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「神を求めなさい」 2014年10月23日
昭島教会のホームページ、引っ越しました→ こちら
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しました。2012年7月23日放映 「キリスト教の神髄」
「神を求めなさい」
甲斐慎一郎
マタイの福音書、7章7節
「求める」とは、どのようなことでしょうか。それには、人間が
生きていくために不可欠なものですが、罪の誘因になりやすい「欲
望」との関係を知る必要があります。
一、求めの意味――欲望との違い
人には様々な欲望がありますが、ある人は、15の「肉の行い」
(ガラテヤ5章19~21節)を分類して、最初の3つが「性欲」、次
の2つが「礼拝欲」、次の8つが「社交欲」、最後の2つが「飲食
欲」であると述べています。
1.からだに関しては、飲食欲や性欲など、自らの生命と、その
子孫とを絶やさずに保とうとする「保存欲」です。
2.たましいに関しては、他の人や物と交わり、それを知ろうと
する「社交欲」です。
3.霊に関しては、人間よりも偉大な神を崇拝し、礼賛しようと
する「礼拝欲」です。
欲求(欲望)は、神によって人間に与えられたもので、これ自体
は善でもなければ悪でもなく、中性です。パーカイザーは、これを
自動車のエンジンにたとえて、「自動車を動かしはするが、その方
向を決定するものではない」と述べています。
◆求めなさい――求めの第一段階で、自らの願いを告白し、要求
することです。
◆捜しなさい――求めの第二段階で、口で要求を告げるだけでな
く、頭と心を用いて得るまで熱心に動き回ることです。
◆たたきなさい――求めの第三段階で、行動するだけでなく、手
応えがあるまで相手に自分の願いをはっきりと伝えることです。
二、まちがった求め――貪欲(むさぼり)
私たちは、いったい何を求め(対象)、何のために求め(動機)、
どのように求め(方法)ているでしょうか。貪欲(むさぼり)は、
単に欲が深いというようなものではなく、次のような深い意味があ
ります。
1.求める対象がまちがっている――求めてはならないものを求
めることです(出エジプト20章17節)。
2.求める動機がまちがっている――悪い動機で求めることです
(ヤコブ4章3節)。
3.求める方法がまちがっている――目的のためには手段を選ば
ないことです。
欲望は、その求める「対象」と「動機」と「方法」をまちがえる
なら、恐ろしい罪の誘因になるだけでなく、正しいもので満たされ
ないために、余計に心が渇いてむなしくなり、さらに貪欲の罪を犯
すという悪循環に陥ってしまうのです。
三、正しい求め――神とその救いを求める
これに対して私たちの心をほんとうに満たしてくれるのは、神と
その救いです。
使徒パウロは、「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからで
す。……神の人よ。あなたは、これらのこと(金銭を愛すること)
を避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい」と勧めて
います(第一テモテ6章10~12節)。
「心がけないで、どんな人でも学者として有名になったり、富め
る者となることができないように、どんな人でも心がけないで顕著
な敬虔な人になることはできません。宗教において一般的に、人は
自分の意図するような者となっています。その人の持っている信仰
の量も品性も、ちょうど自分が欲し、取り組んでいるものと同じで
す。神の聖徒であるバックスターやペーソンやエドワードのように、
非凡な敬虔に到達した人々も、結局は自分が得ようと意図したもの
を獲得したのです。わずかな平安と慰めしか持っていない世俗的な
宗教家たちも、結局は、彼らが自分で意図したような品性を得てい
るのです。もしこれらが真理であるとするなら「イエス・キリスト
の恵みと知識において成長しなさい」(第二ペテロ3章18節)とい
う命令が適切であることを理解することができるでしょう。そして
それと同時に、なぜ信仰を告白している人たちの中の多くの人々が
敬虔においてあのような貧弱な達成にしか届いていないかがわかる
でしょう」(バーンズの注解)。
次回は2014年10月30日「神が求められること」です。
甲斐慎一郎の著書
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説教集