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3月23日の日記『目覚めたら、顔ハレ・・・(前編)』の続きです。
そちらからお読みください。(^^)
その後30分くらいしてから、急患のベッドに案内された。
そこからまた今度は病室のベッドへ。
今度は若い中国系の医師が診察にやってくる。
彼は、さっきあなたを診察したオージーの医師は自分のボスだと
自己紹介をした後に同様の問診を始めた。
でも彼の方は時間があるらしく、口調もゆっくりで、テンポもスロー。
で、訛りもあった
。
実際、 ネイティヴでない者同士の会話はとかく支障も多いのだけれど、
そのぶん息子が張り切って会話に入ってきた
。
韓国人だという若い看護婦さんも立ち合ってくれたのだけど、
息子が何か言うたびにいちいち「He’s so cute!」とウケてくれる
ので、
ムゥも ますます張り切ってしまって
、通訳にも力が入っていた。
さっきの問診より4倍か5倍は長く話し続けたにもかかわらず、
進展は無し。
原因不明で、とにかくこのまま様子見となった。
そうこうする間にも
私の顔は ますます
腫れ上がってきて、
痛いわ、痒いわ。
様子を見に戻ってきた、さっきの若いお医者さんに伝えると、
今度はアンチヒスタミン剤に加えてステロイドの錠剤を持ってきてくれた。
けれど三者面談を終えたダディンと娘が病院に戻ってきたときには、
顔の腫れはますます酷くなり、
視界ももはや上半分が見えなくなっていた。
腰を屈め様子を聞いてくるダディンの顔も良く見えなかった。
入れ替わりでスタッフが様子を見に来てくれたけど、
改善は全く見られなかった。
お腹を空かせた子どもたちがダディンと一緒におやつを買いに行ったとき、
シニア・ドクターだというオージーの女医さんが現れた。
彼女は、私の症状に生命の危険性が見られないことを強調すると、
アンチヒスタミン剤の処方箋と
アレルギー検査を手配するための紹介状を手渡し、
これをもって週明けにGPのところに行くようにと告げた。
そこにはアンチヒスタミン剤2錠の4日分が処方されていたのだけれど、
既に今日の分は全て飲んだ にもかかわらず
未だに少しも改善が見られないので、
この量で大丈夫なのか?と不安が過る
。![]()
症状が少しも改善されていないことを訴えたけれど、
腫れの方は週末には引く ハズだから
と取り合ってもらえなかった。
午後に入って病院はますます混んできたし、
アレルギー反応なんかで いつまでも
ぐだぐだとベッドを占領されては
困るのだろう。
しかも家族4人…
このブースの人口密度、えらく高くなってしまった
しナ。
その夜は、シニア・ドクターから言われたように、
横になっている間に水分が移動して
ますます顔が腫れ上がってしまわないように
(でもこれ以上腫れることなんてできるんだろーか?)、
枕に特大クッションを3重に重ねて、頭を高くして眠ったのだった。
翌朝、けれど顔は ますます
腫れていた。
つーか、厳密には 腫れがまんべんなく広がって、
より広大にパンパンになった
って感じね。
昨日起きたときには
額や瞼のあたり、頬や顎、首などが部分的に腫れ上がっていた。
それでところどころに深い皺が刻まれていたせいで、
パンパンに膨れ上がっている割には
どこかエレファントマンって感じ
だったけど、
今朝は まんべんに、あますところなく
腫れあがり、
お多福マンぶりを徹底させていた。
ぐすん…。
息子を起こしに行ったら、
いつもなら起き抜けは超不機嫌な彼がにっこり笑ってくれた。
「大丈夫だよ、ママ。
いつかは治る
からね。
それに、ママは、 どんな顔だって、ママだから
」
そうして自分からてきぱきと学校へ行く準備を始めたのだった。
ありがとう、ムゥ。
そうだよね、どんな顔だって、私は私だよね。
でも、この顔は、 嫌
だ…
かなり。
そうして土曜日の朝―
治るどころか、顔の腫れはますます酷くなっていた。
額と上瞼の腫れだけは幾分引いてきたのだけれど、
下瞼はもっと酷くなり、視界の下方はよく見えなかった、
目薬を入れても腫れで拭えないし、
顔全体が突っ張りまくって痛い。
腫れのせいか耳鳴りまでしていたし、歯を磨くのも食べるのもしんどかった。
こんな状態で来週、日本に帰ることができるのだろうか?
とふと思う。
実は来週金曜から3週間ほど日本に帰ることになっていた。
母のことも心配だったし、
来年から娘のVCE(大学受験なのだけど彼女の場合3年間なのでやたら長期)も始まるので、
ジェットスターのセールが出たとき思い切って
帰ることにしたのだった。
桜の日本などほんと何年振りなので、
私も子どもたちもとても楽しみにしていたのだった。
だけど、この顔じゃあ…![]()
こんなに膨れ上がってしまった顔で飛行機など乗った日には、
もしかして、気圧の関係で顔が破裂
してしまうんじゃあ…?
うっぎゃぁ~~~
「ママ、顔はど~う?」と、起きだしてきた娘に、
「ママ、こんなんで日本に帰れるのかな?」と不安を零すと、
娘の顔色がさっと変わった。
「 顔が腫れ上がったくらいで
帰れないのっ!?」と動揺している。
娘は今回ジブリ美術館に行ったり、ジブリ関係のDVDを買おうと
私以上に日本行きを待ち兼ねていたのだった。
「そんなの、
初めからこういう顔だったって言えばいいじゃない
の!」
「 だけど、パスポートがある
んだよ。
写真見ればすぐわかっちゃうじゃないの」と、私。
「それより、 飛行機会社の方から拒否
されるかもしれないな。
症状が悪化して呼吸困難にでもなった場合、機内では対処できないから」と、
いつのまにか起きだしたダディンも話に加わっている。
「医者に大丈夫だって診断書でも書いてもらえれば別だろうけど、
その顔じゃ…
後で訴えられても困るし、誰も書いてくれない
んじゃないかな?」
確かに、自分ではその可能性は限りなく低いと思うものの、
アレルギー反応から呼吸困難を起こすことは あり得ないとは言い切れまい。
そんなことになったら、飛行機会社はもちろん
他の乗客の皆さんにもご迷惑をおかけしてしまうだろうし…。
それにしても、
ダディンの「その顔じゃ」って辺り、ムカつくゾ。
おっと、いけない…、 怒りは有害
。
「ママ、顔ど~お?」とそのうち息子も起きだしてきた。
「大丈夫だよ、ママ。
ぼくは ママのそういう顔にももう 慣れた
からね。
もう ずっとその顔でも
いいんだよ
」![]()
私はちっとも良くないゾ!と言いたいのを堪え、
「ありがとう」と笑ってみせた。
それにしても当時、鏡で確認したことはなかったけれど、
あの顔で醸し出された微笑って、どんな微笑みだったのかナ?
息子には、 日本行きが危うくなっている
という話は
恐ろしすぎて言えなかった。
彼は彼で、日本でポケモンやかっぱ寿司や
ドラえもんの春休みロードショー『のび太の新日本誕生』なんかに囲まれ、
誕生日を迎えられることを何よりも楽しみにしているのだから。
どうしよう…。![]()
来週の今頃はそろそろ成田空港に着く ハズ
なのに…。
明日まで待とうかと思ったけれど、待てばよくなるとも思えず、
病院の急患へ戻ることにした。
土曜の午前中の急患は目茶込みだろうと覚悟していたのに、
どうしたことか、空いていた。
待合室には一組の姿しかなく、
そのまますんなりと病室の方に案内
されてしまった!?
これまでも息子のアトピーや喘息の発作で何度も来ていたけれど、
こんなことは初めてだった。
手が空きまくっているせいか、スタッフも皆親切で、
事細かに対応
してくれた。
インド系の、でもアクセントはほとんどないから
子どものころに移住したのだろうと思しき、
シニア・ドクターが診察に当たってくれた。
診断は前回と同様の内容だった。
確かに症状に改善は見られないものの、
呼吸に問題がないので、生命に対する危険性はないだろうこと。
症状の方は、時間はかかるかもしれないけれど、
そのうち自然に引いていく
と思われること。
それって…、
このまま待つしかない
ってことですか?
もっと強い薬とか処方してくれないってことなのっ?
今度こそはと期待していたぶん、全身の力が抜けていくよう
だった。
「来週、日本に帰ることになっているので、彼女は
帰れなくなってしまうんじゃないかって心配してるのですが…」と、
子どもたちが土曜のジャパニーズスクールに行っているので、
今回は私に付き添ったダディンが横から口を挟んでくれた。
「 大丈夫よ
」と、女医さんは言ってくれた。
「 Japan’s still there. 日本は、なくならないから
」と。
絶句
してしまった。
木曜日に診てもらったときは、
「この週末には腫れも引くだろう」と言われていたので、
てっきり彼女も、
「それまでには大丈夫よ」と言ってくれるだろうと思っていたのだった。
「そのうち自然に」治るということは、どれくらいかかるということなのだろう?
いったいいつになったら、
この恐ろしい顔の腫れは引いてくれるのだろうか?
「 いったい私の顔は、治るんですか?
」
思わず尋ねた声が震えてしまった。
切羽詰まったあまり、下瞼の腫れで流れもしない涙が
逆流してしまったかも
しれない。
私の動揺に焦ったのか、
「大丈夫よ。心配しないで」と女医さんは肩に手を置き言ってくれたのだった。
「薬を増やしましょう。
他の医師たちにもそれでいいか確認を取ってくるから」、と。
結局、ステロイド剤の処方に加えて、アンチヒスタミン剤も2倍に増えた。
アレルギー反応の検査の方もプライオリティがかかり、
GPを通すことなく病院の方で直接手配してくれることになったのだった。
戦利品
(新たな処方箋)を手に駐車場で車に乗り込んだとき、
隣の車で何かがキラリと輝いた。
車のバックミラーに、かなり大きなトンボのガラス細工がかかっていた。
トンボはきらきらと踊るように陽光を反射させていた。
昔私はシャーマンから、
あなたのガーディアン・アニマルはトンボだ
と言われたことがある。
だから日々の生活のなかでトンボを見かけたら、
それは天からのメッセージだと思いなさい、と。
あのときは、 「守護動物」とかいって
トンボは動物じゃないだろ、あり得ないだろ、そんなの、
とか
鼻を鳴らしたものだったけど、
以来トンボは事あるごとに登場してくるようになった
のだった。
あたかも
天からのメッセージを伝えるかのように
絶妙なタイミングでシンクロニシティ的に現れる
のだ。
陽光を受け、きらきらと輝き揺れている、
そのトンボのオブジェを見ているうちに心が安らかになってきた。
隣で車のエンジンをかけたダディンに感謝の気持ちが湧き上がってくる。
あのときは夫に怒りまくってしまったけれど、
この人は今はこうして私を助けてくれている。
私たちは誰かに対して怒っているとき、
その限られた時間や状況だけを固定して、怒りまくってしまう。
その人が過去にしてくれた親切など他のことは一切忘れ、なかったことにして。
怒りの感情はあまりに狭量
で全体から離れ歪んでしまうというけれど、
ほんとにそうだと改めて思った。
じわじわと
感謝の気持ちが湧き上がってきた。
さっきの女医さんに、ダディンに、家族に。
大丈夫だ、とふっと思った。
必ず治る、日本にも帰れる、と。
自分に対する肯定的な思い
も湧いてきた。
今回、こんな顔になって改めて思った。
それまでは、また太っちゃった~とか、皴が、たるみが・・・などと
自分を否定的に見ていたものだったけど、
その、自分の見慣れた顔を今どれほど懐かしく愛しく感じているか、を。
病んでみて、初めて気づく。
そうして今度こそ自分の面倒もきちんと見ようと心に誓った。
毎日やることは山積みで、いつも慌しく飛び回り、
自分の心や体の面倒を見ることは後回しにしてしまうけれど、
自分が病気になってしまっては、やろうと思っていたこともできない。
子どもたちや犬たちや、誰かの面倒だってみれない。
まず自分をケアすることは基本なのだ
、と。
11月に緊急入院になってしまったときも思ったことだけど、
いやぁ、喉元過ぎれば・・・になっていたような気がします。
以来、強力な薬のおかげで、
症状は徐々にではあるけれど緩和されつつある。
顔の腫れも じわじわと
上の方から引いてきて、
翌日には瞼の肉に埋もれていた目が戻ってきた
。
月曜には顔半分がふつうに戻り、
火曜の今日は、 パンパンまるまるお多福マンから
パンパンお多福おばさんくらいに
戻りつつある。
たぶん明日には、太ったお多福おばさん辺りにはなれるだろう。
アレルギー検査は、結局日本から戻ってからされることになった。
自分が何にアレルギーがあるのかはわからないけれど、
もう2度と怒りを爆発させたりはしない、と今更ながらに思っている。
霊的観点からいって、自分に
怒りに対するアレルギー反応があろうと、なかろうと。
思い返せば、自分は子どものころから短気だった。
英語で「腹を立てる」は「get angry」と表現されるけど、
I don’t get angry
もう2度と怒りはゲットするまい
、と。
いやぁ、 日々行
デスな。
日本の桜、見えるといいな。
写真は、週末旅行で行った国立公園で出くわした 野生のモンバット
です。
夜行性だと思っていたけれど、保護区という環境からか
アフタヌーンティーを楽しんでいました
。