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今日は銀座会場で一日過ごしました。朝の9時からミニゼミと称した学習会。新しい参加者もいて、自己紹介がてら、それぞれの体験を語り始めたら、もうどんどん話しは弾みます。それぞれの体験と私の援助論がするすると重なって言葉世界が紡がれていきました。参加者の意識世界を多少なりとも広げてくださったのではないかと思います。続けて行ったワークがパットパルマーの「怒ろう」の読み合わせ。自身の人生を豊かにするために、怒りを否定し押さえ込むのではなく、怒りという感情を理解し、怒りを暴力に変えないよう言語化していくという作業です。女性は怒りの表現は抑圧されやすいので、怒りを受容するということは目からウロコなのかもしれません。抑圧していた感情を解放する事で、自己概念が変わったり、認知や情動、行動も関係も変わっていきます。今日はまずその第一歩になった方もおられるかもしれません。午後の男ワークでは、ワーク「人生劇場」と同じく「怒ろう」を行いました。人生劇場は自身の無意識の中のキャラクターを見つけて名付け、その性質を語り合いましょう、というもの。一般的に男性は女性に比べ感情の抑圧が強く、感情を受け入れる事も言語化する事も不得手な人が多いようです。唯一怒りの感情だけは男性性とリンクしているので抑圧受けにくいという現実があります。めそめそ泣くより毅然とし、時には闘いに勝利する事こそ、男のあるべき姿、そのためには怒りを炸裂する事も大切、との価値観です。この価値観で男の様々な感情が抑圧されてしまいます。その抑圧された感情をひきだすのがこのワークの趣旨。とうわけで、自身の中のいろんなキャラに気づきにくい男たちだけれど、いろいろ語り合う事で、一人では気づかなかった自身のキャラに付いて、多少は気づいてくれた事と思います。そんなこんなで、いろんな気づきを分かち合えた銀座ワーク。そのワークのあとはカウンセリングでお話を聴かせていただいて・・・と、ほんと中身の濃い1日でした。さてこれから、夜バスまでの時間をどうしよっかな。
2013/06/29
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今の心理業界にとって河合隼雄の影響はとても大きいものがあると思います。といっても私は彼の著作も何も読んでないのですが・・・。なんせ私は彼に興味ないから。多分、臨床心理士とかいうモノが制度化されたのも彼の力による所は大きいだろうし、臨床心理士をトップとした心理・カウンセラー業界もその力の影響を受けざるを得ないでしょう。その影響が、当事者、クライアントに取って有益なら問題は無いのですが、却って有害だったり無意味だったりする事も多いのではないかと実感する私です。しばしば、クライアントは◯◯のカウンセラーに傷つけられたとか、ずっと通ったけれど楽にならないのは自分の心がよほど悪い状態だと思ってた、とか、何も応えてくれないのがカウンセラーの当たり前だと思ってたとか、カウンセラーの不適切な対応や不誠実な言動を私に伝えます。もちろん、そのような対応をするカウンセラーと相性のいいクライアントも少なくないのでしょうけれど、どのようなクライアントであっても、クライアントが傷付いたり、病が改善しないのは、クライアントの問題ではなく、カウンセラーの問題です。もちろん私がすべてのクライアントに対して適切に対応しているとは言い切れませんし、どこかで誰かを傷つけているのかもしれません。けれど、私はすべて私の責任においてカウンセリングしている訳で、アカデミズムや行政によって、信認され、その信認によって利益を得ている訳ではありません。いわゆる有資格の専門家や行政の相談員は税金や補助金によって利益を得ている人たちですが、その人たちが面倒なクライアント、手に負えない利用者を私に振ってくる訳で、私はボランティアでその尻拭いをしていると言う構図があります。その行政や専門家は、私を素人だのセクハラカウンセラーだのと言いつつ、私を排除しておきながら・・です。ぷんぷん。こんなアホな構図がなぜ出来るかと言うと、カウンセリングや心理に関する知識と言う力を権力構造とリンクさせて職域拡大に利用したからです。人々が心理学や社会学に無知なのを利用して、善意、正義の顔をしてそれを行ったのが、河合隼雄ではないか、とひねくれた私は考えておる訳です。臨床心理学が無意味とは言いませんが、臨床心理士はほとんど無意味でしょう。臨床と言いながら個人の人生、その物語に対する尊厳に経緯を払わず、上から分析評価する事に何のためらいも感じない人間に成り果てているのだから。
2012/07/05
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昨夜の集まりである人の語るに、最近のこどもは交尾と言っても伝わらないので?と思ってたら、なんとこども向けの昆虫図鑑に昆虫の交尾のシーンの説明に昆虫の結婚と書いてあったそうな。その話しを聴いて私も唖然としたけれど、なんて事をしてくれるんだ、と腹だたしくもありました。交尾と結婚を一緒にするなーって。結婚というのは社会的な契約の事であって、昆虫の世界に契約の概念も形態もありません。また、人間社会でも性交(交尾)は結婚とは違います。交尾とか性交とかいう言葉がこどもに使わせたくない恥ずかしい言葉だと考える大人たちの性の抑圧こそが問題でしょう。ああ恥ずかしい。大人たちの性に対する責任感の無さ、抑圧され歪んだ性意識・・ああ恥ずかしい。人間はもちろんすべての生物は性を持ち、性的行為によって繁殖を維持してきたし、特に人間は繁殖以外の目的でも性的な行為をする、という事についてこどもにフツーに教えれば済む事なのに。性の事について、その概念を正しく伝えられなかったこどもはやがて、膨大な性情報にいきなりさらされます。自身の内におこる情動について、言語化もできず抑圧してしまいます。抑圧された情動は何らかの形で表に出てくるでしようけれど、歪んだ問題行動やら犯罪行為になる可能性も高くなるでしょう。情動が問題なのではなく、情動の抑圧が問題であって、それは情動の言語化を難しくし、ヘルシーな行動化も不可能にしてしまいます。ほんと、多くの日本人は性の抑圧が強くて、またその事に無自覚で・・・困ったもんです。そんな人は抑圧された性的情動を他者に投影して、他者に嫉妬したり、憎んだり・・・あげくにうわさ話を信じて集団で妄想をたぎらたり・・・そんな心貧しい人たちもいたりするから・・・ほんと性の問題は難しいです。だからこそ、昆虫の交尾は交尾と正しく教えてほしいんですけれどね・・・交尾が結婚なんて・・ああ恥ずかしい
2013/07/01
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