、言葉アソビみたいなものだったから、『のった』。
「高いーねー」
 立ってるのよりはひくかったけど感覚として。葦とか蔦みたいにひょろりと伸びた先にいるはずの硝のアタマがしたにあるせいかもしれないし、
「逆らってるから?」
 かもしれなかった。
「なーぁにーにー?」
 ゆれ、ながらきいた答えは硝の喉も大気もふるわせなかったけどくちびるを、読んだ。

 ……『地球に。』

     ☆

 川島ユキ、がいたのは送らなくていいよといって出た硝の家の真正面の狭い路地のむこうがわで、燃えるような黒い大きなあたしをころしてしまいたい眼をしていてこんなふうに感情を剥き出しにした人間というのはほとんど例外なくみにくいはずなのにどうしてか彼女はひどく可愛かった。
「――返シ、テ」
 さくら色の、花びらみたいなかたちの唇とか。
「返シテ返して よ しょうくん ヲかエシテ」
 上気した頬のバラ色とか。小さくきゃしゃなまるい肩とか折れそうにほそい足首とか栗色の、どこまでも素直にまっすぐな髪の毛とか。
「おにあく マ キちくインランク ズゴミひトデなシしょうク んをゆうわクし テあタシからぬすン ダヒドいひどイひドいヒドイ」
 ひとよりおおきな光彩が黒めがちにみえるひとみの。
 オニキスの切り口とか黒水晶の破片みたいにキラキラした水晶体のおくにちかちかした緑色。
(嫉妬(グリーンアイズ・モンスター))
 川島ユキは硝がすてた女の子だった。
 もっと正確にいえば硝の幼馴染のおむかいさんで(だから今こんなところにいる)元彼女、というか硝の感覚ではSFだったらしいけどユキにとってはそうじゃなくて、硝があたしを好きになったから別れてくれといったらこんな風に遠い国のことばでカタカナまじりにしゃべるようになってしまった。被害者だった。
 て、いうのをきいたときあたしは硝を外道だなあと思ったけどそれで硝をきらったりユキにもうしわけなく思ったりしないあたしも外道だからお似合いでイイ、んじゃないかと思う。
「ゆルサなイ」
 まだなにかしゃべり続けてるユキの、緑色にもえる瞳はあたしのまだちゃんと着なおしてない制服の襟元やすそや袖口からのぞく硝ののこした転々とした充血のあとをこがすように映していて、
 ユキは。
 硝をうらんでも良かったけれどあたしをうらむことを選んだらしかった。
 あたしに向かってまっすぐに突きつけられた銀色のナイフがゆるがないその答えで、ユキの命と願いと祈りと怒りと涙そのもののようにユキのからだと一体化してて美しくて、

 それは健気でかわいそうなことのように思えた。





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Last updated  2007年11月05日 01時57分14秒
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藍・ @ Re[1]:「イノチノ水」 subhead one:泥と硝子(11/04) >aozora ruiさん いつもありがとうござ…
aozora rui @ Re:「イノチノ水」 subhead one:泥と硝子(11/04) お帰りなさい(笑) じっくり読ませてい…
藍・ @ Re:とっても(08/05) この詩は蒼ちゃんがおなかの中の姫のこと…
藍・ @ ありがとうございます(>_<) aozora ruiさんが仰ってくださらなければ …
園村蒼@ とっても 愛子ちゃんらしい表現と言うかきれいな言…

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