東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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10月1日朝の日記 象さん123さん

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2007.08.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「からだの正しい用い方(1)」

                コリント人への手紙、第一、6章19、20節

 「からだ」ということばは、一般的には、目に見えない非物質的
な部分である「霊」や「心」に対して、目に見える物質的な部分で
ある「肉体」を指していることは言うまでもありません。

 しかし聖書は、このような「肉体」という狭い意味だけでなく、
「全人間」または「全存在」という広い意味に用いている場合があ
ります。このようなことを念頭に置きながら、「からだ」について
学んでみましょう。

一、からだの正しいとらえ方について

 聖書は、人間の肉体について、いくつかの大切な真理を教えてい
ます。
 1.からだは、神が「土地のちり」で形造られたものです(創世
記2章7節)。
 2.肉体は、霊が離れ去ると死んでしまいます(創世記35章18
節、ルカ8章55節)。
 3.肉体は、「神から受けた聖霊の宮」です(第一コリント6章
19節)。
 4.肉体は、もろくて壊れやすい「土の器」です(第二コリント
4章7節)。
 5.肉体は、日々新たにされていく「内なる人(霊)」に対して、
年々衰えていく「外なる人」と呼ばれています(第二コリント4章
16節)。
 6.地上においては、「血肉のからだ」ですが、死んだ後に復活
するなら、天上においては、朽ちることのない不死の「御霊のから
だ」が与えられます(第一コリント15章44、53節)。
 7.現在の肉体は、「地上の幕屋」であり、年月が経つと壊れて
(死んで)しまうものですが、死後においては、復活のからだとい
う「神の下さる建物」があるのです(第二コリント5章1節)。

 おもなものを7つだけ取り上げてみました。このように聖書は、
からだというものは、もろくて壊れやすいが、聖霊の宮として非常
に大切なものであり、霊や心とは切っても切れない不可分の関係に
あって、からだも贖われて復活することを教えています。実に聖書
が教えている救いは、からだをも含めた全人間的な救いなのです。

二、からだの正しい在り方について

 私たちのからだを「あるべき状態」に保つためには、次のような
心構えが必要です。

 1.グノーシス主義のように、霊を善、肉体を悪とするまちがい
に陥らないこと。

 これは、肉体をもっている間は罪をまぬかれることはできないと
か、霊や心さえ聖く保っているならば、肉体は罪を犯してもかまわ
ないという極端な考えに走り、放縦な生活を容認することになるの
です。

 これに対して聖書は、「あなたがたのからだを、神に受け入れら
れる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ローマ12章1
節)と勧めており、「からだ」というものを「全人間」的、または
「全存在」的なものとして教えているのです。

 2.血肉のからだを軽視したり、肉体を甘やかしたりしてはなら
ないこと。

 私たちは、死んだ後に復活して「御霊のからだ」が与えられのだ
からと言って、「血肉のからだ」を軽視したり、もろくて壊れやす
い「土の器」だからと言って、肉体を甘やかしてはなりません。

 パウロは、「自分のからだを打ちたたいて従わせます」(第一コ
リント9章27節)と告白し、「自分のからだをもって、神の栄光を
現しなさい」(同6章20節)と勧告しています。私たちは、地上に
おいては復活のからだではなく、現在与えられている肉体をもって
神に仕えていかなければならないのです。

 3.健康で頑強な肉体に頼り、不健康で病弱な肉体を卑しめては
ならないこと。

 人間は、肉体を持っているために、独特な不自由さや不便さのみ
ならず、色々な弱さや悩み、また痛みや苦しみ、さらに様々な欲望
による誘惑や試練というものがあります。キリスト者といえども生
身のからだを持っている以上、病気や怪我をまぬかれることはでき
ません。私たちの大祭司であるキリストは、「私たちの弱さに同情
できない方では」なく(ヘブル4章15節)、「私たちの病を負い、
私たちの痛みをにな」うために来られたのです(イザヤ53章4節)。

 ですから私たちは、健康で頑強な自分の肉体に頼ったり、不健康
で病弱な人の肉体を卑しめたりしてはならず、かえって「自分も肉
体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いや」るこ
とが必要なのです(ヘブル13章3節)。

 4.肉体の弱さを覚えることで、高ぶらず、へりくだって神に拠
り頼むことができること。

 パウロは、「高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与
えられました」と述べています(第二コリント12章7節)。この
肉体のとげは、自分で作ってはならず、また普遍的に誰にでも与え
られるものでもありません。さらにこれは、純粋に肉体的な欠陥で
あり、その人が霊的に問題のないことが前提です。しかも治らない
ところにその意味がありました。肉体のとげは、特殊な場合ですが、
肉体の弱さは、だれにでもあります。それは、私たちが高慢になら
ないように、また絶えず神に拠り頼むために必要です。また不治の
病の中ですばらしいあかしをしているキリスト者も多くいます。こ
のような人たちは、不信仰な人々が主を信じるようになるために、
神が起こされた尊い器ではないでしょうか。

次回「説教要約 300」「からだの正しい用い方(2)」に続く





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Last updated  2007.08.03 00:10:11
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