PR
Category
Keyword Search
Freepage List
Calendar
Comments
「幼子とおとなの違い」
甲斐慎一郎
ヘブル人への手紙、5章12~14節
「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じては
いません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、
経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たち
の物です」(13、14節)。
冒頭のみことばは、幼子とおとなの違いは、「経験によって良い
物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された」かどうかであると教え
ています。私たちは、経験によって何を訓練されるのでしょうか。
一、私たちの考え方を左右する経験
私たちは、ほとんどの物事に関して、ある思いや考えを持ってい
ます。しかしその思いや考えというものが真実で正しいものである
かどうかは、実際にその物事を経験しなければ分かりません。です
から私たちは、実際に経験しないうちは、そのことに関して真相を
知らないのだというわきまえを持たなければなりません。このわき
まえがないと、多くの問題が起こります。私たちは、経験によって
身につくものが三つあります。
第一は謙遜です。
私たちは、物事を実際に経験する時、その真相を知り、何と自分
は思い上がっていたのかを深く恥じるとともに、真相を知らずに人
を批判していた高慢な心が砕かれて、謙遜な人に変えられます。
第二は愛です。
私たちは、物事を実際に経験する時、その真相を知り、何と自分
は思いやりの心がなかったかを深く恥じるとともに、真相を知らず
に人を批判していた冷淡な心が砕かれて、愛に満ちた人に変えられ
ます。
第三は知恵です。
私たちは、物事を実際に経験する時、その真相を知り、何と自分
は愚かであったかを深く恥じるとともに、真相を知らずに人を批判
していた無知な心が砕かれて、知恵に満ちた人に変えられます。
二、人となられたキリストの経験
神の御子イエス・キリストは、私たちの救いのために人となられ
るという経験をされた神です。神が人となられるという経験によっ
て、次のような三つのものが現されました。
第一は謙遜です(ピリピ2章6~8節)。
神の御子キリストが人となるという経験をされなかったなら、私
たちは、神の驚くべき謙遜を知ることはできなかったでしょう。
第二は愛です(ヘブル4章15節)。
神の御子キリストが人となるという経験をされなかったなら、私
たちは、神の計り知れない愛を知ることはできなかったでしょう。
第三は知恵です(第一コリント2章7~9節)。
神の御子キリストが人となり、十字架の上で人類の罪を贖うとい
う経験をされなかったなら、私たちは、神の限りない知恵を知るこ
とはできなかったでしょう。
三、私たちがおとなになるための経験
神は、ご自身が人となるという経験をすることによって、その
「驚くべき謙遜」と「計り知れない愛」と「限りない知恵」を私た
ちに現されました。私たちも人間的には、苦しくて辛く、理解でき
ないような様々な経験をしながら、次のような三つのものを身につ
けていくことができるのです。
第一は謙遜です。
私たちは信仰によって高慢の罪がきよめられて謙遜が与えられま
す。しかし与えられただけでは借り物で真に自分のものとなってい
ません。それで様々なところを通り、色々な経験を積むことによっ
て真に自分のものとなり、訓練を受けて、ますます謙虚になってい
くのです。
第二は愛です。
私たちは信仰によって愛が与えられます。しかし与えられただけ
では借り物で真に自分のものとなっていません。それで様々なとこ
ろを通り、色々な経験を積むことによって真に自分のものとなり、
訓練を受けて、ますます愛が深くなっていくのです。
第三は知恵です。
私たちは信仰によって知恵が与えられます。しかし与えられただ
けでは借り物で真に自分のものになっていません。それで様々なと
ころを通り、色々な経験を積むことによって真に自分のものとなり、
訓練を受けて、ますます知恵が増し加わっていくのです。