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2007年11月07日
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カテゴリ: 学生時代の小説
 しんぞうが。
(ふたつになったら、きっとこんなかんじ)
 あつい。
 したたる。
(とろとろ)
(たらたら)
 ひだりこしが、あつくて。
(どくどくしてる)
 ああこのままうしなわれていけたら、






     ☆

 ……透明がおちてくる。

 それは、くらい空の下でふちだけを銀いろにひからせてあたしの頬にはたりと、おちて伝わってさいごにくちびるに、とどいた。
(生まれるまえにいた海の)
 味がする。
 潮の味がつよいのは泣いている硝がかなしいからだった。
「……沙子…」
 ユキが、『ユキの』喉かき切ろうとしてふりかざしたナイフは、飛び出したあたしの左腰をえぐってすべっていった。
「…沙子……」
 だけど硝がかなしいのはあたしが血を流してるからじゃなく、ましてや、ユキにそんなことをさせてしまったからでもなく、
「――どうして」

「ト いダノ よ」
 ユキが言う。
 しびれるように現実感がなくてさむかった。あぶら汗が全身からにじみ出ているのに『なかみ』はこごえるようだった。表面のうす皮いちまい分だけが焼けるようにあついその中はぜんぶさむくて、心臓と切り口のところだけにふかく、溶岩が食い込むように熱がとぐろをまいていた。
「ま いにチマイに ちなンドもな んどモダッ てしョう くんガクレ たコロサ なきゃキ れ なクテもこ レデ」
 そんなふうだけど大した怪我じゃないのもわかっていた。こころの、

 望みが、そうなだけで。
(ずたずたにされたい)
 ぐちゃぐちゃの肉片にされてそのうちどろどろにとけて油のすこし浮いたアスファルトに吸収されつくしたらきっと本望だった。
 だけどそういうかたちの幸せを、こばんでいるのは硝だった。
「沙子」
「なぁーにー」
 いつまでもずっと地べたにへばりついてそのままでいたいあたしをやさしく無理矢理にひきずり起こして、
「タクシー、呼んだから」
『生かして』る。
「んー」
「救急車の方が良かった?」
「おーげさだよー」
 硝がいなければあたしはただのタンパク質のカタマリで、そうあることこそがあたしの正しい、本当にあるべき姿だから硝がしてるのはかぎりなく無意味なことだった。カエルの脚を切って電極をさしこんで筋肉だけ痙攣させてまるで生きてるみたいですね、ってやるのとほとんどいっしょだった。
 なかない、ひからびた眼でこっちをみて。
「でもしょうくんがいらないのはわたし」
 ひらがなでなめらかにいった、今のユキこそがあたしの、今度こそ真実の鏡(だけどユキはそれでも綺麗)なのに。
 小首をかしげて、ばらばらになった心のもちぬし特有のせかいを見とおすちからでユキが、
「あなたにとってしょうくんはなに」
 核心をつく。
「空気」
 するっと、くちびるだけ別の人になってユキの催眠術にかかって、
「ないと死んじゃうの」
 摩擦力ゼロの床におおきな氷の箱をすべらすみたいにいいながらそれは少しちがうと思った。
 空気みたいに。
 水みたいに必須アミノ酸みたいに一日10g以下の塩化ナトリウムみたいに。硝はあたしがいきてくために必要不可欠なものだけどいなくなってもあたしは別に苦しまない。苦しむより先に鼓動とか呼吸とかそういう、生きている証拠みたいなものがとまるから。硝は、
(あたしを苦しめない)
 たとえばいま、すぐに。
「硝にすてられてもいー、よ」
 苦しむよりかなしむよりうらむより狂うよりさきに、
「きえるから」
 ユキがおおきくふたつ瞬きする。
「いら ないのはわたし」
「いらなくない」
 だっていのちを賭けたってよかった。ユキが、死なないのなら。ものすごく簡単であたりまえな、いちたすいちがに、てくらい当然の、こたえが、目の前によこたわってた。
「ユキが好き」
 あいしてるから。しなないでしなないでいきていて。それはものすごく獰猛な欲求だった。どんなに、苦しくて苦しくて苦しくてくるしくても、
「いきてて」
 ユキが、ナイフをけっして硝には向けなかったように、硝があたしを何度でも起き上がらせるように。
(『あたしが』、)
(ユキに刺された)
 タクシーの足音がきこえた。
 ユキは息をとめてあたしを見てる。
 だけど行くよって硝がささやいてあたしをだきあげたから眼をとじてそのあとはぜんぶ、まかせた。

     ☆

 一階の、個室じゃないけどゆったりめの四人部屋の、窓際のしろっぽいパイプベッドに、

『念のため、今晩一晩だけ泊っていってください』

 て、言われてあたしはけっこう大人しくよこたわってる。三針ぬって(けっこう雑にぬわれててアトぜったい残りそうだけどあたしはもう売れちゃってるからたいしたことじゃない)クスリも、熱発しないようにっていろいろ、飲んだり打ったりしたから、ねむい。
 外はもう、夜真っ盛りでしずかで、もちろん消灯時間もすぎててみんなもうとっくにねてる。
 のに、まっくろい窓の外に蒼鉛いろにひかって彼はいるのだった。
 手の甲と指のさかいめの、筋のところでちょっと鈍い、こんこんって音をあたしにだけ聴こえる絶妙な大きさでたてて、わらわない、夜系の眼をしたまま、
 サッシに手指をかける。
(引力)
 風、が、――吹いた。
 こおれる月。
 なまあたたかさがぬうっとなだれこんできたのにそこだけ、屶のように、とがって照らしてる。
 硝を。
 硝だけを。
(『あいしてる』…?)
 ぬめる風をはらんでふくらんだシャツごしに一瞬だけ、透けたからだのラインが痛々しくて欠けてる、たりてないうつくしさだといまさらに思った。
 そうして、月あかりに青くひかる白いシャツをひるがえしてリノリウムの床にすたんと、さも当然って顔をして降りてきたからいちおう、
「あのねーヒトコトぉーいっとくけどここ個室じゃないからー」
 忠告したら、知ってるよでも関係ないからってしれっと。
 硝はいった。

     ☆

 ……透明がおちてくる。

 硝はもうないてなかったけどあたしはそう思った。暗がりで、重力のせいで切断面が真円になれない、ひきつれた球体がさっきとおなじくあたしの頬におちて伝う。ひえた、くちびるが見えない涙のすじをたどってあたしの口端に到達して、軽くかさなって一瞬はなれてから今度は深くからまってああ硝はサクランボの茎をぜったいにむすべる、ておもった。
「……してもいい?」
 硝は、あたしのこと好きです愛してますといったけど、あたしに自分を愛してくれとはいちども、ひとことも言わなかった。
「ここでー?」
「そう」
「いまー?」
「そう」
「うー」
 もしかしたら、硝もあたしのことそれほど好きじゃないのかもしれない。焦げつくような地球への嫉妬から、硝はあたしにしばられているだけなのかもしれなかった。
「いーよ」
だけど『付き合おうときめた』。
「ねつ、あるといーんだってークスリも、飲んだし。クスリもねーイイ、んだって別人、みたいにー」
「どこで覚えてくるの?」
「しゅーかんしー」
「思春期だから?」
「うん」
 そこでもういちどキスしてから硝は本格的にのしかかってくる。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 ちらっと笑う、うすっぺらくて酷薄そう(てゆうかそのもの)な、
(くちびるが)
(きれい)
 爪先からふくらはぎからあたしの躰のうらがわをとおって脊椎と、神経の交錯する首のうしろのところにぞくぞくがはしってく、その一方で硝の右手はあたしのひだり側面をなでおろして指先で、たどりついた腹帯をはがしはじめた。
「お代官サマー?」
 きいたら、眼は前髪でかくして、
「そう」
 喉だけくく、とならして硝がわらう。さいごのガーゼを外して舌先で傷に、
(さわる)
 て、おもったけど縫い目のきわぎりぎりをていねいに慎重になめただけだった。傷口をなめるのは衛生上よくないから本当はしたいけどっていってまた喉だけでわらう。
「でも傷が塞がったらいい?」
「うーん」
 またしても丸め込まれてるなぁっておもったけどまぁいいやって結論づけた。そんなこと考えてるより硝のせなかの、真中にとおってる背骨の爬虫類のウロコみたいなてざわりのごつごつをさわってるほうがぜんぜん、ずっと有意義だった。
 痛み止めのつれてくる浮遊感とけだるさと皮膚のあわせめのなめらかさと、
(『よろこび』)
 すうっと、沈んでた硝が『いったんもめん』みたくのびあがって、『くる』。
 抵抗なくのみこんで天井をあおいだ。

(楽園(パーフェクトワールド))

 もう行けない。
 だってあたしたちはユキをたべてしまった。
(蛇に)
 そそのかされて。
 だけど聖書とはちがってふたりいっしょに、
「『いこう』」
 永遠、とか、そういう。ながいながいながい始まりも終わりもない絶対に永久に『果てない』、
(久遠)
 そういう時間を、大地の中心からひきよせるちからに忠実にたれてく泥に同化してねむりつづけていたい、
 あたしを。
 引きずり出して、荒野へ。

(ネオ・パーフェクトワールド)

 欠けたところだらけの。あるくたびにざくざくと足を切って血をながすだれかを殺して食べながらいきていく『ここで』、

 ゆくから。――泡(キス)を、
(なみを)
(水を)

 ……あたえて。





                        end





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Last updated  2007年11月08日 00時37分13秒
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藍・ @ Re[1]:「イノチノ水」 subhead one:泥と硝子(11/04) >aozora ruiさん いつもありがとうござ…
aozora rui @ Re:「イノチノ水」 subhead one:泥と硝子(11/04) お帰りなさい(笑) じっくり読ませてい…
藍・ @ Re:とっても(08/05) この詩は蒼ちゃんがおなかの中の姫のこと…
藍・ @ ありがとうございます(>_<) aozora ruiさんが仰ってくださらなければ …
園村蒼@ とっても 愛子ちゃんらしい表現と言うかきれいな言…

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