東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

昭島フリー

昭島フリー

Freepage List

Calendar

Favorite Blog

10月1日朝の日記 象さん123さん

Comments

聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2013.02.19
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

「どこまでも真実な神」

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年11月15日放映「神の愛と人の愛」

http://japan.cgntv.net/_inc/player.asp?pid=2384&type=vod&player=8&bit=high&vid=58910&dreamon=Y

  • 130224特礼チラシブログ用.jpg

  • 「どこまでも真実な神」  
                                               甲斐慎一郎
                          ローマ人への手紙、3章4節

     「すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきで
    す」(4節)。

    一、疑惑と不信仰について

      私たちが何かを信じるか信じないかという時、信じたいけれども
    信じられないという心と、信じたくないという心があります。前者
    は、真理を探求する「疑惑」で、知性の問題ですが、後者は、真理
    を拒否する「不信仰」で、意志の問題です。

     主は、「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、
    この教えが神から出たものか......がわかります」と言われました(ヨ
    ハネ七章17節)。真理を探求する意志があるなら、疑惑は晴れて、
    信じることができるようになります。しかし「神を知ろうとしたが
    らない」なら(ローマ1章28節)、すなわち真理を探求する意志が
    ないなら、疑惑を解くことができる証拠を示されても、決して信じ
    ないでしょう。これが不信仰です。

    二、ハンナの心に疑惑を生じさせた苦難

      ハンナが置かれた境遇は、実に多難であり、その心に六つ疑惑が
    生じたことでしょう。

    1.なぜ神は、私の胎を閉じ、子どもを生めないからだにされた
    のか。
      2.なぜ夫は、子どもが生めない私をあきらめて、ペニンナを妻
    として迎えたのか。
      3.なぜペニンナに子どもが生まれ、私には子どもが生まれない
    のか。
      4.なぜペニンナは、神を疑わせるように私をいらだたせるのか。
      5.なぜエリは、私の祈りと酒の酔いとの区別がつかないのか。
      6.私が子どもを欲しがっているのは、ペニンナを見返すためで
    はないのか。

    私たちは、疑惑の念を抱いたままなら、 遅かれ早かれ、不信仰に
    なってしまうことでしょう。不信仰にならないために疑惑を解くこ
    とは非常に大切なことです。

    三、どこまでも真実な神を信じる意志を働かせて疑惑を克服
    したハンナ

      ハンナの心には六つの疑惑がありました。

    1.神は、私の胎を閉じられた。
    2.夫は、第二の妻をめとった。
    3.ペニンナは、簡単に子どもを生んだ。
    4.ペニンナは、私をいじめた。
    5.祭司エリは、私を酒酔いと間違えた。
    6.子どもを欲しがる私の動機は、不純ではないのか。

     この六つの疑惑を整理するなら、「1」は「神への疑惑」、「2」
    から「5」は「人への疑惑」、「6」は「自分への疑惑」です。
    「2」から「6」の疑惑の原因はすべて[1」にあります。もし
    「1」がなければ、「2」から「6」もなかったことでしょう。

     ハンナは「主に祈って激しく泣き」、「心を注ぎ出して」、「祈
    ってい」ましたが(第一サムエル1章10、15、16節)、そのような
    中で彼女は、「すべての人(他人と自分)を偽り者としても、神は
    真実な方であるとすべきです」(4節)、「私たち(他人と自分)
    は真実でなくても、彼(神)は常に真実である」(第二テモテ2章
    13節)ことが分かり、心からこの神を信じたにちがいありません。

     ここに顔も知らない父(または母)と生き別れになった息子(ま
    たは娘)がいて、何十年か振りに再会したとしましょう。この息子
    (または娘)は、目の前の人が自分の父(または母)であることは、
    確かな証拠(DNAの一致など)があって証明されるなら、認めざ
    るを得ないでしょう。しかし彼(または彼女)は、意志を働かせて、
    その父(または母)を受け入れ(すなわち信じ)なければ、正しい
    父子(または母子)関係は成り立たず、その父(または母)を知る
    ことはできません。

     「神は、知性と感情と意志とを持っておられる霊であり、人間も
    また、知性と感情と意志とを持っている霊である」(G・C・モル
    ガン)。意志を持っている私たちが、意志を持っておられる神を知
    るには、証拠を確かめて認めるだけでは不十分であり、意志を働か
    せて信じなければなりません。これこそほんとうの信仰なのです。

    甲斐慎一郎の著書 → 説教集

    東京フリーメソジスト昭島キリスト教会








    お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

    Last updated  2013.04.18 23:06:36
    コメント(0) | コメントを書く


    【毎日開催】
    15記事にいいね!で1ポイント
    10秒滞在
    いいね! -- / --
    おめでとうございます!
    ミッションを達成しました。
    ※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
    x
    X

    © Rakuten Group, Inc.
    X
    Design a Mobile Site
    スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
    Share by: