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先日書いた記事
に、
「 走るあん馬さん
」から真剣なコメントをいただきました。
ありがとうございます。
僕も真剣にお答えするのが礼儀だろうと思いましたので、
コメント欄ではなく、こちらにてお返事申し上げます。
(たぶん、字数制限にひっかかるので)
>動機が曖昧
>では志望動機がない人が全面的に悪いのか、僕はそうは思いません。
僕も、志望動機がないこと自体を
「悪い」とは思っていません。
それを助長するようなCM、メディアの立ち位置に問題があると思ったまでです。
志望動機に関して言えば、
では、なくても良いのかと言えば、
それはやはりよろしくない。
というのは、雇用する側にとってマイナスであるからでなく、
雇用される側、
すなわち、就職面接を受ける側にとって
著しくマイナスであると思うからです。
例えば、僕個人に関していえば、
今現在は塾講師として働いておるわけですが、
これが道路清掃の仕事になったり、
工場での作業員になったり、
あるいは、政治家として議会に出席するような職であったとして、
僕はそれでも「志望動機」を見つけようとします。
「志望動機」は、すでに「ある」ものではなく、
臨むに当たって「探す」ものであると思うからです。
そして、それがないことのマイナスというのは、
その仕事にあたる時間、提供する労働力が
対貨幣的な価値のみを持ち、
簡単に言えば「やりがい」という点において
意味を見出しづらくなると思うからです。
簡単に言えば、
「志望動機」なしで働くのは、
その人にとって、
もったいない。
世の中には、
自分が思い描いていた職に就けないという人の方が圧倒的に多い。
では、自分の理想とする職でない時点で
もう「第一志望」としての「志望動機」を持てず、
受け身での仕事になってしまうのかというと、
それは結局、その人がどういう心づもりで職場に立つか、
それのみによって決まることだと考えます。
僕は、分類するならば、実存主義者の側の思想を持っておるのですが、
だからかもしれません、
どんな職業、どんな立場であっても、
そこに「現存在」としての自分にとっての「やりがい」を見出したいと思っています。
>最近の若者は(自分もですがw)精神的に未熟な人が多い。
最近に限ったことではないでしょう(笑
若者は「未熟」なもんです。
でも、壮年になれば「成熟」するのかといえば、
それもまた、違うように感じています。
というのは、僕自身、
「完成した」と感じてしまったならば、
それ以上の自分の成長は望めない、
あとは時間が経過するのを待つだけの身に
なりさがってしまうと思うからです。
>親に努力することを教わらなかった人、耐えることを知らない人、
>がんばる方法を知らない人が多いのです。
うーん、難しいところですね。
親が教えればできるようになるのか、
教えなくともできるようになるものなのか、
そもそも、がんばることって、教えられたり教えたりすることができるものなのか。
だから、僕は、
言葉で教えるということではない、
自分自身が頑張っている姿を子どもたちに見せる、
それが最も良い指導だと考えています。
がんばっていない人に
「がんばれ」と言われることほど
腹立たしいことはありませんからね。
ただひとつ、
がんばることを「知らない」からしょうがない、
とだけは思ってほしくないですね。
>派遣として働いていた人の中にも間違いなくそういう人がいると思います。
僕は、今の講師職に就く前、
労働者派遣事業・派遣元責任者という立場で、
人を派遣する側として働いておりました。
派遣労働の場合、勤務先の方に
労働者を選別する権利はありません。
したがって、派遣元が、その業務にふさわしい人物を選定します。
そのため、派遣元は労働を希望する人の希望を聞きつつ、
人となりをある程度判断する、
「面接」行為は禁止ですが、
「面談」という形で、人物像を把握することになります。
僕も年間数千人の方とお会いしてきました。
今でも強烈に覚えている方がいます。
その方は、40台半ばで、
それまでスポーツ用品店を経営なされていた。
ところが、その事業がうまくいかず、
収入を得る手段を探し、僕らのところにやってこられた。
しかし、僕が所属していた派遣会社というのは
学校教員を専門とするところでして、
つまり、先生を希望する方のみを扱う。
その方は、大学の頃に教職課程を受講されており、
たまたま教員免状をお持ちだったんですね。
で、おっしゃる。
「とにかく収入が必要だ。免許は持ってるので、やらせてください。」
お任せするわけにはいきませんよね。
理由は簡単で、
もちろん、免許を持ってはいるものの
それまで全くの未経験であったということも大きいのですが、
なにより、
仕事そのものに対する思いが、まるで感じられない。
「なんでもやります」
というのは、そこに明確な意志がないと
「やりたいことは、なにもありません」
という表現と同義になってしまう。
また、新卒学生の方で、
「自分に向いていると思う」とおっしゃった方も、
基本的には不採用としておりました。
向き、不向きを語るには
新卒学生は、あまりに早すぎる。
少なくとも10年ほどの実務経験を踏まえてから
言うべきセリフですね。
逆に、10年選手だったとしても、
向き・不向きにこだわらず、
どんなことにも挑戦しようという前向きな方もいらっしゃいました。
こういうことは、
派遣労働だから起こるのではありません。
雇用形態が派遣だろうが正規だろうが、
同じような割合で、同じような人がいるもんです。
>
TVから発せられる情報というのは膨大だ、というのはおっしゃられる通りです。
>ではそのすべてが有用かというとそうではないです。
>>テレビなしでは文化的な生活を営むことすら困難な現代
>僕はそうは思わないですね。「文化的」の定義にもよりますが、
>少なくとも生きていくのに不自由はないです。
まったくおっしゃる通りです。
僕が自分自身で、テレビなしの生活をしてみた結果、
確かに、生きていくのに困ることはありませんでした。
しかし、有用な情報、不要な情報にかかわらず、
新聞から得られるだけの情報量だと、
単純に言えば、周囲の人の会話についていけなくなった。
今は、インターネットが普及しているので、
もしかすると「テレビなし」でもいけるのかもしれません。
それでも、僕は、
生徒や保護者の方には
「テレビを見るのはよいことだ」と公言しています。
というのも、目からのみ入る情報に加え、
耳から入る情報量というのは、想像以上に大きいからです。
テレビを見るにあたって、
ニュースや報道番組、教育テレビだけを見るというのも
現代においては、どうかと思います。
ときには、いわゆる「有用でない番組」を見ることも
結果として有用になる。
それは、子どもたちのボキャブラリーの枯渇状態を見るにつけ、思います。
最近の子は、本当に言葉を知らない。
また、いわゆる流行語を知らなくてもよいかといえば、
残念ながら、周囲との円滑なコミュニケーションをはかるには
やはり知っておいた方がよいですし、
では「現代用語の基礎知識」を読むことで補えるのかといえば、
到底ムリなハナシです。
僕が「文化的な生活」と書いたのは、
この点にあります。
ただ生きていくためでも、
社会権で規定する「文化的生活」でもなく、
周りの人と、円滑なコミュニケーションをとり、
人の間で、楽しく暮らしていける、
そのためには、新聞・書籍だけでは足りないと感じています。
そして、それがテレビであろうと書籍であろうと、
ネットであろうと、
そこにはペアレンタル・ガイダンスがあってほしい。
学校では、情報という教科
あるいは総合学習の時間で
インターネットの使い方、メールの送受信の仕方などは教えるようですが、
ネットマナー、礼儀作法などの指導はされていないようです。
携帯電話のメールで、
相手の都合も考えず、
自分の名前も書かず、あいさつの文もなしで、
いきなり自分の主張だけを送りつける。
そんな中高生が増えています。
そこにこそ、教育が必要であり、
それは「親」に限った義務ではありません。
全ての年長者が、年少者に対して負う義務であると考えています。
ですから、僕ら、愛夢舎では、
携帯電話の使い方、メールマナーなども
口うるさく言うことにしています。
ええ~~、だいぶん長くなってしまいました。
何気なく書いた記事に対して
非常に真剣なご意見をいただいたもので、
嬉しくなっちゃいまして(笑
ウチのブログは、ほとんどが雑多な記事で、
それこそ「ムダ情報」のようなのが多いのですが、
僕は
「ムダ」=「文化」だと考えております。
どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。
Kama
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