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お昼ごろ子どもたちがお見舞いに来てくれたけど、
ぼんやりとしか話せなかった。
後でダディンから聞いた話では、
二人とも私の様子にショックを受けていたそうだ。
ママがそこにいるのに、いないみたいで恐かった、と。
麻酔の影響下にある人を見たのは初めてだったから驚いたのだろう。
心配だったらしくその夜もまたお見舞いに来てくれた。
この頃には私もかなり元気になっていて、テレビもつけ食事もとれた。
グルメな(?)ブランド展開を狙うマクドナルドのCMがやたらと流れていた。
ジャンクフードからグルメフードへ、
ファストフードからスローフードへ。
転換を狙ってスローモーションで流れる映像を見ているうちに、
数か月前、友達に霊視してもらったときに言われたことが思い出された。
少しずつ人生に取り込んできたコミットメントが重なり、
時間的にももう手いっぱいの状態で、そろそろ限界にきている。
自分のことを後回しにしてきたツケが、
直に健康上の問題となって表れてくるだろう。
続けるべきものを識別し、整理してゆかなければならない。
少しずつ重要でないものは抜け落ちてゆくだろう、と。
そうだ、そんなことを言われたのだった。
実際「MUSTリスト」で毎日慌ただしかった。
ダライラマ法王のリトリートに参加してからは
(詳しくは6月の日記「ダライラマ法王のリトリートをお読みください)
ただでさえ忙しない日常にお勤めが加わったぶん睡眠時間を削った。
もともと夢見が大好きなのだけど、
睡眠時間を削ったら夢を見ることもなくなってしまい、
ゆっくり夢を楽しめるのは朝寝坊できる土曜の夜だけになってしまった。
けれど健康にもっと気を付けなくてはと言われたときは
「Someday Baby」も出版し、そのPRも始めたとこだったので、
やらなくてはリストを増やしても、削る気などさらさらなかった。
そんなことかまってられないって心境だった。
けれど今回こうなってみて、改めて振り返ってみると、
いつも心が慌ただしかったことを実感してしまう。
とりわけ子どもが生まれてからは、なにか気ばかり急いてしまって。
今していることに没頭し楽しむというより、
「やらねばリスト」の項目を片付けるたび頭の中ではチックマークをつけ、
次にすることも考えている、みたいな…。
あれもこれもと重たいリストに圧倒されて、
「やりたいことリスト」の、とりわけ「のんびりしたい」なんて項目は
いつも後回しにしてきた。
頭では「 NOW&HERE
」に生きる大切さを理解しているつもりだったけど、
実は目の前のことを消化するのに精いっぱいで
ストレスを溜めていたのかもしれないナ。
スロー・ダウン
―
あのとき、しつこいくらいに流れていた新生マックのCMが
シンクロニシティのように
そのメッセージを後押ししているかのような気がしたのだった。
もう一つ、シンクロニシティを感じてしまったことがあった。
私の病棟のアドレスがダディンの実家のそれとほとんど同じだったのだ。
数日前に見た、長年の間に溜めこんだ
ネガティヴィティの浄化に関する夢のことを思い出した。
うすうす感じていたことではあるけれど、
自分のなかに負の想念があるとしたら、義理の家族への反感と葛藤だろうと思った。
そういえば、ダライラマ法王からイニシエーションを受けた翌日、
義理の家族との軋轢がテーマの夢を見たのだった。
そのとき私の負の感情と想念は普段の何倍も強烈になって現れていて、
なぜこんな夢を見てしまったのだろうか?と訝ったのだった。
そうだ、その2日前、イニシエーションの前夜には、
この列車に乗るためにはもっと自らを浄化しなければならないという
メッセージの夢を見たのだった(詳しくは6月の日記を)。
浄化するため、はっきりと自覚する必要があったのかもしれないナ。
病院のベッドに横たわり、手術前の強烈な痛みを思い出しながら考えていた。
私たちは誰かの態度や言動に腹を立て相手を非難しているとき、
論理的にその怒りの理由を正当化しているような気がしているけれども、
そのとき私たちが攻撃しているのは相手ではない、
自分自身である。
実際、心のなかで相手のことをなんと思おうと、
相手は痛くもかゆくもないのだ。
単に自身の心を汚し、蝕み、傷つけているだけで。
自分の心を守ってあげられる人は自分しかいないのに。
そうして、心の傷は見えないし、
痛みを誤魔化してしまうのも肉体の苦痛よりはずっと容易い。
けれど確実に心は病んでゆく。
頭ではわかっていても、心がついていけないその事実を
今回強烈な肉体的痛みのなかで改めて思い知らされたような気がしたのだった。
こっちのパブリックホスピタルは出されるのが早いと聞いていたけれど、
その翌日、お昼頃には退院が決まった。
車椅子が回されてくるから退院の用意をするようにと言われ、
もたもた身支度を整えていたら、斜め前のベッドの女性が話しかけてきた。
「あなたも今日で退院なのね」
60歳くらいの白人女性だった。
「あの人も今日で退院なのよ」と彼女は、ちょうどトイレに立った
私の隣のベッドの(たぶん)タイ人のおばあさんを指した。
そのおばあさんは英語が苦手らしくタイ語(だったと思う)しか話さなかったけど、
うめき声の激しさから私はこの部屋で一番重傷なのだと思っていた。
でも、そうか、彼女も退院なのか。
「結局、みんな家に帰るの。帰れないのは、私だけ」と
斜め前の女性がまた自嘲気味に呟いた。
もう一人、私の向かいのベッドにギリシャ系と思しきおじさんが
足の手術で緊急入院していたのだけれども、
朝には退院が決まって、ベッドも片付けられていた。
だけど、そうか、彼女は未だ退院できないのか。
「あなたは手術、まだなんですね」と私は
手術が終われば帰れますよ、という意味を込め、慰めるように応えた。
「ないよ、私には、手術は」と彼女はぷいと横を向いてしまった。
「末期癌なの。私は死ぬの」
言葉を失ってしまった。
どう応えればいいのか、
どうすればいいのか、わからなかった。
その女性は4人部屋の中で一番ポジティヴな患者さんだった。
マズイと評される病院の食事を毎回美味しい、おいしいと食べていた。
食後のトレーを回収に来たスタッフにはいつも
美味しかった、とお礼を言っていた。
誰かがくしゃみをすると「Bless you!」と声をかけていた。
夜中にうめき声はあげていたけれど、
一番大きな声で笑っていた。
私がこの病室に移ってきたとき、ベッドの機器を確認しようとして、
誤ってナースコールのついたリモコンを落としてしまい
もぞもぞと探していたら、気がついて気遣ってくれた。
「大丈夫? 助けが要るなら
私がナースコールして人を呼んであげようか?」、と。
彼女に何か応えたいと思った。
慰めたかった。
元気づけたかったし、ハグしたかった。
けれどそうしていいものかわからず、私はただベッドに座っていた。
この病室にいるのだから手術が予定されていたのだろう。
けれど手術はされなかったという。
手遅れだったのだろうか。
I’m going to die―
だからこそポジティヴであろうとしたのだろうか。
残された生に対して。
退院の手続きと今後の治療の説明を受けに1階の薬局部に行くようにと
車椅子を押したスタッフが迎えに来た。
その荷台に私の荷物が積まれてゆく。
車椅子に乗る前にお礼とお別れを告げに彼女のベッドに行った。
「大丈夫、すぐにまた新しい人たちが入ってくるから」と彼女は口元で笑った。
「それに私も明日にはホスピスに移るの」
お別れの握手と世間的な挨拶を交わしながら、
心では彼女の幸福と平和を祈り、その手を取っていた。
別れてから、彼女の名前を聞いていなかったことに気がついた。
たぶんもう会うこともないんだろう。
彼女だけでなく、
タイ人のおばあさんとも、足の手術をしたおじさんとも。
人生は儚い。
翌日から1週間訪問看護士が包帯の手当てに来てくれた。
術後痛みはかなり治まったものの、1週間はろくに動けず、
車の運転ができるようになったのは2週間後のことだ。
18日に手術医の検診があり、回復の太鼓判を押してもらった。
結局、私はほぼ3週間機能不全な日々を送り、
いろんなことがスケジュール表から零れ落ちていった。
スローダウンせざるおえなくなっていた。
なんだか、力も抜けてしまった。
そのぶん肩の力も抜けたような気がする。
今は頭のなかで「やらねばリスト」に「済」マークのチックを入れるより、
それができることを、できたことを嬉しく思う。
時々彼女のことを思い出す。
朝の瞑想の後に祈るとき、
今更ながら彼女の名前を聞いておかなかったことを後悔している。
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