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2015年01月24日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最近読んだ本について書いておく。
日本霊異記とパサジェルカ。
あいかわらず脈絡は特にない。

まず日本霊異記だが、これは平安前期の仏教説話集だ。
平易で読みやすいのだが、なぜか教科書等にはあまりでてこない。なぜなのだろう。
酷似した話が別の個所にいくつかでてきており、こうした未整理の状況がかえって当時こうした話が実際に流布していたということを示しているように思う。それにしても、鎌倉初期の発心集と比べると、同じ仏教説話でも背景となる考えが全く違うことに驚く。発心集では、戦乱、災害、疫病などで世の無常を感じた人々が出家するという話がほとんどだったようだが、日本霊異記では、経文を筆写したり念仏を唱えたりすることで、危難を脱したり、病が平癒したりという話が主で、無常感にふれたものはほとんどない。
仏教が日本に入ってきたころは、大陸の進んだ医術などの知識とあいまって、病気平癒などの現世利益的な信仰が主だったのではないのだろうか。留学僧達は経典の知識だけではなく、医術などの実生活に役立つ知識も持ちかえっていたはずである。源氏物語でも、病気になれば、まず僧を読んで加持祈祷を行なっており、仏教僧が今でいえば医師のような役割をはたしていたことがうかがえる。
仏教が、「悟りの宗教」になっていったのは、平安時代を通じて民衆にも広まっていったその後のことなのかもしれない。

パサジェルカは映画にもなったが、ナチ収容所の女看守だった女性が偶然に客船内でかっての被収容者だった女性とであうという物語である。精神が動揺した女性は夫に過去を打ち明け、それに衝撃を受けた夫は去っていく。あの強制収容所での残虐行為に手をそめたかそめないかは、わずかの偶然による違いでもあるのに、保身のために去る夫はどうにも身勝手のようにみえる。そしてそれはまた少数の戦争犯罪人に罪をかぶせて口をぬぐっている多くの人々の姿でもあるのだけれども。





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最終更新日  2015年01月24日 08時08分46秒
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今を生きる  
・曙光 さん
>学僧達は経典の知識だけではなく、医術などの実生活に役立つ知識も持ちかえっていたはずである。源氏物語でも、病気になれば、まず僧を読んで加持祈祷を行なっており、仏教僧が今でいえば医師のような役割をはたしていたことがうかがえる。

余命期間が推定できる、生きる見込みが閉ざされた、患者の生死の苦悩を和らげるため、西本願寺医師の会が発足しようとしている。
死の時が判る時、医師以上に僧侶の役割が大事となる事もあるだろう。

いづれにしても、日々、今日が最後と生き、今日が最後と死んで行くばかりだろう。
(2015年01月24日 14時06分30秒)

Re:今を生きる(01/24)  
七詩  さん
・曙光さん
医学の進歩は逆に「余命」という形で死に向き合う時間を人に与えるようになった。若い人なら「人生の不条理」を思うかもしれませんし、老人でも生とは何か、死とは何かを真剣に考えるでしょう。疫病や戦乱で多くの人が死んでいったような時代や社会とは別の意味で宗教の必要性が高まっているように思います。日本における宗教の衰退はそういう必要性に応えてこなかったという面があるように思います。
余命や病気だけではなく、災害や犯罪や事故でも、被災者や被害者の傍らに宗教者の姿は見えません。加害者の傍らで「死刑制度廃止」をさけぶような宗教者はいるのですけどね。 (2015年01月25日 09時37分44秒)

今を生き切る。  
・曙光 さん
>疫病や戦乱で多くの人が死んでいったような時代や社会とは別の意味で宗教の必要性が高まっているように思います。日本における宗教の衰退はそういう必要性に応えてこなかったという面があるように思います。

なるほど、言われてみればそうですね。
日本におけるは宗教の多くは、冠婚葬祭用とセレモニー化し、生死を考えるニーズに日常的に関与してきたとは言えないだろう。

余命の過ごし方において、私の様な無神論者は,華も彩りもないのかもしれない。
今を精一杯生き切る。さすれば、死の無念さが和らぐと言ったところか。
ただ精一杯生きても、生きなくても万人に死は訪れる。
自然の、人類の摂理として、是非もないと、従容と死ぬばかりだろう。
(2015年01月25日 23時32分22秒)

Re:今を生き切る。(01/24)  
七詩  さん
・曙光さん
無神論者の多くはたまたま人生の局面で宗教を必要としていないというだけではないかと思います。宗教に過度にかかわるつもりはないのですけど、神社仏閣などで人智を超えた「聖」なるものに思いをはせることもまた人生を豊かにするのではないかと思います。もちろん教会でもモスクでもよいのかなと思いますけど。
宗教の需要というのはもっとあると思うのですけど、伝統宗教はあまりそうしたものに応えていないように思います。ある新興宗教が病院の前でチラシを配っていたという話がありますが、じゃあ、伝統宗教は病に苦しむ人に対してどんな働きかけをしてきたというのでしょうか。 (2015年01月27日 23時02分02秒)

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