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テレビ朝日のHPをうろうろしていたら偶然みつけた。テレビ朝日「時効警察」公式 http://www.tv-asahi.co.jp/jikou/ 昨年年頭開始の第一回目から褒めまくっていたドラマだけにとてもうれしいです。はたして「靴下さん」などのウラキャラの再登場はあるのか。されと一番気になるのは霧山(オダギリジョー)と三日月(麻生久美子)の恋愛がどのようになっているかだろう。あるいはもっと気になるのはこれかな。テレビ朝日も「オ〇ラの泉」とか「超常現象」みたいな番組なんてやめてさぁ、こういうドラマ作りに専念してくれないかな、なんてね。
2007年01月31日
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監督・コーチの顔ぶれに関してはこれでいいのだと思う。というよりも残り時間を考えた場合、これ以上いくら議論をしたとしても誰も星野監督以外の名前を言い出す人はもういないのだろうと思う。もちろんここでも改めて書いてはおくが、自分は星野監督案に対しては必ずも賛成ではない。このことに関してはいろいろと書くことはあった。(というか別のところで散々書き尽くした)良かったと思っているのは、前回アテネの経験者である大野コーチを再登用・継続登用したということぐらいである。実はこれが今回の日本の一番の強みではないかと思う。ピッチャーに関してだが、どういう投手を選べばいいのか(逆に言えばどういう投手は外さなければならないか)ということを一番良く知っている人間がコーチにいるということは、時間におわれる代表チーム作りにおいて非常に重要になってくるからだ。以前大野がテレビの野球中継の解説で「クセの少ないピッチャーを作るのは非常に難しいけれど、多少クセがあってもそんなことを気にしないで大胆に打者に向かってゆけるピッチャーはすぐにでも育てられる」みたいなことを言っていてなるほどと思ったことがある。我が楽天にはそういう投手が(一場とか有銘とか朝井とか)数多くいるような気がしていたからだ。これから、守備や走塁に関してはさらに専門のコーチの選出されたりチームとしての形づくりは始まったばかりなのだろうが、なんにしてもスコアラー部門の早い時期の組織化とその永続化だけはなんとかしてもらいたいと思っている。いつまでもJBAの発足を待っているよりも、プロ野球機構で先に勝手にそういう部門を立ち上げるという方法もあるはずだ。次期WBCは意外にももうすぐ始まろうとしているし、IBFというところが主催している野球版のワールドカップというのもあるのだし。(了)※1の中の記事のコメントですが、各新聞・ネット記事でかなり各氏の発言にばらつきがあったのが気になったので、動画を見ながらわかりやすいように再構成しました。一番整理されていてわかりやすかった共同通信社のものをベースにしていますが、省略されていた部分、カッコの中はかなり私の主観で補っています。※ 散々書き尽くした、というのはもちろん「星野監督」では短期決戦は勝ち抜けない(日本シリーズで優勝経験がない)ということと、「では代わりに誰を監督に?」と訊かれた場合の、明解な対案は自分もないということだ。「若松勉」「権藤博」「広岡達郎」「森祇晶」「東尾修」この誰かの方が星野(監督)よりははるかに実績もあるしトーナメントはともかくとしても短期決戦の勝率は上なのである。
2007年01月31日
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自分もかつてあるマスコミ関係者(当時ある出版社の社員だった人)にその「JBA(日本野球協会)が出来ない」理由を聞いたことがあるのだが、伝聞になるが、ある文部省の人の言い分では「日本プロ野球機構(NPB)とアマチュア野球の各組織(高野連が中心になっているが、学生野球・社会人野球も独立した組織をもっている)がばらばらで、いまだにそのイニシアティヴ争いをやっている最中」だからなのだそうだ。でその同じ人(いつのまにか独立してフリーのスボーツライターになっていた)が最近語ったのを又聞きしたのだが「一時発言力が弱まっていた学生野球連盟が斎藤佑樹投手の早稲田大学入りで人気回復の傾向が見え出したために再び強気に成り出している。」とのこと。中森明菜じゃないが「いい加減にして」だな。たったひとりの人気選手の動向でどうなることではないはずなのだが。本来は。もちろん、アマ野球側の「五輪はもともとアマ野球選手のためのもの」という言い分には理解はあるつもりだが。しかし、「現状のアマチュア野球のレベルではアジアでも勝てない」と助け船を求めたのはそもそもはアマ側のはずだ。この五輪というチャンスをものにして、その人気を足がかりにして再び六大学を中心にした大学野球人気を回復させたいという目論見はわからぬこともない。しかしそれが日本の野球の実力を停滞させる原因になっているのだとすれば、ここは黙ってプロ側に追随するくらいの立場は貫いてほしいと思う。おそらくは星野監督の「アマの選手は呼ばない」という発言しその裏があってのものなのだと直感した。要は今回はプロに任せろということだと思うのだが。深読みですかね。
2007年01月31日
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2008年北京オリンピック出場を目指す日本代表チームの監督に正式に就任した星野仙一 阪神タイガースSD は、昨日(1月29日)都内のホテルで就任が決った三氏コーチと共に記者会見に臨んで「日本のプロ野球を盛り上げなければならないという使命感で選ばせてもらった」と述べた。コーチに就任した三氏もそれぞれ抱負を語った。ヘッド兼打撃コーチ 田淵幸一氏(元ダイエー・ホークス監督)「(代表のコーチ就任は)大変光栄なことだと感じている。星野監督からは「つなげる野球をするチームを作りたい」という主旨を聞いている。(オリンピックは、トーナメントもあり)短期決戦なので足の速いスペシャリストを優先的に選びたいと思っている。選手の個々の実力も大切だが、情報が一番大切。五輪経験者と会って必勝法を聞き出しこのドリームチームで金メダルを目指す。」守備走塁コーチ 山本浩二氏(前広島カープ監督)「光栄です。武者震いがしてきた。この年で(笑)。やはり勝負する気持ちが徐々にわいてきたってことじゃないか。星野監督(から)は、投手を中心とした守りのチーム、攻撃も足を使った野球になる(と聞いているので)、(守備・走塁コーチの)責任は重い。日本の野球の理想の形だと思うのでそのふたつをうまくかみ合わせて勝利にむけてサボートしたい。」投手コーチ 大野豊氏(元広島カープコーチ)「とにかく、しっかり三人(星野・田淵・山本)の中に入っていきたい。僕だけが唯一前回(04年アテネ五輪)経験しているので(三人にひけめを感じずに物が言える)強みがある。あのときは期待されながらも銅に終わったという悔しい気持ち、使命を果たせなかったという気持ちが今でもあるので、もう一度チャンスを頂いたことを感謝していますし、光栄に思っている。今度は絶対に金メダルを取る。」星野監督「同級生の田淵、山本と三人で戦って見たいというのが若いころからの夢だった。3本の矢じゃないが、4本の矢となりチームを作っていきたい。仲良し軍団じゃない。それじゃ勝てない。こうして(4人)一緒に記者発表に臨んで、徐々にモチベーションがあがってきた。(共同通信社配信の記事より。かなり加筆してます。理由は後述します)――――――――――――――――――――――――――――――実のところを言うと、ちょっと先行きは怪しいのではないかという危惧感を抱いている。日本の北京オリンピック出場がである。なにがかというと、いわゆる「スコアラー」による情報収集がずいぶんと遅れているような気がしているからだ。改めて驚かされたのだが、日本代表チームはこれからアジア各国の選手の情報を集めるのだそうだ。遅い。相変らずだが。舐めすぎではないのか。「ひょっとして一種の陽動作戦かな」と考えてもみたのだが、その29日の田淵コーチの顔や、「台湾の中心選手が実はアメリカにいるので・・・」と前前日語った星野監督の顔をみた限りでは本当に、本気でこれからのようだ。これが野球の日本代表のいつもながらの欠点である。常に連続して「日本代表チーム」で戦うという意識も組織作りもされていない日本の野球の現状というやつか。韓国にしても台湾にしてもそして今回は中国もすでに国家的な野球組織が活動を開始して当然のことながら日本の代表選手の分析に入っているというのにだ。ずっとずっと言いつづけていることだが、野球に関していうのであれば、サッカーにおけるJFAのようなものが日本にはない。それがネックなのだと思う。
2007年01月30日
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(98以降だが)マイクロソフトの新しいOSが発売されるたびにいろんな人から「どうなの?」と聞かれてきた。00年に出た後継OSがアレだったもので結果的に自分あとでみんなに褒められましたけどね。流石にXPのとき(01)にはチラホラ。皆、自分がどんな答えをしてくるかがもうわかったからでしょう。なんかそういうことをHPで書いたような気がする。「2年前のコピペをしてそのまんまをここで貼り付けただけで事足りる」とかなんとか。今日、今現在vistaに関するそういう質問のメールや問い合わせはゼロである。それは正しい。今自分がvistaに関して質問されても大したことはいえなくなっている。想念的なことばかりだ。触った実績もないし(笑)ただ、「どうなのだろうか」と思う部分はあることはある。確証がないだけだ。「上乗せ」に関してだが。過去、MSがリリースしてコメントと、実情の乖離という実績からである。95の時、最低でもメモリーは8M積めといいながらも、上乗せに関しては8Mではまったく使い物にならなかったし、(あのころ日本ではDOSとNECPC98が共存しているという不思議な時代だったということもある)、98の時には「64M以上が必須条件」だったが、やはり上乗せに関しては64Mでも足りなくなることはものすごく多かった。USBが標準装備になり、デジカメの普及期と重なっていたからだ。vistaの必要メモリーは1GB、だそうである。1Gが1024MBという意味ならば、おそらくSD-RAMなんかじゃ絶対においつかないだろうし、過去の実績からすれば、上乗せ(正しくは載せ変えだな)に関してはその上、つまり2GBは必要になるのではないかと勝手に推測している。今度の「障壁」は本格的なブロードバンド時代の突入であろうか。がしかしMSの目指している方向性そのものは決して間違っているとは思ってはいない。(PCのOSに限定しての話だが)NT→2000の流れをぶった切るような蛮行だという批判は耳にするし、まあそれも頷けなくもないのだが。いわゆる下位互換性を、ここに来てすっぱりと切ったOSを商品化したことだが。とはいえいきなり周辺機器が使えなくなったり、動かないアプリが続出するのは嫌だし、これから自作の壁がめいっぱい高くなってしまうであろうというのは返す返すも残念なことである。「代償」という言葉を使うのはおかしいのだが、せめて98SEまでは無料での仕様公開するとかしてほしいのだが。無理か。こんなところです。
2007年01月30日
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友だちやブログ仲間・昔の仕事仲間からは、「あなたはPCに関することはブログには書かないほうがいい」とたしなめられる。いや、別に嘘・間違いが多いからとかそういうことではなく、敵を作るだけだからということなのだが。それでも書かなきゃいけないなと思うときには書く。あとで後悔するよりはましだからだ。いやそれでマック(AppleComputer)のテレビCMなのだが、ちょっと最近アレを見ていると妙な不飽和感が胸につかえるようになった。いや、別に「商品」としてのMACの優秀性をアピールして、比較して揶揄するのであればかまわないとは思うのだが。最近の新しいバージョンでだが、OSX(オーエステン)がどうとか言っているのを見ると正直「?」てな気分になるのである。あたりまえの話だが、「OSXが優秀であると」胸を張って比較できる相手は、実は同じMACのOS9以下の古いバージョンでしかないわけで、揶揄している相手が古い昔からのMACユーザーに見えて来るからだ。実際、ついこのあいだまで(いや、もう10年も前か)フリーズだとか再起動なんていうのはむしろMACのお家芸だったわけで。そういう自分の中にある尾てい骨というか盲腸のような個所がうずいてきてしまうのである。じゃそんなにOSXが「良いOS」かというとそうでもないような気がする。前の前にいた会社の同僚で、現在デザインの会社に転職した人間が「いまでも使っていてドキドキする」と言っていたのを思い出して言うのだが。「落ちるOS、再起動が頻繁に必要になるOSが悪いOS」だというのであれば、比較する相手、される相手が間違っている。それとも、このCMを横長バージョンでみると、向かって右端に実はペンギンがいて、男の言っていることをせせら笑いながら聞いているというオチでもあるのだろうか?週刊アスキーで唐沢なをきが書いてそうなオチだけど。ラーメンズ公式HPhttp://www.rahmens.net/
2007年01月30日
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【スタッフ】監督・脚本:石井克人/プロデューサー:滝田和人・和田倉和利 【キャスト】坂野真弥/佐藤貴広/浅野忠信/手塚理美/我修院達也/土屋アンナ/中嶋朋子/三浦友和/轟木一騎/寺島進/武田真治/和久井映見(ナレーション)/他【ストーリー】栃木の山間に住む高校生 春野ハジメは片思いだった美少女の転校に打ちひしがれていた。しかも蕎麦屋とコンビニで偶然見かけた光景が原因で女性不信気味である。しかしそんなハジメの前に東京から転校してきたアオイが現れる。ハジメは一目で恋に落ちる。ハジメの妹 幸子はときどき現われる巨大な自分の分身に困惑している。ふたりの母 美子はアニメーターに復帰しようと奮闘中である。自宅には伝説のアニメーターとして一時代を築いた義父のアキラが同居しており、美子にあれこれとアドバイスをしてくれるのが大きな力添えになっている。美子の夫 ノブオは、そんな美子の現場復帰を素直に喜んでいない。レコーディングミキサーをしている美子の弟アヤノはふらりと実家に戻って来た。実はアヤノは、昔の恋人が結婚したという話を耳にして、彼女に会うべきどうかを悩んでいた。ノブオの弟で漫画家の一騎はアシスタントの人妻に対する思いが昂じて仕事に行き詰まっていた。ある日、アヤノはハジメに向かって自分の小学校時代の思い出話を語って聞かせる。そばにはじっと聞き耳を立てている幸子がいる。 (143分 2004/07公開)最初から最後まで登場人物全員がやたらお茶ばかり飲んでいるという映画。タイトルに偽りなし、というやつか。よく出来た映画だと思う。なにげない日常の中にもさまざまなドラマが実は生まれてそして消えてゆくということを静かな目で見つめた映画であった。好きなのだ、自分はこういう映画は。冗談でもなんでもなく、小津安二郎の継承ともいえるし、後期のベルイマンの作風をも連想させてくれた。「鮫肌男・・・」、「パーティー7」といった喧騒とめまぐるしいストーリーとは対極の位地にある映画。どうせなら一緒にお茶を飲みながら見るのも一興かと。春の季節に起きる、平凡な家族の上に起きる出来事を、こどもふたりをメインに据えて、その心象風景を交えて描いている。「心象風景」は石井流というかとんでもない。額から列車が飛びだしてきたり(エルンストか!?)巨大化した幸子のドッペルゲンガー(分身)が退屈そうな顔で校舎に腰掛けてあくびをしたり教室を覗き込んでいたりする。このシーンが秀逸。何度見てもおかしい。微妙な合成感がくすぐる。この映画の下敷きは先述したが小津安二郎の「東京物語」であり「鰯の味」といった映画である。誰かが「超日常的映画作品」といっていたが、まさにそれだ。今回DVDで見直ししてみたのだが、ずいぶんと豪華な俳優陣であることに気付かされた。冒頭、転校していった片思いの美少女というの相武紗季であるし、さらに「デス・ノート」で人気急上昇中の松山ケンイチ、「半落ち」の高橋一生が地味なちいさな役で出ている。なんだこの無駄な豪華さは(笑)。ものすごい先物買いだな。改めて感心してしまった。自分的にはこのようにかなり好感度の高い映画なのだが、当時いろいろな人に薦めてみたのだが、その見た人達の評価はあまり高くはなかった。その原因を考えて見たのだが、結論からいうと、おそらくはボイストラックの音量レベルの低さにあるのではないだろうか、という結論を得た。アフレコ一切なしで撮影されていること自体はかまわないのだが。浅野忠信の語る、ウンコを頭に乗せた男のエピソードはそのあと全体のストーリーに対して大きな意味を持つ大事な大事な個所なのだが肝心の浅野のボソボソという不明瞭な囁きがその意味を判らなくさせてしまっている。うむ、リアリティはあって好きなんだが、浅野のセリフ回しは。DVDにしたさい、こういう映画こそ日本語の字幕が必要なはずなのだが何故か英語の字幕しか同梱されていない。確かに、英語の字幕はかなりこなれている。難しい構文もないので日本人でも「読める」という人も多いはずだ。ひょっとすると、カンヌ映画祭で好評だったというのも、この字幕が良かったせいではないだろうか。でも日本人なのに日本の映画を字幕なしに見るとキツイというのは皮肉なものだな。だから、まだ未見の方には、なるべく大きな音量か高音をめいっぱい上げて見ることをお勧めします。それが出来ないのならせめてヘッドフォンを使うとかがいいでしょう。この映画が訴えているもの、というか自分が受け取ったもの、そのひとつは子供時代に誰しもが必ずは陥ったはずの漠然とした「不安感」である。成長するにつれそういう「漠然とした不安」は消え去るがかわりに、具体的な形をとった現実という軋轢と向かい合わなければならなくなる。幸子の目に写るその幻はその最後の砦みたいなものだ。幸子を演じているのは当時6才だった坂野真弥(ばんのまや)。宮城・仙台地区限定の情報になるが「七十七銀行」のテレビCMにも出ていたので御記憶の方も多いであろう。アップに耐えられる顔つきをしていて堂々たる主演ぶりである。カンヌでも彼女の演技に対する賞賛は多かったという。「誰も知らない」の柳楽由哉のアフターヒートと言えるのかもしれないが。いやでも確かに坂野真弥なしにこの映画は成立しなかったであろう。子供時代に陥る漠然とした不安というものを見事に体現している。こういう役は大人にはなかなか出来るものではない。(あたりまえだな。何言ってんだ俺。)そしてその幸子の抱えた不安を一番理解していたのは同居していた祖父であり、それは何故かというと、年寄りと子供は実は紙一重で同じ場所、同じ世界の住人であるからだということか。その祖父が残したパラパラ漫画風の連作の絵画の中に込められているのはそういう世界から見た「光景」ということなのではないか。幸子がテレビの「しばらくこのままお待ちください」のテロップをじっと見つめているシーンがあったし、おじいの描いたパラパラスケッチにもひまわりが書き添えてあった。そのひまわりには「顔」がある。それで思い出したのだが、自分も、子供の頃見ていた(本物の)月には顔があった。それが大人になるにつれいつのまにか消えてしまっていた。そこのあなた、笑ってはいけない。子供にとっての「リアリティ」とはそういうものなのだ。皆そんなことなんかを忘れてしまうだけなのだ。※この記事、アップするのをすっかり忘れていました。原稿というか下書きが残っていたので改稿してアップしました。2007.01.29
2007年01月29日
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【スタッフ】監督・脚本:石井克人/三木俊一郎/ANIKI 【キャスト】寺島進/浅野忠信/アンドリュー・アルフィエリ/池脇千鶴/吹石一恵/尾野真千子/加瀬亮/西門えりか/轟木一騎/三木俊一郎/高橋マリ子/菊地凛子/伴杏里/貫地谷しほり/夏帆/坂野真弥/庵野秀明/佐藤貴広/森山開次/他【ストーリー】<A面> 1;もてない三兄弟の長兄で高校教師の勝一(寺島)はモテるためにと踊りに命を賭けているが煮詰まり気味、ふたりの弟にやつあたりばかりしている。勝一は気分転換にと出掛けた温泉旅行先でやたら騒々しいイチコ・ニコ・ミーコ(池脇・吹石・尾野)の三人娘と知り合う。合コンピクニックに誘う勝一に快く承諾したニコ(吹石)だったが・・・。 2:勝一と同じ高校の同僚で美大子卒の英語教師ノリフミ(加瀬)は教え子だったノッチ(西門えりか)と付き合っているのだが、なかなか進展しない。彼はどうやらこどものころ宇宙人と遭遇してさらわれたらしい。しかしその記憶は消されているようだ。時折見る夢にそのときの光景が現れる。しかしピコリコ星人をはじめとする宇宙人たちの地球へのコンタクトすでに静かに始まっていた。勝一が受け持ちのクラスにはそういう宇宙人たちがごく普通の高校生として机を並べている。<B面> 3:もてない三兄弟の二男(浅野)はフリーの編集者や勝一たちの高校でテニスのコーチをしている。彼を悩ませているのは、担当しているアニメ作品の監督が犬だということと、その犬監督の通訳の頭の大きさであった。テニスのコーチ中、教え子の脇の下に吸血虫が張り付いてしまい取れなくなるという事故が起こる・・・4;ノリフミと交際しているノッチもまた不思議な夢を見ることがある。深い森の中で巨木にもたれながらバイオリンを弾いているという夢だ。あるとき夢の中に三人組宇宙人女性バンド「ボリューム」が現れる。彼女たちはノッチの奏でるバイオリンの音に自分好みのさまざまな音を付け加えはじめた・・・。森に彼女達によるコラボナンバーが鳴り響く・・・。(150分 2006/03) 楽天ブログ「フッキーブログ」の再開も待ち遠しいわれらが吹石一恵、桃色吐息は歌わない方の高橋マリ子、三井のリハウスやキャノンプリンターのCMでおなじみの夏帆、映画「スイングガールズ」、ドラマ「大奥」、NHK大河ドラマで一躍脚光を浴び出ている若手実力派女優 貫地谷しほり、「茶の味」主演の天才子役 坂野真弥、ハリウッド映画「バベル」でアカデミー助演女優賞ノミネートで注目を集めている菊地凛子 etc と、なんとなく出演している女優の面子だけでも見たくなる「映画」である。特に自分としては予告編にあった「奈良三姉妹」(註1)と勝手に名付けた池脇・吹石・尾野の、掛け合い漫才のようなシーンばかりを期待していた。一応ストーリーらしきものもあることはあるのだが、なんというのかのっけからどうでもいいようなコント仕立てで始まり、シュールというかナンセンスというのか批評のしようのない短いエピソード約20編で構成されている。40代以上にしか通じない表現になってしまうが、この「映画」を一言でいうならば「ゲバゲバ150分」(註2)である。巨泉・前武で90分ならば、「石井・三木・ANIKI」で150分、という配分か。5分づつ長いが。正式なタイトルは「ナイスの森」The First Contact(2004)であった。去年の映画なんだけど(笑)つっこみどころはまずこのタイトルだ。長いスパンで、歴史的捏造でも図っているのだろうか?というか、もうこの映画に関しては、どうにもこうにも奨める言葉すら見当たらない。駄作だとか失敗作とかではない。「わかる奴だけが判ればそれでいいのだ」という開き直りから出発し、細切れのPVに後付けでゆるいストーリーをくっつけた「映像と音楽のオムニバス」のようなものだ。とにかく、これをもし「映画」として批評・批判すると恥をかくのは目に見えている。この「映画」を劇場で見せられたらそれはむしろ拷問に近い。夜中にひとりでヘッドホンで大きな音で、ポテチを食べながら、というのが「正しい見方」だろうな。本来ここで取り上げるような「映画」でもないしそんな気も起きなかったに違いない。もしもなにもなかったら、であるが。ところが、去秋、友人から借りたおすすめCDの中にこの映画のサントラ盤が入っていて、これが実に聞いていて気持ちがいいのである。特に「ノッチの夢~NOTTI'S DREAM#1/NOTTI'S DREAM#2」のアシッドトランスの2曲と、エンディングテーマの「東京ブギウギ娘」、これが実にいい。最近、この「ノッチの夢」という曲を作曲(一部)してバイオリンを弾いているのがノッチを演じている西門えりか自身であることを知った。とんでもない才能の持主だな。映画を見たときは、コスプレでレザースーツを着たり、森の精を演じているハーフのモデル上がりの子、ぐらいにか思っていなかったのだが。己の不明を恥じるのみである。その、今アカデミー賞ノミネートで話題の菊池凛子の出番はあまり多くない。勝一のクラスの委員長という役どころ。「茶の味」とほとんど同じだがこっちの方が長いというだけ。この勝一のクラスの面子が普通でない。とにかくおかしい。9才の宇宙人と50才のアニメーターがまん前に並んで座っていたりするのだ。で、さて、自分がこのサントラを愛聴しているとかそんな噂を聞きつけたのかは定かではないが、五反田時代からの知り合いから、この「ナイスの森」の中古DVD(註3)を格安価格で買わないかというメールが来たのである。少しだけ悩んで「買う」と答えてしまった。この「ノッチの夢」のパートと、メイキング、そしてエンディングの「東京ブギウギ娘」のPVがあるのなら割が合うかな、という妥協できるギリギリの線の価格である。普通の映画好きというだけならばほとんどの人が買ったことを後悔するであろう。というか、もし自分が仮に未だにビデオレンタル店の店長や商品担当者であったとしたら、この「映画」のDVDは絶対に店には置かないだろうし、置かせなかったと思う。。それだけ、レンタル店に足を運ぶようなマニア度の低い普通のお客には絶対に向かない商品だということでもある。だいたいの位置付けになるのだが、一日の貸出客数200人、月仕入れ本数200本(アダルトを除く)の店を想定しても一本入れるかどうかの商品という「D+」という格付けになると思うからだ。(註4)しかも、たとえその要件を満たしていたとしても、新宿・渋谷・世田谷など、特殊な地理的条件(若年層がおおいとか)を満たしているようなレンタル店でもなければ「必ず置かなければならない」という商品とはいえないと思う。三茶とか恵比寿の店ならばなければならないだろうが、足立区西新井環七沿いにある店ならば商品として置かないほうが賢明であろう。こういうのは卑怯な言い方だが、「本音と建前は別だ。」というか自分の場合どっちが本音でどっちが建前になるんだろう。まずそっちをはっきりさせないといけないんだけど。(註5)実際聞きにくい話ではあったが、知り合いの何人かの店長についでという感じで聞いて回ったのだが、どこも成績としては並以下、一番悲惨なのが3枚入れていまだ一枚分の原価回収のメドも立っていないくらいの回転数でとまったまま、ということだった。「茶の味」の高評価をうけた大失敗である。もちろんこれから「菊池凛子出演作品」ということでコーナー作りをして盛り上げるとか、出演面々が非常に豪華な分、店の人間の才覚次第でまだ方法は残されているとは思うのだが。が、その中古のDVDがはやく届かないかなと待ちわびている自分でもある。貫地谷しほりのブリッジのシーンをもう一度見たい。註1:池脇千鶴は大阪府出身だが、NHK朝の連続ドラマで奈良っ子を演じていた。吹石と尾野のふたりは奈良県出身。尾野真千子は「萌の朱雀」という奈良を舞台にした映画で主役デビューしている。映画的にはこの三人、「温泉三人娘」と名付けられている。註2:昭和44年、シュールなギャグと音楽で一世を風靡したテレビバラエティ番組で「巨泉前武のゲバゲバ90分」というのがあった。この番組からハナ肇の「あっと驚くタメゴロ~」という流行語が生まれた。註3:三枚組で通常価格7800円を25%である。「25%引き」ではない。しかし、ブ〇クオフなどでの買取り価格よりはずっと高い。註4:大体どこのレンタルの卸し業者でも、あるいは大きなチェーンの本部でも新作入荷用の発注リストにはタイトルごとに解説とともに商品の格付けを行なっている。クラスは上からS(特別)、A、B、C、D、E、の6段階にそれぞれ+と-を加えているのが一般的。たとえば、「A-(エー・マイナス)」と「B+(ビー・プラス)」では商品としては完全に「A-」のほうが上だが、「C-」と「D+」あたりを比べた場合では必ずしも「C-」の方が上とは言い難くなる。店舗の地域性とか会員の構成比によっては+評価のついた「D」の方が「人気商品」に化ける可能性が高いので注意せよ、というくらいの評価。註5;もしも自分が今でもビデオレンタル店現役であったならば「良くない商品」という位置付けが建前になり、「でも本当は好きな作品」というのが本音になるが、今のような立場だと「部分的には見る価値はある」というのが建前で、「内心 でも全体的にはワケワカンネー、おじさんはもうこういうのにはついてゆけないよ~」というのが本音、ということになるか。
2007年01月29日
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映画ドラマなどで描かれる「武田信虎」のイメージは、「甲陽軍艦」などの歴史の本などから翻案された、「暴君」という描かれ方をすることの方が多い。妊婦の腹を切り裂いたという悪行のエピソードも大体はそのへんから信じられているようだ。なものだから「やばい、ミツ(貫地谷しほり)妊娠してるじゃん。」とハラハラしながら見ていた。ところが先週は、鹿狩りに出掛けた信虎(仲代達矢)がたまたまそこにいたミツに向かって弓の矢を射構えるところで終わり。これを見て「ああなるほど、さすがにNHKの大河じゃそんなエピソードを入れられないんで弓矢で射ち殺すという具合にソフィスケートしちゃうのね」ぐらいに思っていた。ところが信虎の放った矢はミツが首から下げていた摩支利天の護符(鉄製)に当り、ミツは命拾いをする・・・が・・・という展開である。参りました。なかなかの脚本である。放送コードすれすれだが。きっとこれが板垣信方(千葉真一)、甘利虎泰(竜雷太)といった側近たちが信虎から心離れをしてゆく(歴史的な事実)あたりに繋がるのであろう。このあたりは、割りときっちりとした描きかたが予想できる。おもしろいなー。最近の大河の中ではかなり上位の出来の脚本になるのでは。例の「武蔵」のときの黒澤作品からの盗用で叩かれたのが堪えたのか、どうも最近の大河ドラマのストーリーには(悪い意味で)ケレンというものがなくて、見ていてつまらないのばかりだっただけに久しぶりの清涼感のようなものがあった。「時代劇はこういうのじゃなくっちゃ!」という感じだ。一方の訴えた側の黒沢プロのほうは何をやっているかというと、アニメで用心棒をリメイクして大コケしたのにもかかわらず、今度は織田裕二主演の実写でリメイクだそうだ。オリジナルに対するリスペクトの方向を間違えているのはどうも(現在の)黒澤プロ自身の方では・・・という気がしてならないんだが。おっと、話を大河のストーリーに戻す。前にもちょっと書いたが、この現在放映されているあたりは原作にはまったくない「オリジナルの脚本」である。まあ、だからこうやっていろいろと好き勝手にエピソードを盛り込んで話を盛り上げることが出来るわけだが。だからといって後半にむけて人物設定であるとか(大きな意味での)歴史的な事実を捻じ曲げられても困る。したがってこのような「山本勘助」のように実在していたのかどうかも半々という人物をもってきたのはある意味大正解だったのではないか。どうせなら、ラストあたりで、信玄の死後、こっそり甲斐国に戻った信虎(実際の信虎も信玄より長生きしている)が信玄の影武者に納まっちゃうとか無理矢理な創作をかましてはくれないか。もしそれで黒澤プロが訴えてきたらそれはそれでおもしろいじゃないか。(まだ言ってるが 笑)にしても貫地谷しほりの出番がこれで終わりかと思うと実にもったいない気がする。いい女優さんだ。実感を込めていうと「もったいにゃあずらよ」って感じや。貫地谷だけに。後半「ミツによく似た女」とかの役名で再登場してはくれまいか。望む。投書しちゃおうかな※ 反則気味ですけど、こちらのテーマにも記事投稿してみました。理由はもちろんより多くの人に読まれそうだからです。
2007年01月28日
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映画ドラマなどで描かれる「武田信虎」のイメージは、「甲陽軍艦」などの歴史の本などから翻案された、「暴君」という描かれ方をすることの方が多い。妊婦の腹を切り裂いたという悪行のエピソードも大体はそのへんから信じられているようだ。なものだから「やばい、ミツ(貫地谷しほり)妊娠してるじゃん。」とハラハラしながら見ていた。ところが先週は、鹿狩りに出掛けた信虎(仲代達矢)がたまたまそこにいたミツに向かって弓の矢を射構えるところで終わり。これを見て「ああなるほど、さすがにNHKの大河じゃそんなエピソードを入れられないんで弓矢で射ち殺すという具合にソフィスケートしちゃうのね」ぐらいに思っていた。ところが信虎の放った矢はミツが首から下げていた摩支利天の護符(鉄製)に当り、ミツは命拾いをする・・・が・・・という展開である。参りました。なかなかの脚本である。放送コードすれすれだが。きっとこれが板垣信方(千葉真一)、甘利虎泰(竜雷太)といった側近たちが信虎から心離れをしてゆく(歴史的な事実)あたりに繋がるのであろう。このあたりは、割りときっちりとした描きかたが予想できる。おもしろいなー。最近の大河の中ではかなり上位の出来の脚本になるのでは。例の「武蔵」のときの黒澤作品からの盗用で叩かれたのが堪えたのか、どうも最近の大河ドラマのストーリーには(悪い意味で)ケレンというものがなくて、見ていてつまらないのばかりだっただけに久しぶりの清涼感のようなものがあった。「時代劇はこういうのじゃなくっちゃ!」という感じだ。一方の訴えた側の黒沢プロのほうは何をやっているかというと、アニメで用心棒をリメイクして大コケしたのにもかかわらず、今度は織田裕二主演の実写でリメイクだそうだ。オリジナルに対するリスペクトの方向を間違えているのはどうも(現在の)黒澤プロ自身の方では・・・という気がしてならないんだが。おっと、話を大河のストーリーに戻す。前にもちょっと書いたが、この現在放映されているあたりは原作にはまったくない「オリジナルの脚本」である。まあ、だからこうやっていろいろと好き勝手にエピソードを盛り込んで話を盛り上げることが出来るわけだが。だからといって後半にむけて人物設定であるとか(大きな意味での)歴史的な事実を捻じ曲げられても困る。したがってこのような「山本勘助」のように実在していたのかどうかも半々という人物をもってきたのはある意味大正解だったのではないか。どうせなら、ラストあたりで、信玄の死後、こっそり甲斐国に戻った信虎(実際の信虎も信玄より長生きしている)が信玄の影武者に納まっちゃうとか無理矢理な創作をかましてはくれないか。もしそれで黒澤プロが訴えてきたらそれはそれでおもしろいじゃないか。(まだ言ってるが 笑)にしても貫地谷しほりの出番がこれで終わりかと思うと実にもったいない気がする。いい女優さんだ。実感を込めていうと「もったいにゃあずらよ」って感じや。貫地谷だけに。後半「ミツによく似た女」とかの役名で再登場してはくれまいか。望む。投書しちゃおうかな。
2007年01月28日
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話題はちょっと古くなるが。岩隈が今年の目標を聞かれて「16勝」と答えた。これにはぐっときた。16勝という数字には自分自身にとっては、03年04年と記録した自己最多の15勝を超えるという意味があるのだろうが、岩隈の口から「16」という数字が出るということはチームにとってもかなり大きな意味を持つからだ。岩隈が15勝(10敗)した03年に近鉄は三位になっている。このときはまだプレーオフ制度がなかったがもしプレーオフが実施されていればこの年の優勝チームがどうなっていたかわからない。おそらくは岩隈もそういうことを意識しての発言ではないかと思う。カギはやはり先発投手陣であろう。あのときにはパウエルという頼もしい相棒がいた。果して今年その役目を担うのは誰か。まだ決らないその外国人投手を宛てにするよりも、やはり現有戦力の中から見出したほうがいい。岩隈の目からするとそれは(やはり新外国人投手だが)林恩宇のようだ。失礼な言い方だが、なんでこんな良い球を投げられるような投手が我がイーグルスに入ったのかが謎なくらいである。(ちょっと待て、全方位に向かって失礼な言い方になるな、こりゃ、我ながら)冷静な見方をすれば、現段階でイーグルスの戦力に順位をつけると、上から5番目にはなっている。むしろ最下位予想をすることの方が困難だろう。油断は大敵だが。実際オリックスは中村紀洋を切ってまで戦力のアップを図ってきているし。しかし、イーグルスの四位という順位も夢ではないと思う。現実的になってきた。それをもうすこし上乗せするためには今年の新戦力からひとり誰かが飛び出してほしいのである。もちろん一場、山村、朝井、有銘といった現有戦力が実力通りの活躍して、というのが大前提だが。果してそれが林なのか二年目のインチェなのかあるいは田中なのか。そして、自チームのこともそうだが、やはりこの時期は他のパ・リーグのチームの戦力も見極めておきたい。
2007年01月26日
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最近、再び「あの江原啓之についてどう思いますか?」みたいなメールとかが来るようになった。聞けば、「江原啓之」、「オーラの泉」にもう幾つかのキーワードをつけ加えると自分のもうひとつのブログがかなり上に検索されて出るのだそうだ。やってくれるじゃん、グーグル。というか自分は最近「オーラの泉」なんてほとんど見ていない。これは前にも書いたことだが、そもそも「オーラの泉」という番組を作っている人間、それを放送している人間にとってあの番組はなんであるかといえば、やはり一種のバラエティ番組でしかない。「前世を見る」とかの行為を信じているわけでは決してない。出ているお二方やゲスト、あるいはこの番組の内容を「真実」と受け止めて見ているひとたちがどんなに真面目になってみてもその壁は崩れはしない、ということだ。それが世間というやつだ。今週号の週刊文春でその「江原啓之」が叩かれている。その内容は、一年前に自分が書いたことそのまんまである。というか冷静に考えれば誰でもが思いつく疑問なのであるが。前世とか守護霊というものの立場を「職業」とか「身分」で語るといつもとんでもなく変わった職業(「茶坊主」だとか山伏〉ばかりが出てくること。〈普通に、もし江戸時代の人間ならば農民、というか百姓が一番多くなければ異常なことなのにだ〉まあ、この人の歴史の勉強不足を注意してくれるブレーンがいないということなのだろうが。真の意味での能力者はむしろ美輪明宏のほうだろう。中途半端な江原の発言にいつも見事なオチをつけてうまくまとめてしまう、という意味での能力であるが。で、さてこれだけは言っておいたほうがいいとは思うのだが、もし仮に江原啓之が口にしている「前世」とか「守護霊」が嘘デタラメだとしても、それが「前世」「守護霊」そのものを否定することにはならない、ということだ。それはただ単に江原啓之がニセ者の能力者だった、という事実でしかない。それどころか、もし世界中の霊能力者がすべてニセモノだったとしても、それでも「前世」「守護霊」そのものの否定材料にはなりえないということも言えるわけで。そこのところを見誤ると日本(のテレビ界)からはこういう低級なオカルト番組はいつまでたっても消えてなくなることはないであろう。自分がこの番組に関して危惧しているのはその点だけだ。これは伝聞なのだが、あるお笑い芸人が江原啓之に前世が「はんぺん」だと言われたという。おでんなんかに入っているあの「はんぺん」である。もし自分ならばその場で江原に「卵白は卵何個分なのか?」「山芋と卵白の比率はどのくらい?」とかしつこく尋ねるであろう。というか別に前世が「はんぺん」だっていいじゃない、という気持ちがあるからだ。嫌いじゃないし、はんぺん。それどころか、現宮崎県知事、東国原英夫氏が芸人時代には前世は「ペイズリー」といわれたそうだ。模様のペイズリーだというのだ。見てみたいなー。YOUTUBEで流れてないかな。
2007年01月26日
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SKさんという方からのメールで知ったのだが、「あるある大事典llのHPにお詫びが掲載されて全ての過去の番組のページへアクセスできないようになっているとのことである。「やりかねない。」そう思った。今確かめたところである。いまさらだが、これは体のいい隠蔽工作である。過去の放送分にも捏造やら誇張があったことをひた隠しにしたいという思惑が取らせた非常に愚かしい行為である、と言っておく。少なくとも、自分はダイエットに関する回(一回だけだが)で、自分はこの番組で大々的にデータの捏造っぽいことをやっていたのを見ている。例の「体質別ダイエット方法」という回のだ。試験者のひとりに武蔵小山在住の男性がいたのでよく覚えているのだが。この番組で、毎日のように被験者の血糖値を計っていたのだが、それが食材によるものなのかそうでないのかの比較対照がなされていないのに「〇〇を食べていたらこんなに血糖値が下がりました!」とやっていたのだ。言うまでもないが、こういう実験の場合、より正確なデータを得るためにはそれこそ何十人の被験者を用意して、しかもいく通りもの実験を繰り返さなければならない。たかだか2週間では絶対に無理だ。その食材と体重現象を「原因と結果」と結びつけることは出来ないのである。ここに絶対的にデータ捏造が入り込む隙間がある。「たまたま」だとか「時間の関係で」といういいわけが許されることではない。だったらせめて番組内で、あるいは終了時にちゃんとその旨のテロップを入れるべきで、それすらやっていなかったのである。しかも考えてみれば、フジテレビでは、今も不二家とかの企業の隠蔽体質を追求するような報道番組をやっているわけで。そして、もっと重要ななことは、これは製作した製作会社の判断でもなく、製作局の関西テレビのでもなく、フジテレビがフジテレビの判断で行なっている行為だということだある。何故こんな愚かなことをするのであろう。やはりひとりひとりは例え優秀でも集団化すると「馬鹿の集団」になってしまう、という「企業の陥るワナ」なのだろうか。自分はかつてこういうのを「こっくりさん状態」といったことがある。一種の責任逃れで、自分の責任でないと思いたいという全員の思惑が指を置いたコインを動かしてしまいとんでもない方向に動き出す、ということだ。今このネット社会で、このような隠蔽工作をやっても数日後には「真実」は明白になってしまうのに。第一、このように、ログ(記録)は消せても、人の「記憶」は絶対に消せはしない。(了)
2007年01月23日
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で、自分もその番組を見た。一言で言えば、「まだ浅いな」というところか。いままで散々ネットとかで言われたことをなぞっただけ、と言われてもしかたのないような構成になっていた。やはり50分という枠は短すぎるのか。しかし、実際にグーグル本社の中を映した映像の中には興味深いものがあった。社員が連れてきているペットの犬やオモチャに混じってチラリと映っていた「ガスマスクの箱」である。キャプった画像でもないとわかりづらいが、同じものを持っていたので自分は敏感に反応したのたが。いや自分がなぜそなものを持っていたかについてはスルーするが、やはりこのグーグル社においては何者かが侵入してきてガス攻撃を受ける可能性がないわけではないという認識があるからなのだろう。社屋全体のセキュリティーレベルはどこでも常に「5」以上であることは聞かされていたが、それとカメラに向かって尻尾を振っている犬や、音を出して動き回るオモチャとは不釣合いでものすごく奇妙な感じがした。バリー・レビンソン監督・ロビン・ウィリアムス主演の「TOYS」という映画があったが、あの映画で出てくる玩具会社に近いものがある。っていうかあれはオモチャの会社だが。で。結局この番組の骨子は、グーグルの内側よりも、グーグルを巡る人間模様、というところに力をこめて作られていた。ひとりは経営コンサルタントである。彼は、レクチャーの中でこう言い放つ「グーグルの検索で上位5位以内にいるのが好ましい。15位以下であるのならば、それはあなたがたはこの世に存在しないのと同じである」と。彼の顧客のひとりに、サンフランシスコの近くで開業している眼科医がいて、その依頼を受けてグーグルの検索順位を上げようといろいろと画策するのだが、ライバルの眼科の方が反則すれすれの手口を使ってアクセス数をあげて常に上位を保っていることを分析して割り出す。彼はこの反則か反則でないかの微妙なラインが解からないとグチをこぼすのだが、このあたりは興味深かった。もうひとりは、ブログでいうところの「アフィリエイト成金」である。自分が立ち上げた携帯端末サイトにグーグルの広告サイトのバナーを貼っていて、その課金だけで結構な暮らしをしている。もう日本でも珍しくもなんともない光景ではあるが。番組で説明された、グーグル検索の仕組みについてはどこか中途半端で(このへんはネットなどやらない、というような人たちにもわかるように構成しなければならないので難しいところであろうが)もう少し突っ込んだ内容にしてほしいと思った。第二回目以降はあるのだろうか。
2007年01月22日
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こういう形でブログでテレビ番組の予告をするのは一年ぶりくらいか。今夜のNHKスペシャル。テーマは「Google」である。グーグルについて説明をする、必要ないか。グーグルのことを知りたいという人はココをクリックしてください。→ ウィキによるグーグルの説明http://ja.wikipedia.org/wiki/Googleあのグーグルに関する番組である。設立からわずか6年で世界的な企業に発展し、今やマイクロソフトを追い落とし、世界一のIT企業になるのは目前といわれている。おそらく、来年中にはヤフーを追い落として日本でも検索エンジンとしてのシェアナンバーワンの座につくのも間違いないであろう。そのグーグルの実体に迫ったかなり本格的な内容のドキュメンタリー番組なのである。かなり前から、こういう番組をやってくれないだろうかと待っていたのだが、いろいろと障壁は高いということもわかっていた。何故か。民放では絶対に出来ないからだ。自分らのスポンサーである企業のネガティヴな部分に触れざろう得なくなるからである。それどころか、「CMを流して番組を作る」という民放のスタイルというか未来を否定することにもつながりかねないからだ。やはりこういう番組をやるのであればNHKしかないということのようだ。しかも今回、現在CEOであるエリック・シュミットがテレビの取材に対して答えたインタビューがあるという。おそらく日本でははじめてだろうし、世界的にも珍しいことなのではないだろうか。自分の場合、ポータルをグーグルにしてもうだいぶ経つ。英語サイトはもう7年以上だ。(その前はALTA VISTA)日本語サイトは出来てすぐだから5年近くか。(その前はインフォシークだった)何故ポータルというか検索サイトをグーグルにしたかというと、単純に画面がシンプルできれいだという理由と、もうひとつキャッシュとして残されているデータの膨大な量に感心したからだ。とにかく仕事でもそうでないことに関しても一番使い手のある検索サイトであることはまず間違いないところだと思う。あのホリエモンがグーグルとの提携に対して躍起になっていた理由もそこにある。ポータルをメインの事業としてやっていこうとするのであれば、グーグルと手を結ばないことには絶対にナンバーワンの座は勝ち取れないからだ。日曜午後九時というと、キムタクのドラマや洋画劇場、法律事務所、フジ系大人気・高視聴率・長寿健康番組である「あるある大辞典2」など、人気番組が目白押しで、なかなかこういう番組にまで目が向かない人というも覆いであろうが、もしあなたがインターネットでブログをやっているという人であるならばこの番組をお勧めします。明日月曜・明後日火曜にも再放送もあるとのこと。番組HPhttp://www.nhk.or.jp/special/http://www.nhk.or.jp/special/onair/070121.htmlグーグル革命の衝撃 ~あなたの人生を“検索”が変える~いまや世界中が、すべての情報をIT企業グーグルの「検索」に頼らざるを得なくなりつつある。グーグルが世界中に巻き起こしている「革命」の現場を追う。
2007年01月21日
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少し前のことだ。友人というか親しいブロガーから「あの番組はある種の実験的なお笑い番組なんだからムキになるなよ」といわれたことがあった。「堺正章と志村けんというお笑い界の大物ふたりを据えているんだからその意図を汲み取れよ」と言われたこともあった。「お笑い番組」というのは、「番組の中身で笑うのではなくて、あの番組を信じて棒寒天やらダイエットにいいと言っていたものを買い漁る人たちを笑うプラクティカルなお笑い番組」という意味だ。まあ確かに、朝っぱらからみのもんたという酔っ払いが無茶苦茶なことばかり喚いている番組と同じくくりで、一種のインタラクティプなお笑い番組だということも出来るのだろうが。なかなか、その友人のように達観は出来ずにいる。まだまだ青いんだなぁ、自分。自分がこの番組の内容に嘘があるとか、誇張が多いとか頻繁に書いていたのはもう二年も前のことだ。それに対して言われたのだ。「お笑い番組に対してムキになるなよなぁ」と。最後にこの番組についてブログに書いたのは二年前の12月のことだから、もう一年も前のことだ。「タイプ別ダイエット法」と題された番組で、それまで、番組で取り上げたダイエット方法で成功しなかった被験者を再集合させてもう一度ダイエットに挑戦させる、という内容であった。自分は、その「実験」がまったく「科学的」でもなく、比較対象が可能な「臨床データ」になっていないことに気がつき、そのことを書いたのだ。また、番組の準レギュラーでもある伊集院光の番組クラッシャーぶりのことも触れた。なんと伊集院のほうが脂肪率では北陽の虻川(とにかくダイエットにいいと言われているものを片っ端から試していたらしい)よりも下回っており、伊集院は当時番組内で「移動手段をなるたけ自転車にした」と言い放ち、番組の骨子である食べるだけで痩せるダイエット法というものを間接的にせよ論破してしまったのだ。今、記事として残っているのはその「片寄った見方になるが」というタイトルの記事だけである。あとはリニュアルの際に削除の憂き目にあった。今にして思えば、なんだかの形で残しておくべきだったなぁと悔やんでいる。そのときにも書いたが、そもそも、食べるだけで痩せるなんて食品はこの世にはない。あったらそれは「食品」とは呼べない。「薬品」である。そんなものが街のスーパーとかで買えるはずがないのである。まだこの幻想から抜け出せないでいる人は多いようだ。まあ日本にカルトやオカルトがはびこるのも無理の無い話である。で、本題である。番組が休止になろうが知ったこっちゃない。重要なのは、「納豆にダイエット効果はあるかどうか」ということだ。あの番組が捏造したのはあくまで実験をしていないのにさも実験をしたと言い張ったり、データを他からもってきて、納豆にはダイエット効果があると言ってしまったことである。なにも、納豆にはダイエット効果はないという事実を隠蔽して「ある」としたことでない。ここのところははっきりと見極めておかなければならないところだ。結局、この番組はその結論を曖昧にしたまま打ち切りというか終了になるのであろう。だったら代わりに自分が結論を出してあげようという親切心である。(嘘だけど)納豆にはダイエットの効果があるのではないかと自分は思っている。その理由だが、納豆をパンとオムレツやらベーコンエッグと一緒に、コーヒーを飲みながら食べるという人間はいないからだ。ラールンに入れたり(結構美味しいんですけどね)、カツどんや天丼、牛丼と一緒に食べるという人間もあまりいない。納豆を食べるということは、食全体が和食に傾くということであり、それを朝・夜と規則的に長期に続けていたら「ダイエット」にはなるだろう、という意味でだ。ただし、イソフラボン含有の錠剤を過剰に摂取することはどう考えても体にはよくない。まして「たった〇日で〇キロ痩せた!」とか言っている広告は絶対に誇張である。信じてはいけない。今どきそんな広告を打つ企業はないだろうけれどさ。
2007年01月21日
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ジャスコ塩釜店は今野屋、トーコー(共に閉店取り壊し)に次ぐ塩釜第三のデパートとして開店した。仙台のジャスコ(現在のフォーラム)の開店より早い。イオングループという現在の形態になるずっと前だ。開店は1974年(昭和49年)の秋のはずだ。当時の日記を見ると、10月くらいから急に頻繁にジャスコでどうしたとか書き込んでいるのが目立つ。ジャスコというデパートがあるというのは塩釜市民であった自分にとってはものすごくうれしいことだったのでないだろうか。以前、(2年前の夏だったか)塩釜の海岸通りにある仕出し料理屋のご主人と長話になったときに、現在そのままになっている港湾貨物駅跡に大型の商業施設の建築が予定されているという話を知り、「ああ、それじゃジャスコもあるしあのへん、また盛り上がってきますかねぇ」というようなことを言ったら、そのご主人が「いや、その新しい方もどうやらイオンになりそうなんです・・・」と言った。まだ当時は流動的で正式な決定ではなかったと思う。自分が「じゃあ、もしイオンになったら?・・・」というと、ご主人は「ジャスコの方は閉店でしょうね」と繋いでくれた。というようなことがあったので、ジャスコ塩釜店閉店のニュースを聞いたときはさほど感慨のようなもなかったし、「おそらくあとには西友かどこかが入るんだろうな」くらいの感じでいた。しかし、こういう形の「再開発」が決してうまくゆくとは思えないでいる。その理由は、別の項目を立ててあとで述べるが。塩釜ジャスコの開店当時のことはなんとなくだが今でも覚えている。なんか買い物をしに行った時、やはり私服で買い物をしていた同級生の女の子と偶然出会って、意外におしゃれだったことを知ってどぎまぎしたりしたな。そういえば。高校のころ、ここで相当な回数、女の子と待ち合わせをしている。といっても「デート」とかそういう感じのではなかったが。いつもなんか深刻なことばかりで、その女の子たちから電話が掛かってくると、暗ーい気持ちで夜道を自転車でジャスコまで出かけていった記憶がある。当時は本塩釜駅がまだ現在の壱番館の場所だった時代で、ジャスコのある場所というのは当時、駅からは結構離れた場所であったので、当時は「なんでこんな場所に・・・」と思ったものだ。特に、海岸通り商店街から少し入ったところにあった旧塩釜駅駅舎(現在の本塩釜駅)あたりはずっと薄暗い道が続いていた。とてもじゃないが商店街と呼べる雰囲気ではなかったのだ。それでも塩釜ジャスコが長らく塩釜を代表するランドマークの役割を果たしたのは事実だ。松島遊覧からの帰りの船から、最初に見える「塩釜」がジャスコだったと記憶している人も多いだろう。意外なときに、意外な場所でこのジャスコ周辺の夜景を目にして、東京にいた自分がなんだか突然急に塩釜が懐かしくなったことがあった。1990年、角川の少女向けコミック「アスカ」に連載されていた「カルラ舞う!」のOVA(オリジナルビデオ)シリーズ「仙台小芥子編」である。第何巻目かは忘れたが、塩釜神社からこのジャスコのある港湾地区あたりまでをバイクチェイスするシーンがあるのだが、街並みといい、距離・方向と何故か妙にリアリティのある背景描写だったので感心したことがあったのだ。そのアニメの描写だが、バイクに乗って塩釜神社の裏参道を駆け下りて、そのまま本町通り(浦霞の前)を突っ切って、当時の青木金物店(現在の榮太郎本舗)を左折して本塩釜駅前の踏み切りを渡り、海岸通り商店街を駆け抜けているのだ。ビデオ化される数年前まで(つまり漫画連載当時の、ということ)の実際の街並みをまるっきりそのまま描写しているのである。誰かスタッフに塩釜出身者がいて、つい背景にチカラが入ってしまったとかなのであろうか?ぜひその真相を知りたいところである。塩釜ジャスコというと、濃青の夜空にぽっかりと浮かぶ、そのアニメ絵のジャスコの姿しか浮かんでこないという時期があり、自分で苦笑してしまったことがあった。まあこういうはなしを書きつづけると長くなるが、今日はとりあえずここまで。次は「納豆」の話である。
2007年01月20日
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1: Little Wing (Version1) 2:Serious Barbarian -PrologueX- 1Serious Barbarian 2interlude 3God 4PLEASURE CONNECTION(Command is ZERO) -EpilogueXYZ- 3:ブロンズの瞳 4: Stop&ギミーアップ 5: パセリを見ている 6: Wink of Distiny 7: 1・2・3 for Love 8: Standard Lover 9: 浜辺のVision10: A Dog in Blue~Toughな夢見て11: Little Wing (Version2)1989年4月か5月の発売。今では「歌手」を廃業して作曲家として専念している大沢ではあるが、彼にとって不幸は、彼の「作品」を自分のものとしてちゃんと歌うことの出来る大人の男の歌手がそれこそ片手で数えるほどしかおらず、しかもそういうシンガーの需要自体がなくなっていることではないだろうか。ヘタをすれば大沢の曲の世界を一番適確に体現出来るシンガーというと「ビートたけし」だけになってしまうのかもしれない。今の日本の音楽シーンというのはそういうところにきている。まあ同じような罠というか袋小路に入って、気がついて現役復帰したのが角松敏生なわけだが。大沢も現役復帰してくれないものだろうか。むしろそのほうが「作曲家:大沢誉志幸」の需要を喚起するきっかけになるはずなのだが・・・。一般的な、特にこのブログを読んだりしている人たちにとって「大沢誉志幸」というのはどんなイメージなのであろうか。気になるところだ。やはり「そして僕は途方に暮れる」で大ヒットを飛ばした一発屋、「過去の人」という感じなのだろうか。大沢誉志幸のソングライターとしての実力というか底力が発揮された一枚というのは「そして僕は・・・」〈と、その収録アルバムである『コンフュージョン』〉よりもむしろこの「シリアス・バーバリアン」シリーズではないかと思うのだが。特にこの「1」は、大沢が渾身を込めたとてつもない労作だということが伝わってくる。音は最高だ。今でも通用するなにかが宿っている。オタク的なこだわりというなんというか。「SERIOUS BARBARIAN(生真面目な野蛮人?)」というのはとりもなおさず大沢自身のことであろう、きっと。当時のウォークマン(ポータブルカセットプレーヤー)の性能によるところもあるのだが、自分は、このアルバムをダビングしたカセットを3本か4本は聴き潰している。いやそれだけこのアルバムを聞き込んだという裏返しの証左である。尾上文の作詞による 1 「LITTLE WING」は名曲である。10年くらい前か、カラオケに行った時この曲を歌ったことがあったのだが、はじめて聴いたという女の子がおもわず涙ぐんでいたくらいだ。別に自分のうたに感動して涙ぐんだわけではない。そもそもが「名曲」なのである。というのもこの「LITTLE WING」という曲、実はパッヘルベルの名曲「カノン」そのままなのである。「カノン」にちょっとした別のメロディーと詞をつけたといってもいいくらいだ。まあ平原綾香の歌う「ジュピター」と同じようなもんだと思ってください。組曲となった2のタイトル曲「シリアス・バーバリアン」は2・3(楽園)と引き継がれてゆくのだが、内省的に自分の弱さと向き合った男の、心の中の葛藤のようなものが歌われている。というかこれは当時大沢が置かれていた自分の状況を包み隠さずに吐露したものと捉えてもかまわないのじゃないだろうか。しかし曲調は非常にビートフルでワイルドである。3の「ブロンズの瞳」は非常に印象的なメロディーを持った静かな曲。このアルバムが発表された直後の「笑っていいとも!」のテレホン・ショッキングに出演した大沢誉志幸はこの曲の録音にものすごい手間をかけたといっていた。確かにベースの音を何種類もとっかえひっかえたり効果音の使い方が非常に凝っている。自分もアルバムの中で一番に好きな曲。4「Stop&ギミーラブ」はいかにも大沢らしいポップな感覚を持ったシングルカット曲。確か割と最近誰かがカバーしていたな。という具合にコメントのふたつやみっつはすぐに書けるくらいは聞き込んでいる。このへんでやめておくが。最近必要があって調べて見たのだが、エピック時代の大沢のアルバムのほとんどが廃盤扱いである。この「シリアス・バーバリアン」三部作もだった。せめてこの「1」あるいはシングル「Little Wing/ブロンズの瞳」だけでも再発してはどうだろう。最近の「カノン」ブームでちょっとは売れると思うのだが。Special Thanks to「カノン研究室」http://www.kanon.mu/
2007年01月18日
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1. Trans-Island Skyway 2. Countermoon 3. Springtime 4. Snowbound 5. Tomorrow's Girls 6. Florida Room 7. On the Dunes 8. Teahouse on the Tracks 1993年発表 元スティーリー・ダン(SD)のドナルド・フェイゲンのセカンドアルパム。ソロファーストアルバム「ナイト・フライ」が82年発売だから11年越しのセカンドアルバムということになる。すごいインターバルである。まあ当時は「出したこと」自体がものすごいニュースであったと記憶している。しかし、時代を越えた名盤の一枚といえる「ナイト・フライ」にはわずかに及ばない。しかし「佳作」と「名作」の間くらいの出来と言ってもいいのではないだろうか。「KAMAKIRIAD」という謎めいたタイトルの語源にはいくつもの説がある。フェイゲン自身も明言していないし。日本語の「カマキリ」から取ったという説や「CAR MAC LINE YARD」を縮めたという話もある。SDには「エイジャAja」というアルバムがあり、アルバムタイトルでありメインチューンのタイトルにもなっている「Aja」とは日本語の「彩」からとっているし、ジャケットに横顔を顕している女性は当時人気の高かったモデルの山口小夜子という人だった。そもそも、「スティーリー・ダン」というグループ名も実は日本語というか日本製品の名前(ということになっている)から取っている。そんなフェイゲンならやはり「カマキリ」説が一番ありかな。「KAMAKIRI」というのはこのアルバムのコンセプトである、超未来型の自動車の名前である。野菜(畑)から生じた蒸気をエネルギーとして走り、完全カーナビシステムで自走してくれるというありがたいクルマだそうだ。なんだか、実現したら うれしいのかうれしくないのかはっきりしないクルマだけどね。このカマキリというクルマに乗って旅に出かけた男の身の上に起きたお話(KAMAKIRIAD)、というのがこのアルバムのコンセプト。どちらかという毒のあるストーリーや心情を曲にしていたフェイゲンにしては珍しく、なんというか、まともでストレートな詞が多い。かといってリラックスしているとかそういうんじゃないんだ、なんか必死なのである。必死になって健康やら地球環境について語っているオッサン、という感じがしてならないのだ。誰に対して必死になっているかというと相棒のウォルター・ベッカーに対してであろう。このアルバム、プロデューサーにベッカーを迎えている。よくよく考えてみればまったく必要のない「人事」である。プロデュースなんてフェイゲン自身がやれることである。あえてベッカーを据える必要なんてないのにだ。「きっとこれは麻薬に溺れた相棒を音楽の世界に引きずり戻すための口実であろう。」自分は当時確信した。SDの国取物語(SD側からみると「国取られ」、だが)の続きをやっているような感じなんだ。麻薬兄弟団(DOOBIE BROTHERS)にメンバーをひとり取られ、ふたり取られて減ってゆくSDの中でもがき苦しんできたフェイゲンが、「ベッカーまでも向こうに行ったら御仕舞じゃ!」とばかりに取った策ではないかと。考えすぎかね。で、実際の音のほうだが、SD→ソロと相も変わらず音のほうは表面上軽やかで、細かく刻んだリズムに、黒人ソウル的な無理矢理なアクセントをつけて歌う、というパターンは健在である。さらに今回このアルバムではなんていうのか、上手くはいえないが細かくリズムを刻む、というだけでなく、今まで自分らがやって来たことを再構築して「こんな感じにも出来ます」という作品見本市のような感じでもある。無理矢理なたとえなのだがこんな感じだ。海鮮料理店でイカ刺しを頼んだら幅広のぶつ切りにされたものが出された。「なんだ無骨だな」と思いながら、箸で摘んでみるとあら不思議、まるでいかそうめんのように細くパラパラとほどけるではないか。「?」と思いひっくり返して見ると、なんとイカ刺しの裏側には一面に細く陰包丁がびっしりと入れてあるではないか。(実話)そんな感じなのだ。表リズムと裏リズムが共存しているというかうねるように一体化している。ところどころにベッカーによる、狙ったのか天然になのか判別のつかない、狂ったようなチョーキング音が散りばめられており、「ああSDだよな、これ・・・」という年寄りファンに対するサービスも忘れてはいない。残念なのは、このチカラ加減が最後まで続かずに、5曲目の「TOMORROW'S GIRLS」の終わりとともにフチッという感じで一端切れてしまうことか。こういうコンセプトアルバムをつくるとどんな大物ミュージシャン、有能なアーティストでも陥る失敗である。曲順を変えることが難しいからだ。まあ、実は自分はビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」も「Sgtペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」も「イエロー・サブマリン」も「レット・イット・ビー」も失敗作だと思っている人間なのだが。今年の正月、わけあってずっと60年代のドラッグ・カルチャー(ヒッピー・ムーブメント)に関する本を読み直してした。そのとき聴いていたのはSDであり、ドナルド・フェイゲンのソロ名義の三枚のアルバムだった。妙な符合だが。そのことに関しては別のブログに書いておきます。こっち向きとはいえないので。あしからず。<了>
2007年01月18日
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実は結構大河ドラマは見ていた方かもしれない。あまり書いたことはないのだが。最近の大河ドラマはなんていうのかある種の「人材難」のような気がする。それと「一年」というのがかなりの縛りになっていて作るほうもだが、見るほうにとってもかなりの苦痛なのである。特に、日曜の夜というのは昔と違って「テレビドラマを見る」というのには適していないような気がする。自分の場合も、気が付けば、義経のころはレコーダーが気をつかってまめに録画していてくれたものだが、「功名ケ辻」になると録画されていなくなっていた。それだけ「自分の意思では」見なくなっていたということだ。どうだろう、NHKももう少し視聴者に気をつかって平日の深夜のBSあたりで再放送をまめに繰り返してくれれば本放送の視聴率にはねかえってくるとは思うのだが。偶然だが、「風林火山」の一昨日土曜日午後1時からの再放送を見た。地震速報と津浪情報を見るためである。たまたま従兄弟が遊びに来ていて(新年のあいさつというやつだが)なんとなくだが速報のテロップの流れるこのドラマの第一回目をみることとなったのだが。大事な第一回目だというのに、全体的にテンションが低いのである。こんなんでいいのだろうか?と見ているこっちが思うくらい。まあ地震とか津浪が気になって相対的に低く見えるだけかもしれないが。そもそも、「風林火山」というタイトルなのになぜ主役が信玄でなくて山本勘助なのかだ。たしかに山本勘助は魅力的な人物ではある。ほとんど詳しい生伝は残っておらず正史にも信玄の家来の一人としてチラっと出てくるような程度だが。司馬遼太郎井上靖の原作も勘助が主役というよりも信玄と勘助のダブル主役だからこそ読みごたえがある。いままでなんとなく信玄を描いた小説やドラマに「いた」程度の描き方しかされなかった勘助をクローズアップすることで武田軍という組織の有り様などが克明に伝わってくるような名作であった。でこっちのドラマだが、主役の内田聖陽 >内野聖陽がその「勘助」には絶対に見えない。これが困る。勘助を演じるのであればどうせなら温水洋一とか荒川良良とか見た目にリアリティのある配役をしてほしかったところだけどなぁ。(無理無理w)が、でも、しかし、この第一回目、自分は結構見入ってしまった。その理由は重要な役どころ(勘助の唯一の愛人)であるミツを演じた貫地谷しほり(かんじや・しおり、とお読みください)の魅力的な演技につきる。前にドコモのCMのときにも書いたが、映画「スイング・ガール」やドラマ「大奥」で注目されている若手女優である。「ミツ」自体 原作にも登場しないまったくのドラマ上の架空の人物である。ミツの持っている上昇志向(『百姓の嫁になるのはいやじゃ、侍の嫁になる!』という程度のものだが)が、陰惨な戦国時代の飢餓に見舞われた寒村に生きる若い娘のバイタリティーを体現していて、見ていて救われるのである。大袈裟だが、映画「七人の侍」での津島恵子演じた村娘や、新藤兼人監督作品の時代劇で、音羽信子の娘を演じた吉村実子(タイトルが出てこない)のと肩を並べるような存在感である。褒めすぎか。で、昨日日曜日は大河ドラマが気になり、久しぶりに大河ドラマを6時からBS-HIで、この「風林火山」の第二回目を見てしまった。イケる。結構いい出来なのである、今回のこのドラマ。故郷に帰った勘助を養父母や実兄は勘助に仏門に入るように強く奨めるのだが、それが第一回目のエピソードとも絡んできて、さらに信玄の身の上にも起きる「兄弟で剣を交える」という試練どころに収斂させてゆくところなどはドラマとしてはなかなかの出来である。なんとなく風評も地味であまり人の口の端にも乗らない今回の大河ドラマだが、貫地谷しほりの演技と、よく出来た脚本だけは褒めるに(見るに)値するとおもった。※ご指摘を受けた個所を訂正してあります。
2007年01月15日
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電気グルーヴか。とりあえず自分で祝ってみました。というか今さっき気がついたのだが。そもそも自分は自分名でやっているこのブログのアクセス数に関してはあまり気にしたことがない。特に最近は。約一年やっていて20000というのが多いのか少ないのかも見当がつかない。もうひとつ別の奴は約2年と半年で7桁になったが処々の事情で閉鎖してゼロからやりなおしである。何故か。話題(トピックス)が平和的な共存をしてはくれなかったからである。それで話題(トピックス)ごとにいくつかに分けて再出発したのが約一年前のことだった。その時に立てたポリシーが「ノー・トラックバック ノー・アフィリエイト」と「限りなく実名に近いブログ(村上龍か)」のふたつだった。その、他の人がどうのこうのというのではない。ただ単純に、長年ずっと同じブログをやっていると心性がいやらしくなってくるものだ。とにかく見栄とかなんとかが邪魔をして少しでもカウント数を上げようだとか、アフィリエイトで儲けてやろうとか変な欲が出て来て、本当に書きたいことを捻じ曲げてみたり、話題になりそうなものだけを選んだり、インパクトのあるタイトルにしたりと当初自分が考えていた方向から大きくずれてしまうのである。これは本人の資質の問題だな。同じように、無記名だったり特定の難しい名前(昔はハンドルネームといっていた)にしてしまうとそれを隠れ蓑にして言いたい放題になってしまう。それを助長しかねない。それを自制するための半実名公開でもある。まあ特定の放送局に対する罵詈雑言だけはやめませんけどね。一年やってみて、なるほどと思ったのは、少なくともこっちのブログに関してだが、普段自分が喋っていることとそう大差のない内容になったということだ。(以前指摘されたことがあったが、自分はブログに関してはあまり校正作業のようなことはしない。「てにおは」の使い方などが無茶苦茶だがあえてそのままアップしている)なんというか、当分このスタイルで続けよう。そう思った。ちなみにその20000アクセス目は無記名でez-webからのアクセスの方でした。最近多いんです。ez-webからのアクセスの人が。
2007年01月13日
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どっちかというとカテゴリーは「格闘技」になるかもしれないがあえてこちらで。大晦日に行なわれた「桜庭―秋山」戦の裁定が下りた。秋山の反則行為があったと認められて秋山の勝利は取り消し。「無効試合」とする。秋山が獲得した勝利金は没収。レフェリーに対してもペナルティーとしてギャランティー(報酬)のカット、とこんなもんである。普通に考えてもなんかおかしい。秋山の反則が認められたならばそのまま「秋山の反則負け」となってしかるべきであろうし、勝利金(勝ったほうに支払われるファイトマネー)は桜庭に渡されなければならない種類のものではないのか。違うのか。というかこの裁定をうけての秋山の発言はなんかおかしい。(試合でオイルの類を塗るのは反則だと知っていたが)クリームなら違反にはならないと思っていた。自分は乾燥肌なので冬は練習中でも(いつも使用している乾燥肌用の)クリームは欠かせない。自分の周囲には(対戦カードの関係で)素人のセコンドしか残っていなかった。草野球のチームと同じです。注意してくれる人(プロのセコンド)がいなかったことがこういう結果に繋がった。試合直後、桜庭から「からだがすべる」というクレームがつけらたことに対して秋山は「多汗症なんでそれですべったんじゃないか」と言っていたのだが。多汗症で乾燥肌。普通ではあまり考えられないが、こういうケースはあることはある。いわゆる「自律神経失調症」というやつである。一般人でもそう少なくはない。しかしそういう人間が格闘技などやっている場合ではないだろう。格闘技をやっていてそういう症状に見舞われたのなら小脳か脳幹に外的な損傷がある可能性が高いからだ。即刻引退して医者に見てもらわなければならない。命の問題だからだ。また、自分の周囲に素人しか残っていなかったのでこうなった、というのは考えてみると、清原がセコンドについたから自分が反則負けになった、と言っているのと同じことだよな。(笑)いいのか?昨日金曜日、仕事先での話題はこの「裁定の話」で持ち切りであった。どこにいっても、朝も昼休みもこの話題だけであったと言っても過言ではない。それだけ世間の関心が高かったということなのだろう。実を言えば、自分はこの秋山-桜庭戦に対しては余り興味は持てなかった。大晦日当日もなんとなく見ていただけで(もちろん経過と結果は知っていたのだが)だからどうしたという感じでしかなかったのである。実はこの試合、一方の桜庭にとってはあまりメリットのある組み合わせではないし、そもそも、無理して高田の元を離れてやってきた新天地でこのカードを組まれたら桜庭には少しは怒りのようなものはあったはずだ。もし桜庭に非が認められるとすればこの点だ。ルールや勝利条件を確認するなどサポートする人間がいないまま試合に挑んでしまったことである。自分も「何故今更秋山」と思ったくらいだった。Dynamiteという興行組織、あるいはそれを支えるTBSは桜庭を「秋山」というスターを光り輝かせるための「噛ませ犬」ぐらいにか考えていないのではないか、そんな疑念もあったくらいだ。とにかくこの話題には「乗れ」なかったのだ。実はついさっきまでは。それが一転したのは帰り際に一緒にいた子とバスで戻る途中、「『負の理論』ってなんですか?」と訊かれたからである。「なにそれ?」と訊き返すと、彼曰く朝の番組でみのもんたが言っていたというのだ。この裁定に対して不服であると明言した桜庭に対して、みのもんたが「それ以上桜庭がこの問題を追及すると負の理論が働きはじめる」と忠告したというのだ。おのれみのもんため、自分が見ていないと思って(笑)また無茶なことを言いおって。何が「負の理論」じゃ。今度は自分が怒る番になってしまった。とにかく、埒があかないのでネットカフェに寄り、みのもんたの問題の発言の部分を探しまくった。なにやってんだか(笑)。でやっと見つけた。みのもんたの発言したのは、正確には『負の論理』である。「負の論理」とはなにか。一言で言えば、テロリストやマフィアのような非合法組織が抱いている、自分等の行動を正当化したものをまとめてこういう。最近でいえば、アフガニスタンやイラクにおける対アメリカ・テロリズム活動を指して使われたこともあった。アメリカが強硬手段に出たのでそれに対して「負の論理」が働いた、というような使い方をされる。つまりこの裁定の件についてわかりやすく言うと、桜庭がこれ以上この問題を追及すると(秋山サイドから?)別の形の攻撃を受けるので諦めなさい、と忠告しているのである。なに言ってんだか、である。アホか、である。この酔っ払いめが、である。おそらくは、みのは身近にいたスタッフか誰かが口にしたこの言葉をついうっかり受け売りで使ってしまったのではないだろうか、そうも考えたのだが、その前後の文脈からするとそうではなさそうなのである。秋山は自分の非を認めて詫びたのだからいいじゃないか。Dynamiteもしっかりとした厳正な処分を施したのでこれで納得しないのはおかしい。と言った上でこのような「負の論理」という言葉を持ち出して来ているからだ。なるほど、これは組織的な犯罪だな。今度は自分が確信した。そう感じた。要はTBSとしてはもうこれ以上桜庭にあれこれ喋られると自分達の立場が悪くなる、と危機を抱いているということだ。それは何か。自分は気がつかなかったが、秋山が試合で使用したグローブの妙なでっぱりの部分のことである。昨日金曜日も、皆が同じようなことを口にしていたので知ったのだが。想像だけでものを書くのはよくないのでここでこれ以上の言及は慎むが。それにしても、自分が反吐が出そうなくらいに嫌悪を抱いたのは会見における秋山の弁舌さわやかな釈明ぶりである。「桜庭さんの目をしっかりと見て謝罪したい」よくもそんなことが言えたものだ。ひょっとして今度は口の中や舌にクリームを塗って会見に臨んだ?
2007年01月13日
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個人的には必要ないと思っているのだが。ひとつ付け加えておくと、中村は三塁手としてはかなり守備は上手い方だ。その点を考慮しても今の楽天にはどう考えても必要とは思えない。どうせならリックを三塁に回したほうがまだ使い勝手が良いような気がする(打線を考えた場合には)。がしかしたまに「年俸で折り合いがつくのならいたほうがいいんじゃないの」というファンの意見も耳にする。どっちなんだろう。わけがわからなくなって来た。普通のイーグルスファン、あるいは他のパ・リーグのチームのファンにとってオリックスの最近のゴタゴタ続きは対岸の火事というか他人の不幸は蜜の味なのだろうが、自分は以前も何度かここで書いて来たようにもともとは「近鉄=バファローズ」のファンだった人間である。なんというのか、オリックスという球団はともかく「バファローズ」を名乗っているチームに対する感情は非常にアンビバレント(愛と憎しみが同居しているというか)で複雑なものがある。多くの人が感じているように中村紀洋の大減俸は一種の自業自得であろう。中村には例の幻のメッツ入りからずっとゴネ続けてきたツケがここに来て廻ってきたのである。おととしはたしか楽天がドジャースのマイナーに落ちた直後の中村にオファーを出して一方的に中村側に断わられている。去年は水面下で交渉があったが年俸その他の条件で折り合いがつかずに中村はオリックス入りをした(といわれている)。なんというのだろう、中村と楽天とはそもそも「縁」がない、というかプロとしての野球の理念が違いすぎるのではないか。そんな気がするのだが。山下編成部長がこの件に関しては「おととしまでなら是非とも必要だったが、今では補強の方針もはっきり決っているのでウチで欲しい人材ではない」とキッパリと言ってくれたのには助かった思いを抱いた。久しぶりに山下部長に(いつも以上に)後光が差して見えた瞬間であった。にもかかわらず、中村紀洋の移籍先として名前の挙がる球団は何故か横浜、阪神、中日、そして楽天である。何かしら中村側からあるいはオリックスからアクションがあるのではないかという疑念は晴れないのだ。巨人の名前が挙がらないのは小笠原と谷を獲得したからというよりも、渡辺恒雄会長が中村紀洋を毛嫌いしているからであろうな。あいかわらず横浜の名前が挙がるのは横浜のフロントの迷走ぶりが目だつからか。多村と寺原(SB)のトレードに関してはともかくも、巨人から仁志(小田島とのトレード)を獲得して、なおかつ工藤(門倉の人的補償だそうだ)を獲得したことを「成果」だと誇っているくらいだし。ちょっと横浜ファンの立場からするとかわいそうな感じもするが、今の横浜ならば中村の獲得もないとはいえない。そんな雰囲気は確かにある。というかこのまま横浜入りしてもらいたい気分である。本当に本当に横浜のファンには申し訳がないが。むしろ今自分が困惑しているのは、もし仮に中村が楽天入りしたとき自分は中村を快く迎え入れられないだろうな、という予感であり、楽天フロントに対する不信が生じるんだろうなという不安なのだが。
2007年01月10日
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久しぶりに、実に久しぶりに正月らしい正月を迎えることができた。去年・おととしと我が家に正月はこなかった。その前まではビデオ店の店長をしていたので正月といえば稼ぎ時である。休むどころのはなしではない。唯一の例外が2001年の正月で、このときは病気でぶっ倒れていて生死の境を彷徨っていた。少し大袈裟だが。なんのかんので約20年ぶりの正月ということか。状況はまだあまりよくはありません。常時接続はまだまだ先の話といったところか。こんな状況になるとブログだとかSNSなんてものがいかに常時接続の恩恵の上に成立しているものなのかということをしみじみと感じます。思ったときに、思いついたときにすぐに書ける、ということ、なんでもないようなことが実に大切だったのですね。(虎舞竜の『ザ・ロード』か)。
2007年01月04日
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