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「ハッピネスとブレッスィング」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年8月3日放映「キリスト教の信仰」
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2384&type=vod&player=8&bit=high&vid=57593&dreamon=Y
「ハッピネスとブレッスィング」
甲斐慎一郎 詩 篇84篇1~12節
人がどんなに幸福を求めている者であるかということは、「幸福」
という「青い鳥」を探し求めるチルチルとミチルを描いたメーテル
リンクの児童劇をはじめ、カール・ブッセの有名な詩である「山の
彼方の空遠く」、そして数多くの「幸福論」と名のつく書物が出版
されているのを見てもわかるでしょう。
数多い「幸福論」の中で、次のようなカール・ヒルティーの言葉
は、幸福を求めてやまない人の心を最もよく表しています。
「人間が意識に目覚める最初の瞬間から、意識の消滅に至るまで、
最も熱心に求めるものは、やはり何と言っても幸福感である。そし
て彼が体験する最も苦痛に満ちた瞬間は、この地上では幸福は見い
だすことができないのだと完全に確信した時である」。
英語において幸福と訳されることばには、「ハッピネス」と「ブ
レッスィング」の二つがあります。
一、ハッピネス--いくつかの偶然がうまく重なった幸運な
出来事
英語の「ハッピネス」の形容詞である「ハッピー」には、「出来
事などが巡り合わせのよい」という意味があり、「ハップン」は、
「たまたま......である」という意味です。
日本語には、次のような諺があります。
1.禍福はあざなえる縄のごとし
禍は福となり、福は禍となり、常に相表裏して、変転することを
縄のよれあうのにたとえたもの(広辞苑)。
2.人間万事塞翁が馬
人生の吉凶禍福は、縄をなうようにめぐってくるもの。禍が福に
なったり、福だと思っていると、禍になったりするものなので、禍
も悲しむにあたらず、福も喜んでばかりいられないもの(ことわざ
辞典)。
この諺に記されている「福」が「ハッピネス」であり、「いくつ
かの偶然がうまく重なった幸運な出来事」が「ハッピネス」です。
ハッピネスは、「禍がたまたま福になったもの」で、「福だと思っ
ていると禍になったりする」もので、極めて不確実なものです。
二、ブレッスィング--神が与えてくださる真の祝福
この詩篇には、「なんと幸いなことでしょう」という言葉が三回
も記され(4、5、12節)、幸いの三つの段階を教えています。
1.神を求める幸い(1~4節)
ここには、「慕わしい」とか、絶えいるばかり(死ぬほど)「恋
い慕って」という言葉が記され、詩篇四二篇の記者のように「生け
る神を求めて渇いてい」る姿が描かれています(2節)。すなわち
全身全霊をもって神を慕い求めているのです。真の幸福の第一段階
は、この神を求める幸いです。
2.神にある幸い(5~8節)
このように神のみを慕い求める人は、「その力が、あなた(神)
にあり、その心の中にシオンへの大路(すなわち神に近づく心)」
があり(5節)、「シオンにおいて、神の御前に現れます」(7節)
とあるように、ついには神にまみえ、神と一つになって、その力も、
その心も神にあるようになります。このような人は、目に見えるも
のや周囲の環境に惑わされず、神のみを喜ぶことができ、神にある
幸いを知っているのです。真の幸福の第二段階は、この神にある幸
いです。この幸いを知っている人は、「涙の谷を過ぎるときも、そ
こを泉のわく所とします」(6節)とあるように、苦難と試練の涙
の谷を過ぎるようなことがあっても、そこを祝福と恵みの泉がわく
所とするのです。
3.神の与える幸い(9~12節)
最後にこの詩篇の記者は、「主は恵みと栄光を授け、正しく歩く
者たちに、良いものを拒まれません」と言っています(11節)。こ
れは、神から恵みと栄光と良いものが豊かに与えられることです。
真の幸福の第三段階は、この神の与える幸いです。この神の与える
幸いは、神を求める幸いを体験し、神にある幸いを体得した者だけ
が、ほんとうの意味において得ることができるものなのです。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集