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今回珍しく3連休になり、13日日曜に仙台市へ行き、14、15日と三陸海岸・陸前高田市のキャンプ場へ行った。アウトドア世界ではけっこう有名なオートキャンプ場で設備が整っている。友人と行くのならテントを持っていくが、今回は母やら親戚のおばさんを連れての旅行なのでバンガローを借りた。 この不景気の中、いいキャンプ場はどうしても限られてくる。ここはその点、申し分なく、料金は若干高いが、ロッジ内も手入れが行き届いている。母も叔母さんも喜んでいた。 この陸前高田市、広田半島、黒崎仙峡は奥州からそんなに遠くはないが、道が狭く、そうたやすく行ける場所ではないがその分、自然が残っている。 「日本外史」を書いた幕末の歴史家、頼山陽(らいさんよう)は、もの凄い母親孝行で有名だった。故郷の広島と京都の間を度々行き来して見舞ったり、何度も母を京都に呼んで一緒に旅するなど大変な孝行息子だったらしい。 日頃は親孝行では無いので、この時ばかりは、こんなエピソードを思い出した。 その後、この旅行のDVDを作成したが、ビデオ編集ソフト・パワーディレクター8は、音楽編集ソフトと操作性が似ていて、けっこう凝った作りが出来ました。
2010.06.16
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ケアマネ資格勉強で家にいる時間が長くなると、もはや音楽を聴くぐらいしか楽しみがなくなってくる。その点、iPodクラシックだと容量が大きく、数万曲が入る。現在5000曲近く入っているので聴き飽きることは無い。こうなると、かつて使っていたコンポはほとんど聞かなくなり、iPod用スピーカーで聴くことが多くなった。が、出力が5W×2ぐらいで音はよくても音量はどうしても限られていた。 我慢すること5年、ついに出力55Wのスピーカーを導入してみた。BOSE社製はどうしても高いので、ネットで比較してプリンストン社製にした。購入場所は例によってアマゾン、量販店での価格と比べると、5000円以上安かった。同程度のBOSE社製と比べると20000円の差がある。正確な値段は秘す。しかし重量は5キロ近くあり、やはり前のと比べるとかなり大きいが、その分、いい音が作れそうな外観だ。 聴いてみると、やっとコンポで聴いていた頃の音質、音量で聞けるようになった。iPodの操作性と合わせると、かなりいい感じで曲を聴ける。ELT「Time goes by」も何度も繰り返し聴いているが、聴こえて いない音がけっこうあったことに気づく。 「音の広がりと低音の伸びがいい」、「中低音の厚みがよく、使い込むと音の堅さが取れてくる」、「低音から中高音の切れががなかなかだ」、「低音はウーハーが効いて心臓に響く」など、安スピーカーの割にはネット上の評価がそれなりに高い。実際に聴いても、そんな感じがする。 貧乏ならではで、安くていい製品をネット上で探すのが面白い。 こんにちは、厚蔵です。夜勤明けで日中は仮眠していた。今日届いたスピーカーを試していた。やっと体調がかなりよくなり、たまっていた作業を再開している。mixiにも、やっと行けるようになりました。 いろいろご心配おかけしましたが、またお邪魔します。
2010.06.11
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6月1日、施設利用者の家へ故郷帰りの行事で運転をしているあたりから、風邪気味かな、と思っていたが、3日ぐらいにはかなり悪化し、たまらず病院へ、「扁桃腺炎ですね。」との事。いつも行っていた病院ではなく、クチコミで教わった診療所へ行くと、やはりいつもとは違った診断だった。こういう業界にいるので自分で判断して、自宅にあった、ある程度強い薬を飲んでいて症状を抑えていたが、やはり専門医にかかると、薬の軌道修正をされた。 あれから1週間、症状のピークは過ぎ、かなり体調もよくなったが、その間、なかなか休みが取れず、夜勤などもやったので、決定的に長引いてしまった。どうしても8日までにまとめなければならない報告書もあり、ついに7日は在勤6年で始めての病欠有給休暇をとり、2回目の病院へ行った。また薬を延長してもらった。施設の看護師・婦長は、「○○さんも病気になるんだね、失礼だけど笑ってしまったわ」と語っていた。失礼である。 確かに新年度で忙しさに拍車がかかり、介護支援専門員試験の勉強もあって、睡眠時間はかなり削っていたが、体調はいい状態が続いていたと思っていた。が、きっかり2ヶ月で、あまり経験の無い悪性風邪症状に陥ってしまった。1年ぶりに風邪をひいたので、なんで具合が悪いのかよくわからなかったが、利用者へバイタルチェックをするように自分にやってみると、かなり状態は悪化していた。 慌てて治療にあたったが、仕事は休めないのでやはり長引いてしまった。写真1枚目は、2日前その腕のいい診療所の近く、近所なのにやっとの事で行った。2枚目は施設の行事でのドライブ、かなり体調もよくなってきて運転手として胆沢城址へ向かった。3枚目も胆沢城址、その一角の鎮守府・八幡宮、801年、蝦夷征伐の坂上田村麻呂創建以来、周囲の風景はあまり変わっていないような感じがする。それが貴重だと言われている。 そんなこんなで、すっかりマイミクの方々とはご無沙汰になってしまいましたが、またお邪魔します。やっと報告書作りのサービス残業が終わり、これから帰宅です。明日は休みです。
2010.06.08
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奥州ではありえない気温28度、天気図もまあまあ、明日以降は天気は下り坂・・、というか明日も施設勤務。今日は夜勤明け、仮眠をして15時に起きた。友人も親戚の兄ちゃんもつかまらず、あまりにももったいないので、30分でキャンプ装備を準備して郊外へ向かった。たまにはこうしてテントの設営、撤収やキャンプ道具を使っていないと感が鈍ってくる。 写真はワンタッチテント、5人用テントでありながら1分で設営が可能、2枚目はトランギア・アルコールバーナーの焚火、これで湯を沸かしたり、炎を眺めたりしている。3枚目は全景、日没後もランタン、LEDヘッドライトがあるので活動できる。この広さだと、3人ぐらいは余裕で生活できる。ベースにして周辺の観光地へ行く事もできる。 20年前の漫画「パイナップルアーミー」の主人公、ジェド・豪士のサバイバル技術が模範で、今でも真似ごとをしている。が、これが友人とのキャンプでも役立ち、キャンプ料理にも生かされている。
2010.05.05
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先月から6日間連続で勤務が続き、昨日はやっと休みだった。気がつけばもはや5月になっていて、桜も満開になっている。が、さぁ、午前10時には山へ向かおうと思った矢先、けたたましいサイレンと近所からの喧騒が聞こえてきた。火事だぁ、という声が聞こえる。慌てて外へ出ると、そんなには遠くない所で大量の煙が上がっている。 野次馬根性は無いが、延焼するかしないか、知り合いではないかの確認のために走った。幸い広い国道から近く、用水路も近いため、10台以上の消防車で消火活動が始まっていた。隣り合った近所のお爺さんに聞くと、建物は駄目だが、怪我人は出ていない、消火活動も早かったとのこと。知人に消防士がいるので、詳しい出火原因を聞こうと思っている。 写真はその5月3日の火災写真 以下の文は、携帯で見た消防本部通信司令伝達 奥州消防火災情報(消防団用) Vol.605 奥州市水沢区○○町○○番地地内で発生した建物火災は鎮火しました。 発行担当者 奥州金ケ崎行政事務組合消防本部 通信指令室 幸い、延焼は隣の家のビニールハウスぐらいで済み、自分の家の方へは全く影響が無かった。が、午前中はその対応で終わってしまった。その後、奥州市競馬場の桜を家族と見に行き、14時過ぎになったが、一関市・東山町の前から気になっていた林道へ向かった。廃道に近い林道で、路肩の崩壊が始まっている。景色はいいのだが、2度ほど転びそうになった所で引き返した。 こんにちは、厚蔵です。現在16時半、やっと昨日が1週間ぶりの休みでしたが、今日は夜には施設夜勤、これから少し仮眠を取ります。写真は2枚目が競馬場の桜並木、3枚目が一関・東山の廃道。
2010.05.04
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「73 年の政府大分裂には関係せず,事件後空席を埋めて参議兼海軍縁に進んだが,西郷には深い同情をもち,西郷の真意は征韓論ではないと晩年まで主張し続けた。 75 年元老院議官に転じたが,同年それも 辞任,以後 10 年余は野にあって,旧幕臣の生活救済につとめ,また逆賊となった西郷の名誉回復に心を配った。 87 年伯爵,88 年枢密顧問官となって,再び活発な意見陳述を開始,清国との敵対や朝鮮への出兵には終始反対,日清戦争に批判的だった。足尾鉱毒問題では廃山のほかはないと言い切っている。」 世界大百科事典(平凡社)より 勝海舟の伝記は子母澤寛(しもざわかん)の勝海舟が有名だ。大河ドラマの原作にもなっている。自分も高校時代、無理をして読んだが、それでも片言隻句は残っている。京へ向かう途中、富士山に向かいながら決意を述べるくだりは、今でも映像のように残っている。アマゾンでの評価を見ると、最近でも読者が多い。司馬遼太郎の文章とは違うが、熱のこもった、それでいて流れるように読める文章だと、誰かが評していた。 この世界大百科事典、海舟晩年の記述は、知る人ぞ知る通説の事実だろうが、こうして改めて読んでみると、伯爵となり栄達を極めながら、その実、地道な旧幕臣の生活救済や、西郷隆盛の名誉回復への努力を続けていた。あの、べられんめぇ調で、いかにも調子のいい江戸っ子の姿をしつつ、その実、金儲けに走るのでもなく、威張りかえるのでもなく、自然体で、地道な努力を続けていた。 こんばんは、厚蔵です。現在20時15分、施設勤務後、あまりの空腹でファミレスで腹ごしらえをしつつ、例によって途中で、ミクシィで油を売っている。明日は貴重な休み。先日も早番勤務後、奥州・江刺の山中へ向かった、ちょっとそこまでのつもりが往復100キロ、なにしろ田舎なのでほぼノンストップ、先行車無しで走られた。写真は田瀬湖(たせこ)、東北地方の多目的ダム湖では屈指の規模だそうである。山中では桜はおろか梅でさえ咲いていない。
2010.04.25
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「キノボリウオ科の魚。全長6cm。タイの原産。熱帯魚として広く飼育される。赤,青,白,紫など色彩はさまざまで,ひれが発達していて美しい。なわばりをもつ雄は相手が倒れるまでたたかう性質がある。この性質を利用してタイでは闘魚が盛ん。」、このために一匹ずつ別水槽で飼う必要がある。 マイペディア(日立デジタル平凡社)より こんばんは、厚蔵です。昨日は夜勤、今日は施設夜勤明けで午前11時から、夕方6時まで休んでいた。休みの取れない夜勤だったので、疲れてしまっていた。 写真は、熱帯魚ベタの水槽、去年7月に購入したベタ2匹がまだ元気に泳いでいる。よく小さい容器に入れられて売られているが、冬を越すためにはヒーターがいる。そのためにある程度の大きさの水槽、温度計、濾過するためのフィルタ、水質を弱酸性に保つための特殊な砂、水草にはウィローモス、など、用意していくと、けっこうな装備になる。しかし、エアポンプはいらないのでその分は静かだ。 2枚目の写真は、熱帯魚、水草用のライト、光量を調節するために2つの蛍光灯を使い分けている。3枚目はベタの細菌性感染症の予防に治療薬を入れたため、水草を避難させたところ。この場合、水槽が4つ並び、そのそれぞれにヒーターが設置してある。 簡単に飼えますなどと、ショップや雑誌には載っているが、実際に寿命の2~3年を生きさせようとすると、意外に装備品がいる。ショップで売られる時にはすでに成魚なので、それより短い寿命になる。 介護福祉士の仕事が忙しい、ケアマネの勉強だ、などと言っていても、こういう熱帯魚の世話などをしていると、けっこう面白く時間を忘れる。何より元気に泳いでいるのを見ると、うまく育っているだろう、などと興味のない友人にも無理やり見せている。
2010.04.24
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昨日見た、映画「2012」は異論のある方もいるだろうが、脱力だった。期待して見ただけに、その反動も大きかった。ネタばれになるので詳しくは書かないが、CGの凄さと内容があっていない。その分、今日はしばらく見ていなかった「ひかりTV」を見てみた。「CSI:NY シーズン2」は吹き替えだったがハイビジョンで、緊迫感のあるドラマ展開 でよかったし、長崎「軍艦島」の廃墟も久しぶりに見た気がする。 いろいろ批判もある「ひかりTV」だが、自室で手軽にハイビジョン映画を見られるのはありがたい。 こんばんは、厚蔵です。現在、21時半。今日はやっと休み、家の用事、ケアマネ勉強、夕方友人と話す、「ひかりTV」を見る、などやっている内に一日が終わり。写真は時間が無い中でもバイクや車で散歩に出た。しばらく工事していた堤防が完成し、驚くようないい道になっていた。が、どこにもつながっていない。交通量は1時間でお爺さんの散歩のみ。 最後の写真は最近設置したキャノンのプリンタ、無線LANでつながっているのでどこにでも置ける。使い勝手が格段に良くなった。隣の箱は、iPod用バックアッププログラム、やっと5000曲近くのデータのバックアップが出来た。 「空腹時血糖、75g経口糖負荷試験(OGTT)、糖化ヘモグロビン検査(ヘモグロビンA1c、HbA1c)、などによって、糖尿病の診断を行う。」などと、ケアマネ試験の勉強を2時間も続けると、面白いなどと言っていても、疲れてくる。昼過ぎから天気がよくなったので車で山へ向かった。新年度から新体制での激務も一段落ついてきた。
2010.04.18
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遠山の金さんは実在の人物で、南町奉行、北町奉行の両方を勤めた極めて異例の存在だ。名奉行として講談では誇張されているが、実際にも名さばきが多かったという。なにより実際の人気は庶民を守る政策の数々によるもので、天災時の対応や産業振興策などで江戸市民を助けた。63歳で亡くなるまで働きずくめの一生だった。しかし、その人生の中で一番の苦難は、妖怪・鳥居耀蔵(とりいようぞう)との凄絶な戦いの割合が大きい。 同僚だった剛直の士、南町奉行だった矢部定謙(やべさだのり)と一緒に戦うが、矢部は鳥居の讒言により失脚し、絶食して憤死する。遠山金四郎も、鳥居と刺し違えようとするが、矢部に、「お前が残らないと誰が江戸市民を守るのだ」、と一喝され思いとどまる。 江戸南町奉行、勘定奉行などを歴任した鳥居耀蔵は、時の老中・水野忠邦に取り入り、政敵の追い落とし、苛烈な政策の実行に奔走した。しかしなにより、「蛮社の獄」で渡辺崋山や高野長英ら洋学者を弾圧し、葬り去った罪はあまりにも重い。最初は鳥居の意見のいい所をだけを取り入れていた水野も、最終的には鳥居に取り込まれ、なりふり構わず一体の動きをするようになってしまった。天保の改革が行き詰ると鳥居にも裏切られ失脚した。 自分として一番気になるのは、世の中に鳥居耀蔵的人物が多くいる、ということだ。鳥居は確かに江戸市民からも忌み嫌われていたが、上司からは仕事が出来る奴と評価され、同僚からは恐れられていた。ごく一部の幕閣が彼の本質を見抜き戦っていた。 晩年は失脚し、讃岐国丸亀藩のもとに永のお預け処分になり、20年の幽閉生活を経て、明治6年まで生きた。 しかし勝海舟は「残忍軽薄甚しく」と断じつつも、その信念の行動に は「亦一丈夫と謂うべき者か」と評している。78歳まで生きる最晩年には丸亀藩の一部藩士、周辺の民にも慕われる存在になった、というから、そこでも人間の複雑さを思ってしまう。 おはようございます。厚蔵です。現在11時、年度末の人事関係も決まり、鳥居耀蔵的人物と仕事をする事になった・・。というのは言いすぎだが、そういう人間的傾向をもっている、などとその人物が読んだら怒るだろうが、当の本人はそれが正義だと思ってやっている。そういう生活歴で、そうせざるを得なくてやっている。 そういう信念の人間という事は認めるが、その手法には同意出来ない。当然ながら協力する事は協力するが、意見も言っていくつもりだ。来年度から、また気合のはいった毎日が始まる。 写真は施設内廊下、夕暮れ時、増築を繰り返しているので廊下が長い。2枚目は人事発表当日、早晩勤務後、17時半に山へ向かった。100キロほど走ってしまった。3枚目は施設夜勤明けの朝日。
2010.03.29
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司馬遼太郎の歴史も好きだが、心理学にも興味があって読み続けている。高校時代から100冊以上読み、今でも読み続けている。そのテーマは何か、というと、詰まるところ「素直で迫力のある」人格を目指しているのではないか、と思っている。 坂本龍馬などはその究極の存在だろう。土佐藩、土佐勤王党・武市半平太の影響を受け攘夷派だったが、幕臣・勝海舟に会うやいなや、開明派に転ずる。勝を斬りにいくつもりで乗り込み、勝と話し終えた後には開明派になっていた。 その柔軟さ、同時にその信念を貫き通す剛毅さ。 前から何度も書いているが、人生の目標は、「自己実現」と「いい人間関係」を作ること、逆に現代では「自己疎外」と「利害関係のみの人間関係」に陥りやすい。 勇気のある人間の謙虚さ、逆に傲慢な人間は、いざというときに卑怯な振る舞いをする。自己実現した人間の自信ある「安定」と、いい方向へ常に「流動」する柔軟さ、逆に自己疎外の方向へいってしまう人間の「硬直」、自分には自分のやり方があると言いながら、実際には内面の葛藤、衝突で疲労してしまい、行動は「だらしなく」なってしまう。 硬直とだらしなさから、安定と流動へ、どうしたら変革、成長できるのか。坂本龍馬の成長の軌跡は、その実践例をしめしている。 今日、夜に会う知人は「翔ぶが如く」に出てくる辺見十郎太のような人物だ。侠気はあるが同時に思いこみも激しい。どうしても話をしたい事があるという。自分も「素直で迫力」のある態度でのぞもうと思っている。そういう心づもりがあれば、どんな話が出ようとも平常心でいられる。いい話は聞き、駄目な話には断る。 こんな事をブログで書くものだから、地域の友人にはなかなか見せられない。友人は少ないながらも個性派ぞろいで、どんな人間であっても信頼のおける大事な友人だ。 今晩は、厚蔵です。今日は休みで現在、友人宅、blogの間違いを見つけてなおしている。写真は奥州市内、北上川河畔、冬景色、気温は最高で3度、バイクで走るにはまだまだ寒い。
2010.03.17
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「昆虫の高度に進化した本能は我々をしばしば驚かせる。しかし、それは予期せぬ出来事に遭遇すると、それに対応出来ない、という場面にも遭遇する。」 NHKBSで午前中に「ファーブル昆虫記」をやっていた。 実際の映像で、葉を切り取り幼虫の揺りかごを作る昆虫は見事にそれを作り上げるが、その最中、蜘蛛に襲われると、簡単に捕らわれてしまう。しかも襲われている間、逃げもせずに揺りかごを作り続けている。 そういう場面を見て、かつてファーブルも深刻に考察している。 ファーブルの一生は、その晩年の名声とは裏腹に貧窮が続いた。ファーブル関連は何冊か本を読んだが、フランスという文化国でも、1年の内、1冊も本を読まない人が約3割いる、というような話を聞いて驚いたことがある。ほぼ毎日読書する人口は同じく3割。ファーブルの時代、昆虫の研究というのでは、なかなか世に認められなかった。 どんなに高度に進化しても本能に支配された昆虫のような存在から、より「自由度」のある存在へ、とは言いつつも、ニュースを見るにつけ、「本能」や「思いこみ」にとらわれた事件が多い。 ファーブルが説く「偉大な昆虫世界」、一つの目標に集中する姿には感動するが、同時に思うのは、「自由であるべき人間」の本能や可能性は善悪に通じていて、それによって偉大な創造も、逆に残酷な破壊も行われる。 こんにちは、厚蔵です。今日は施設夜勤なので、日中は休んでいます。写真は、去年11月某日、ナナホシテントウ虫、かなり寒い日だったが元気に動き回っていた。奥州市内の北上川河川敷一帯は道が入り組み、探検ポイントが多い。
2010.03.03
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今の自分はまだまだ弱い。人前でのはったりは強いが、実際には弱い。が、訓練と努力で強くなれる。それは人によっては人間関係から入るだろうし、自分の勉強から入る人もいる。いずれにせよ、人間は全体的存在であり、自己実現、人間関係、金銭関係、社会的使命、それぞれが必要だ。そのいずれかも欠けてしまえば、バランスが崩れ不安定な存在になる。 人によって、その配分は違うだろうが、自分としては自分の勉強、訓練からはいる。資格試験、歴史関係読書、バイク、アウトドアへの訓練、練習を続ける。それにともなって、人間関係も強化されていく。 自分の見栄をはりたい。人からよく思われたい、というような間違った動機の努力は、やればやるほどその動機が強化され自分への不確かさが増してしまう。 逆に自分の社会的使命を果たしたい、いい意味での人との協力関係を築きたいという、いい方向、動機に基づく努力、訓練は、小さな努力であっても、確実に身に付いていく。その努力は加速していく。 その努力は、人間関係においても、利害打算の人間関係から、いい意味での協力関係へと移行し強化されていく。知らぬ間に、ずるい人間に囲まれるか、それとも自立した人間の連帯を築けるかの差を生んでいく。 最終的に、人によってはエベレスト登頂に成功するだろうし、自分などは、地元の早池峰山登頂かもしれない。だが、それは間違った方向への努力でなければ、自分も、少なくとも自分の周りの人間関係にも、いい価値をもたらす。 早池峰山のふもと「タイマグラ地域」へは去年秋、バイクで行った。同じ岩手県内と言っても、岩手は広く、けっこう時間がかかった。本州で一番最後、1988年12月に電気が引かれたタイマグラは、今でもやっと一車線しかなく、バイクでもなんとかたどり着けるような場所だが、秘境にふさわしい景観だった。 地図を眺めても、この地域は幹線道路でさえアクセスが悪く、道も狭く荒れている。徒歩で行く山頂へもけっこう距離がある。が、その分、隠れポイントが多く、まだまだ探検の余地がありそうだった。 今晩は、厚蔵です。現在19時、今日はやっと休み。明日もまた午後から施設勤務。年度末になり、仕事やら人間関係やらが煮詰まってきて、つい大上段な内容になりました。自分に言い聞かせています。 写真は介護支援専門員、ユーキャン講座。10月試験なので、3月からは本格的に取りかからないと間に合わない。2枚目はキングジム・ポメラ、DM20はバージョンアップし、画面が大きくなり、携帯電話との連携もやりやすくなった。やっと使い勝手がよくなった。3枚目は奥州郊外日の出、つい何枚でも撮ってしまう。
2010.03.01
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写真は岩手県南部、一関市や旧東山町、バッテリーも交換し調子のよくなったバイクで出かけた。東北を縦貫する国道4号も「平泉」周辺は世界遺産登録を目指し、格段によくなり、見晴らしが広がった。2、3枚目の写真は旧東山町、かつて宮沢賢治が技師として働いていた「東北砕石工場」は現在、三菱マテリアル東山工場になり、「工場萌え」の状態になっている。 こんばんは、厚蔵です。今日はこの千載一遇の天気暖気で予定を変更し、一路東北道を南下した。もはや里は春だったが、調子に乗って帰り道に峠を通った時には雪が所々残っていた。 『 大久保利通の一代というのは苦境の連続といってよかった。 大久保ほど苦境に耐えられる性格というのもめずらしい。かれが盟友の西郷隆盛と危難を倶にしていたころ、西郷は重大な危難に遭遇するとにわかに、それも大津波の退くような勢いで、自殺や隠退へ逃避したがるという性癖――さらに言えば哲学化した性癖――があったが、大久保にはそれがなかった。』 「翔ぶが如く」第5巻、「波濤」の章より 旧薩摩藩時代から、大久保利通は苦闘が続いていた。「高崎崩れ」では島津斉彬派の藩士は久光派から凄惨な弾圧を受けた。大久保の父も連座し、一家は転落した。その若年時代からの苦闘の連続の上に、参議・大久保卿になっても戦いは続く。 こういう話を読むにつけ、自分などは全くレベルの違う話ながら、自分の出来る事からやっていこう、と、また自分なりの努力を始められる。組織や人間関係の壁に苛立ち落ち込んだとしても、それでも友人関係や勉強などを地味ながらも大事にしよう、などと殊勝に思い直します。 今のオリンピックにせよ、訓練、努力なしには人間は強くなれないようです。
2010.02.25
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司馬遼太郎の大著、「翔ぶが如く」は全く翔んでいない。特に西郷隆盛が西南戦争でただひたすら追い詰められていく様には、そんなはずはないと呆然としてしまう。翔んでいるのはただ「薩摩士族」だ。桐野利秋の無謀な戦術にも不平を言うことなく、勇猛果敢に戦う「薩摩士族」のみが翔んでいる。自分もかつては西南戦争などは明治政府によって簡単に鎮圧されたような印象を持っていたが、事実はそうではなかった。 時の大蔵卿、後の参議「大久保利通」の果断な指揮によって得られた辛うじての勝利だった。 5年ぶりぐらいにまた再読を始めた。最初は7巻から10巻、面白くなってまた1巻から読み直し始めた。ところが、実は最初の方1巻2巻のほうが自分にとっては面白かった。5年がたち自分の考え方も変わったこともあるのだろうが、初期明治政府内の建設、軋轢、再構築の苦闘が面白い。 『「木戸さんの性分だから仕方がない。第一あの人はおれをいつまでも書生だと思っている」 と、伊藤は帰国後大隈にもこぼした。 かといって伊藤は木戸を見捨てたりはしない。 伊藤博文という壮齢の男には木戸孝允ほどの精神の格調の高さはなかったが、しかしいわゆる政治家という点では木戸よりもはるかにうわ手であった。』 「翔ぶが如く」第2巻(風雨の章より) 長州藩閥・伊藤博文は、薩摩藩閥・大久保利通を近代の建設者として見込んで接近する。多分に哲学者風で実務能力に欠けた藩の先輩・木戸孝允とは距離を置くようになる。しかし時の「征韓論」に対抗するべく、木戸と大久保との仲立ちをする。 伊藤博文には哲学が無い、単なる政治屋だ、女にもだらしないなど様々な批判があるが、司馬遼太郎の筆はただそれだけでは終わらない。主人公の西郷隆盛以上に「伊藤博文」という存在にも光をあてている。 伊藤博文の政府内での苦闘、配慮の知恵は、少なくとも現代社会で組織人として生きなければならない自分などにも、ヒントと力強さを与えてくれる。忙しさや人間関係の調整などで疲れがこんできても、どんな状況下におかれても、諦めなければ道はどこかにあると教えてくれる。いい意味で楽天的になれる。 こんばんは、厚蔵です。今日は施設は休み、自宅での仕事もあまりやらないようにした。車の洗車とバイクの整備で半日が過ぎた。バッテリーは3年で駄目になり、今日交換した。一発でエンジンがかかる。夕方、バイクを慣らしに出かけた。今日は暖かく、久しぶりに走らせて気が晴れた。 なかなかブログも更新できない状態ですが、今日は更新しました。
2010.02.22
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海外ドラマ「24」は現在シーズン7まで日本では放映されている。現在アメリカではシーズン8が放映されていて、シーズン9で完結するという。2001年の放映開始から9年がたった。アクションドラマなので当然、ハンドガンが多数登場する。シーズン1、2で主人公ジャック・バウワー使っていたハンドガンが「シグザウアーP228」で、しばらく前にモデルガンの東京マルイから買ってみた。18禁の銃で30メートルから50メートルBB弾が飛ぶ。エアコッキングしてから撃つのだが、その作業がけっこう重い。弾がホップアップ仕様なので直進飛行距離が延びている。 現在、ジャックはそのほとんどの場面で「H&K USPコンパクト」を使っている。最近、ついつい買ってしまった。相棒のトニー・アルメイダは「ベレッタ M92(US M9)」を使い、これら3つのハンドガンは 「24」の中で主に主人公側で多用される。さすがにその撃ち方は玄人のもので、日本のドラマの頑張って演技しています、という不自然さが無い。実際に実銃でも練習しているという。 こんばんは、厚蔵です。今日は施設がやっと休み。写真は左が「シグザウアーP228」、中が「H&K USP(ジャック仕様はコンパクト)」、左には「ベレッタ M92(US M9)」が写っ ている。この3つのハンドガンは24シリーズの中で繰り返し出てくる。実際に撃ってみると、それぞれ個体差があって命中率も違う。 いい年してモデルガンか、と思うが、値段が安い割にはきちんと作られていて、的にもよくあたる。10メートルぐらい離れていてもきちんと狙いがつけられる。東京マルイ製ターゲット(補強して使用)を使うと弾も散らばらず、BB弾ローダーなどで弾込めも楽になった。友人と遊ぶぐらいで大会などには一切出ないが、練習すると5メートルぐらいの距離なら外れることなく正確に的に当たっていく。 専らはドラマを見つつ、モデルガンを眺める、という馬鹿な事をやっています。が、なにより精巧に出来ているので、あぁ、こういう風に撃っているのか、と実際に真似を出来る。持っているのハンドガンはこの3つだけで、増やすつもりもないが、あまりにも「24」の中で見過ぎているために、ちょっとした分身のような感覚がある。 現在読み返している「翔ぶが如く」でも、薩摩軍の旧式銃に対し、政府軍は「スナイドル銃」を使い、火力で薩摩を圧倒していく。歴史は同時に銃器の歴史でもある。「ドイツの連邦警察や各州・特別行政都市の警察では私服警官向けにUSPコンパクトが「P10」の名称で制式採用されている。」などというようような解説を読むと、現代ではより複雑に銃器が進化している事がわかる。
2010.02.05
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かつてラジコンヘリをやっている友人がいて、1機仕上げるのに、10数万を費やしていた。そこで墜落などしようものならまた数万の出費になる。まさに金食い虫で、とても自分には手に負えない代物だと思っていた。が、心のどこかではずっと飛ばしてみたいという気持ちがあった。2年前にトイヘリと呼ばれる玩具のラジコンヘリを買ったが、竜巻のようなホバリングしか出来ず、そうこうするうちにバッテリーよりモーターの方が先にやられてしまって飛ばなくなった。2機ほど試したが似たようなもので、またヘリはやらなくなった。 しかし、ここ半年ばかり、ミニビーと呼ばれる、トイラジコンヘリを時々飛ばしていた。かつてと違ってホバリングはけっこうまともに出来た。まったくの玩具なので適当にほおっておいたが、その系列で調べてみると、ジャイロ搭載のラジコンヘリが出回るようになっていた。ネットで調べてみると、まだ発展途上だが、かつてのヘリと比べると格段の差があるようなので、少しずつ評判のいい機種を取り寄せるうちに手持ちのラジコンヘリが5機種、6機になっていた。他、飛ばないヘリ2機はお蔵入りしている。 こんにちは、厚蔵です。今日はやっと休みです。施設早番が勤務交代で3連続になり、広報研究発表やら新年会やらで夜にかけてもけっこう忙しい日々が続いていた。 写真はラジコンヘリ5機種、6機、すべてトイヘリだが、一番大きいヘリは野外用で、ジャイロセンサーのおかげで風速0.5メートル以下なら、驚くほど安定して飛行する。かつての勝手に浮遊する物体という代物からかなり進化している。右の写真のヘリは東京マルイ製で村田製作所のジャイロを積んでいる。小さいからこそ、狭い室内でホバリングや旋回飛行が楽しめる。 ゲームは今はほとんどやらず、この冬の時期バイクにも乗れず、家では、司馬遼太郎やら大沢在昌のハードボイルドやら本ばかり読んでいるた。もともと機械好きというのもあるが、バイクを整備するわけにもいかず、少しイライラしているところへ、これらのヘリを引っ張りだした。最近になって手に入れたのは2機で、高いものでもバッテリー込みで7500円だった。が、昔使っていたラジコンヘリ入門機よりも、よほど正確に飛行する。 本格的にやっている人から見れば、全くの玩具だが、素人でも練習すれば十分に楽しめるラジコンヘリが、ここ最近になって登場するようになった。それでも油断すれば墜落大破するが、けっこう頑丈に出来ているので、ある程度思い切って練習できる。少ない資金でも始められるが、電動ラジコンヘリは本格的なものでも10分前後の飛行時間しかない。練習するにはバッテリーを多く持つか、ヘリ自体を数機用意する必要がある。 その点、6機あると、充電ローテーションで、連続して飛行練習が出来る。野球も どんなにうまくなってもキャッチボールが大事だというが、ヘリの場合はホバリングが基本で、これが安定して出来ないと何も始まらない。狭い場所でもこの練習は時々していて、感が鈍らないようにしている。ホバリングと上昇下降、小半径の旋回ぐらいだが、けっこう集中して飛ばしている。
2010.01.29
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この厳冬期、友人に誘われての釣りやら、雪中トレッキングなどにもたまになら行ってもいいが、休憩した時、釣りでじっとしている時の寒さは、この時期、半端ではない。そこでしばらく使っていなかったコールマン製化学カイロを、今年も引っ張り出した。それに今回、ZIPPO製カイロも買い足した。化学反応で燃焼する仕組みで、熱量は使い捨てカイロの10倍以上だ。これは携帯式ストーブと呼べると思う。昔ながらのハクキンカイロと同じ原理だが、こちらは今や人気が無い。これらは20時間近く発熱するが、夜はそのまま湯たんぽがわりに使っている。 こんばんは、厚蔵です。1月も後半になってやっと施設の休みが増えてきました。写真は、今日の天気、最低気温がマイナス8度、2枚目は北上川堤防、ここでカイロで温まりつつ、野鳥を眺める。厳冬期ならではの動物がみられる。黄色のテンも通り過ぎていった。3枚目はコールマンとZIPPOのカイロ2点、アウトドアメーカーだけに両方とも十分な火力がある。 この時期、雪の中、なにを物好きに歩き回るのか、と思うが、この厳冬期の奥州ならではの景色、野生動物がみられる。雪の中だから動物の足跡ははっきり見て取れる。それをたどるとウサギやらテンやら、意外に動物たちは動きまわっている。あまりアウトドアで動く人もなく、冬ならではの静けさがある。
2010.01.16
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去年12月31日の大晦日の夜勤から始まった勤務が、今年1月12日、今日で一区切りがついた。明日はやっと休みになる。施設の出張で1月4日に仙台へ行ったりもしたので、よけいに長く感じた。シフトの関係で休みが1月後半に集中しているためだが、これだけ長く勤務が続くと、疲れがたまってくる。現在22時過ぎ、今日は早番で5時起床だった。12時半から隣町まで健康診断を受けに行き、やっとこれからは、少しは飲み食いが出来るようになる。 この厳冬期にはキャンプなど出来ないので、空き部屋の木目テーブルで、暖色系LEDランタンと、トランギア・アルコールバーナーを使って、ウイスキーを飲んだり、司馬遼太郎「風神の門」を読んだりしている。バーナーにはゴトク を設置 して、そのままコッヘルが置けるようにしている。その都度飲み物を温めたり、焚き火を眺めたり出来る。ランタンも1500回充電が出来るエネループを使っているので、気兼ねなく使っている。 こんばんは、厚蔵です。1週間以上、ブログもmixiからも遠ざかっていました。今日は2時間睡眠で施設早番勤務になってしまい、12時半から健康診断で、疲労困憊で受ける健康診断がどんな結果になるのか楽しみです。 写真は1月3日の日の出、光柱が出来ている。2枚目は仙台市1月4日月曜日、出張帰りにアーケード街を歩いた。正月らしくおめでたい感じになっている。3枚目は、今日22時過ぎ、やっと人心地がついた状態。ただランタンを点け、バーナーの焚き火を眺めながら酒を飲んでいるだけだが、ゆっくりとした時間が流れているような気がする。
2010.01.12
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相手を変えようとしても変わることはない。まず自分が変わることによって、相手にも周囲にも影響を与えるようになっていく。それは単なる気構えではなく、現実に変わらなければならない。実際の考え方、言動、行動が変わることだ。素直で迫力のある人格へ。こいつ殴ったろか、という相手に対してもただ切れるのではなく、粘り強く接していく。 なかなか施設勤務の現実は厳しく、一人の男性職員は辞め、もう一人は異動になってしまった。ただでさえ少ない男性職員が2人いなくなってしまった。人事の異動のない時期なので現場は混乱する。職場での人間関係や勤務の厳しさなどがその理由だが、部署が別なのでどういう経緯なのかわからないが残念だ。 意地悪をするような人間もその人なりの理由があってそうしている。そうせざるを得ないような生活歴、習慣があったりする。それが高じると、厚生次官を殺傷したような小泉容疑者のような反社会的人格障害にまで行ってしまうのかもしれない。 一見、優秀な人間、切れる人間に、そういう意地悪型の人間が多いのも事実で、司馬遼太郎作品にもたくさんでてくる。「坂の上の雲」にもこれから登場するだろう。陸軍・児玉源太郎も、そういう人間に委縮させられている参謀たちを見て、自分が指揮をとろう、と決意する場面がある。事実、泥沼のような戦場、作戦本部に光がさし、展望が見えるようになっていった。 あけましておめでとうございます。厚蔵です。今年もよろしくお願いします。 写真は12月31日昼、奥州市内北上川、2枚目は1月1日元旦、夜勤明け午前8時、たった一日で一気に厳冬期に入ってしまった。 最後の一枚はアマゾンから1月7日に届く、trangia(トランギア) アルコールバーナー、アウトドア定番のアイテムだが、これは実用的以上に「炎」を眺めるのにいい。アルコール燃料100ccで50分燃焼する。湯を沸かし終わっても、「炎」を眺める人が多いというバーナーだ。 年末年始の慌ただしさがまだ続いているが、それでも、いい小説、いいドラマ、気分のいい友人に接することで、また元気が出てくる。
2010.01.01
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NHKドラマ「坂の上の雲」が進行している。13日日曜日は第三回だった。いよいよ東郷平八郎が登場して役者がそろってきた。日清戦争も始まる。司馬遼太郎は自分原作のドラマはあえて見なかった、という、作家としてのイメージが崩れるからだ。確かに、原作の素晴らしさに対して、正直がっかり、というドラマが多いのも事実だ。 しかし、満を持してのこのドラマは、よく出来ている。今年から足掛け3年続く。ドラマだというのに、渡辺謙に司馬遼太郎のコメントを長々と語らせている。そういう解説が司馬作品の醍醐味だ、というのを番組制作者がわかっているのだろう。開化期の日本が、どう社会変革をし、日本人がどう戦ったのかを見るにつけ、また感動してしまう。 大時代的だ、現代日本には合わない、と言われようとも、ただ黙って見入ってしまう。 こんにちは、厚蔵です。現在11時半、これから仙台の友人宅へ向かうところ。やっと、広報12月号が完成し、施設忘年会のスライド作成、広報研究発表など、年末の大きな仕事の山を越えた。 写真は、1枚目、近郊の里山に棲む鷹、悠々としていてなかなか逃げない。2枚目は自宅で飼っているベタ2匹、奥州の寒さ対策で、水槽を換え、ヒーター、フィルターなどを設置した。7月に飼ってみたものの、だんだん設備は大掛かりになっていく。3枚目は、施設某忘年会、これからも他の忘年会が続く。女子の多い職場なので、おじさんは言う事は言うにしても、けっこう気を使う。会費を少し多めには出すので、義理で写真を撮りましょう、などと言ってくれる。 録画はパナソニックBDレコーダー、AVCHD方式で撮っている。ハイビジョンを独自技術で圧縮しているが、それでも十分にきれいで、今年の5話分、7時間半のデータを、1枚25ギガのディスクに余裕で収める事が出来る。圧縮技術がパナソニック、ソニー共有なので、部屋にあるPS3で見る事が出来る。 やっとハイビジョン映像を、それなりに安く、手軽にみる事が出来るようになった。それも「坂の上の雲」だから、日頃のストレスなど、なんのそので、疲労は蓄積するものの、また元気に仕事が出来そうだ。
2009.12.16
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長州藩・狂信的尊王攘夷派の大楽源太郎、門人・神代直人につけ狙われて、高杉晋作は一時期長州藩から逃亡していた時期があった。同じ長州藩士、尊王攘夷派でも、右と左で大きく違いがある。大楽源太郎が極右なら、桂小五郎は左寄りだろう。ある時期から開明的になっていく。高杉晋作は徹頭徹尾、革命児だが、その高杉にしても、「ああいう馬鹿には殺されたくない」と神代直人からは逃げ出した。 『 元厚生次官宅連続襲撃事件で、殺人などの罪に問われている小泉 毅被告(47)の初公判では、「わたしが殺したのは人ではなく、邪悪な魔物。あくまで無罪を主張します」、「罪のないペットを殺していい訳を説明しなさい」、などと、法廷に響き渡るほどの大きな声で主張した。公判後も「俺は厚生省の官僚どもを死んでも絶対に許さん。死んで屍が朽ち果てようとも絶対に許さん」などとコメントしている。』 各新聞、ニュース報道より。 今日のニュース記事だが、この小泉容疑者の言動を見るにつけ、大楽源太郎や門人・神代直人などとかぶってくる。本人たちはいたって真面目で、本気でそう思っている。神代直人に関しては、司馬遼太郎も、革命とは関係なく、単なるテロリスト、異常殺人者と断じている。しかし、その結果は重大で、長州藩士、明治陸軍の祖、村田蔵六こと大村益次郎も、明治直後に暗殺されてしまった。しかし、大村益次郎は、「使命がある限りは死なないものです」と過重な警備は断り、持前の身軽さで学問と仕事に集中していた。 こんばんは、厚蔵です。現在23時半、今日は10時半から施設勤務だった。実習生がまた研修に入ったので、また時間がかかっている。写真は、先日出勤時の朝焼けと、昨日、夜勤明けの仮眠後に登った奥州近郊・大師山、16時半には暗くなりすっかり初冬の気配。「新撰組血風録」、「燃えよ剣」の再読を終え、「風神の門」を読み始めた。 自分もそれなりに交友関係は広く、いろんな人間を見ているが、こういう気質の人間は、確かにいる。それが、いい方向へ向き努力をすれば、なにがしかの分野で大成するだろうが、悪い方向へ、悪い努力を続けることで、途方もない人物になってしまう。 小泉容疑者の昔の写真を見れば普通人であり、頭脳もそれなりに優秀だった。が、間違った方向への努力、思い込みが積み重なると、結果は重大なものになる見本のようだった。 奥州、幕末の洋学者・高野長英、信州の巨人・佐久間象山など、若い時には偏執的で厭味な人物だったのが、いい方向への努力、いい人物たちに揉まれる事によって、晩年には見違えるような人物になっていった。 現代日本でも、この自由を使って、いい方向へ努力を続ける人間と、逆に悪い方向へ転落し、その方向へ努力を続けてしまう人間の2つがいる。司馬遼太郎が描く人物群は、それらの事象を余すところなく捉えているように思う。 ・・などと大上段に考え、周りはどうあれ、少なくとも自分のレベルなりに努力していこう!などとカラ元気を出しています。同時に、出来る限り、いい人間との連帯を深める事も大事なのだな、と改めて思います。
2009.11.26
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『しかし、一軍、惨として声がない。みな、伏見口で、恐るべき銃火をあびた。薩長軍の元込銃は、会津藩のサキゴメ銃が一発うつごとに十発うつことができた。会津の火縄銃などは一発弾ごめしているうちに、むこうは二十発あびせてきた。 (どうやら世の中がかわった) という実感が、実際に銃火をあびせらて隊士たちは体で知った。単なる敗軍ではなく、そういう意識の上での衝撃が多かった。 (なあに、あんな銃は買えば済む) 歳三だけは、たかをくくっている。』 「燃えよ剣」下巻(司馬遼太郎著)を読み進んでいる。 この本は読むのは2回目だが、10年前に読んだのとでは、やはり印象が違う。鳥羽伏見の戦いがどう展開していったのか、物語の本筋とは別に、司馬遼太郎節が遺憾なく発揮され、詳しく解説されている。剣客揃いの新撰組が、恐るべき近代兵器に対面して衝撃を受ける場面、現代においては、何に置き換えられるだろうか。IT技術もその一つだろうし、経済労働のあり方も、この平成時代20年で大きく様変わりしてしまった。 司馬先生が子供の頃、村の友達に海がいかに広いのか、という話をして、ほら吹き呼ばわりされたそうだが、1867年の大政奉還から142年、信じられないほどの激変の時代だった。司馬作品には思想家、技術者など様々な人物が登場するが、今の時代、何をどう努力するのか、自分なりに決めて取り掛かるしかない。 こんばんは、厚蔵です。現在、20時半、今日はやっと休みだが、けっこう疲労が残っている。特別養護老人ホームの早番は6時半だが、夜勤や遅番など、リズムがばらばらなので、体内時計がけっこうズレてしまう。それでも7時半には起きるようにしているので、なんとかズレっぱなしにはならない。 月末の広報委員の研究発表、12月の広報の作成、ケアマネ試験勉強など、なんだかんだとあるが、今日の天気はもったいないと、強風の中、旧室根村・室根山さんへ向かった。奥州から50キロ離れているが、地味ながらもいい景勝地がある。 写真は室根山近くのステーキ店、安いがけっこううまい。店の主人も気のいい感じだ。奥州からけっこう離れているが、一人でも友人とも時々来る。炭火が夏はとても熱いが、初冬のこの時期ではちょうどいい暖房がわりだ。室根山のキャンプ場によったが、あやうく強風でテントが飛ばされるところだった。
2009.11.15
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『 司馬遼太郎はかつて、「作家と一般の読者とのちがいは、わずか指先にのった塩のあるなしにすぎない、その塩を大切にしなければすぐに失われてしまう。それを錯覚して自分はエリートだと思い込むほど作家にとってのつまずきはない」と語り、それをまた自戒の言葉としているそうだが、その謙虚さが、彼の文学の魅力となっているのだろう。 彼は常に貪欲に歴史をまさぐり、その人物を分析し、今日的なメスを加え、いぶきをあたえて描く、稀有の歴史小説家である。』 「新撰組血風録」、解説・巌谷大西より 昭和40年代、司馬遼太郎46歳の時の作品だが、内容も当然面白かったが、解説がよかった。昭和44年当時の解説だが、当時の勢いが感じられる。こういう心がけを構えるとことなく、自然体で生涯持ち続けた司馬遼太郎だからこそ、今でもその作品が色あせることはない。 それよりも今日わかったのだが、「坂の上の雲」がいよいよ11月29日から放映が始まる。毎年年末の放映で、09年から11年まで続く。去年1年以上前から、ずっと気になっていただけに、やっと、という感じだ。あまりにも待たされたので、本当に放映されるのか心配になっていた。 この作品は司馬遼太郎が40代のほぼ10年間を費やしたという希世の名作だ。自分も3回以上読み返し、その都度、新しい発見がある。明治維新から日露戦争へ、日本そのものの青春時代の物語で、読むと元気になる。が、同時に、歴史、政治の重さ、変革、革命など、いろいろと考えさせられる。 こんばんは、厚蔵です。現在22時、今日は夜勤明けで日中は休んでいた。夕方から動き始め、フリースやジーンズを買いに行った。イオン系列の店に行ったが、値段も安いしデザインもいい。ちょっと目にはアウトドアブランド・フィルソン社のデザインに見える。 最近、施設勤務の方も忙しくなってきた。ここで働き初めて丸5年だが、なんだかんだで用事がでてくる。広報委員も3年、今年から委員長ということで、ある程度は役割分担をするが、研究発表などは、自分に回ってくる。介護福祉士の業務とは別に、そういう事務的作業をするから、けっこうずっと忙しい感じだ。来年の介護支援専門員試験の勉強も、11月中旬から始める。 司馬遼太郎作品には、貧乏学者が数多く登場する。司馬先生が亡くなった国立大阪病院は、奇しくも村田蔵六こと大村益次郎が死去した場所と同じだそうだが、自分もこの奥州の片田舎では、蔵六には遠く及ばないにせよ、勉強を続けるしかない。 写真は奥州近郊。なかなか遠くへは行けないので、近場へバイクで出かける。奥州近郊では、昔の行政区では独立した町だったが、今ではすっかり過疎地域になっている場所が数多くある。主要道から外れ脇道へ入り、黒石地区へ行くと、タイムスリップ状態の町並みが続く。
2009.11.08
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クライマックスシリーズの結果が今日判明した。日本シリーズはやはりジャイアンツ対日ハムになった。昨日、第2ステージの試合で楽天対日ハムで3対2で楽天が勝利したのは、東北関係のマスコミを始め、一面を飾る快挙だった。今日の第3戦でなんとか日ハムに勝てば、楽天ファンとしてはもはや優勝したのと同じ意味を持つ試合だった。 9回表、楽天は8点、日ハムは4点、もはや楽天の勝利は確実と、楽天・野村監督への勝利インタビュー、新聞一面は楽天勝利、となるはずだった。が、球場内に悲鳴が広がる。まさかの逆転ホームランで、さよなら負けを喫した。急遽紙面変更の指示を出すために走る記者たちが放映されていた。 もともと楽天ファンというのは、チームがビリでなければいい、というような感覚を持っていた。最近になってもリーグで3位以内にはいれば上等、という感じだった。それが今回、堂々の2位、今日の負けも王者日ハムに対してよく戦った。と、皆、本気で思っている。 最後に日ハム・稲葉選手が音頭をとって、敵将・野村監督をも胴上げして、ダブル胴上げになったが、それも感動の風景だった。 こんばんは、厚蔵です。しばらく連続勤務が続き、明日は夜勤。今日は10時に出勤して、退勤は21時過ぎになった。残業代は当然でないが、なんとか介護実習生への、指導コメントなども仕上がり、仕事は一段落した。先輩職員は明日は介護支援専門員試験当日だ、と若干諦めモードで教科書を開いていた。 自分としては優勝に匹敵するような、今日の楽天の試合だったと本気で思っている。野村監督も、名誉監督への就任要請が楽天本社からきたようだ。 貧困率が15.7%で先進国中、ワースト2位などというような悪いニュースが連日報道されている。1800万人が貧困状態にある日本。そういう中で、自分もその例外ではない。介護福祉士だ、介護支援専門員だ、行政書士だ、パソコン技術だ、と資格、実務経験を積み重ねていく以外に、自分としては渡世する術を思いつかない。 今日の試合は、帰宅後、22時半にニュースの特集で見ただけだが、また元気が出てきた。今までの楽天の試合ぶり成長ぶりは、どんな状況下、非力なおんぼろチームでも、自分を信じ、諦めず、自分の努力を数年間続けていけば、必ず道は開ける、と光を示している。 写真は先日行った楽天本拠地、仙台市内、中央図書館では常に何かの展示会が行われているので、立ち寄っている。青葉通りも、すっかり晩秋の気配だ。奥州からは100キロ離れている仙台だが、月に1回以上は必ず行っている。友人もここにいるが、本やパーツ類も、すべてがそろっている。
2009.10.24
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今年のイチローは、WBC2連覇、9年連続200本安打、初の故障者リスト入り、初の退場経験など、多彩多難な一年だった。マスコミでも伝えられるが、なぜイチローはこうした記録を出せるのか? それは、毎日練習を続けるからだという。あまりにも当たり前な結論がある。しかし、常人にはこれがなかなか出来ない。自分などは、介護士の仕事は今の施設に入って5年、無遅刻無欠勤だが、こと、自分の努力に至ってはムラがありすぎる。 イチローの場合、ジュニアの頃から、360日バッティングセンターに通い続けた。親父さんも毎日付き添い、バカ親父呼ばわりされても続けた。アメリカでメジャーになっても練習を続け、毎日、同じ練習をひたすら続ける。球場に入るときにも、同じように入り、他の選手に先駆けて、早くから練習を始めた。そういう毎日の練習の繰り返し積み重ねが、どういう状況下、苦境下でも、同じイメージで同じ力量を発揮する原動力になったというのだ。今年は打率も絶好調で、ストライクは当然打ち、なによりボール玉への打率が非常に高くなった。 こんばんは、厚蔵です。現在19時半出先、友人宅、友人は買出し中。今日はやっと休み、明日は日勤で9時からの勤務。 臨機応変に対応する能力と、ひたすらに地道に練習を積み重ねる能力、というのが実はリンクしている。ということをイチローは実践証明している。そういう練習を続ける自分に対し、力を付けていく自分に対し、裏付けのある揺るがない自信がイチローにはある。自分の努力方法、実践度を省みたとき、いくら才能があったとしても、こんな努力では物にはなっていかないのだろうな、ということに気づかされる。それでも、ここで発起して、自分の境涯なりに諦めずに努力を続ければ、それなりに物になるんだな、という確証は得られた。
2009.10.14
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現在午前6時半、岩手山山麓、雫石プリンスホテル。誕生月なので祝いもかねて家族で泊まりに来ている。施設シフトも一ヶ月前から希望を出しておけば、3日間連続で休むことが出来る。平日に来ているので安いし空いている。 おはようございます。厚蔵です。年に一回は家族旅行をしているので、今年は1泊2日で雫石へやってきた。来年は10月にケアマネ試験があるので、11月に2泊3日で福島、宮城方面へ行く予定。 しかし、昨日の好天とは打って変わって、今日は雨、携帯の気象サイトで雨雲レーダーの確認をすると、宮城県仙台市まで暴風雨になっている。昨日は岩手山山麓をあちこち回ったのだが、今日は昼過ぎには台風の暴風雨圏へ入ってしまうので、早めに南下して奥州へ帰る。 本当は盛岡市花巻市で宮沢賢治関連の史料館などを見に行く予定だったが、台風の予想進路は奥州を目指して北上しているので、そんな余裕はないようだ。
2009.10.07
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「人間関係」というと、かけがえのないもの、とか、ストレスの原因・・。など、様々な答えが返ってくる。こいつ、いっぺん殴ったろか!などと思うような相手でも、実は相手は相手なりにそうせざるをえない理由があって、そういう性格になっている。逆に、おぉ、いつも明るく元気いいな、とこちらが励まされるような人もいる。5年近く見ていても、変わらずにますます元気だったりする。 自分も様々な組織に所属していて、それはこれからも続いていく。 そういう、殴ったろか、という相手でも、こちらとしては、変わらず接していく。時には注意しつつも、普通に接していく。感情的になってしまうのは、結局は自分の境涯が低いからなのだ。 こんばんは、厚蔵です。などと言ってはみたものの、「なんかすっきりしない!!」時には、バイクで山へ向かう。昨日の仕事疲れが残っているものの、テントを積んで北上山地、峠の高原で寝てきた。しばらくバイクでいい山道を走っているうちに、また考えも変わり気も晴れていく。この時期、奥州は、夕方になると野焼で空気がトパーズ色になる。 人間のやる気を削ぎ、活気を失わせる魔の働き、それを魔だと見抜いて、また自分なりの努力を続ける。そういう行動なしには、魔に打ち勝つことは出来ない。などと言い聞かせている。 ※現在、ブログ交流の場はミクシィの方へ移行しています。そちらでも、よろしくお願いします。
2009.10.04
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29日は21時半から夜勤だった。申し送りによるとバイタル的に危険な状態にある利用者は1人、Sさん、65人の入所者中、自分の夜間担当は20人。巡回は30分の間隔で行った。Sさんの体温、血圧、脈拍もまず問題なく、不整脈は若干あった。21時半に申し送り、24時、午前4時にバイタルチェック、問題なし。その後も30分間隔で体交、吸引、IVH滴下、容体確認を続ける。朝5時20分巡回時、利用者Sさんの呼吸、脈拍無し、瞳孔も開いている。隣ユニットの夜勤職員とバイタルの確認をした後、緊急時の連絡をした。看護職、医師、利用者家族、主任、係長、事務次長、施設長、と連絡をしていく。すぐに全員がそろった。午前5時40分死亡確認。6時半からは看護職と早番の介護職でSさんの装束を整える。7時には葬祭店の係員が来荘し亡くなった利用者を連れていった。自分も9時まで仕事を続けた。こんばんは、厚蔵です。現在23時、夜勤明けで朝7時までの勤務だったが午前9時までかかった。すべての引継を終え、11時から15時まで休んだ。その後、一関の友人宅へ向かい、しばらく話をしていた。先日、地上波で「おくりびと」をやっていた。親父が見ていたが、自分は用事があって、少ししか見られなかった。が、今回の夜勤では自分が「おくりびと」になってしまった。4月に部署の移動があって、亡くなった利用者は寝たきり状態で意志疎通はあまり出来なかったが、静かな安らかな死だった。5年、現在の施設にいるが、こうして死の現場に担当として直面したのは初めてだった。急変時は病院へ搬送するからだ。今度はDVDを借りて、「おくりびと」をしっかり見ようと思っている。司馬遼太郎、他、歴史作家は仏法についてもけっこう詳しく書いている。仏法では「死」とは「生」の生命状態から、「死」の生命状態へ移行するだけだと説く。永遠に「生」と「死」の生命状態を繰り返していく。死相は来世への門であり、どういう相をしているかで、来世が決まっていく。今世の生命を生き抜いた人間が来世へと確実につながっていく、と説く。物質には質量不変の法則があり、エネルギーも不変だとする。水は氷という固体から、液体、気体に変化しても、質量は変わらない。エネルギーレベルでも1グラムの物質が核爆発してもエネルギー総体としては、その形を変えるだけで永遠に不変だと説く。仏法では、同じように生命も、過去から未来へと、形を変えながらも決して消滅することなく、永遠に不変だとする。ただ善行、悪業は積み重なり、その結果によって来世が決まっていく。司馬遼太郎「国盗り物語」主人公、斉藤道三は日蓮宗の僧侶だった事もあり、法華経への造詣が深かった。「俺のような大悪人こそが大善人になれるのだ」と言いはなったセリフは有名だ。その通りに、近世を開き、その思想、行動は織田信長へ引き継がれていく。仏法は単純ではない。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」もある意味、死後の世界を描いたものだが仏法、法華経の考え方が底流に流れ、そこには暗さがない。今回、人間の死の現場に立ち会って、また一つ何かがわかったような気がした。写真は1枚目が自分の所属する施設内、2、3枚目は、今日17時半、すっかり暗くなっている。奥州に隣接する一関市・東山町、猊鼻渓近くの景勝地、往復100キロぐらい走った。飲料メーカー営業時代は、時々、この界隈にも営業にはいった。近くの鍾乳洞の売店のおばちゃんから、久しぶりだったね、などと声をかけられた。
2009.09.30
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『 司馬さんの小説を初めて読んだのは大学2年。授業にもほとんど出ず、麻雀に明け暮れていて、頭の中が真っ白だった時期です。早大に「歴史文学ロマンの会」というポスターが張ってあって、女性の名前が並んでいた。釣られるようにサークルに行くと、最初の読書会で読まされたのが司馬さんの「燃えよ剣」。サークルの女性が司馬ファンだったのです。私は歴史小説なんか読んだことがなかった。坂口安吾といった無頼派の純文学とかミステリーに浸かっていたので、新鮮で面白かった。大人が楽しめる小説だと思った。 歴史小説は、一生書いていける世界だと自分勝手に思い込みました。でも、方法論がわからないので司馬作品をはじめ完成された歴史小説を読み漁りました。日本の歴史を平安から幕末まで勉強して、当初は源平時代が好きだったんです。戦国時代は何人もの作家が書きつくしたような気がして・・。』 週刊司馬遼太郎3、火坂雅志の章より 作家・火坂雅志はご存知、大河ドラマ「天地人」の原作者だ。この章では赤裸々に自分の作家への歩みがつづられている。年齢は53歳だからまだまだこれからの作家だ。写真で見ても若い感じがする。「天地人」が48回目の大河ドラマに選ばれ、取材や講演が殺到し急に急がしくなったそうだ。どういう人なのか知りたいと思っていたので、この章は特に面白かった。普通の若者だった人間が、あるきっかけを通して作家に変貌していく。その小さなきっかけから、勉強へとすすみ、資料を集め分析し物語を作る作家に変貌していく。 こんにちは、厚蔵です。現在15時、今日ばかりは休み、夜には約束がある。自分もだんだんといい歳になってきて、仕事でも現在の介護福祉士から介護支援専門員試験への兆戦など、物事に集中しなければ乗り越えられない段階へ入ってきている。 写真は1枚目は時々行く喫茶店、28日14時、値段は少し高めだが落ち着いている。たまに本を読みに来たりしている。2枚目は利用者の一時故郷帰宅の場面、一年に一回の楽しみの機会だ。なかなか山に行けないので写真もこんな写真になってしまう。3枚は奥州市内北上川某支流、ちょっとの時間を使ってやってきた。先日の洪水でこの先の橋は流されていた。
2009.09.28
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『 歴史小説は仮説を作る作業だと思います。史実を歪めてはならないが、不明な点は資料や情報から推理して埋めていく。理論物理学者のような作業です。司馬さんの小説は歴史的にはほぼ正しい。むしろ歴史学者の方が、細部にこだわりすぎて、全体を見失っていることが多いですね。 私にとって司馬さんは、作家というより、文化人というか 文明を語る人でした。文壇特有の作家臭さがまったくなかった。』 週間司馬遼太郎3、堺屋太一の章より 堺屋太一は有名な作家で、かつて大臣、経済企画庁長官を務めた。作家としての評価は高いが、大臣としての仕事はあまり評価されていない。それでも自分としては気になる作家の一人だ。 その堺屋太一が語る司馬遼太郎、歴史全体を俯瞰し、細部にこだわりすぎずに書く。しかし同時に膨大な資料を読みこなした。文明を語り、文壇からは一定の距離を置き、大阪に住み続けた。その一つ一つは自分も感じていたことであり、それだからこそ、読む人に生きる勇気を与える力がある。 こんばんは、厚蔵です。現在18時、またまたしばらく施設勤務、仕事が続き、今日は朝5時起床で17時まで仕事だった。疲れもあって、なかなかブログなども更新が出来ない。介護福祉士の仕事はもとより、敬老会、防災訓練、それに伴う広報委員の取材活動、すべてがやっと一段落した。法人ホームページも、更新を終えた。仕事もそうだが、職場の人間関係を少しでも志気があがるように、それなりに努力した。 明日は休みだが午後から雨だという。 司馬遼太郎の膨大な作品群も読み続けているが、週間司馬遼太郎のような分析本も面白い。作家や文化人といわれる人々が、司馬遼太郎を冷静に分析しつつも、それでもつい熱く語っているのがわかる。 自公連立政権から民主連立政権へ移行し、一ヶ月が経とうとしている。ニュースは毎日、自宅での仕事をしながら、報道ステーションを始め、幾つかのニュースを見比べているが、民主党の試行錯誤を伝えている。自民党総裁選は記事的にスミで扱われている。10月から介護職員の給与を改定する法案も実施されるはずだが、ネットで調べれば、そうそう単純な話ではないようだ。 介護現場でも、志気が下がっているのはわかる。が、はい、そうですか、と下がりっぱなしでいいわけがない。自分の所属する部署、ユニット、広報委員会など、少なくとも自分のかかわる部署で、いい仕事をやっていくために、話し合ったりしている。気迫のある職員も多い。そういう心づもりで仕事をしていくと、つい落ち込んでしまう自分をまた奮い立たせることができる。 写真は1枚目は施設敬老会、2枚目は夜勤明け、北上川中州秘密の場所、3枚目は奥州衣川国見平からの眺め、忙しいながらもテントを持ち出したりしている。
2009.09.27
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長らく続いた連続勤務がやっと終わった。かれこれ2週間近く連続で働いた。主任が出張で東京へ行く関係で、勤務変更が月をまたがった。そのため先月中旬に、無意味に休みが4日ほど固まってあったが、その後の2週間がきつかった。介護士だとわかると思うのだが、夜勤その後遅番、早番などと延々と勤務が続くと、体内時計も狂ってくる。 こんにちは、厚蔵です。現在8日18時。休日の感覚がわからなくなるぐらいになって、今日は朝5時起床で勤務、明日9日はやっと休み、今ファミレスで一息ついている。写真は現在8日18時半、ファミレス、ブログ中。2枚目は、仕事の後、夜、バイクで走りに行ったり、3枚目は、8日16時半、施設を出るときの秋空だったりする。見事な秋雲、鱗雲(うろこぐも)だった。 日曜日の大河ドラマ「天地人」、直江兼続の言葉ではないが、季節の移ろいを感じる間もなく、もうこんな季節になってしまった。夏らしい夏もなく、ただ忙しい日々が続いて、すっかり季節は変わってしまった。 注目していた参議院選挙もとうの昔、8月30日に終わってしまった。自分の応援していた候補も負けた。マスコミの予想通り、民主圧勝308議席、与党自民党は119議席、公明は21議席だ。小選挙区比例代表並立制は2大政党を作り、政権交代を可能にする。という教科書通りにシナリオが進んだ。議席予想がマスコミ予想にかなり近似したのにも驚いた。 これからは社民、共産、公明などの小政党は小選挙区では勝てなくなるだろう。自分などは宗教、組織に対しては、アンチ○○的なところがあるが、友人、個人レベルではいい人間がいて、付き合いも長かったりする。 そんなこんなで忙しい毎日を送っているうちに、来年10月には法人命令で介護支援専門員試験を受けなければならない。これでもある程度、時間に余裕がある期間は、確実に目減りしていく。友人との付き合い、バイクツーリング、司馬遼太郎読書など、取捨選択を、気負わず、自然体で決断していく。 (*´ο`*)=3
2009.09.08
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シーズンオフが近づいてきて、アウトドア用品が安くなってきた。この機会に必要な装備をいくつか買った。写真は5人用ワンタッチテント、設営はテントの中に入って、2本のザイルを引っ張り、ロックしてしまえば、6本のポールが自動的に自立する。テント内は3人ぐらいまでなら余裕で横になれるスペースがある。さすがに構造が複雑な分、重量が普通のテントより若干重い。しかし、逆にその構造上、高さが確保されていてよりひろく感じる。 こんにちは、厚蔵です。現在17時、夜は夜勤、日中は、郊外のダム湖までやってきて、このテントを張り仮眠していた。最近は、衆議院選挙も近づいてきて、それなりに頼んだり頼まれたりしている。奥州では民主党が圧倒的優勢で、自民党はかなり苦戦している。 テントのことを移動式別荘などと、よく友人と話をしたりするが、実際に大型テントを張るとなると、大がかりになってある程度時間がかかる。張る場所も限られる。が、このテントだと、気に入った場所があり、周囲に迷惑はかからないな、と判断できれば30秒で設置が出来る。撤収も早い。これならば、気に入った場所都度に、テントの設営撤収が繰り返し出来る。本格的なキャンプには少し心許ないが、日差しと虫は十分に避けられる。 このテントは、セールで半額になっていたから購入したのだが、写真のように手持ちのキャンプ道具、アルミテーブルなどと組み合わせれば、テント内でも、ある程度調理も出来る。ストーブはSOTO製、普通のカセットガスが使えるので燃料費が格段に安い。水タンクも持ってきているので、水場も必要ない。当然、今の季節で、テントの天窓、周囲の窓を開放しているから出来るのだが、ますます、ちょっとした別荘のような感じになった。 学生時代からキャンプをやっているが、今までキャンプ方法は工夫を積み重ねてきた。また段取りよく出来たので、今度は友人と来てみるつもりだ。この場合は料理を作ったりするのが目的になる。
2009.08.22
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人間は行動することで元気になっていく。元気になってから行動しようとしても、いつまでも元気は出てこない。自己実現の方向への努力は元気になっていくが、間違った動機で行動すると神経症的になっていく。しかし、いずれにしても人間は行動し努力をする事によってのみ、元気になり強くなる。そのための方法は、自己実現への努力と、いい協力関係の人間関係の中で、少しずつ見いだされ強化されていく。加藤諦三の心理学には、こういう内容の一節がよく出てくる。介護職をしている人はご存じだろうが、施設勤務だとお盆休みがない。不規則勤務のため夜勤などが続くと、体内時計が狂ってくる。さらに高齢者のために室温設定が28度のため、動く職員にとってはかなり暑い。この7、8月、そんなこんなで、夜勤明けなど、いつもなら3時間も仮眠すれば、活動再開のところが、気がつけば夕方になっていたりする。起きても、明らかに疲れが残っている。というか、やるべき事があるにもかかわらず、どうしてもやる気が出なかったりする。こんにちは、厚蔵です。現在14時、今日はやっと施設が休み。明日は朝5時起床で勤務。今、書いたように疲労が残っているが、午後になってやっと元気が出てきた。写真は、先日の友人との野外焼肉、が、生憎の雨のため車庫で行った。しかも自分も含め3人は夜勤明けだったり、早番だったりして、皆、けっこう疲労している。3枚目は新iPodシャッフル、クラッシックと比べるとかなり小さく軽い、身につけて音楽を聴くことが出来る。音声でプレイリストや曲名を管理できる。心身が健康でなければ、仕事でも家でも支障が出てくる。疲労がたまっているのなら、不規則勤務のリズムのズレを調節しながら睡眠を上手にとる。ここでリズムをはかり損ねると寝れなかったりするが、そこはこの5年でうまくなった。職場の問題などをいつまでも考えているとキリがないので、ある程度考えたら決断して後は考えない。仕事の広報、HP更新作業もいつまでもやらない。資格関係の勉強もペースをつかんで、いつまでもやらない。あとは、友人との約束などは、なるべく時間をとって付き合うようにする。とは言ってもただ話をするだけの場合が多い。バイクや車でさっさと出かけてしまう。やるべき事はいくらでもあるが、焦れば焦るほど、効率も悪くなる。たいした事も出来ないままに終わったりする。今日はこれをやっていく、と決めて、身近な事から少しずつでも大事に取り組んでいったほうが、結局は効率もよかったりする。というので、午前中は洗濯、部屋掃除と、車の整備、洗車で終わってしまった。また週刊・司馬遼太郎を読み返し始めた。夕方には親戚がやってくる。
2009.08.16
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24-TWENTY FOUR- シーズン7 DVDコレクターズ・ボックス海外ドラマ「24」が2年ぶりに帰ってきた。実際には「24・リデンプション」が3月に出ているから、そんなにご無沙汰の感じはない。ネタばれは絶対に許されないので書けないが、しっかりと「リデンプション」とつながっている。舞台はアフリカ、ロサンゼルス、ワシントンと移っていく。主人公を演じる俳優・キーファー・サザーランドとしては、シーズン9までは放映の予定だという。マンネリ化するんではないか、という話は毎回出るが、それでも十分に面白い。脚本家協会のストライキで一時危機に陥っただけに、逆にそれがいい方向へ作用したようだ。こんばんは、厚蔵です。現在20時、今日は施設夜勤明け、明日は10時半から勤務。今日は酒井法子に覚醒剤所持容疑の逮捕状が出たとして、マスコミでは大騒ぎになっている。熱心なファンではないが驚いた。大麻など麻薬で捕まる人間が多いが、酒の方が麻薬性中毒性は強い。それ以上に、司馬遼太郎を読んだり、「24」を見たり、バイクで山に入って行ったりするほうが、よほどスリルと充実感がある。「24」はレンタルではまだ3巻までしか出ていない。今月、また3巻がレンタル開始になる。12月までかかってレンタル終了となるが楽しみだ。なかなか貧乏暇なしで時間が無いが、これだけは外せない。ジャック・バウアーの走る姿を見ていると、年齢があまり違わないだけに、夜勤明けで疲労困憊でも、まだまだ俺もやれる、などと元気になる。
2009.08.07
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介護福祉士の試験でも発達障害は出題範囲に入っていた。が、昨日の19時毎日放送でやっていた発達障害の特集をみて、あまり理解していなかった事がわかった。30歳の男性が例にあがっていたが、26歳まで発達障害だとは誰もわからなかったという。親、友人、教師、誰もわからなかった。学校の成績もよく、記憶力もよかった。しかし大学卒業後、就職をしてもすべて長続きしなかった。対人関係がうまく出来ず、何事にもこだわりすぎ、感情の起伏が激しいという事だった。こんにちは、厚蔵です。現在14時半、今日は施設夜勤、夕方仮眠をとる。写真は、1枚目、先週土曜日、夏祭りの写真、2枚目は7月9日旅行、秋田県の植物園ドーム、3枚目は北上川堤防、毎日雨続きで少しの晴れ間で散歩にでた。今年、夏らしいのは唯一、施設の夏祭りぐらいだ。統合失調症、うつ病などと違い、発達障害では障害者年金などの補助はないという事だった。当人も、病気に甘えている、とか、自分の成長のために努力していない、とさんざん言われたそうだ。その方は30歳で自殺をしてしまうのだが、最後には、人間関係は病院の先生と、報道記者の2人だけと連絡をとっていた。親から離れ、一人暮らしを初めて2週間後、5月に自殺で亡くなった。先生も発達障害の方がすべて問題行動を起こすわけではない、本当に残念だと言っていた。公私を離れて親身に相談にのっていた。それにしても、つくづく思うのは、「胡蝶の夢」という司馬作品だ。司馬凌海という佐渡島出身の蘭学者が主人公の一人だが、天才的な語学の才能、蘭学に長けていながら、人間関係が決定的にまずく、大成するまでにはいたらなかった。しかし、幕府奥御医師の松本良順などに再三守られ、数々の仕事をしていった。女遊びの度が過ぎていて、度々失敗している。温厚篤実で知られたオランダ人軍医・ポンぺにも嫌われてしまった、というから相当なものだ。しかし、そういう欠点がありながらも、司馬凌海は仕事としては有数のものを残した。広辞苑でも司馬遼太郎と並んで記述されている。もしかすると、この司馬凌海も発達障害であったかもしれないが、なんとか人に恵まれ、自分の性格をいい方向へ発揮して、世の中で仕事をしていった。誤解を多く受けながらも、得意の分野で努力を怠らなかった。自分なども、自分の得手不得手を、理解し把握して、自分なりの努力を続けようと思った。30歳で亡くなった方も、「胡蝶の夢」を読んでいたなら、社会に迷惑をかけてまで生き続けたくない、という結論にはならなかったのではないだろうか。タバコしか楽しみがないと、指が黒くなるまでただただ吸い続けていた。少なくとも、社会で大成はしなくとも、町の変わり者だが、ある分野では博識で、小さい仕事でも熱心な人だった、という人生にはなったはずではないだろうか。ご本人も、病気の社会への理解を広めたいと願い続けていた。自分は、小さいながらもいい仕事をしていく人生でありたい。
2009.07.30
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世間では中国地方の大雨被害、千葉・殺人監禁事件の容疑者逮捕、46年ぶり皆既日食、と事件が目白押しだが、特に千葉の仲田容疑者には考えさせられた。自分もいろいろな組織、人間関係の中で暮らしているが、こういう異常人格者とはまだ遭遇していない。しかしニュースで見る限り、現代ではそう珍しい存在ではないようだ。ここまではいかなくとも、そういう傾向にある人間はいる。こんばんは、厚蔵です。現在19時、昨日は夜勤明けで、仮眠後、施設の夏祭りだったのでまだ疲れが取れていない。写真1枚目は昨日の夏祭り写真、2枚目は晴れ間を見つけてやっと乗ったバイク、3枚目はつい買ってしまったGショック、これは海外モデル。このタイプは電波ソーラーでメンテナンスがいらない。違うタイプで幾つか持っているが、状況によって使い分けている。こういう人間がいれば、俄然、生活は振り回されてしまう事になる。が、それでも、自分の仕事なり勉強なりは続けていかなければならないだろう。どうにも腹にすえかねる人間がいたとしても、実はその人間なりのこだわりがあってそうしている。人にどうこう言われたぐらいでは変わらない。ならば、自分が変わっていくしかない。地道に仕事を続ける、自分としての努力を続ける。その積み重ねの中で自分が変化し強くなっていく。同時に、どんな人間も長い時間の中で変化していく。自分と相手の成長を祈る中で、最終的にはいい方向へ向かっていく、と自分は信じている。大部分は普通の人間で、中には写真のようにお互い励ましあうメンバーもいるので、厳しい仕事でもなんとか頑張る事が出来ている。幕末、偏執的な攘夷主義者に斬られた志士はかなりの数にのぼる。大村益次郎、坂本龍馬、大久保利通、しかし、その直前まで仕事を続けていた点では、みな共通している。
2009.07.26
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『「かようなところで開業しているのか」 大藩・長州藩の典医は、痛ましそうに軒をみあげた。樋が落ち、ひさし傾いていた。屋内の貧窮が目に見えるようであった。 (これが緒方塾の秀才のなれの果てか) 長野昌英はそうおもった。緒方塾出身といえば、もはやそれだけで人々は立身している。藩に帰れば優遇されるし、医師の道だけでなく、蘭学教授、兵学教官、殖産行政家などといった道でそれぞれにぎやかな活躍をしていた。ところが、この所郁太郎はどうであろう。場末のただの開業医にすぎない。 (この男には、筋目がない) 藩に属せぬばかりか、素性が美濃の百姓医者であるために彼をひきたてるほどの有力な知己も居ないのであろう。典医は、多少の力になってやろうとおもった。』 文庫・人斬り以蔵、美濃浪人の章より この時期とほぼ同じ時代、村田蔵六(後の大村益次郎)も、活躍している。蔵六も百姓医者で、同じ緒方塾出身だが、長州の郷里に戻って開業していた時代があった。無愛想で全くはやらなかったのは、郁太郎と同じだが、蔵六は苦にする様子もなく、百姓医者を続け、蘭学の勉強を続けている。木戸考允引き立てがなければ、全く時代に埋没していただろう。しかし、時代は彼を寵児にしていった。 こんばんは、厚蔵です。現在21時半。施設早番、自分の健康診断、利用者のレントゲン撮影助手でなかなか疲れた一日でした。体温も37.5度で微熱もあるようです。これから楽天ブログ・「歴史の細道」から引き続いて、mixiにも日記を書いていきます。よろしくお願いします。 写真は昨日、祝日に宮城県仙台市へ向かう東北道上、けっこう込んでいる。2枚目は仙台三越、夕方17時、バイクのパーツを買ったついでに寄った。風景人間観察でカメラを回したりしている。3枚目は熱帯魚ベタ(闘魚)3匹の小型水槽、やっとこの形に落ち着いた。 所郁太郎は全く無名の美濃浪人だが、司馬遼太郎は折に触れて取り上げている。長州藩の巨人、後の大蔵卿・井上聞多を瀕死の重傷から2度も救ったからだが、それ以外の事跡は全く不明で、長い間、司馬遼太郎が気になっていた人物だという。しかし、歴史文書の端々に、少しではあっても名前が出ていた。 どんなに実力があり、時代が求める才能があっても、ついに入れられることなく、埋没してしまう人物が居る。自分などもつい短気になってしまう時があるが、こういう短編を読むと、仕事に使命を感じて取り組み、自分が好きな本を読めて、時々、旅に出られれば、そう社会に用いられなくても、十分な人生ではないか、と思うようにしている。友人関係は少ないながらも、大事にするようにしている。 自分も様々な組織に属しているが、自分の場合、必ず、一定の距離をおいて判断するようにしている。なかには、こいつふざけるな!という人物もいるが、そういう煙たい存在がないと、それはそれで困る、などという場合もある。「素直で迫力のある人格」、というのが心理学の本に出ていたが、遠回りであってもそういう人物を目指したい。
2009.07.21
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熱帯魚ベタ(闘魚)2匹、の水槽のセッティングが終わった。けっこう強い魚なので、大がかりな用品は必要ないが、ベタは冬場にはヒーターが必要で、水草・ウィローモスで酸素を供給する。写真はベタ・オス(青)とベタ・クラウンテール・オス、2匹ともベタにしてはかなり動き回る。砂利、水質調整剤、水苔防止剤、水温計などをセットしていく。病気治療用薬剤も用意した。ある程度小さい水槽で、熱帯魚に負担をかけず飼育するために、ネットや本で調べた結果、こういう水槽になった。LEDライトも点灯できる。こんばんは、厚蔵です。現在19時半、今日は施設早番勤務だった。今日も職員数は少なく、一人で動く場面が多かった。熱帯魚好きな友人がいるので、それがきっかけで飼う事になったのだが、意外にそんなには手間がかからなかった。それでも最終的に水槽を仕上げるまでに、少しずつ調整をして数日かかった。アクアリウムは大がかりなものが多く、パソコンで熱帯魚飼育のシミュレーションはあるが、動きのパターンが決まっている。じゃあ実際に熱帯魚を飼うにはどうするか、と調べた結果、ベタになったが、実際、水槽を作ってみると、最初のセットに3時間ほどかかった。足りない用品は近くのホームセンターへ買いに行く。が、完成してみると、小さいながらもきちんとアクアリウムになっていて、1時間ほど観察していた。5年前に比べると、ネット上の情報も豊富で、なにより様々な種類の機材が手にはいる。驚くのは熱帯魚そのものも、楽天などのネットで手にはいることだ。ベタは寿命が2年ぐらいだが、信頼のおける業者を通して、通年で熱帯魚を取り寄せることができる。なるべくは市内のショップに行くつもりだが、これだと奥州にいても、手に入りにくい魚であっても手にはいる。流通には魚に負担をかけないように細心の注意をはらっている。そのシステムには驚かされる。5年前もそうだったが、なんでこんな手間をかけて、熱帯魚を飼うのかというと、友人がきっかけだったが、やはり生き物をなるべく自然に近い状態で飼う。限られた中でも、その自然環境を作り上げる。熱帯魚に餌をあげたり、水質水温を管理する。という一連の作業が楽しい。極端な手間はないが、世話そのものが面白い。その後、泳ぎ回る姿を眺めていると、ゆっくりとした時間が流れる。なにより、人間を見ると餌欲しさだが、寄ってくるのも嬉しかったりする。2年しか生きないが、その間はきちんと飼育するつもりだ。
2009.07.12
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昨日、2日間の社員旅行が終わり、今日は休みだった。去年に引き続き、北東北、秋田、青森の旅だった。社員旅行なだけに、ただひたすら強行軍で観光地を回る、というスタイルだが、今回は運転手さんが詳しい方だったので、意外なスポットに案内してもらった。有名な観光地よりも、そういう穴場の方が面白かった。全くのプライベート旅行だったら、もう少し時間をかけるはずの場所を、駆け足で回っていく。が、たった2日間でこれだけ回れるのも社員旅行ならではだったりする。 不老不死温泉は、僻地にありながら、けっこう観光客が来ている。逆に、新しく造成した観光地は立派な施設がありながらかなり寂れてしまっている。不景気の直撃を受けた北東北の現状を、まのあたりにした旅でもあった。逆に、地元なりの工夫をし、地道に頑張っている所は、なんとかいい方向に向かっているようだった。青森、日本海沿岸・深浦町はイカ焼きで有名だが、美味しい所は健在だった。 太宰治記念館・斜陽館も、何度も人手に渡った後、現在は市が運営し、NPOの職員が館内説明にあたっていた。生誕100周年という事もあって、かなり賑わっている。職員さんの説明がよく、去年も来た斜陽館だが、初めてわかった事もけっこうあった。日常とは別世界の旅行だったが、年に何回も無いのでいろいろな発見がある。なにより、他の施設のなかなか会えないメンバーと話が出来るのがよかった。
2009.07.11
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現在、社員旅行中。青森県東津軽郡、日本海沿岸へ向かっている。社員旅行は1年に1回ぐらいだから、貴重な機会だ。施設の職員同士なので、ひたすら観光地を回る。ルート周辺には魅力的な林道や秘境があるのだが、全く寄る事はない。昭文社ツーリングマップをみると尾去沢鉱山跡、白神山地など魅力的な秘境が並んでいるが、ただ近くを通り過ぎて行く。 こんばんは、厚蔵です。現在、青森県日本海沿岸、不老不死温泉、21時半。社員旅行中、みな飲み疲れて、テレビ・県民ショーを見て盛り上がっている。今回は数百人の職員中、第5班・10数人の旅行だ。こういう機会でないと聞けない話が聞けるので、これはこれで貴重な機会だ。しかし温泉は本物で、ここはこれてよかった。
2009.07.09
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『 暗殺者は、十二人である。 いずれも札付きの狂信的な国粋攘夷主義者で、斬姦状に、「専ら洋風を模擬し、神州の国体を汚し、朝憲を蔑ろにし、浸々蛮夷の俗を醸成す」とある。 ただ、益次郎にとって不幸なことは、十二人のうち三人までは、自分の郷党の長州藩士であることであった。ほかに土州藩士五人、その他四人。それぞれ、逮捕された。』 「鬼謀の人」より 高杉晋作も同藩の過激攘夷主義者に追い回され、長州から脱出した時期があった。高杉晋作までがこの状態では、大村益次郎が襲われるのも無理はないが、時代の沸騰点ではなにが起こるかわからない。「俺が卑怯者かどうか見てみろ」と、部屋を飛び出すなり立ったまま切腹してしまう志士がいる時代。あまりにも多くの理不尽な流血があった。しかし、それだけのエネルギーがあったからこそ、幕府を突き崩す事も出来た。しかし同時に、その後、軍部の暴走の遠因にもなった、と司馬遼太郎は分析する。 こんばんは、厚蔵です。現在22時、今日は夜勤明け、仮眠後、友人宅へ行き、今帰ってきた。明日は社員旅行、朝8時出発で、青森県東津軽郡にある不老不死温泉へ行く。ここはなかなか予約が取れないそうだが、幹事ががんばった。 写真は昨日、夜勤・巡回中24時、月が中天にさしかかっている。勤務中でここから脱出できないだけに、よけい綺麗に見える。もう一枚は、熱帯魚・ベタ、昨日、夜勤前にホームセンターで見かけて、つい買ってしまった。ベタはじっとしているものだと思ったが、餌をくれと、人を見ると活発に動いている。小さい容器ではかわいそうなので、5000円ぐらいかけて、楽天で水槽や水草、水質調整剤を買い、数日中に届く予定。熱帯魚を飼うのは5年ぶりだ。 大村益次郎や高杉晋作も、同郷の長州藩士に追い回される時期があったわけだが、同じ郷土でありながらも、主義主張が時代とともに変化し、その中で、仲間割れがおこる。明治維新後もそれは続き、過激派に益次郎は暗殺される。この同じ思想の同志内でさえ、反目、相克しあう状態が、昭和の学生運動時代にも、内ゲバなど多数起こった。今の日本のノンポリ状態はその反動なのだろう。が、時代の閉塞感の中で異常犯罪が多発している。 などと、自分がごまめの歯ぎしりをしてもたかが知れているのだが、少なくとも、自分が関わろうと決めた友人、知人とは、連携し励ましあって行こうと思っている。どうしてもつきあう数は限られるが、そのために就職や企業情報などはなるべく集めるようにしている。 それでも、今までの歴史を遠望すると、なんとか、いい方向へ進むための、思想、行動への模索、苦闘が少しずつではあっても、出来ているのではないか。と、いい意味での楽観主義であり続けている。自分の場合、家の宗旨で、鎌倉時代以来の日蓮仏法を、それなりにではあるが信仰している。花巻の偉人・宮沢賢治も日蓮宗だった。晩年の司馬遼太郎も憤慨していたが、希望は無くさなかった。龍馬・路傍の死の覚悟を思いながら、仕事中や人と接するときは、太平楽な顔をしようと心がけている。自分なりの努力を続けながら。
2009.07.08
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去年12月、パソコンを買ったときに強制的に付いてきた光テレビ、月々3000円以上かかるが、2ヶ月は無料だというので、あまり見ないがほっておいていた。が、もうそろそろ無料期間が終わるので、解約するかどうか迷っていた。その際には、チューナーも返さなければならないので、2重に面倒だったりする。いよいよ7月になり、光テレビについてネットで詳しく調べた。月々、3000円以上払う価値があるかどうかだが、テレビプランよりもビデオプランのほうが、使えるようだった。見放題作品であれば、いつでも続きを好きな時間に見ることが出来る。こんばんは、厚蔵です。去年、新しいパソコンやらネットを光に変えたのやらで、パソコンを値引きしてもらったのはいいものの、光テレビをはじめ、おまけの様々なプランが今になって邪魔になってきた。無料期間が終わる以上、いつまでもNTTにつきあってはいられない。しかし、その中でも、光テレビは意外にも使えそうだ。古い映画もハイビジョンで放映されていたりする。逆に、いらないものはどんどん削除している。ドコモのフォーマ・データ端末料金プランも見直し、2500円ほど経費削減できそうだ。昨日、テレビプランからビデオプランに、端末上で変更し早速、1時間ほど見たのは、25年以上前に上映された「戦国自衛隊」、少し前にも新しい映画が上映されたが、自分は25年前の作品の方が好きだった。荒削りだが、面白い。千葉真一もまだ若く渾身の演技をしている。なにより上杉謙信が生き生きと描かれている。やはり当時の役者さんの演技は、合戦シーンなどでも迫力があるように思う。当時、小学生だった自分にとっては衝撃的な作品だった。今日も施設早番勤務がやっと16時に終わり、現在帰宅途中。夜中に様々な作業をして、「戦国自衛隊」なども見始めたものだから、睡眠時間が4時間ほどになってしまった、3日続けて、4時間程度の睡眠が続くと、疲れが蓄積してくる。それでも、NTTが現在、力を入れて展開している光テレビ、その放映内容もそうだが、システム自体にも興味があるので、もうしばらく継続して加入しているつもりだ。ビデオの方がゲームをやるよりは時間はかからないと思う。写真はその映画のワンシーンと、今日の豪雨、あわてて利用者の居室の窓を閉めて回った。しかし、汚かった車が一気にきれいになった。このブログもポメラで書いているが、仕事関係にせよ、プライベートにせよ、メモ感覚で一日に何十回と開いて使っている。パスワード保護していても、2秒で起動するので全く問題ない。カバンにいつも投げ込んでおくことになりそうだ。
2009.07.05
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『「おかしな顔をしていて、なんだか肝のわからぬ人だ。」と、同藩の門人にさえいわれたほどの男である。薩人はみな、 (愚弄するか)と、怒気をふくんだ。 西郷は、益次郎の態度に何かを察した。これ以上議論を続けても得るところは仲間割れだけだとみて散会し、自室で、益次郎の来るのを待った。 西郷というこの政治感覚の豊かな男は、この異相な長州人をわずからながも理解し始めていた。なにかのはずみで人の世にまぎれこんだとしか思えないほど、対人接触がまずい。たった一つ、兵を動かす天才だけを持ち合わせ、それだけを持ってにわかに風雲のなかにでてきた。 奇士である。もし奇士が天才とすれば、天が軍略家のいない薩長をあわれんでとくに降してくれた人物かもしれない、と思った。』 「人斬り以蔵」新潮文庫、鬼謀の人より こんにちは、厚蔵です。現在14時半、この文章はキングジム、ポメラで書いている。必要に迫られて今回買ってみた。写真はポメラ本体、何か会議録などの文章を書くだけの場合、ノートパソコンは重く、ネットブックでも重い。必要でないかぎりは家に置いてある状態だ。が、このポメラだと小さく、370グラムだという。これだと、鞄の中に放り込んでおける。バイクでどこかへ行ったときにも使える。使い勝手はいたってよく、ネット上の評判もすこぶるいい。 文庫「人斬り以蔵」を読み進んでいる。司馬遼太郎の初期作品なので、読者サービスは旺盛だ。男女間も自由自在に詳細に描く。夫婦というのはこうでなきゃいけないな、と読者を納得させてくれる。同時に女の恐ろしさも描き出している。その中でも大村益次郎の小編、「鬼謀の人」は初期作品なだけに遠慮会釈なく、その真実を描いている。その後の長編、「花神」上中下はその真実に詩をふんだんに取り入れているような感じがする。
2009.07.04
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司馬遼太郎文庫の中で「人斬り以蔵」という短編集がある。3日間の旅行の中でまた再購入したが、「鬼謀の人」という小編はまた熟読してしまった。長州藩・軍師、大村益次郎こと村田蔵六を描いた作品だが、長編「花神」の源流にあたる小説になる。「花神」でも語られなかったエピソードがちりばめられている。蘭学者として幕府や宇和島藩に早くから見出されながら、地元の長州藩からは見落とされていた原因が語られる。一つには「交際ぎらい」があった。また、なぜ医学者から軍学者になったかについては、緒方洪庵の適塾でその軍学の才を見出されたというのがある。 こんばんは、厚蔵です。現在22時、4日間の休暇の最終日、なんとかバッファロー無線ランの不具合を安定させる事に成功した。そのあと、さすがに少し勉強しようと思ったが、友人に誘われ、夕方から3時間ほど飲み会になった。村田蔵六ではないが、自分も人付き合いはそんなにマメではないが、それでも、今日は行った方がいいだろうという判断は出来る。おかげでパソコン検定などの勉強はなかなか進まないのだが、その分、施設勤務後に頑張る事にする。とても蔵六の学問への姿勢には遠く及ばない。いやいやバランス感覚が大事なんだと自分に言い聞かせた。 友人の娘は久しぶりのお出か掛けという事もあって、本当にうれしそうだった。自分なども、5歳児ながら、ELT・持田香織の少女時代に似ているな、などと、つい好きなの頼んでいいよ、と言ってしまっている。1700円のパフェは思いのほか大きく、みんな驚いた。仕事のことなど、あーでもない、こーでもないといつもながらの話なのだが、大事な時間だったりする。
2009.07.01
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早池峰山麓・タイマグラ地域、ここはまさに外界から隔絶していた。タイマグラとはアイヌ語で「森の奥へと続く道」の意味だそうだが、電気が通ったのが1988年、日本で最後だった。最後の秘境といってもいい場所だ。峠付近のかなりの部分がすれ違い出来ない国道から、10数キロ山へ向かうのだが、全くの一車線道路で車のすれ違いがギリギリでしか出来ない。さらにある地点から早池峰山の登山口までは一般車が規制される。どうしても一度は行ってみたい場所だったが、ここまで不便だとは思わなかった。次回はバイクで来るしかない。有名な登山スポットだが、周辺道路の整備状況は厳しい。だからこそ自然が残っている。こんばんは、厚蔵です。現在22時。3日間の旅が終わった。東北の首都・仙台市から日本一辺鄙な場所、早池峰山・タイマグラ地域へ。北緯40度の三陸・黒崎断崖もまさに辺境だった。今日は午前中はあいにくの雨、午後も不安定な天気だったが、一度はまず行ってみたいと思っていた場所はかなり回ることが出来た。宮古市の魚菜市場は、ここは活気があった。観光産直というより地元の人も訪れる場所なので、たしかに新鮮で安かった。お土産に生ウニ瓶詰め150グラムが1500円だった。寿司店用のウニなのでこれは家族も喜んでいた。季節限定の海産物なので、これだけはおさえた。しかし、昨日、宮古市内を一方通行を逆走して交通違反2点という事態になった。これは自分のカーナビが8年前のもので、市内の規制がかかったのが5年前だという。しかも7時から20時までの規制だ。ナビを信じていたので規制の標識を見落としていた。ちょうど差し掛かったパトカーに御用となったが、なんちゃって法学部の知識で警官に情状酌量を求めたが、当然無駄だった。恐ろしいことに現在の宮古市内は一方通行の網の目のようになっている。ネット上でも宮古市の一方通行批判の記事が目に付く。バイクで行ったら更に間違えやすいかもしれない。規制から半年ぐらいは猶予期間があるが、それ以外は知らなかったでは済まされない、というのは授業で習った記憶がある。自慢ではないが一度捕まった違反項目では二度と捕まらない自信をもっているが、このナビが間違っていた、というのは全く想定外だった。前回の点数と合わせると4点・・。土俵際になってきたが、これからは捕まらない。今まで20年間、バイク、車でけっこう走り回っている。違反が少ないというか捕まらないようにしているので、前回の免許は5年更新になっていたが、次回はまた3年更新になる。というので大都会、辺境の地、難所悪所、更には捕まったりと、たった3日間でも様々な旅が出来た。同時にある程度、目標を決めて行ったので、それぞれじっくり見ることが出来た。
2009.06.30
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朝6時半に奥州を出て、岩手県・北部沿岸、北緯40度を目指した。今日の走行距離は300キロに達した。仙台までは100キロぐらいだから3倍は走った事になる。天気も梅雨時で不安定なのでインテグラでやってきた。走行距離があるので、目的地は絞った。この普代村、黒崎、北山崎は陸中海岸の中でも特にリアス式海岸の断崖が続く。山が直接海に落ち込んでしまっている。海のアルプスというが、絵葉書のような絶景だ。自分も岩手県人でありながら、今までに3回しか来たことがない。とにかく道が曲がりくねっていて、遠い。 こんばんは、厚蔵です。現在18時半、単独行の旅が続く。明日は盛岡の友人の都合がつくそうなので昼食を一緒にとる予定。今回はただただ走ることに徹した。かつての営業時代は会社経費で月4000キロ近く走っていたが、今は、そんなには走れなくなってしまった。その分、今回は走ることにした。奥州からここまで来ると、風景も人も変化していくのがわかる。昨日の宮城県仙台市から比べると、なにもかもが隔絶している。ここまで来ると、まさに辺境の地、という感じがする。 6月で平日ということもあって、観光地とはいってもほとんど人がいない。しかしたまに見かけたナンバーが山梨県だったりして、本当に好きな人間がこの地を訪れている感じがした。キャンプ場一つとっても、有名な場所だけあってよく整備されている。このキャンプ場を確認できただけでも成果があった。ここを拠点に、周辺を回ることが出来る。
2009.06.29
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本好きアウトドア好きの数少ない友達と仙台であってきた。親戚の用事をすませ、約束の喫茶店へ行った。ひとしきり、前にあげた「天使と悪魔」上中下(ダン・ブラウン著)の話をした後、「週刊・司馬遼太郎」の話になった。先日出たばかりの5巻を見せると、しばらく読んでいた。今回の題材は「最後の将軍」(徳川慶喜伝)、播磨灘物語(黒田官兵衛伝)等で、またまた面白い。あまりにも絶賛するので、結局、またあげる事になった。まだ半分しか読んでいないので、自分の分は買うことにする。 こんばんは、厚蔵です。現在、24時。4連休の初日、東北の首都・仙台へ向かった。親戚関係、友人などもいるので、仕事の出張とも合わせると、月に2回ぐらい来ている。 写真の本好きの女友達は、2001年からのつきあいだが、会っても、話もそこそこにお互い持ち寄った本の読書会になってしまう事がある。しかし同時にアウトドアの趣味も合うので、貴重な存在だ。時々会う、読後の感想をメールでやり取りする。というような関係だが、大事にしている。彼女は司馬作品も数多く読んでいるので、話を聞いていても面白い。なにより、話したければ話す。読みたければお互い読む。という肩がこらない関係がいい。 明日は盛岡の友人に会った後、どこか辺境の地へ向かう予定。
2009.06.29
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写真は奥州市内・北上川某河畔、先日、なかなか休みが無いので、施設早番勤務後、散歩に出た。この時期、いい季節なのだが、とにかく虫が多くなる。川原なんぞに夕方行ったら、蚊に刺されまくってしまう。ということで、いつものワンタッチテントを持参して行った。けっこう蚊が出ているが、テントのメッシュのおかげで虫は防いでいる。しばし横になって野鳥や虫の音を聞いていた。しかし夕暮れ時、こんな所で寝ていると、アフリカ・シエラレオネかなんかでの、ゲリラ戦最中の傭兵のような感覚にもなる。おはようございます。厚蔵です。現在午前10時、今日はやっと施設は休み。テントで横になって考えていたのは、2001年の飲料メーカー営業時代の事だった。全国組織だったが、中堅メーカーなので、とにかく忙しかった。給与は固定給だったが、売上ノルマが高く、これはなんとしてもクリアしなければならなかった。年間1億円は売っていた。写真はその2トントラックの運転席、350日ぐらい乗っていたので、ほとんど家のようになっていた。自分のいた奥州の支店は、気のいい人間が多く、今でも何人かは付き合いがあるが、仕事はきつかった。まさに企業の傭兵だった。ただ、売上さえいけばあまりうるさくない、という面もあって、仕事がてら、トラックで沿岸・釜石市などに行って、ご当地海産物を食べて帰ってきたり、という役得もあった。しかし、実質の休みはほとんど無い状態で、睡眠時間も削って仕事という日も続いていた。しかし、この時の限界生活はいい訓練になった。あの時代よりまし、という判断が出来る。今の給料はその時代の3割減だが、その分、友人との時間、自分の時間を作れるようになった。おかげで施設勤務後、かなり疲れてはいても、あの頃はまだまだ仕事だったなどと思いながら、友人とどこかへ行ったり、自分の勉強をしたりと、仕事が終わってからでも、自分の作業に取り組めるようになった。今日から4日間はなぜか施設は休みになる。これは施設初の試みでリフレッシュ休暇、という制度が始まり、今月は自分の割り当てになった。せっかくなので、これから宮城県・仙台へ行き、その後、北上して岩手山へ向かう予定。数日は旅に出ます。
2009.06.28
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自分などは普通に思っているが、やはり常識で考えると、歴史上、名を残す人間はすごい変わり者、田舎者が多い。学問一つにしても、司馬遼太郎作品「花神」主人公、大村益次郎のその集中力はすさまじい。それ以外は些事だとばかりに、人間関係ですらばっさりと切り捨てる。そのため学問的には大成したが、同時に暗殺もされてしまった。あの座談の名人、勝海舟も、軽妙な性格とは裏腹に、その剣術の腕前もさることながら、青年時代、蘭学で貧窮から脱しようとしていた。蘭学辞書「ズーフハルマ」を2部書写して、一部は売って生活費に当てた、とうのは有名なエピソードだ。辞書といっても大部で、膨大な書写量だ。こんにちは、厚蔵です。現在11時半、なんでこんな事を書いているか、というと、約束していた友人にはふられ、午後は100パーセント雨が降る、というので自宅での作業になってしまった。月末には旅行が控えているので、おとなしくパソコン検定の勉強でもしようかと思っている。やり始めると、エクセルの関数なども面白いには面白いのだが、それでも、歴史上の人物を引き合いにでも出さなければ、なかなか弾みがつかない。勝海舟も、学問は田舎者に限る、都会人にはこんな地味な作業は出来まい、とある師匠に入門を断られたが、最後には粘り勝ちで入門した。地味に勉強などをしていると、いつもこのセリフを思い出す。いかにも、自分は田舎者だが、なおかつ、なかなか根気も無い。しかし、都会人よりは明らかに田舎者で、変わり者だという自負はある、などと、思いながら机に向かっている。そういう意味では、司馬遼太郎に出てくる人物たちは田舎者・変わり者としても突出した存在だ、という事に気づく。自分の書庫には、そういう人物ばかりが並んでいる。写真は、友人の結婚式2次会と奥州、某ロックフィルダム、大勢の友人との付き合いも大事だが、なかなか仲間のいないアウトドアの時間も大事だったりする。このテントは、スクリーンテントで、四方がメッシュに囲まれている。炎天下に張っても涼しく、夕方になっても虫を防ぐ。なによりメッシュな分、広さのわりに重量が驚くほど軽い。
2009.06.22
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種山高原のキャンプ場に来ている。ちょうど奥州と住田町の境、北上山地の峠の頂上にあたる。現在12時半、午前9時に家を出てきた。親戚家族と一緒に来たので、テントは3張、テント村みたいになっている。皆、昼寝中。昨日思い立ってやってきたので、装備は最小限でやってきた。ガスコンロでコーヒーやスープは作れる。周辺は宮沢賢治ゆかりの場所が多く、風の又三郎の碑などがたっている。こんにちは、厚蔵です。時々沿岸に行くときに通る種山高原だが、このキャンプ場まではなかなか来ない。たまにこうして来てみると一望の高原で、平野は炎暑だが、ここは涼しい。昨日は22時まで勤務、あすも朝5時起床で仕事だが、ここで話をしたり本を読んだり昼寝をしたりしてるだけで、また元気が回復してくる。従兄弟と話していても、某電気メーカーで設計をしているが、残業代も無くなり給料が極端な話、半分になったという。などと話をしていても、高原の風に吹かれる中で気が晴れてきたようだ。ただ何をするわけでもなく横になって空を眺めている。
2009.06.12
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