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「ヤコブの子ユダ」
甲斐慎一郎
ヨハネの福音書、14章18~24節
十二使徒の中にユダという名の人がふたりいます。ひとりはヤコ
ブの子ユダ、もうひとりはイスカリオテ・ユダです。十二使徒の名
簿においてマタイとマルコは、ヤコブの子ユダをタダイという名で
載せていますが(マタイ10章3節、マルコ3章18節)、ルカはヤ
コブの子ユダと記しています(ルカ6章16節、使徒1章13節)。そ
してヨハネは、ヤコブの子ユダを裏切り者のユダと区別するために
「イスカリオテでないユダ」と書いています(22節)。
一、イエスの弟子になっただけでなく、十二使徒のひとりに
選ばれたユダ(ルカ6章16節)
ヤコブの子ユダのことは、十二使徒の名簿の中に名を連ねている
ことと、イエスが十字架につけられる前の日に弟子たちに「訣別の
説教」をされた時、彼が主に質問したことばと(22節)、この二つ
のことしか新約聖書は記していません。
ですからヤコブの子ユダの家族がどのような人であったのか、そ
の職業は何であり、また生まれつきの人柄や持ち前の性格はどうな
のか、そしてイエスの弟子になった経緯はどのようなものであった
かについてはほとんどわかりません。ただ大ぜいの弟子の中から十
二使徒のひとりに選ばれたのですから、イエスの目に留まり、主
「ご自身のお望みになる者たち」のひとりであったことだけは確か
です(マルコ3章13節)。
二、イエスがご自分を世には現そうとなさらないのを知って、
どういうわけかを主に質問したユダ(18~24節)
ヤコブの子ユダは、十二使徒のひとりに選ばれ、喜んでイエスに
ついていきました。しかし彼も、ほかの使徒たちと同じようにイエ
スを「イスラエルのために国を再興してくださる」(使徒1章6節)
メシヤとして期待していました。そのイエスが受難週の日曜日にエ
ルサレムに入城され、大ぜいの群衆はイエスを熱狂的に歓迎したの
です。これを見たユダは、イスラエルの国の再興が近いことを直感
し、期待に胸ふくらませたにちがいありません。
ところが四日後の木曜日にイエスは、「訣別の説教」において、
ご自身を愛する人にだけ、「わたし自身を彼に現します」と言われ
ました(21節)。ユダは、このことばを聞くと、がっかりし、すぐ
「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現そうとしながら、世には
現そうとなさらないのは、どういうわけですか」と質問しました
(22節)。この質問は、言い換えれば、「主よ。もしあなたがほん
とうにメシヤであられるなら、そのことを少数の弟子だけでなく、
世のすべての人に現すべきではありませんか」ということです。
ヤコブの子ユダも、ご多分にもれず、五旬節の日に聖霊に満たさ
れるまでは、イエスを私たちに御霊をお与えになるために(16節、
使徒2章33節)、「罪のきよめを成し遂げ」る(ヘブル1章3節)
受難のメシヤとして理解することができず、イエスをローマ帝国の
圧政からイスラエルの国を救い出してくださる栄光のメシヤとして
夢見ていたのです。
三、人の目には忘れられた使徒であったが、神の前に忠実に
仕えて生涯を閉じたユダ
ヤコブの子ユダは、十二使徒の中では全く目立たない存在で、彼
のことは、「訣別の説教」の時にイエスに質問したことば以外は、
新約聖書に何も記されていません。しかしユダは、五旬節の日に聖
霊に満たされる前も、その後も、ほかの使徒たちと行動をともにし
(使徒6章2節、8章1節)、イエスの大宣教命令に従って地の果
てまで福音を宣べ伝えました。
アルパヨの子ヤコブとヤコブの子ユダは、「忘れられた使徒」と
呼ばれています。このふたりは、人の目には宣教の働きにおける名
声も業績も覚えられることなく、また認められなかったかもしれま
せん。しかし神の前において「死に至るまで忠実」に仕え(黙示録
2章10節)、さばきの座において「よくやった。良い忠実なしもべ
だ」と神から賞賛を受けることでしょう(マタイ25章21節)。
ヤコブの子ユダは、ペルシャに伝道し、その地で殉教の死を遂げ
たと言われています。
拙著「使徒ヨハネの生涯」29「ヤコブの子ユダ」より転載
甲斐慎一郎の著書 → 説教集