PR
Category
Keyword Search
Freepage List
Calendar
Comments
「苦難と栄光」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年11月7日放映「神に会う備え」
http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2384&type=vod&player=8&bit=high&vid=58799&dreamon=Y
「苦難と栄光」
甲斐慎一郎
ピリピ人への手紙、1章27~30節
人間の生涯や人生には「善と悪」「正義と不正」「聖さと汚れ」
などの道徳や倫理だけでなく、「栄光と苦難」「祝福と災い」「利
益と損害」などの先天的および後天的な賜物や境遇の違いというも
のがあります。キリスト教は前者には罪からの救いが与えられます
が、後者にも救いと解決が備えられています。
多くの人たちは後者について「栄光や祝福や利益」はプラス(ポ
ズィティブ)、「苦難や災いや損害」はマイナス(ネガティブ)と
してとらえ、マイナスには目をつぶり、プラスだけを求めています。
しかし世の諺でさえ「禍福はあざなえる縄のごとし(災いと幸いは
寄り合わされた縄のように互いに表裏をなして変転する)」という
のがあり、キリスト者は、このようにとらえてよいのでしょうか。
一、キリスト者は、キリストを信じる信仰だけでなく、キリ
ストのための苦しみをも賜ったと教えているパウロ(ピリピ1
章29節)
パウロは、ピリピの教会の人々に「あなたがたは、キリストのた
めに、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみ
をも賜ったのです」と記しています(29節)。
キリストを信じる信仰によって祝福や栄光が与えられますから、
これはポズィティブなもので、キリストのための苦しみはネガティ
ブなものです。聖書は、キリスト者は、ポズィティブなものだけで
なく、ネガティブなものも与えられると明白に教えています。
二、年をとると、キリストのためにより高尚で、困難なこと
を学ばなければならなかったペテロ(ヨハネ21章18節)
キリストは、ペテロに「あなたは若かった時には、自分で帯を締
めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなた
は自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行
きたくない所に連れて行きます」と言われました(18節)。
これは、「あなたは若かった時は、わたしのために働き、心のま
まにあちこちに行き、自分の奉仕の方法を選ぶことができましたが、
年をとると、わたしのためにより高尚で、困難なことを学ばなけれ
ばなりません。すなわちわたしのために苦しむのです。自分でその
わざを選ぶのではなく、ほかの人が選びます。またそのわざは自分
で奉仕するのではなく、ほかの人から苦しめられます。これはペテ
ロだけでなく、一般のキリスト者の生涯も同じであり、常に奉仕に
始まり、苦難によって完成します。そして奉仕によって学ぶことが
できない教えが、しばしば苦難によって教えられることがあるので
す」(R・C・トレンチ)ということを教えています。
三、苦しみを受けてから、栄光に入ると仰せられたキリスト
(ルカ24章26節)
「キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼
の栄光に入るはずではなかったのですか」と言われました(26節)。
十字架こそ栄光に至る唯一の道であり、「ノークロス・ノークラウ
ン(苦難なくして栄冠なし)」という諺の通りです。パウロは「今
の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永
遠の栄光をもたらす」と記しています(第二コリント4章17節)。
聖書は、「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではな
く、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによっ
て訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」と教えています
(ヘブル12章11節)。
主の兄弟ヤコブは「さまざまな試練に会うときは、それをこの上
もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じ......その
忍耐を完全に働かせ......れば......何一つ欠けたところのない、成長
を遂げた、完全な者となります」と述べています(1章2~4節)。
ヨブ記の主題は、「完全な人の完成」です。苦難に会う前のヨブ
は、「潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた」完全な人
でしたが(1章1節)、この苦難を乗り越えることによってきよめ
られ、完成しました(42章1~6節)。「苦難は、変装した祝福
である」と言われる通りです。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集