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「善悪を決める規準」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2013年5月28日放映「 父と子の交わり
」
「善悪を決める規準」
甲斐慎一郎
申命記12章25~28節
「あなたは主が正しいと見られることを行わなければならない」
(25節)。
神の創造された自然界の中で、人間が個人として、国民として、
また信仰者として、あらゆる危険から守られ、正しく生きていくた
めには、神が定められた法則や人間が制定した規準を知り、それを
守ることが必要です。
一、飛行機が安全に飛ぶための規準
昔の飛行機は、有視界飛行でしたので、安全に飛ぶことができる
かどうかは、パイロットの操縦の腕にかかっており、雲の中や夜中
は安全に飛ぶことは不可能でした。現在は、計器飛行ですから、雲
の中でも夜中でも安全に飛ぶことができます。
ナポリからベンガジの基地に向かっていた飛行機が、基地から七
百キロメートルも離れた所で遭難していました。調査した結果、計
器飛行に未熟なパイロットが感覚に頼って飛んだために、目的地を
通り過ぎて遭難したことがわかりました。
人間の感覚は当てになりませんから、私たちは自分を導いてくれ
る信頼できる規準を持たなければなりません。空を安全に飛ぶため
には、自然法則を正確に示す計器と、パイロットが自分の感に頼ら
ず、計器を信じることが必要です。
二、善良な国民であるための規準
私たちが住んでいる社会は、国民の意志によって制定された法律
に基づいて政治が行われている法治国家です。ですから私たちが社
会において善良な市民であるのか、それとも犯罪者であるのかとい
うことは、この法律を守っているかどうかによって決まります。
私たちは、自分は善良な市民であると、どんなに主張しても、法
律を破れば犯罪者であり、反対に自分は悪人であると言い張っても、
法律を守っていれば、善良な市民です。国の法律に関係なく、自分
の考えで、善良な市民であるか、悪人であるかを判断しても何の意
味もないのです。
三、人間が正しく生きるための規準
士師記の17章から21章には、読むに耐えないような醜悪で残
虐が出来事が詳細に記されていますが、このようになった原因を聖
書は、「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた」
からであると鋭く指摘しています(17章6節、21章25節)。
正しいと見えることを行いながら、なぜ醜悪で残虐な出来事が起
きてしまうのでしょうか。問題は、「正しいと見えること」にある
のではなく、「めいめいが自分の目に」のほうにあります。すなわ
ち何を善と見るか、悪と見るかということよりも大切なことは、そ
の善悪を決める規準が何かということです。
聖書は、「あなたがたは主が正しいと見られることを行わなけれ
ばならない」(申命記12章25節)と、善悪の規準は神の目である
と教えています。しかし神のことばを知らなければ、必ず善悪の規
準が神の目ではなく、自分の目になるにちがいありません。
人間というものは、悪いことをする時、必ずしも悪いと思ってし
ているのではなく、かえって正しいと思い、正しいと信じて、悪い
ことをしているのです。まさに聖書が教えているように人間は、主
が正しいと見えることを行わない限り、「自分の目に正しいと見え
ることを行」い、それが神の目に悪いことをしていることになるの
です。
私たちの人生は、一寸先は闇の中を歩む生涯ですから、自分の感
に頼って歩むなら、どこへ行くのかわからず、必ずつまずいて、人
生の落伍者になってしまうでしょう。
真っ暗な空を安全に飛ぶためには、自然法則を正確に示す計器と、
パイロットが自分の感に頼らず、計器を信じることが必要であるよ
うに、人生も自分の感に頼らず、人間の正しい生き方を教えている
神のことばを信じて生きることが必要なのです。
甲斐慎一郎の著書 → 説教集