東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2019.03.16
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「神の時と人の時」

インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東
⇒東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2014年1月28日「 平安と将来と希望を与える神の計画(2) 」

「神の時と人の時」
              甲斐慎一郎
              イザヤ書49章8節
 世の人たちは、「過去は変えられないが、未来は変えられる」と
考えています。確かに神を信じない世の人々がこのように思うのは
当然のことです。しかし聖書は「過去を変えてこそ、将来があり、
過去を変えられなければ、将来はない」と教えています。

一、二種類のこれからの時(未来と将来)

  宗教哲学者の波多野精一氏は、二種類のこれからの時をそれぞれ
「未来」および「将来」と呼び、実存哲学者ハイデガーは、「未来」
および「到来」と呼んで区別しました。
▽未来――いまだ来たらずという意味で、見通しがきかない絶望
と不安の時です。
▽将来――まさに来たらんとするという意味で、見通しがきく希
望と平安の時です。

未来は現在から離れて人の手が届かない時であるのに対して、将
来は今につながる人の手が届く時であり、大きな違いがあります。

二、二種類のいままでの時(過去と由来)

 前述した実存哲学者のハイデガーは、二種類のいままでの時をそ
れぞれ「過去」および「由来」と呼んで区別しました。
▽過去――過ぎ去ったという意味で、今さらどうすることもでき
ない時です。
▽由来――由って来たるという意味で、今にまで伝えられて来た
時です。

過去は現在から離れて人の手が届かない時であるのに対して、由
来は今につながる人の手が届く時であり、大きな違いがあります。

三、人の時について

 日本語の時制には「過去形」と「現在形」はありますが、「未来
形」はなく「現在形」で代用しています。英語ならば、「明日」と
いう未来を表すことばがあれば、必ずWillかShallをつけなければ
なりません。しかし、WillとShallは、助動詞ですから、英語も未
来形の動詞は、ないことになります。それでも英語は「過去形」と
「現在形」と「未来形」がはっきりしています。そのために私たち
は、時間というものは「過去」から「現在」そして「未来」に流れ
ているものであると、何の疑いもなく信じています。

四、神の時について

ところが「神の世界」や「聖書の世界」は、このような「過去」
「現在」「未来」という時制概念が全く通用しません。神は時空を
超越された方ですから「神にとっては過去や未来というものはなく、
すべての事柄は等しく現在です」(J・ウェスレー)。

 人間も、過去のことは、今さらどうすることもできず、未来のこ
とは不確かですから、神の前においては、過去や未来というものは
なく、すべての事柄は等しく現在です。


 ヘブル語には、古代ヘブル語と現代ヘブル語があり、現代ヘブル
語は「過去形」と「現在形」と「未来形」がありますが、旧約聖書
の原語である古代ヘブル語の時制には「完了形」と「未完了形」し
かありません。

古代ヘブル語は、神の選民であるイスラエル人の言語で、旧約聖
書は、神の視点から、また神を中心に記されています。それで、そ
れを書き記す古代ヘブル語の時制は、「神にとっては過去や未来と
いうものはなく、すべての事柄は等しく現在である」という神概念
を基にしているので、「過去形」や「未来形」がない時制になった
ものと思われます。


五、罪からの救いを受ける時について

 もし私たちが現在、神を信ぜず、今まで犯してきた罪を悔い改め
ず、キリストの十字架による贖いを信じないで罪を赦されず、聖霊
によって罪をきよめられなければ、罪深い過去の姿は、そのまま現
在の姿であり、それはまた未来の姿でもあり、罪深い姿は永遠に続
きます。これが永遠の滅びであり、地獄です(ヨハネ3章36節、黙
示録20章15節)。

 もし私たちが今、神を信じて、今まで犯してきた罪を心から悔い
改め、キリストの十字架による贖いを信じて罪を赦され、聖霊によ
って罪をきよめられるなら、その罪をきよめられた今までの姿は、
今の姿でもあり、それはまた将来の姿でもあり、罪をきよめられた
姿は永遠に続きます。これが永遠のいのちであり、天の御国です
(ヨハネ3章16節、黙示録21章3、4節)。

人は、罪深い過去を、ぬぐい去ることなど絶対にできません。し
かし神は、「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなた
の罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あ
なたを贖ったからだ」と仰せられたのです。(イザヤ44章22節)。


六、死の支配からいのちの支配への移行

神が私たちの罪深い過去を罪がなかったかのようにぬぐい去るこ
とができるのは「全人類は、人類の古い始祖であるアダムの子孫と
して生まれるので、彼の堕罪による死の支配下にありますが、『だ
れでもキリストのうちにあるなら』(第二コリント5章7節)、人
類の新しい始祖であるキリストの子孫として生まれ、いのちの支配
下にはいる」からなのです。

甲斐慎一郎の著書→ 説教集













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Last updated  2019.03.16 23:03:59
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