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2016年06月24日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
神社にお参りに行ったとき、改憲を訴えるチラシかなにかがあって違和感を感じたことがある。
政治的なものに関与するという違和感よりも、なぜ人々が身の回りのささやかな幸福を願ってお参りするところが、どうみても国民の権利を制限するような改憲案を支持するのだろうか…という違和感である。
だから佐原さんのブログにあった三輪隆裕さんの記事をみたら、ストンと納得した。
http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201606220000/
要約すると、明治以降の国家神道は伝統でもなんでもないという主張である。
明治という時代は大きく近代文明に向かって窓が開かれた時代であったが、その窓からは近代文明のよいものだけではなく、当時の支配層からみて都合の悪いものもあった。マルクスが共産党宣言をだしたのは明治維新よりも前であったし、近代化の模範とすべき西欧諸国の中には、王様や貴族の首を斬りおとしたような国もあった。
明治政府は近代化をいそぐともに、そうした窓から入ってくる「悪い思想」の防波堤になりうるようなものを必要としたのではないか。そしてそのために造ったものが国家神道ではないかと思う。
もちろん何もないところから急にそういうものを造ることはできない。江戸時代に国学に基礎を置く、尊王思想というものはあって、それが国家神道に繋がっていく。けれども、そうした神社信仰と尊王思想との結びつきが民衆レベルにまで共有されていたかといえばとちょっと疑問のように思う。
明治初期にはよく宣教と言う言葉が出てくる。これはキリスト教の宣教師ではなく、尊王思想の普及である。

ある人々が唱える伝統というもののなかには、「国家神道」にねざしたものもあり、実はそれはたかだか明治以降のものにすぎないのである。





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最終更新日  2016年06月24日 06時03分19秒
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底が浅い  
鳩ポッポ9098 さん
>要約すると、明治以降の国家神道は伝統でもなんでもないという主張である。

うん、「国家神道」自体は伝統でもなんでもないけれど、こいつが書いているのも実に軽薄な主張です。こんな物に納得しているようでは、あなたも底が浅い。

前にも言ったけれど、日本の神道の伝統は「出雲と伊勢の微妙なパワーバランス」である。これが仏教諸派と絡んでごったになっていったわけだけど(大国主は現代では完全に大黒天のイメージだし)、基軸になる点は変わりゃしません。それが政治的理由で天武朝と大日本帝国時代に天照にやや傾いただけの話だ。

もう一度言いますが、国家神道は神道の伝統の一部にすぎない。そしてまた、一部である事は否定出来ない。如何に政治的理由に基づいていたとしても、大衆がその体制を受け容れ、順応した以上は、伝統と言わずして何なのか。

出雲派と伊勢派は、これまで何度か大喧嘩しているが、明治初期にも何を最高神とするかで論争が有り、神話の基本に忠実な造化三神を推す薩摩閥、尊攘思想の伝統を受け継ぎ政治的純粋性と皇統重視の観点から天照を推す長州閥、神社の最大勢力である出雲閥が三つ巴の論争を行っていた。こういう歴史的事実があるのだから、「国家神道」が伝統そのものであるわけがないが、一方で「パワーバランスの伝統」があったからこそ、こういう論争が起こるわけ。

そしてまた、政治的理由について言えば、こいつが言う通り、危険思想を排撃しなければならないという必要性があったのは然り。しかし、それは裏を返せば、絶対君主や冊封体制の君主のような前近代的な君主ではなく、近代国家の立憲君主としての立ち位置を作らなければならなかったということでもある。改革をしつつ、危険分子どもを成敗する事は全ての革命家が頭を悩ませてきたところだが、一度急進派を利用すると、調子に乗った奴らをブチ殺すためにより多くのエネルギーを使わなければならないのは歴史が証明する所です。

加えて、伊藤博文が解説しているように、西洋のキリストを天皇に擬似化したというのもある。これは、法の下の平等を達成するために避けては通れないところだ。アジアの国々が民主化を達成するためにあれほど苦労した中、唯一日本だけが立憲主義・資本主義・民主主義をすばやく導入できたわけを、よく考えてみる事です。 (2016年06月24日 12時16分45秒)

日本よ、無能集団と為る勿れ  
・曙光 さん
鳩さんが親切、丁寧に説明されている通りですが、程度の低いブログを読まずとも、国民のそれ相当の教養人は、神道は日本の長き歴史に根付いたものであり、国家神道と言われたものはその一部と誰しも理解しているでしょう。

戦中、他の何処よりも誰よりも国家神道、日本は神の国絶対の国、八紘一宇、靖国礼賛を、大声で喧伝した朝日新聞。
その責任を戦後一切取ることなく、180度真逆に変節し、日本は最高の国から、最低の国だと連日醜悪な変節漢,狡猾者ぶりを見せつけている朝日新聞。
七詩さんではないが、下らない朝日を真に受けている愚鈍の人知性と真逆の人も巷には跋扈しているので注意しましょう。
国家神道、憲法改正などと心配する事は杞憂でしょう。

それにしても、党首討論で、自衛隊憲法違反を掲げる共産党志位氏は、自衛隊に替わる安全保障について記者団に直球で問われ、それなりの深い理念と具体策があるのかと期待して聴いていたら、それはその時考えれればよい事、安保なくても、自衛隊なくても恐らく大丈夫でしょうと政治家にあるまじき、一切の具体策を述べることなく、無責任、放埓な事を言っており、これが安保法制反対の総本山,首魁の言葉かと心底呆れてしまい、背筋が寒く凍りつく思いがした。
しっかりせよ共産党と言いたい。岡田は自民に戻る事を考えた方がよいだろう。
この野党の不勉強、幼児的思考では参議院選で野党は戦わずして破れたりで、闘う意思無き、考える事を放棄した無能野合集団と言えるでしょう。
(2016年06月24日 14時02分02秒)

Re:国家神道は「伝統」にあらず(06/24)  
maki5417  さん
愛知県・日吉神社の宮司、三輪隆裕さんのお話は、分かりやすく興味深いですね。

>本来神社とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので、この日吉神社でいえば、江戸時代は氏子の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました。

日本国も天皇も無関係ですね。先日柴田勝家の兜を祀った近くの神社を訪れましたが、天皇のての字もありませんでした。


>「天皇のために死んだ」とされる人々だけを祀る靖国神社

戦争法で戦死者が出かねないご時世ですが、やっぱり英霊として靖国に祀られるのでしょうか。
それにしても、天皇が靖国参拝しないというのはパラドックスですね。
国家神道などを目指さず、千代田区桜まつりの会場でいいのではないでしょうか。


>皇室と国民は強い絆で結ばれているとする日本会議の主張はフィクションである

三つ子の魂百まででまあそういう人もいるかもしれませんが、戦後70年象徴天皇制が定着して戦前のような関係はだんだんなくなってゆくのではないのではないでしょうか。
今ではよっぽど田舎に行かないと、家に天皇の写真や日の丸を掲げる家はなくなりましたね。
皇室と言っても今や芸能人かアイドル扱いでしょう。

戦前の強い絆は戦前の教育の成果ですね。
戦後は、個人の尊重、家制度の否定、国民主権の国になったので、これを否定しない限り強い絆を回復させることは難しいでしょうね。
日本会議や安倍さんのねらいもこの辺にあると思います。


というのが、かのブログに寄せた私のコメントです。
国家神道は70年前に終わった宗教?なのでしょう。 (2016年06月24日 17時15分05秒)

Re:底が浅い(06/24)  
七詩  さん
鳩ポッポ9098さん
神話では敗者の側の出雲が神社の最大勢力であったというのも不思議です。出雲に神々が集まると言うことも昔からいわれているようですし、国家生成にもかかわる話かもしれません。
国家神道も伝統の一部かもしれませんけど、すべてではなかった。神社関係者からああいう発言がでてくるのは興味深いです。 (2016年06月25日 06時23分23秒)

Re:日本よ、無能集団と為る勿れ(06/24)  
七詩  さん
・曙光さん
志位氏は頭のよい方だと思うのですが…あまり答えになっていませんね。最大の国防は、国家があるからこそ今の生活ができるんだと多くの国民が認識することでしょう。そしてまた、自分の子供、孫のためにも国家は存立していないと困ると思うことも。そういう意味で貧困層が増え、未婚者も増えていくような国家は国防という意味でも問題です。 (2016年06月25日 06時56分49秒)

Re[1]:国家神道は「伝統」にあらず(06/24)  
七詩  さん
maki5417さん
古事記を読むと天皇はたしかに神の子孫なのですが、他にも神の子孫は普通にいる。隼人族もそうですし、天皇家との関係は出雲の国造家よりも近いくらいです。見方によっては日本人は皆神の子孫とも読めます。「大君は神にしませば…」という歌も古代からありましたが、「源氏物語」などの古典には人間的な天皇もでてきますし、「大鏡」には、精神を病んだ天皇の記述もあります。戦前のような天皇崇拝一色ではなかったのでしょう。そして江戸時代だってふつうの庶民には天皇は遠い存在でしたし、西の伊勢神宮と同様、東の東照宮も同じような聖地でした。神社関係者からああいう意見がでてくるのは面白いですし、「底が浅い」のかもしれませんが、神社の本質のいったんをついていると思います。 (2016年06月25日 07時07分04秒)

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