東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

昭島フリー

昭島フリー

Freepage List

Calendar

Favorite Blog

9日の日記 New! 象さん123さん

Comments

聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2016.01.31
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「罪を憎んで人を憎まず」

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network 
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年7月24日放映「 神の恥と人の恥 」 
  • 131222神の謙遜と人の謙遜ブログ.jpg
「罪を憎んで人を憎まず」 
                            甲斐慎一郎
                    テモテへの手紙、第一、2章4節
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望ん
でおられます」(第一テモテ2章4節)。

一、罪を憎んで人を憎まず――人の善悪を判断する時、感情
移入をしないで、法律だけで人の善悪を判断することである
  「罪を憎んで人を憎まず」という言葉には、様々な解釈がありま
すが、共通している解釈は「実現不可能な理想論」ということです。
なぜなら「罪は憎むが、人は憎まない」ということは「罪」と「人」
を分離しなければ到底不可能なことだからです。現実の問題として
「罪」と「人」を分離することなど、絶対にできないことで、もし
分離すれば、人間ではなくなってしまうからです。
 法曹界の人(裁判官、検事、弁護士)が「これは法の精神を教え
るもので、人を裁く時、感情移入をしないで――容疑者に同情した
り、容疑者を軽蔑したりしないで――ただ法律の文言だけで人を裁
くことである」と説明していました。これは一般の人にも当てはま
ることで、人の善悪を判断する時、感情移入(同情や軽蔑)をしな
いで、法律や道徳の教えだけで人の善悪を判断することです。

説教要約 215   神の恥と人の恥

二、罪を憎んで人を憎まず――法律と神の教えに従って、人
の罪も自分の罪も許さない人こそ、正しく、きよい人である
 キリスト者を含めた世の人の中に、悪人の罪を許すことは美徳で
あると考えている人がいますが、それは誤りです。聖書の教えによ
れば、「罪の赦し」は「義と認められる」ことと同じで(使徒13
章38、39節)、「罪を犯さなかった者とみなす」という意味です。
もし警察官や法曹界の人(裁判官、検事、弁護士)が容疑者の罪を
許し、罪を犯さなかった者とみなすなら、社会は無法地帯となりま
す。国民も法律を守って、人の罪も自分の罪も許さない人こそ善良
な市民です。罪を憎む人は義人で、罪を愛する人は悪人です。「罪
を憎んで」というのは、このような意味なのです。

説教要約 867  神の謙遜と人の謙遜

三、罪を憎んで人を憎まず――人を罪に定める権威も罪を赦
す権威も人にはないので、人も自分も神のさばきにゆだねるこ
とである
 それでは、警察官や法曹界の人(裁判官、検事、弁護士)、また
善良な市民は、「罪を憎む」ことはよいとしても「人を憎んで」よ
いのでしょうか。決してそうではありません。
 「罪」と「人」を分離することなどできませんから、罪を憎むこ
とは、同時に人を憎むことでもあり、「罪を憎んで人を憎まず」と
いうのは、「実現不可能な理想論」です。それでは、どうすればよ
いのでしょうか。そもそも「人を憎む」のは、「人の中に罪がある」
からで、もし「人の中から罪が取り除かれる」なら、「人を憎む」
ことはなくなるわけです。
 しかし現実の問題として「人の中から罪を取り除く」ことなど、
できるのでしょうか。「それは人にはできないことです。しかし、
神にはどんなことでもできます」(マタイ19章26節)。神は、イ
エス・キリストをこの世に遣わし、キリストの十字架による罪の贖
いによって「罪の行いを赦し」、「うちに住む罪をきよめ」てくだ
さいます。私たちは、心から罪を悔い改めて、キリストが私たちの
罪を贖ってくださることを信じるなら、義と認められ(罪が赦され)、
さらに「イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(第一
ヨハネ1章7節)と信じるなら、聖霊によって「うちに住む罪」が
きよめられます。
  このように私たちの罪が取り除かれて、きよめられるなら、ほか
の人が私たちに罪を犯した時、それは神に対して犯したもので、し
かも「律法を定め、さばきを行う方は、ただひとりであり、その方
は、救うことも滅ぼすこともできます」から(ヤコブ4章12節)、
私たちには「人を罪に定める権威」も「人の罪を赦す権威」もなく、
それは神のみ持っておられるので、私たちはその人を神のさばきに
ゆだねることができます。これが私たちにとって、その人の罪を赦
すことになるのです。このようにして私たちは、「罪を憎んで、人
を憎まず」ということができるのです。
説教要約 870 過去を変えてこそ将来がある
甲斐慎一郎の著書 → 説教集

次回は2016年2月1日「メソジスト教会の特色と働き(1)」です






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.01.31 23:49:20コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: