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こんばんは、鎌田です
「願えば叶う」
「この世界に『偶然』なんてものはない」
「環境のせいにしてはならない」
「環境は自分がつくっている」
いずれも塾長佐々木がよく述べる言葉です。
「意味」は誰でもわかるけど
「真」を理解することは難しいようです。
一番わかりやすいのは
「環境は自分がつくっている」
です。
フツーの感覚でとらえれば
もっとも「わかりづらい」ものかもしれません。
「環境」ってのは、自分をとりまくものでしょう?
自分をとりまくものっていうのは
たとえば、政治的な要素だったり
住所や年齢、健康状態にはじまり
もちろんのこと、他の人たちが「環境」であって
それは自分が作ってるんじゃなくて
たとえば、他の人たちが作っているんでしょう?
これがフツーの捉え方ですね
これは体験にもとづく「たとえ話」ですが
テレビで「婚活」の特集をよく放送している
電車に乗ると、結婚相談所のチラシが目につく
街を歩いていると、結婚式場の看板が多い。
これが何年か前のハナシ。
最近はめっきり、それらのモノを目にしなくなった。
最近は
森三中にはじまる「妊活」の話題をよく目にする。
本屋に行って、話題の新刊コーナーに行って
ふと手にとった本を読んでみたら
障害を持った女性が命がけで
赤ちゃんをこの世に残すというドキュメンタリーだった。
「そうか、数年前は『婚活』ブームだったのが
今はむしろ『妊活』ブームになったのか。」
そう思うこともできるでしょう
これが
「環境のせいにしている」
ということです
「事実」 はそうではありません
世の中に「流行」なんてありません
「事実」は
キャッチする情報をみずから選んでいる
「ワタシ」が「流行」をつくっている
世の中にある「情報」は、なんら「意志」をもっていません
「かたより」もありません
先の例でいえば
「婚活」ブームのときにも
「妊活」情報は、この世界にあふれていましたし
今も「婚活」情報の量は減っていないはず
しかし、実際に「見える」ものと「見えない」ものがある
それを「ある」、「ない」と混同してしまう
「事実」は違います
「ない」のではなく「見ていない」だけです
いや、確かに「見えない」
なぜ「見えない」か
それは、 自分が必要としていないから です
逆にいえば
「見えるもの」は、
「自分が必要なもの」であるわけです
我々の「脳」は
自分にとって必要なものを自然と印象に残し
必要でないものは、視野に入っても
自動的に脳にインプットしない
自分の人生において
今まさに自分がそういう状況に置かれた
その状況に対して必要な情報
その状況に適合する情報
それを選択して脳がインプットしていく
自分が気づかない
自分に不要な情報は「見えない」から
「自分が選んでいる」という感覚もない
だから、勝手に「環境」がそうなっていると勘違いする
これが事実です
こういう経験はありませんか?
「以前は『こういうモノ』が多かったのに
最近は『こっち』が増えたなあ」
それは『こういうモノ』が減ったのではありません。
『こっち』が増えたのではない
そのときあなたは
『こういうモノ』を欲していた
あるいは『こういうモノ』に適合する状態であったのであり
今は『こっち』の時期になった
それだけです
今『こういうモノ』を探そうと思えばカンタンに見つかります
でも「世の中=環境がそうなった」って思いこんでしまうから見つけようとしない
第一、あなたにとって、今、必要なのは『こっちのモノ』だから
『こういうモノ』を探す必要はなく探す気にもならない
だからなおさら
「世の中=環境が変わった」ようにみえる
これは、大きくいえば
世の中に 「幸せな人」と「不幸せな人」との両方がいる理由
でもあると思います
それぞれの「情報」に「意志」はありません
ただ「事実」があるだけです
それを「見る」か「見ない」か
あるいは
「プラス」とみるか「マイナス」とみるか。
たとえば
「消費税が上がる」。
これは「事実」であり「意志」ではありません。
この「情報」を「見ない」人はいないでしょう。
でも「プラス」とみる人もいれば
「マイナス」とみる人もいる。
「えっ?!マイナスでしょう!!
プラスだなんて、ありえない!!!」
そうでしょうか?
だって、僕には「プラス」に見えていますよ。
これで、みんなの結束がより明確なカタチになる。
みんなの力で、「悲しいできごと」が今より減らせる。
子どもたちに、より幸せな未来を提供できる。
・・・まあ、消費税のことはおいといて
でも、そしたら「目の前の事実」はどうなるんだ?
「絶対値」のあるもの。
たとえば、通知表が「1」ばっかり。
これは、誰がどう考えても「不幸」じゃないか。
さて、ここが「究極」です。
リクツではわかっても、
結局、自分には「見えない」じゃないか。
自分は「不幸」だ。
どう考えても「幸せ」じゃない。
勉強もできないし、お金もないし、
「人」にも恵まれないし、スポーツもできないし。
それを「自分が必要としている」とでもいうのか?
そんなの必要じゃない、
「私は幸せでありたい!!」
はっきり言います。
ええ、それを望んでいるんです。
それが、今の「あなた」に適合しているんです。
だからこそ
「願えば叶う」
なんです。
「願う」というのは
「神様に『たすけてくれ~~』って頼む」
ということじゃありません。
自分がありたい姿をみつけることです 。
先に書いたとおり
わたしたちは自分に適合する、必要な情報を
自然と目にし、脳にインプットし、それを役立てます。
つまり、自分が目にするもの
自分のおかれた環境が不満な人は
環境が違うのではなくて
「自分がなりたい姿」と
「本当になりたい姿」が一致していない。
あなたが目にするもの
あなたが感じる環境は
あなたに「適合」している情報にあふれています。
それを「これはちがう」と感じてしまうのは
自分がそれを選んでいることに気がついていないだけ。
あるいは、選んでいる情報の「意味」を
まちがえてとらえてしまっているだけ。
「入試で不合格になった」。
ここに「意志」はありません。
ゆえに、「不合格=ダメ人間」という定義もない。
それを決めているのは、あなたです。
「不合格」を「必要な情報」ととらえることができれば
どれだけ幸せなことでしょう。
もちろん、「不合格」になればよいと言っているわけではない。
同時に「合格=幸せ」という定義もないからです。
塾長佐々木は
「叶わないのは、願いが弱いからだ」
と言います。
「願い」を強くというのは
「自分の願い」に気づけということであり、
そして、
「願い」の「意味」を理解しろ、ということであります。
「環境は自分がつくっている」の意味、
少しは通じたでしょうか?
「環境」とは自分をとりまくもの、
「情報」です。
その「情報」は
自分が取捨選択しているものです。
あなた自身が選んだ情報が「環境」です。
「情報」に「意志」はありません。
「情報」に「意味」を与えるのはあなたです。
あなたが、自分がえらんだ「情報」、
あなたがつくった「環境」に「意味」を与えています。
我々は
東大出身ながら「不幸だ」と嘆く人をいっぱい知っています。
同時に
中卒・高卒ながら「幸せだ」という人もいっぱい知っています。
我々の進路指導は
そこのところを見据えて
その結論として大学進学を勧めています。
「よくわからん!!!」という方も多いと思います。
でも、この記事を読んでいただいて
そして、そういう感想を抱いていただいたということは
この記事そのものが
あなたにとって
「必要な情報」であったということです。
若輩者がエラそうに失礼いたしました。
この手の文章ですから
あえてメッセージ的に書かせていただきましたが
僕もまた、日々研鑽の日々です。
kama
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