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「前進する力を与える十字架」
甲斐慎一郎
ルカの福音書、13章31~35節
「わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりま
せん」(33節)。
これは、キリストがパリサイ人に「ここから出てほかの所へ行き
なさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています」(31節)と言わ
れた時、彼らに語られた言葉です。キリストは、だれが、どのよう
な方法で十字架への道を阻もうとしても、十字架につけられるため
にエルサレムに向かう決意は少しも変わりませんでした。この言葉
から私たちが前進するための秘訣について学んでみましょう。
一、前進を妨げる過去の問題の解決--義認の信仰に生きる
私たちの前進を妨げる第一のものは、忘れようとしても、忘れる
ことができない過去の罪や失敗また忌まわしい出来事です。
聖書は、イスラエル人が主に罪を犯して蛇にかまれた時、彼らが
「旗ざおの上につけた......青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた」という
ことを記し(民数記21章9節)、旗ざおの上につけられた青銅の
蛇は、キリストを表していると教えています(ヨハネ3章14節)。
十字架を仰ぐとは、私たちの罪のために死なれたキリストを信じ
ることであり、そうする時、罪を赦され、罪責と刑罰が取り除かれ
ます。過去の罪や失敗また忌まわしい出来事を葬り去るものは、キ
リストの十字架であり、私たちを義と認めてくださる信仰に生きる
ことこそ前進していくための第一の秘訣です。
二、前進を妨げる現在の問題の解決--聖化の信仰に生きる
私たちの前進を妨げる第二のものは、私たちを右や左にそらせよ
うとする誘惑です。
キリストは、公生涯の初めに悪魔から、石をパンに変えよという
誘惑(目的のためには手段を選ばないという誘惑)、神殿の頂から
身を投げよという誘惑(神の言葉の範囲を越えて自由にふるまうと
いう誘惑)、悪魔を拝んで、この世の栄華を得よという誘惑(十字
架の道を避けて栄光に至るという誘惑)を受けられ(マタイ4章1
~11節)、また十字架につけられるためにエルサレムに行こうとし
ている時も、ほかの所に行くように誘惑を受けられましたが、退け
られました(31、33節)。
パウロは「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられ
たのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷
でなくなるためである」と述べています(ローマ6章6節)。
キリストとともに十字架につけられるとは、自我を全く神に明け
渡して、聖霊によって罪がきよめられたと信じることであり、そう
する時、罪のからだ(私のうちに住む罪)が滅んで、罪の奴隷でな
くなります。現在、受けている罪の誘惑を退け、罪に打ち勝つ力を
与えるものは、キリストの十字架であり、私たちの罪をきよめてく
ださる信仰に生きることこそ前進していくための第二の秘訣です。
三、前進を妨げる将来の問題の解決--栄化の信仰に生きる
私たちの前進を妨げる第三のものは、将来に対して何の使命もビ
ジョンも持たないために、過去の悪いことにとらわれて自己憐憫に
陥ったり、現在、行っていることで自己満足したり、小成に安んじ
たりすることです。
パウロは「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリスト
の苦しみにもあずかることも知って、キリストの死と同じ状態にな
り、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。......ひ
たむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に
召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っ
ているのです」と述べています(ピリピ3章10、11、13、14節)。
将来に対する使命やビジョンが何であれ、その使命を果たし、ビ
ジョンを実現するものは、私たちの罪を赦して、義と認め、私たち
のうちに住む罪をきよめてくださるキリストの十字架であり、「私
たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてく
ださる」(同3章21節)信仰に生きることこそ前進していくための
第三の秘訣です。