東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2014.10.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類

「神が求められること」     2014年10月30日


昭島教会のホームページ、引っ越しました→ こちら

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2012年8月3日放映 「キリスト教の信仰」

140122人類の新しい始祖であるキリスト.jpg

罪からの救いを受けるには、罪を悔い改め、ただ救い主イエス・
キリストが私の罪のために死んでくださったことを信じればよいの
であり、そうするなら、死の支配からいのちの支配に移ることがで
きます。これこそ罪からの救いであり、修行や苦行は一切不要です。

「神が求められること」

                                         甲斐慎一郎
                            ヘブル人への手紙、11章6節

一、人が私たちに求めること

  世の人々が私たちに求めることは、「努力しなさい」「頑張りな
さい」「最善を尽くしなさい」です。「頑張るとは、何かをやり遂
げようと困難を耐え忍んで、一生懸命に努力する」ことです。なぜ
なら、この世の原理は、次のようなものだからです。

1.この世は生存競争の世界です
 この世では、生き残るために、あらゆることにおいて競争に勝た
なければなりません。
2.この世は自己宣伝の世界です
 そのためこの世では、相手を蹴落としてでも自分を売り込んでい
かなければなりません。
3.この世は弱肉強食の世界です
 その結果、この世では、強い者が弱い者を征服して、支配するの
です。

 世の中において仕事をして生きていくためには、「努力すること」
「頑張ること」「最善を尽くすこと」は必要で、怠けていたのでは、
生きていくことはできません。

 仕事をするために、この三つのことは必要ですが、人格の成長の
ためには何の役にも立ちません。なぜなら人は、罪人であり、どん
なに「努力し、頑張り、最善を尽くし」ても、罪から救われること
はできないからです。

二、神が私たちに求められること

 これに対して神が私たちに求めておられることは、「努力するこ
と」でも「頑張ること」でも「最善を尽くすこと」でもなく、「神
を信じなさい」です(マルコ11章22節)。

 聖書は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神
に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくだ
さる方であることとを、信じなければならないのです」と教えてい
ます(ヘブル11章6節)。

 キリストは、マルタに「もしあなたが信じるなら、あなたは神の
栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」と仰せられまし
た(ヨハネ11章40節)。

 キリストが宣教を開始して最初に語られたことばは、 「時が満ち、
神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」
であり(マル
コ1章15節)、パウロも、その伝道の生涯において、はっきりと主
張したことは、 「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対す
る信仰」
でした(使徒20章21節)。

 「悔い改め」は、神に背を向け、「自分かってな道に向かって行」
く(イザヤ53章6節)ことをやめて、180度、転回し、罪に背
を向け、「神に向かって行く」ことです。 言い換えれば「神を信
じること」を裏から見れば、神に背を向け、「自分かってな道に向
かって行」くことをやめる「悔い改め」であり、表から見れば、罪
に背を向け、「神に向かって行く」「信仰」なのです。

 聖書は、「彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名
に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなか
った」と記しています(黙示録16章9節)。キリストは、「信じ
るなら……神の栄光を見る」(ヨハネ11章40節)、すなわち「神
をあがめる」と仰せられたのですから、「悔い改め」と「信仰」は、
表裏一体なのです。

 神は私たちに「信仰」を求めるだけで、「努力すること」「頑張
ること」「最善を尽くすこと」を求められることはないのでしょう
か。そうではありません。神は、人格の成長すなわち罪からの救い
に関しては「努力すること」「頑張ること」「最善を尽くすこと」
を求められることはありません。なぜなら人は「罪過……の中に死
んでい」る(エペソ2章1節)ので、罪を犯すことしかできず、行
いによって罪から救われることはできないからです。

  聖書が教えている罪からの救いは、律法の行いによってではなく、
「信仰によって義と認められ」、そして罪から救われた者は、「信
仰によって……律法を確立する」のです(ローマ3章31節)。その
ように 信仰によって罪から救われた者は、神の力によって(神が力
を与えてくださるので)、「すべてあなたの手のなしうる事は、力
をつくしてな」す(伝道者9章10節、口語訳)ことができるのです。


次回は2014年11月6日「信仰の妨げ(1)人への恐れ」です。

甲斐慎一郎の著書 → 説教集

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Last updated  2014.11.01 21:25:33
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