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今年も友人宅で開かれるハロウィーンパーティーに誘われていたのが―、
思いもよらず膿瘍で救急手術入院に
なってしまった…。
実はその3日前の水曜日、木曜日と個人病院に、
金曜にはそこから紹介された近所の専門医にまで行ったのだけど、
3人とも「そのうち自然に治る」からとろくに薬も出してもらえず…。
けれど治るどころか痛みは酷くなるばかりで。
水曜にはなんだか痛いなぁと思っていたのが、
木曜には痛みで座っておられず、
金曜には立っているのも辛くて、ヘロヘロ状態になってしまった。。。
そんな状態だったにもかかわらず、頼みの綱の専門医まで、
そのうち自然に治るから週明け水曜日にでもまた来てください、と
呑気な(?)診断だったのは、今思い返しても、腑に落ちないゾ。
しかも、治ったら受けてみれば、と
診断とはあまり関係のない(症状とも)、
高価な精密検査を勧められて帰ってきたのだった。
なにか 壊れたスマホの修理を頼みに行ったら
高価な最新型を売りつけられそうになってしまった
、そんな気分だった。
だから医師=経営者でもあるような個人病院って嫌なのよ…。
ちなみに、オーストラリアで専門医といえば、
GP(内科医? いわゆるホームドクターね)の医師免の他に
さらに何年も勉強と研修を重ねてやっと資格が取れるというから、
GPよりは的確な診断と処方をしてくれるだろうと期待していた。
なのに治療代ばかりお高くて、
痛くて歩くのも辛いと訴えている患者を手ぶらで返す姿勢って、いったい…。
そのまたちなみに、なぜ週明け水曜日に戻って来いと言われたかというと、
メルボルンは、11月3日火曜日がMelbourne Cup Day―
競馬で州民の祝日
になるため
この個人病院限らず、会社や学校も月曜日(と場合によっては金曜日)も
お休みにしてしまうところが多く、
この週は4~5日間のロングウィークエンドになるからなのだった。
その昔、ヘミングウェイがホースレースでパブリックホリデーになる都市は
世界広しといえどもメルボルンだけだろう、と言ったと聞いたことがあるけれど、
2015年の今も たぶんここだけ
なんじゃなかろうか?
それはさておき、専門医のお気楽な診断(?)にもかかわらず、
症状はますます悪化。
「そのうち治る」どころか、
刺すような痛みが体を侵食するように広がりつづけ―
これはどう考えてもおかしいから大病院の救急に行った方がいいと
ダディンに言われ、翌日急患に駆け込んだのだった。
「駆け込む」と言っても、あまりの痛さに動けず、
服を着替えるだけで20分くらいかかってしまったのだから
今考えてもあの痛みは尋常じゃなかったナ。
それにしても感心したのは、
大病院の急患スタッフの迅速、かつ適切な対応である。
昨日の個人病院の専門医の対応―悲痛な症状を訴えても、
ひたすらぼんやり、そのくせ妙に偉ぶった診断に比べて、
急患の看護士さんは症状を説明しただけで膿瘍だろうと診断し、
専門医が診断するまでの応急手当てにと
強力な痛み止めを処方してくれたのだった。
さすが、救急医療現場に身を置いてらっしゃる方々の対応は
スゴイ!
けれど急患の待合室は お約束通り混んでいて
、
医師の診断を待つことと、2時間。
椅子に座って待つなどとても無理な相談だったので、
固い長椅子に転がって待っていた。
その間にいかにも具合の悪そ~な人たちに混じって、
黒マントや黒いとんがり帽子を被った黒魔女や吸血鬼
が入ってくる。
ハロウィーンパーティーにうかれて
何か腐ったオカルトな食べ物
でも食べてしまったんだろうか?
トリックorトリート・マーチで、
いいお菓子を取ろうと張り切るあまり転倒
してしまったのだろうか?
いずれにしても、彼らの存在でハロウィーン気分!にはなれなかったけど、
今日がハロウィーンであることは思い出させてもらえた
のだった。
やっと
ベッドに移され、
診断を受けることができたときには心底ホッとした。
専門医からもAbscess(膿瘍)と診断され、救急手術と入院が決まった。
昨日の専門医からは「自然に治る」と診断されていたのに、
「 緊急の
手術」になってしまったことに対する衝撃は、思いの外なかった。
既にダディン(いちおー医師免もっている)から
手術が必要になるかもしれないと忠告されていたこともあったけど、
それ以上に、
この痛みから解放されるならなんだってOK
って心境だったから。
移動ベッドで病室に運ばれながら、
どうしてこんなことになってしまったのだろうか、と考えていた。
数日前に寝入りばなに見た 夢
を思い出した。
その日の午後から突然痛みが酷くなり、
ベッドに横になっても痛かったので、治るように祈ったところ、
山頂につづく神社かなにかの長い石段が現れた。
登りながら誰かと話した。
なにかネガティヴィティ―心のなかに溜め込んでてしまった
ネガティヴな感情や負のカルマと浄化についての話を聞いていた。
ほとんどの人はそれを自ら意識的に浄化するよりも
病気という形で消してゆくことを選択するのだと言っていた。
その、意識的に浄化するというのは、
自らの心的態度を変えることで、というような意味だったと思う。
今のは何っ?!
とハッとしたとたん消えてしまった。
明らかにスピリチュアルな夢だったと認識したとたん、なぜ自分は、
心的態度を改めるから病気になることなく治りますように、と宣言して、
治癒の助けを頼まなかったのだろうかと悔やまれた。
戻って、そう告げようと思ったけれどももう戻れなかった。
その夢のことを思い出しながら痛みに喘ぎつつ
自分のネガティヴィティの原因について考えていた。
夕方、子どもたちが土曜日に通うジャパニーズスクールで
日本の漢字検定試験を終え、
ダディンと一緒に駆けつけてくれたときには、
私は病室で点滴につながれ、高熱に魘されていた。
病室は男女ごっちゃの4人部屋だった。
後で聞いた話では、手術待ち患者の集まる病室だったそうで、
周囲からは一晩中苦しげな喘ぎ声や唸り声
が上がっていた。
気の毒だとは思ったけれども、自分も痛いわ、寒いわで、
周囲を気遣っているような余裕もなかった。
つーか、ここでは私も安心して悲痛なうめき声をあげることができた
。
ただひたすら
手術を待ち焦がれていた。
それまで「手術」と聞くと少し怖いような不安な感じを抱いてしまったものだけど、
このときばかりは 憧れ、追い求めてしまう希望の光
だった。
運が良ければ6時には受けられると聞いていたのに、
その夜はハロウィーンで(?)混み合っていたのか、
手術室はなかなか空かず、
結局手術を受けられたのは翌朝8時だった。
手術室に運ばれてゆくのだと知った瞬間から、
自分を手術という未来に運んでくれる全ての人々が天使に見えた。
手術医と麻酔医など後光が見えるようだった。
麻酔で朦朧としてゆく意識のなかで、ただひたすら感謝していた。
リカバリールームで意識が戻ったときには、
麻酔と手術のお陰でだいぶ痛みは消えていた。
でも 麻酔のせいで変性意識
にあるらしく、
ちょっと目を閉じると、
病室にいる(でも現実にはいないハズの)たくさんの人たちが見えた。
その方々のために祈らなければ、光を下ろさなければと思えて、
私はあいまいな意識のなか、ひたすらマントラを唱えていた。
唱えるほど目映い光が増すので一心に唱えた。
心のなかで唱えていたのか、声に出していたのか。
実際にぶつぶつ呟いていたとしたら、 周囲の人には不気味
だっただろうナ。
続きは10月31日の日記「ハロウィーンの夜に緊急手術入院・後編」をお読みください。