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「宴席での教え」
甲斐慎一郎
ルカの福音書、14章7~14節
「招かれた人々が上座を選んでいる様子に気づいておられたイエ
スは、彼らにたとえを話され」ました(7節)。
「また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話され」ま
した(12節)。
一、婚礼の披露宴に招かれた人々に対するイエスのたとえ話
(7~11節)
当時のユダヤの披露宴では、招かれた人々が少しでも良い席にす
わろうとして、上座を選ぶ光景が見られました(7節)。これに対
して現在の日本の披露宴では、このような光景を見ることはできな
いでしょう。
しかし、現在の日本で披露宴の席順を争うようなことがないのは、
その前の段階における争いによって、初めから席次が決められてい
るからではないでしょうか。
すなわち現在の日本では、受験戦争をはじめ、様々な競争に勝ち
抜いて、社会的な地位(席)を獲得した者は、初めから良い席順が
確保されています。
このたとえ話は、世の婚礼の披露宴の座席にすわろうとしている
人々の姿を通して、神の国の食事の席にすわる--すなわち神の国
にはいる--ためには、どうすればよいのかということを教えてい
ます。
この世の披露宴の座席でさえ、自らの身分も地位もわきまえず、
尊大にふるまう者は、末席に着かせられ、自らの身分と地位をわき
まえて、謙虚にふるまう者は、上席に進められます(8~10節)。
「パリサイ人と取税人のたとえ話」の中の取税人のように、神の
前に心が貧しくて、へりくだっている者は、神の国にはいることが
できます。しかしパリサイ人のように、ほかの人々を見下して、高
ぶっている者は、神の国にはいることはできません(18章9~14
節)。
二、昼食や夕食のふるまいに客を招く人に対するイエスの教え
(12~14節)
当時のイスラエルでは、一般の民衆は、罪人と交際していません
でした。ですから昼食や夕食のふるまいをする人は、「友人、兄弟、
親族、近所の金持ちなどを呼」び(12節)、「貧しい者、からだの
不自由な者、足のなえた者、盲人たち」(13節)を招くことは少な
かったのでしょう。
イエスは、自分を招いてくれた人に、祝宴を催す場合は、お返し
する前者の人たちを呼ばずに、むしろ、お返しのできない後者の人
たちを招くように話されました。イエスはなぜこのようなことを言
われたのでしょうか。
イエスは、人が施しや祈りや断食をする時、自分の前でラッパを
吹いたり、会堂や通りの四つ角に立って祈ったり、やつれた顔つき
をしたりするなら、すでに自分の報いを受け取っており、神からの
報いも天上における報いもないことを教えられました(マタイ6章
2、5、16節)。
またイエスは、次のように話されました。
「返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたが
たに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりな
ら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。......返してもらう
ことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報い
はすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます」
(6章34、35節)。
この話は、地上において昼食や夕食のふるまいに客を招いた人が、
お返しを受けるかどうかということを通して、私たちに天上におけ
る報いがあるかないかということとともに、私たちが罪人と同じこ
とをしている者であるか、それとも神の子どもになっているかとい
うことを教えているのです。
拙著「キリストの生涯の学び」122「宴席での教え」より転載
