街。の声

2008年08月30日
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カテゴリ: 教育

前回

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― それぞれの分野に秀でてる子っていうのはいるよね。

「例えばさ、どんなスポーツでもそうだけど、学生の大会は学生が全てやればいいんだよ。実技は不得手だけど戦略を練るのが得意だって子が監督やらコーチやらやればいいんでさ。几帳面な子が公式記録員で、正義感が強くルールにも精通してるのが審判とか。大会運営だって、この時代、そういうイベントプロデュース能力に長けてる子は結構いるだろう」

― そういう経験を通して自主性も育まれそうだね。

「会社の新人なんかでもさ、いい大学出ててもバイト経験がない子なんかは、最初の頃は全然使い物にならないんだよな。給与なんて、親から小遣い貰う感覚だから。そういう意味で、子供の頃からの経験て社会に出てからきっと役立つと思うけどね。オトナは金だけ出して、後は出来るだけ下がって見守る位置でいいの」

― でも、現実問題として、足の遅い子は徒競走でビリになったら傷つくよ・・親もガッカリするだろうし。

「傷つけばいいんだよ。負けて悔しいなら泣いたっていい。それでもっとそのまま頑張ろうとするか、作戦を変えて再チャレンジするか、はたまた違う道に活路を見出すか、そういう経験をもとにしながら親子一緒に学習していくんだよ。運動会の徒競走でビリになった。本人はとっても落ち込んでる・・そういう時に親が、 足が遅くても最後までひたむきに走ったわが子を称えてやればいい んでさ」

― なるほど。

『足が遅い子にとって徒競走での順位付けは差別だー!』 なんて、金切り声で叫ぶばかりが親じゃないだろうに。こういう親こそが差別論者なんだよ。矛盾してるって」

― そういう親は結果重視型ってこと?

「そう。無意識下でね。オレがこういう人達を『似非』と呼ぶのはこの辺にワケがある。『順位付けは差別だ』としてる時点で、自分の中で順位についてのステイタスを無意識に確立してるってこと。 『平等』を声高に掲げてるくせに、他には不平等を押し付ける。 本質的には権利主義者なんかと同じ。その『平等』や『権利』っていうのは、あくまでも自分(達)対象なんだね。何でもかんでも『権利』だの『平等』だの、バカじゃないかと思うよ」

― 徒競走で1位になるような子供の親は「差別だー!」とは言わないんだろうね。

「まぁ、周りの風潮から賛同することはあるだろうけど、内心では順位付け廃止は残念だろうね。子供自身もそうだよ。それこそ、 勉強が出来なくても運動が好きな子にとっては檜舞台だもの。 小さい頃ほど、勉強よりも運動が出来る子の方が仲間うちからは注目されたりするからさ。『差別だー!』と言ってる親ほど、自分の子供が一生懸命頑張って足が速くなると前言撤回しそうだよな」

― 勉強でも運動でも、自分の子供がいい成績をおさめられそうだったら順位付け賛成、と(笑)

「オレなんて、自分の子供が足は遅くとも歯を食いしばって一生懸命走ってる、そんな姿を想像するだけで目頭が熱くなるぞ。ビリでもいいじゃん。転んで泥まみれになってもいいんだよ。要は、 目標に向かってどんな努力をどれくらいしたか だと思うね。それが次に繋がるんだよ。その蓄積が財産なんだよ」

― うん、小さい頃ほどプロセスが大事な気がする。

「自分の現状を把握して、ダメな場合は原因を探って、目標を立てて、それをクリアするための対策を練る。結果を見てまた現状を把握する。 これを繰り返すことが『学習能力』だろう。 そういう、せっかくの機会を子供から奪ってるのが今の歪んだ平等意識なんだよ」

― 目頭が熱くなるだなんて、君も案外人間的な感情があるんだねぇ。

「こらこら、茶化すんじゃないって。もちろん、社会に出れば結果が問われることは往々にしてあるし、努力すれば必ず報われる、成功するなんては言わないけどさ。少なくとも、目標に向かって努力した事実は歴然と蓄積されるわけだし、 努力しないで成績が振るわなかったのと比べれば経験値は全然違うよね。 達成できなかったことをとやかく言うんではなくて、プロセスを重視して原因を追求するスタンスの方が成長すると思うんだがなぁ」

― 確かに、何もせずに「ダメでした」じゃ改善案も浮かばない。

「だろ?会社にも、やりもしないでグダグダ言ってる先輩がいるけど、そんなもの上司から言わせりゃ『やれ』の一言で終わっちゃうもの。 思案したり努力した事実が、前述した『学習能力』の基礎になってくわけだから。 努力してない人はまた同じ失敗を繰り返すというね。してる人でも失敗はあるだろうけど、失敗の質が違っていて僅かずつでも進歩してるんだな。試行錯誤と右往左往の違い」

― 小さい頃なら何度も失敗出来るし、小さいうちからそういう癖がついてると社会に出てからも違うかもね。

「自分で考える素地も出来るし、親だって一緒に考えて学ぶこともたくさんあるんでさ。子供も親も挫折(失敗)をいっぱい経験する。 オトナの感覚で『アブナイ』と思うものをいつも子供の前から隠しちゃダメなんだよ。 それじゃ、いつまで経っても子供の経験値に蓄積されないよ。だから、将来的にかえってアブなくなるんじゃないかと思うね」

― 学力低下を防ぐために競争意識を・・となると、また偏差値教育が始まるのかな。

「テストのための勉強、とか、数字だけで生徒を判断する教師の問題とかいろいろあるにはあるだろうけど、それだって全部じゃないだろうし、そもそも現在だって子供は塾なんかの習い事で七転八倒だろう。それに加えて、内申書があるわけだから基準が今ひとつはっきりしない。それに、相対評価から絶対評価に変わったから アピールすればするほど効果がありそう・・ だから、親はPTAの会合やら懇親会の出席率とかに躍起になって・・って考えると、現在だって親子ともども大変じゃないか」

― ホントだ・・

「内申書重視&絶対評価だからね。子供は子供で教師の前で『イイ子』を演じるようになる。そうなると、 イジメにしても何にしても問題の所在がどんどん潜在化していくよな。 昨今の事件だって、どれもこれも『普段はおとなしくて』とか『全然そんな素振りは見えなかった』なんてのばかり。そりゃそうだよ、見えるわけない」

― わからないようにわからないように、子供なりに「学習」していくんだね。

「ホントそうだよ。変なとこで『学習能力』に秀でちゃう。事件が起こると、よく『サインに気づかなかったのか』なんてエラソーに追及するレポーターとかいるけど、そんなもの後からなら何とでも結び付けられるし、そもそも、教師の前ではイイ子を演じてるんだからわからないって。 『これがサインだった』なんて言える奴は、全国の学校を巡ってサインを見つけて来いっての。 そうすれば、事件は未然に防げるんだから」

― 何だか、事件のリポートとかで出てくる怪しい人物&怪しい車みたいだね。

「実際のところは結果論だとしても原因は追求した方がいいと思うよ。それが次に活かせるようにならさ。ただねぇ、『サインに気づかなかったんですかっ!』なんて言うもんではないと思うね。んなもの、後からだからわかるんであって、その時は見過ごしちゃうって」

― 鬼の首を取ったように詰め寄るものなぁ(苦笑)

「事故はともかく、何か事件が起こると学校や教師の責任追及が当たり前になってるけど、マンツーマンで接する親以上に責任を追及されるのはどうかと思うがなぁ。もっとも、学校側や教師の対応がマズかったんなら、それは責められて然るべきだとは思うけど」

― 学校も教師も、責められちゃうから深い原因追求よりもその場しのぎ的な対応になりがちだよね。

「ホントそうだよ。自分の役割は棚に上げて、ギャァギャァ言う親が多くなったのかもしれないね。オレが小学生の時には、カッターナイフなんて筆箱にみんな入れてたからね。鉛筆削りじゃなくてカッターで削るんだよ。今じゃ危ないからってダメなんだろう? みんな、子供にとって負になる(とオトナが思ってる)部分を覆い隠してる。 それで、危険やその限度を知らない子が増えてきちゃって、昨今の単純な動機による凶悪犯罪に繋がってるのかもしれない」

― なるほど・・限度を知らない、かぁ。

「昔はさ、イジメにしてもケンカにしても、 やる方もやられる方も『ここまで』っていう暗黙の了解みたいなものがあった んだよね。これ以上はやらない、みたいな。それが、今では全然通用しない。限度なんてお構いナシにとことんやる。それはやっぱり、 そういうことを知る機会を与えられてこなかったから だと思うんだよ。『何故、最近の子はキレやすいか』なんてのにも、歪んだ平等意識が少しは関係してくるんじゃないのかねぇ」









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Last updated  2008年08月31日 00時32分21秒
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