東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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10月1日朝の日記 象さん123さん

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2007.07.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「時間の正しい用い方(2)」

                    エペソ人への手紙、5章15~21節

三、時間の正しい選び方――信仰的な面

 しかし私たちは、限られた一生の間に、何もかもすべてのことを
することはできないので、最終的には何を優先させ、何を選び取る
かという信仰的(霊的)な判断が最も重要な問題になります。その
ためには、次のような三つの原則があります。

◇悪いことを捨て、良いことを選ぶ。
◇良いことを捨て、より良いことを選ぶ。
◇より良いことを捨て、最も良いことを選ぶ。

 社会人ならば仕事をすること、主婦ならば家事をすること、学生
ならば勉強することは良いことです。また余暇の時間にスポーツを
したり、旅行をしたり、健全なテレビ番組を見たりすることは悪い
ことではありません。

 しかしキリスト者は、神と福音と教会のために、良いことを捨て
て、より良いことを選び、そのより良いことさえ捨てて、最も良い
ことを選ばなければならないことがあります。これが神のみこころ
を優先させ、それを選び取るという信仰的(霊的)な判断です。

 仕事や家事や勉強を一生懸命にすることによって神の栄光を現す
ことができることは言うまでもありませんが、集会に出席したり、
奉仕したり、聖書を読んだり、祈りをしたりする時がないほど、こ
れらのことに没頭することは、神のみこころではありません。

 私たちは、時間という時や機会という時の大切さを身につけるな
ら、多くの無駄や損失を省いて能率や効率を上げることができます。
しかし神は、この二つの時の大切さを十分に知っておられながら、
それを犠牲にしてまでも、すなわち能率と効率を上げることを第一
とする人間の目には、全く無駄であるだけでなく、かえって損失と
しか見えない苦難や逆境を用いてまでも、私たちを訓練して神とそ
の救いを求める時を備えられます。次の3人は、その良い実例です。

 1.ヨセフは、17歳の時、兄たちの憎しみによって血を分けた
家族の者に捨てられる苦しみをなめ、ポティファルの妻の中傷によ
って真実に仕えた主人に裏切られる苦しみを受け、献酌官の忘恩に
よって無実の罪のために投獄された同じ仲間に忘れられる苦しみを
味わいました。これは30歳でエジプトの統治者になるまで、それ
にふさわしい姿に変えられるために神の訓練を受けたのです。

 2.モーセは、40歳から80歳までの40年間、ミデヤンの荒
野において、自分の力や知恵に拠り頼んだり、ほかの人の理解や評
価を当てにしたりすることに死んで、ただ神に拠り頼み、神からす
べての必要なものが与えられることを学んで、イスラエルの民をエ
ジプトから導き出すのにふさわしい指導者になるための訓練を受け
たのです。

 3.ダビデは、少年の時、王となるために油を注がれました。そ
の後、サウル王にねたまれ、憎まれ、何回も殺されそうになりまし
たが、主を恐れて復讐せず、多くの悩みや苦しみに打ち勝ち、30
歳で王となりました。その間、イスラエルの民を治めるのにふさわ
しい王となるための訓練を受けたのです。

 このようにして私たちは、人間の目には、全く無駄であるだけで
なく、かえって損失としか見えない苦難や逆境によって神から訓練
を受ける時、神とその救いを真剣に求めるようになり、神のみここ
ろを優先させ、それを選び取るという信仰的(霊的)な判断ができ
るようになるだけでなく、神のみこころを行う者に変えられて、神
が私たちになさせようとしておられるわざを成し遂げて、地上で神
の栄光を現すことができるのです。





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Last updated  2007.08.01 00:06:28
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Re:説教要約 298(07/31)  
感謝します。

『無駄な時間は無駄ではない。』子どもが学校に行かなくなったときに、この無駄と思える時間がどれほど大切な時間なのかと感じました。
エネルギーを蓄える時間であり、自分の時間、神からその子に与えられた、その子だけの時間の用いられ方であったのだと思います。
つい先日も、『無駄足』という言葉から
人生に無駄足があったら、、自分の歩いた歩数は何歩になるのか。なんて考えて笑ってました。
世の中に在るために、満たされている状態で、最善に向かって選び取るというのは難しいことです。
でも、その先に用意されている道があります。
生活をするとは「生かされている時を、活き活きと歩く」ことだと 訓練されてる恵みをひたすら喜びながら感謝しています。
『時間の正しい用い方(1)』には、杖でも背中に入れられたように、背筋が伸びました。笑
ありがとうございます。 (2007.08.01 07:04:08)

シオン☆けいさん  
昭島フリー  さん
書き込みをしてくださり、心から感謝しております。私自身は、多くの無駄や損失を省いて能率や効率を上げることを第一とする人間ですが、神さまは、もっと高い観点から人間の目には無駄と思えるところを通して私を訓練してくださるという体験を何回も何回もさせて頂きました。シオン☆けいさんの貴重な体験をお書きくださり、ほんとうにありがとうございます。主がシオン☆けいさんを豊かに祝福してくださいますように心からお祈りいたします。 (2007.08.01 08:54:24)

Re:シオン☆けいさん(07/31)  
昭島フリーさん
とても意味を持つ学びの時を与えられていることをそしてお祈りに感謝します。
今の私に、必要であるところを取り上げてくださっているのではないかと感じ入ります。感謝申し上げます。
聖書に出会い、祈りを覚え。時を待つということがとても楽になりました。
神さまがその子に与えた時を、主に倣い丁寧に関わりつづけ、そして祈り願い。ゆだね続ける。
自分の利益や、世間体などを少しでも考えてしまうと(邪気が入ると)、そこには何もなくなってしまいます。
祈る上で大切なこと、『心を常にシンプルに保つ』という訓練を受け続けています (2007.08.01 19:40:46)

シオン☆けいさん  
昭島フリー  さん
再び書き込みをしてくださり、ほんとうにありがとうございます。補足になりますが、二番目の「機会という時(社会的な時)」は、絶好の機会とかチャンス到来というように自分にとって有益な時になることですが、それでも、それはこの世だけのもので、神と永遠の救いには関係のないものです。しかし三番目の「神と救いを求める時(霊的な時)」は、この世だけのものではなく、神が私たちを訓練し、私たちを神のみこころにかなったものに形造られ、永遠の救いに至るもので、神の栄光が現れる時を意味していますので、そのようにご理解くださればと思います。主の豊かなご祝福をお祈りいたします。 (2007.08.02 13:55:30)

Re:シオン☆けいさん(07/31)  
ありがとうございます。
今日、学びの会で「マルコの福音書10章17-22節」を学びました。
救いを求めてきた一人の人が、
多くの資産を持っているために、
主の「従ってきなさい」に聞き従うことができなかった。
永遠の命(救い)を求めながら、従えなかった。

先生の書かれたこの部分が口をついて出ました。
◇悪いことを捨て、良いことを選ぶ。
◇良いことを捨て、より良いことを選ぶ。
◇より良いことを捨て、最も良いことを選ぶ。

持っているもの(生き方)を捨てるということは
難しいようでそうでもないかもしれません。
このチャンスは一度しかないと
訓練は目を閉じないようになされているものだと、
いつも目を開けて待っています。
感謝します。 (2007.08.02 20:20:01)

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