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西尾敏一(よがぷう)

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2008年04月14日
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カテゴリ: カテゴリ未分類








相手が何を発言していても

相手を裁かないで

「自分の思うことと違うことを
 相手は思っているだけ」と

受け止めて

「ただ聴く」ということは

むずかしいことです。









ひとの中には

自分が正しいと思うこと



それをなくすなんて

そう簡単にできることじゃないから

どうしても

差別的な発言や

攻撃的な発言などを耳にしたとき

ただ聴くなんてできなくて

「どうしてそんなことを言うの?」

「かわいそうなひと」

「そんな言い方ないと思うわ!!!」

なんてふうに

相手を裁いてしまいますよね。













結論から先に言ってしまうと

何を言っているか

何をしているか

そんなの関係なしに


「自分も相手も等しく受け入れる自分」


にならないと



入っていくことができないんですね。

そういう自分でないと

こころから相手のことを祈ったり

相手のよろこびを自分のよろこびとして

受け取ることなんてできませんから。

かといって

相手を裁くことをやめるために

正しい、正しくないと思う自分を

自分から

「なくそう」とすることや

「変えよう」とすることも

正しい、正しくないと思う自分が

自分の中にいることは

「いけないこと」と

自分を裁いていることになるんですね(笑)

だから

自分も相手も等しく受け入れる自分

になるには

「どんな自分でも等しく受け入れる自分」

でないと

できないわけです。











ここで問題なのは

正しい、正しくないと

思う自分が「いること」ではなく

正しい、正しくないと

思う自分を「使って」

相手や自分を見てしまっていること

なのです。

そういった自分が

いることを認めつつ

使わなければいいのです。

けど

これは

なかなかむずかしいことです。

相手を裁くことは

無意識に

瞬間的に

反射的に

起こってしまうからです。

何か言われて

すぐに「カチン」とくるように。

しかし

自分を客観的にながめる

訓練を積めば

裁いた後に

「裁いてしまったな」と

気づくことはできるのです。

そして

気づくことができたら

正しい、正しくないの自分で

相手を見ていた「視点」を

「自分の意志」で

別の視点に変えることができるように

なってくるのです。

そこでわたしが今使っているのが

「神の視点」です。

自分と相手の中間点の上空に

神の視点を置いて

そこから

自分と相手をながめている

立場に立つのです。

神様になったつもりで(笑)

すると不思議なことに

相手の言葉に対する「ひっかかり」が

かなり減るんですね。

ただこれをやると

相手の言葉がほとんど

「頭」に残らないんですよ。

神の視点に立つということは

「聴く」というところではなく

お互いを「包み込む」というところに

意識が行きますから。

だからこちらに返答を求めて

相手の言葉が止まったときに

困るんですけど

笑顔で「そうですね」と

言っておけば

わたしの経験上

まず問題なく会話は進みます(笑)

あとはてきとうに

笑顔で「うん」「うん」と

言っておけばいいです(笑)

「神の視点」に立つと

自然に余裕ができるので

笑顔も楽にできます。

ただこれは

したくない会話の内容を

ふられたときに

使っているだけで

建設的な内容の話しとか

相手が真剣に話しているときなどは

「頭」に言葉が残るように

ながめつつ聴く

というように

意識の振り分けをするようにしています。











確かに

したくない会話をふられる

ということは

自分に不要な

価値観や概念に気づくために

起こってはいるのですけれども

そうそう毎回、毎回

効率よく自分の学びに結びつけるなんて

できるはずもなく

やはり

「したくないことはしたくない」

というのが人間だと思うので

自分のこころに余裕があるときは

学びに結びつけたらいいし

余裕がないときは

こういう「技」を使って

「なるべく自分が心地よくいられるように工夫する」

というのも

ありだと思うんですね。

わたしとしては。












学ぶということは

何がなくても

何ができなくても

「すでに」しあわせである

ということを

思いだす「手段」であって

「目的」ではないのですから。





自分ひとりでできることは何もない




ここに気づき

感謝と共に生きることが

できるようになれば

学ぶことすら

もう必要ではなくなるのですから。












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最終更新日  2008年04月14日 22時59分31秒
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