ほどほど空間

ほどほど空間

家庭内での呼び名は隊長、またはアヒル、ヒヨコ、トリ。
隊員(オット)1名とのんびり生息中( ̄ー ̄)




2026.05.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
元々博物館には行く予定でしたが、せっかくなら面白そうな特別展があるときにしようかなとしばし待機しておりまして

ってことでこの時のお目当てはこり

《両羽博物館図譜~博物学者松森胤保に描かれた動物たち~》









特別展示室だけでなく第三展示室が丸々使われてました
通常では郷土玩具や焼物が展示されてるみたいなので再訪したいなと思いやす
次回は隊員も連れて



「松森胤保は1825年(文政8年)に鶴岡市の庄内藩士の家に生まれた。
江戸時代が終わり、日本が一気に近代化した幕末~明治の激動の時代を生き、家老職、学校長、県会議員などの要職を歴任。非常に強い好奇心・探求心を持ち、生涯を通じて数百冊の著書を残した。その内容の多様さや独創性などから<日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ>とも呼ばれるが、著書の全てが稿本(出版されていない本)だったこともあり、知名度は高くない。」


松森胤保氏、類まれなる孤高の偉人だと思いやす

圧倒的な熱量が残されたものから時代を超えて放出されている感覚

牧野富太郎先生とタッグを組んでいたらとんでもなかっただろうな…
(牧野先生は松森氏のことを認識はしていたそうだけど活動拠点や年齢がちないすぎて接点はなし)








実際に使用していた絵具箱





18歳の頃に描いた花群雀



後世に残すための詳細な絵も良いけれど、こんな風に自分の楽しみのために描いたスケッチのようなものも良きですな👏

「胤保は元々体が弱く、6歳で天然痘に罹患して以降多くの病気に悩まされ続けた。特に45歳頃から患ったリウマチは重症で、起き上がれないこともあった。最後は左目蓋の腫瘍で視力さえも衰えるが、亡くなる直前まで資料を観察し筆をとり、『両羽博物図譜』の完成を目指したという。
しかし1892年(明治25年)68歳の時、図譜は未完のまま鶴岡市の自宅で息を引き取った。」

「『両羽博物図譜』は胤保が生涯最後の十年を費やし、羽前・羽後(現在の山形県・秋田県)の動植物を網羅しようと作成された図譜である。実際には生活の拠点であった庄内地方の動植物が中心となってはいるものの、五千点近くの図が描かれた超大作である。」

「本展では『両羽博物図譜』の各部の紹介と共に生物の標本を並べて展示し、『両羽博物図譜』に描かれた動物たちに注目する。
図譜に描かれている図のうち十分の一も展示できなかったが、図の一点一点を描くのにどれほどの時間と根気が必要か、想像しながら見て欲しい。」

説明パネルにグッとくるぜぃ・・・🥺



ここから剥製をたくさん載せるので苦手な方は薄目でおねしゃす👐
ただ、できれば胤保氏の画に注目して下されば幸いなり













たぬ~とアカハライモリたん、かわゆ (*´Д`)
最近SNSやYouTubeでたぬ~動画が沢山バズっててTLを見るのが楽しいれす🦝🦝🦝




双頭の蛇🐍
何がすぎょいって蓋の文字すら書き写してるってとこ ( ゚Д゚)






















もはや標本 ( ゚Д゚)













こちらは銃猟誌

「全4巻。胤保の銃猟の記録。松山藩の付家老となり1865年6月15日、初めて猟に出る。
誰とどこに猟に出たか、弾の入ったところ、出たところ、射撃姿勢などを事細かに記録している。
胤保の他の著書と異なり、動物単体ではなく、周辺の風景の描写があるのも本書の特徴。
本書を起筆して以降、次々と『両羽博物図譜』につながる書を書き始める。」






胤保氏はダーウィンの進化論が日本に入って来る前に独自の進化論を説いてました



動物雑抄

「全6巻。動物関係のメモで、54歳から没するまで書き綴られたもの。
動物関係の諸書を読んだ際の記録と見世物などで見た動物の記録が主。」




物理新論

「全3巻。<物理>は<物のことわり>の意で現代の物理とはニュアンスは異なる。
胤保自身の理論<万物一系理>と<諸物出生証>(進化論や突然変異について)が書かれており、『両羽博物図譜』に関連する。
本書は『求理私言』の改訂続編で、61歳から没するまで書き続けられたが残念ながら未完成で終わった。『両羽博物図譜』に劣らず、全力投球して執筆されていた。」


「明治に入ると欧米の学問書が和訳・出版され始めたが、胤保はこれらの本を読み海外の学説にも触れて深い感銘を受けていた。しかしこれら欧米の学説をやみくもに模倣することを良しとせず、地震で収集・観察・分析することを徹底し、それに基づく自然観・分類法を構築していった。
『両羽博物図譜』にみられる独自の分類体系や<万物一系理>などの考え方はそうした胤保の成果が表れたものである。」




胤保収集の鳥巣・鳥卵標本

「採集日・採集場所・人名などが書かれた和紙結ばれており、自然史標本としての学術的価値も非常に高い。」



飛行機までデザインしとるがな… ( ゚Д゚)



鳥船




絵図を基に胤保氏のご子孫が再現した模型もあった😂



こりが飛んでたら腰抜けそうwww


胤保氏、絵画ばかりかと思いたら写真も大好きだったようで
江戸で初めて写真撮影をして貰ったとき(前掲の41歳の時の)から4年後に写真機を購入し、息子にも写真業を生業とするように勧めたそうな
以来現在までご子孫は鶴岡市で代々写真業を営まれてらっさるとな!

じゃあなんでこんなに不機嫌に写ってんだろw





ご家族の写真もいっぱい








胤保氏は武士としてもすんぎょくて数々の武功を立ててるんですよねぃ
んで、松山藩を守ったとして藩主から「松守」という姓を賜るも、畏れ多いとそりを固辞し「松森」としたという話もかっちょええ

ほんと、記念館が鶴岡市に建っててもおかしくないぐらいの人なのになんでないんだろうなぁ?
酒田市の松山文化伝承館ってとこで紹介はされてるそうなんですが、その公式サイトの郷土の偉人コーナーに掲載されてないぐらいだから見に行くほどなのか分からんぬ

AIに「記念館を建てて通年展示しないのは勿体ないので現在そういう構想はあるか?」と質問してみやしたw

Answer → < なぜ「通年展示」が難しいのか(技術的な壁)
ファンとしては常に見たいところですが、彼の遺した資料の「貴重さ」ゆえの悩みがあります。

文化財の保護: 主著の『両羽博物図譜』は毛筆彩色の肉筆画です。光(紫外線)に極めて弱いため、通年で展示し続けると色が褪せてしまいます。そのため、現在は「期間限定の特別展」という形をとらざるを得ないのが現状です。

分散管理: 資料が酒田市立光丘文庫、松山文化伝承館、山形県立博物館などに分散しており、これらを一箇所に集めるには、権利関係や保存環境の整備など、高いハードルがあります。>

ですってぇぇぇ (´Д`)ガッカリ

実物の肉筆画を365日展示し続けることは文化財保護の観点からほぼ不可能とされているそうなので諦めるしかにゃい シクシク
照明はLED、湿度は水分管理でいけるんじゃないかと思いたけどそりでも無理なほどのデリケートなものを間近で見せて貰えた僥倖に感謝しやす✨









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最終更新日  2026.05.07 11:38:34
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