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有楽町で観ました。離れたところから、グンと自分に近くなり、そしてまた遠く(星に)なっていくそういった印象が残りました。主人公の哲夢少年は、映画では少年ですが映画の端々から団塊Jr世代だということに途中で気づきました。生命は(天より)与えられているものなんだな、と感じました。貸していただいている、というほうが近いでしょうか。経験ができる、チャレンジができる状態であるということは、それだけでチャンスです。チャンスはすでにある、ということですね。「仕方なく」という想いで生きていると、それが見えなくなってしまいます。いまあるものを存分に活かす事が、生命を輝かすこと、次のビッグチャンスへと繋がっていきます。役割があったとして、そのことにより何かを諦めるのでなく、それをどう楽しくし、どれだけのレベルのものとして仕上げていくことができるか。また、いまは使っていないものをどう自分の味方として投入していくのか。それがこの世におけるテスト、ということなのかも知れませんね。気づくことが第一歩。行動することが次の一歩で、習慣になるのが次のステップですね。哲夢少年の生き様は、僕の心に影響を及ぼしました。映画を観た人は、それぞれ何かを受け取っているのだと思います。自分の生き方、がどこかに影響を与えるのですね。手を抜けばそれが影響になり、頑張るとそれが影響になります。自分ひとりの輪で完結する、ということはどういうことでもあり得ないのかも知れませんね。
August 15, 2005
横浜で見ました。"幻の秘法"を巡る冒険物語です。ニコラス・ケイジ扮する歴史学者(ベン・ゲイツ)が家に先祖代々伝わってきた手がかりをもとに探索をするのですが進めども進めども次へのヒントばかりで肝心の秘宝にたどりつくことができません。ベンの父親は言います。「宝は、どこにもないんだ。イギリスを翻弄させるために、アメリカ建国の父たちが作り上げた架空の話なのさ」彼は、ベンのように宝を追い求め、自分の人生の多くを費やしてきた男です。息子には自分と同じような虚しさを味わってほしくないのです。ここにもない、ここにもない。宝は本当にあるのだろうか、父の言うようにでっちあげの話なのだろうか…その過程を見ていて、これは人の一生にも通じる話だと感じました。人は自分の中にある宝を求めて彷徨います。それはそう簡単に見つかるものではありません。途中で諦める人も大勢いるし、見つけることができないまま人生を終えることになる運命の人もいるでしょう。ここにあるはずだ、と勇んでドアをあけて入ってみても、そっけない手がかりがころがっているだけという事態が連続するとき、どうするか。手がかりを読み解くにも、知識や感性が必要です。膨大な勉強量も要求されるのです。ナショナル・トレジャーは、この映画ではアメリカ建国の父たちが隠した宝を指しますが、同時に「独立宣言」原書も尊い宝のひとつとして描かれています。アメリカの素となる象徴ですから、それはそうなのでしょう。しかし、それよりも価値のあるものが、私たちの中には埋まっている可能性があります。独立宣言書はいわば遺物です。アメリカ建国の父たちがいたら、「それを大切にしてくれるのはいいけど、自分たちの心をみつめて、新しいものを生み出していってほしい。我々からすれば、そういった活動の方がよほど尊いのだ」と言うのではないでしょうか。自分の中にある宝、でもそれは一生かかって見つかるかどうかわからない、そういうものを本気のエネルギーで追い求めている人も冒険家です。国宝に匹敵する、むしろそれ以上のものが自分の内には潜んでいる、それを探し出すために生きている、人生にはそういうロマンもあっていいと思いました。
March 19, 2005
フォトリーディング、4週間目は19冊読みました。1ヶ月で75冊。[リスト] - フォトリーディング4週間目受講後、「(フォトリーディングで)1ヶ月15冊くらい読めればいいかな」と思っていたのですが、だいぶたくさん読むことができました。読んだなかでのオススメ本はこちらにあります。→右脳人になるための読書術(ライブドアブログ)
February 21, 2005
フォトリーディング、3週間目は17冊読みました。3週合計すると56冊です。[リスト] - フォトリーディング3週間目ライブドアブログの方にオススメを挙げてあります。→右脳人になるための読書術
February 14, 2005
フォトリーディング、2週間目は19冊読みました。[リスト] - フォトリーディング2週間目ライブドアブログの方で、オススメも挙げています。→右脳人になるための読書術
February 7, 2005
横浜に最近になってできた映画館(109シネマズMM横浜)で観ました。 映画をみている間は「人生のメンテナンス時間」だと感じました。ストーリーを楽しみ、登場人物に感情移入しながら自分の普段の生活・仕事・社会との関わり・人生の軌跡などを振返り、省みています。あれはいけなかった、こうしていきたい、もっと勇気を出してやっていこう、自分はこの部分が足りない、このように頑張っていこう…自分の深い部分が映画によって引っぱり出され、人の目をそれほど強く気にすることなく、正直な気持ちで見返すことができます。映画を味わうということの中には、そういう面もあるのです。そう考えると、映画の出来不出来といった評論は、ひとつの切り口にすぎないことがわかります。映画を観るということには、それとは別の軸も存在し、そして、そのほうが人生にとってはるかに重要なものでしょう。そういうことを感じました。ネバーランドは、魂のかえる場所、です。人が死んだあとにスピリットが戻っていく場所、です。そこにこの世に生きている私たちが行くことはできるのしょうか、生者が死んだ人の魂とつながることはできるのでしょうか。まだ少年の子供たち。父親を不幸にして失った彼らは、しばらくの年月の後に母親も病気によって亡くしてしまいます。少年ピーターは、劇作家バリ(ジョニー・デップ)に「おかあさんに会うことはできるの?」と泣きながら訊きます。バリは、「できる」と言い切ります。「by believing,Peter.」(信じれば、ネバーランドには必ず行ける)何かを強く信じる、ということの意味を再度みつることができると思います。自分のピュアな部分を見つめたい人に、スピリットを感じたい人に、特にオススメです。-----------------------------------------------(注)映画内容の解釈やセリフは僕自身の感じかた、記憶から書いたものです。
February 3, 2005
先日、フォトリーディングの集中講座を受講しました。現在、その(自主)トレーニングを行っていっております。出だしはなかなか軽快にこなすことができ、1週間目は20冊を読むことができました。[リスト] - フォトリーディング1週間目また、新たにライブドアでブログを立ち上げてみることにしました。よければのぞいてみてください。→右脳人になるための読書術
January 31, 2005
昨年、感動したことにはどんなことがあるでしょうか。僕の場合、1番印象が強いのはイチローの大リーグ年間ヒット数記録更新でした。ちょうど千葉方面へ車で出かけるときで、待ち合わせのときに携帯ニュースで並んだ(257本)のを知り、高速道路上で記録を更新した(258本)のを知りました。まるで自分のことのように喜びが胸を広がりました。本当にやってしまったな、と思いました。シーズンを振り返ってのインタビューの中で言っていたことが何度聞いても胸に沁みます。「結局は細かいことを積み重ねることでしか頂上にはいけない。それ以外に方法はないということですね」イチローと僕は同学年、誕生日で3ヶ月ほどの違いです。いままでも「すごいなー」とは思っていたし尊敬の念もありましたが、それはどこかでスポーツ選手としてという気持ちがありました。それがさらに人として尊敬する人物、ということでさらに心にガッチリ刻まれました。
January 6, 2005
人と会い、話をしていてその人の魂の声が聞こえたかなと思うときそして自分の魂の声を少しでも聞いてもらえたかなと感じるときそれが深いコミュニケーションなのでしょう。魂の声といっても自分の人生をかけたテーマを主張するわけではありません。穏やかな、一見なんでもない話のなかにそれが見え隠れします。センサーが反応すると、たとえ長い付き合いではなかったとしてもそれを感じ取ることができるのです。つまらないな、と思うのはそういうものが含まれていない、成分濃度が薄いときに起こりやすいのではないでしょうか。(たとえば合コンなどで男の話がつまらないのは本質のようなものが感じられない話が続くときではないでしょうか)重たい話をするのではないのです。突き詰めようとするものを持っている人追及するものを持ち、日々打ち込んでいる人の話は自ずと深みが出て、どこか心に通じてくるものとなります。人生に対して逃げていない、真っ向からむかい合ってぶつかっていっているその姿勢から出てくるものなのではないでしょうか。
January 5, 2005
自分のやりたいことというのは、つきつめると結局は自分の魂が何を求めているか、ということなんですね。(ふと、そう思いました)それによって人生が有利になるか不利になるかとかそういうこととはまったく関係がありません。頭で考えるものでもなく、ハートのもっと奥底の部分の感覚をつかむことです。現実に追われ、その声を聞かないようにしたり感じ取る力が極度に弱くなってしまっていることもあります。それを取り戻したいと思う場合には自分がどんなことに感動をおぼえるか、惹きつけられるかその心のありどころを感じ、少しずつでも深く味わうことです。人生の大きなことについてわからなくなったとき、迷ったときには魂に相談してみましょう。
January 4, 2005
『インストール』を観ました。冒頭あたりの台詞を聞いていて、「個性を出していくにも努力が必要だ」ということにピンときました。個性を探す、というと自分の内面を省みたり情報を受けながら自分の感覚を確かめたり、という方向を考えてしまいがちです。でも、本当はアウトプットをするなかで自分の個性は出てきます。つまり、受身で何かを探すのではなく、いわば積極的・攻撃的にエネルギーを出そうとするところで個性が出、磨かれていくのです。自分のなかを探すのではなく直感的にでも動いていかないと、個性は姿をあらわしてくれません。なにかを選択するのではなく、クリエイティブになろうとするとき(なにかを生み出そうとするとき)に見えてくるものなのです。自分がどう感じるか、というのも個性の一部ではありますが社会で通じる個性、そこにお金を払ってもいいものかどうかはその人のアウトプットの中で判断されます。世の中に通じる個性というのは素の自分の中から見つけ出して提供していくというよりも、何かをやっていくなかで磨かれて出てくるもの、というイメージです。気づき:個性は行動の中にある。待っていないで、やってみよう。夜のチネチッタ(川崎)。一定間隔で色が変わり、ちょっと幻想的でした。
January 2, 2005
カウントダウンは桜木町でした。みなとみらいの(時計になっている)観覧車をみながら迎えました。その後、近くのカフェクロワッサンのスープで体をあたためました。
December 31, 2004
土曜日に参加したパーティーにて、久しぶりに顔をあわせた知人友人と近況を伝え合っている際、何人かに僕の短期的な目標を言ってみました。「実際にはどうなるか、わかりませんが」と言ったのですが「藤岡さん(←僕です)なら、やれるんじゃない?大丈夫よ。」と一様に励ましのお言葉をいただき、非常に嬉しく感じました。大丈夫かどうか、はっきりとした根拠はありません。でも、そういうふうに言葉にしていただけることが根拠になっていったりします。(そういうものが僕を後押ししてくださるのです)もし、実現したときにはその方々のおかげ、でもあります。有難いな、と思いながら聞いていました。
December 20, 2004
人と出会い、はじめて会話を交わすとき、自分が相手に何かしらの快を与えることのできる存在であればいいな、と願います。そうでないような反応(この人はどうでもいいやというような反応)のとき、申し訳ないな、と思います。前世からの因縁、とかそもそもの性格、のようなものもあるでしょうがそうでない部分、自分の努力や行動で変わっていく部分についてはもっと自分を磨いて、少しでもそういうものを増やしていきたいと思いました。
December 19, 2004
友人が主催したパーティーに参加してきました。恵比寿のお店を貸し切りで70人ほどでワイワイとやりました。何度目かにお会いする方などに「京大出身なんですね、すごいですね」というようなことを言われました。そのように言ってもらえるのは有難いことですが、僕自身はそういう話題になることを出来うる限り避けるようにしています。30歳にもなってそういう話題は恥ずかしくもありますし、どういうリアクションをすれば適当なのか困惑するところもありますし、なにより自分自身がそういうところに興味の重点を置いていないからです。たしかに、受験を乗り越えるのにエネルギーが必要でした。僕は浪人も経験しましたし、そのときの目一杯の努力をしました。でも、そのことが1だとすると、1000とか2000とかのことを目指していきたいのです。そういう意識があるので、過去のことを褒めていただけるのは嬉しいですが、それはほとんどの場合ほんの一瞬にすぎません。目線はすぐに先の方へ向いていきます。(だから、多くの場合、話題もすぐに切り替わっていきます)「学歴がどうの、ブツブツ・・・」というのは1のことです。自分自身に誇れる学歴があろうとなかろうと、100、200、1000、2000のことを目指して将来を見据え努力している人に僕は惚れます。
December 18, 2004
箱根 彫刻の森美術館 に行きました。↑お洒落なカフェにて遅めのランチ休憩。↑先月オープンした足湯にも浸かってきました。(無料でした)ちょっと長いですが、ここに関係することをこの間読んだ本のなかでみかけたので書いておきます。------------ フジ・サンケイグループの総帥だった鹿内信隆さんにはこんな話があります。 鹿内さんは箱根に土地をもっておられた。「これを寄付するから、みんなで使い道をいろいろ考えてくれよ」と、グループの幹部たちにいったのだけれども、保養所にするとかどうとか、そんな案しか出ない。そこで彼は、その場所は風景もよかったから野外の彫刻の森にした。 この「彫刻の森美術館」は五時には閉まります。すると、ものすごく貴重な彫刻が並んでいる広大なる敷地がまったく自分の庭園になるわけです。そしてその真ん中に迎賓館を建てた。私は鹿内さんから直接聞きましたが、そこにロックフェラーなど呼ぶと、ロックフェラーがほかにはだれも人を呼ばない自宅に呼んでくれるというのです。ロックフェラーも、「あ、この人とは付き合えるな」と思うんでしょうね。世界のロックフェラーだって、あれだけの彫刻は集めていないわけです。ベルギーへ行っても、有名な貴族がオープン・ドアだといって、「どうぞ、よくいらっしゃいました」というそうです。 これはアメリカのどの財閥だったか忘れましたけれども、ヘリコプターで行くより仕方がないような場所に一族で住んでいて、そこには一族のための美術館があるそうです。もちろん、ふつうの人は入れない。鹿内さんは、それに相当するような彫刻の森美術館をもっているので、そこの迎賓館にいろいろな人をお泊めした。 そうすると、ふつうでは手に入らない貴重な情報がいろいろ入るというのです。こんなスケールの人がほしいなと思います。渡部昇一さん/大島健伸さん『異端の成功者が伝える 億万長者の教科書』(71-72P)------------
December 17, 2004
友人が青山一丁目で開催している個展に行ってきました。「風・空・雲 展」藍 みつる スケッチ展(2004/12/14~2004/12/19) ↑ハウルの動く城 を思い出しました。お茶をすすりながらしばし(ご本人と)話をしました。「おぉ、そうか」という話を聞きました。また今度にでも書いてみようと思います。
December 16, 2004
ここ数年の愛車であったフェアレディZ(E-GZ32 300ZX)を手放すことにしました。 現在、ヤフーオークションに出しております。http://page4.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d53404151
December 14, 2004
『成功ノート術』(和仁達也さん著/ゴマブックス)を読みました。------------【質問】もし、0・5パーセントずつ毎日自分の能力を高め続けた場合、365日後、つまり1年後にあなたの能力は何倍になっているでしょう?電卓を使わず、直感で答えてください。(134P)------------答えはいくつでしょうか?結構びっくりする数字でした。(ご興味のある方は計算してみるか、本をご覧になってみてください)------------ 能力100の人は365日後、能力( )になっている。(134P)------------コツコツと(小さくてもいいから)、毎日(継続して)が大切なんですね。数字にして考えてみると、そのことがより一層のインパクトを持ち、自分に迫ってきます。人生の複利効果、ということを学ばせていただきました。
December 13, 2004
『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラさん/養老孟司さん著)宝島社を読みました。予想以上に多くの"気付き"を与えてもらえました。------------ -彼が「結論を出していた」とは、どういうことですか?スマナラーサ 決めつけていたということです。得体の知れない誰かの言葉を、最終回答だと信じているんです。自分の頭で考えることを放棄してね。(56P)------------これはスマナラーサさんがある宗教団体の活動を行っていた学生に会ったときのことを振り返ってのお話なのですが仏教界の長老である方がこのようにおっしゃるのは面白いと思いました。「答えを知ること」ではなく「自分で考えて答えを出せること」が大切なんですね。自分で考えて答えを出すために知識や情報や考え方が必要で、それら(知識や情報や考え方)を得ようとする努力が勉強ということになるのでしょう。------------養老 ・・・「人生って中途半端なんだよ。答えなんかないんだよ」ってことを、どうして教えてこなかったのか。僕らは、暗黙のうちに、この世に知らないことがあるのは当たり前だって、どこかで教わったのにね。 ・ ・ ・ 医学部ですら、「エッセンシャル・ミニマムを教えろ」と言い出した。「必要にして最小限の知識を与えてくれ」と言うようになったんですよ。そんなもの人生にありますか?そういう人たちは、人生っていうものが決まりきったもので、必要最小限なのはこれですと、言えると思っているんでしょうかね。方法論を教える立場の教師としては、返事のしようがない。(62-63P)------------------------ -パック旅行のような人生では、生きることにならないと言っているんですか。養老 つまり、予測されたことをやるのでは、生きていることにならないじゃないかということです。その意味では死んでいるんですよ、日本人は全部。(75P)------------自分のわかる範囲内での行動、予測できるなかでの生活は楽ですが、そればかりでは本当に生きていることにならない、ということですね。まったく新しいことにチャレンジしていったり、どうなるかわからないことに踏み出していくことが自分の生につながっていくキッカケになる、という教えとして捉えておきたいと思います。
December 12, 2004
草間彌生展―永遠の現在 に行きました。「おぉ!きてるきてる!こういうのを観たかった」(←心の声です)という作品に出会ったとき、なんだか嬉しくなってしまいました。(それは、予定調和を乱されるような、一瞬ですがビクッとするようなタイプのものでした。無意識のうちに刺激を求めていたのでしょうか)出口そばのお土産コーナーでポストカードを買って帰ったのですが、画集がなんだか飛ぶような勢いで売れていっていました。(僕がいた数分間での印象ですが)
December 11, 2004
人脈とは、自分が何かをしてあげることのできるつながりのことだということを以前本で読んで学びました。(たしか 『超人脈力』堀 紘一さん著/講談社だったと思います)「自分が何かをしてもらうための人」ではなく、「自分が何か手助けできる、役に立ってあげることのできる相手」なのです。そういうスタンスで付き合っていると、それが自然と自分に跳ね返ってくる、それが人生の法則だ、ということです。最近、それを実感できる出来事がありました。何気なくやったことだったのですが、それが別の形とタイミングで戻ってきました。(そのつながりからやったことが、またさらに戻ってきています)こういうのが人生の楽しさかな、と嬉しく思っています。まず、自分からやるのです。自分から何かできないかを考え、動いていきます。いろいろなところに通じる秘訣ではないか、と感じはじめています。
December 10, 2004
プチリタゴールド会員限定の忘年会がありました。参加者全員が自己紹介を行ったのですが、石井貴士さんの本を手がけられたゴマブックスの遠藤編集長(ゲストとして御越しになっていらっしゃいました)の「いまの人たちを見ていてしばしば感じるのは、目の前の出会いに集中していない人が多いということです」というお言葉が胸にしみました。キーパーソン、自分にメリットをもたらしてくれそうな人に出会おう、と打算的に人との関係を捉えるのではなく、まったくそんなことは関係なく、目の前のひとつひとつの出会いを大切に考えろということです。「(成功する方法も)結局のところテクニックではないんです。人間力を磨こうとすることが大切だと思います」(少し言い回しが違ったかもしれませんが、僕の記憶で書いています)聞き終わった瞬間、これだけで、参加費のもとはとれたと思いました。密度の濃い時間でした。
December 4, 2004
『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』(村上春樹さん著/朝日新聞社)なんだか長いタイトルですね。まだ途中ですが、赤ペンでチェックをグイグイとつけながら読みすすめています。------------僕にとっての小説というのは、ちょうど自分の中に深く埋もれている遺跡を発掘するようなものです。外からやってくるのは、新しい道具であり、新しいスタッフです。でもその道具で掘り起こす「中身」は、ずっと長いあいだ自分の中に埋もれていたものです。(64P)------------さすがうまい説明の仕方だな~と思いました。小説に限らず、何かを真剣に表現しようとするときにはこういう感覚が生じてくるのではないかと思います。外部の刺激、経験により遺跡が形作られアウトプットしようとするときにそれを探り、かたちを浮かび上がらせていくということですね。うまく発掘できたときには、汗をぬぐいながら充実感を感じることができます。そしてその遺跡を見てくれる人が出てきます。息をのんだり、写真をとったりしてくれる人もいるかも知れません。自分のなかの埋もれたままの遺跡、せっかくあるのですからそのままにしておかないで取り出してみてはいかがでしょう。
December 1, 2004
フェラーリに乗って、温泉地まで行ってまいりました。高速をとばしています。これは帰りの途中でやったアーチェリー。みごと命中しました。
November 30, 2004
知り合いの社長さんが、お台場の『デックス東京ビーチ』でフェラーリ乗車のイベントを行ってます。 -------------------------------------------------------------------- 期間:2005年1月10日(祝)までの土曜日、日曜日、祝祭日 (※雨天の場合は中止になります。) 場所:お台場『デックス東京ビーチ』1F南側の歩道上。 コンビニエンスストア(サンクスさん)のななめ前になります。 営業時間:11:00-19:00 値段: ●子供 1,000円 ●女性 2,000円 ●男性 3,000円 --------------------------------------------------------------------少し前の車種(348ts)なのですが、音がたまらなくイイです。詳細は以下にあります。http://www.f-rental.com/html/event.html
November 27, 2004
川崎でみました。映画は、「いかに気付くか」だと改めて思いました。映画のストーリーを追うだけで、いい悪い、面白い面白くないと判断するのは少しもったいない見方です。本筋とは違うところ、ふくらますためのシーンや何気ないやりとりで何に気付くか、です。それらは自分自身のアンテナが受信するものです。送り手が意図すれば伝わるというものではないのです。人がそれぞれ抱えているものと、映画の表現が共振して、メッセージが生まれます。送り手が努力すべきなのは、メッセージを込めることではなく、魂を込めることです。それが本気で込められれば込められるほど、結果として観客の心の中にメッセージがビンビン飛び込んでいくものとなります。このことはもちろん映画に限りません。あらゆる表現に通じることですし、さらに言えば生き方だってそうでしょう。本気で生きている人と触れ合うと、その人が体中からメッセージを発しているのが感じられます。野心とは、そういう人間になろうという意志です。いかに魂を込めた生き方をするか、ということなのではないでしょうか。「ハウルの動く城」は出会いの物語だ、と思いました。いままで、人生で一番インパクトのあった出会いはどんなものだったでしょうか。実際に対面で会うだけではなく、メディアを通じてのものでもなんでも、それによって人生の進む方向が一気に変わるような出会いは、実はそれだけで贅沢な経験なのかも知れません。いい出会いを(女性に)提供するために、日々何をやっていくのか。男の仕事というのは結局そういうものなのではないか、と思いました。(ちょっと気障ですね、でもそう思いました)
November 26, 2004
『アツイ コトバ』(杉村太郎さん著/中経出版)を読みました。--------- 99%の人間は、日々、流して生きている。半分寝たまま生きている。 超眠いわけでもなく眠り、目覚まし時計に起こされ、無意識のまま電車に揺られ、会社に辿り着く。社内会議の誰かの発言にも、特に問題意識を持たぬまま、無意識に頷いている。上司とのすり合わせも、超納得ではないが、よしとする。 ・ ・ ・ 結局、生きている実感は、究極の状態にしかないのだ。 韓流ドラマで涙しても、ユジンに本気で恋でもしない限り、生きている実感などありゃしない。自分自身への追及の目を、攻撃の手を、休めてはいけない。 究極の状態とは、すなわち、死と隣り合わせの状態。 ・ ・ ・ どんなに無謀な挑戦だろうと、人からバカだと言われようと、突き進んで欲しい。掲げた旗は絶対に降ろすな。 僕たちは生まれただけで幸せものだ。誰かのために命をかけないでどうする。(92-93P)---------赤ボールペンを持ちながら読んでいましたが、本文のあるほとんどのページに線やチェックが入りました。(胸に響いたり、重要なメッセージだと感じたものにしるしをつけています)本当にアツイです。(看板に偽りなし、です)自分のいまの生き方や人生に対してガツンと一発欲しい方に、オススメです。
November 25, 2004
妹と観にいきました。席に着いたときにふと気付いたのですがそれまでミュージカルを生で観賞した記憶がなく、そのことにまず自分自身驚きました。そういう体験をさせてくれた妹に感謝、です。体全体を使って生き生きと表現する俳優さんたちのエネルギーをみました。その一方で、割れんばかりの拍手は「魂を揺さぶられるほどの感動」を感じたときに心から送りたいと思いました。(たとえばイチローの記録達成のヒットや北島の金メダル獲得を目の前で見たらそうなると思います)まだ見方(もしくは人生経験)が甘いのでしょうか、そこまでのものを感じることができませんでした。
November 20, 2004
『不良品』(宇梶剛士さん著/ソフトバンクパブリッシング)を読みました。俳優の宇梶さんは、元暴走族の総長です。2000人のトップだった方です。2000人の企業の社長よりも、2000人を束ねる暴走族ヘッドになることの方が稀有な経験でしょう。それはともかく、そういう経験(何千人かの上に立つ経験)に至るには、何かしらの理由があるのではないかと思います。それは言語で表すことのできることもできないこともあるでしょうが、なにかがあってそうなるのでしょう。そんなことを考えながら読みました。--------- スタジオに入った瞬間、「あっ」と思わず口にしてしまった。茶髪、特攻服、斜に構えた態度、鋭い目つき。そこにいたのは、かつての自分だった。 彼らはカメラの前で吠えた。 「学校は何もしてくれない」 「自分はなにもしていないのに、ことあるごとに先生から目をつけられた」 「いじめを受けて先生に相談したのに、口ばかりで結局なにもしてくれなかった」 「直接自分をしかれないくせに、なにかあるとすぐ警察を呼んで問題児扱いする」 「学校を辞めたくなかったのに、退学を言い渡された。それなのに自主退学扱いになった」 「先生のやり方がどうしても許せなくて殴った。そんなに先生は偉いのか」 ・ ・ ・ だから、ワルと言われ、社会に背を向けている先輩達を漠然と、格好いい人達だと思っていた。仲良くなったワル達にも、そういう自分を求められていたし、彼らとは気も合ったので、一緒にいて楽しかった。そして学校はダメだ、先生は当てにならない、社会は腐っていると反発していた。 あらためてスタジオを見渡した。 誰もがエネルギーを持て余しているようだった。彼らはかつての自分であると同時に、自分の子供と同世代でもあった。 ・ ・ ・役者なので、もの分かりのいいワルの先輩というキャラクターを演じられたはずだが、このときの僕は、後先考えず彼らに向かって熱くなっていた。 「自分の生き方を貫けば、どこかで必ず出る杭は打たれる。それでも、自分を曲げずに生きる道を選ぶのなら、それもいいと思う。けれど、自分が生き方を決めた以上、なにか問題が発生したときに学校や社会や大人のせいにすべきではない」 最後に意見を求められて僕がこういったとき、ずっと収録中睨んでいた彼らのうち数人がうなずいた。彼らの未来がどうなるかは分からないけれど、こんな偉そうな意見を少しでも受け止めてくれたのかと思ったら、嬉しかった。(205-211P)---------自分の経験を基にした話は、若い胸に重く響いていくことがあります。それは例えばこの場合に、暴走族の経験があるかどうか、ということがポイントなのではありません。自分がなりふり構わず必死になった経験、倒れそうなくらい努力したり入れ込んだりした経験、何かに集中し続けた経験、目標を達成するために長い間(流されないよう)自分をコントロールしてきた経験、頑固になってきた経験、自分に正直になってきた経験、壁にぶつかってきた経験、理不尽に対処してきた経験、そういうことが発する言葉に乗っていくのだと思います。その結果に得たことやそこで何を考え、感じたか、そこにリアルが存在します。その対象が何であれ、エネルギーをぶつけてきた経験、ギリギリで勝負してきた経験は、その人の内部に残ります。どういうことにエネルギーを振り向けてきたか、という違いだけで、「エネルギーを出す」ということにおいてそれは若い人に伝わり得るものとなるのです。(自分自身)根性入れ直さないとな、と思いました。
October 18, 2004
『世界一の金持ちになってみろ!』(堀江貴文さん/竹村健一さん著 太陽企画出版) を読みました。読書をしていていいのは「あ、それ(そういう生き方、考え方)でいいんだ」と思える文章に出会えることです。この本でもそういう瞬間がありました。(ペン等でチェックしていなかったので、どの箇所か忘れてしまいましたが)--------- 若さはパワーであり、金儲けするために必要な能力、会社を経営するための能力を自分にたたき込むことを可能にします。それを身につけるチャンスは若いときにしかつかめません。 若い人はお金を使いたいでしょう。そのために大儲けしたいでしょう。だからそのための力を、身につけられるうちに早く身につけたほうがいい。 でかい夢を見たら、その夢を実現することを考えたほうがいい。そのためにはどうしたらいいのか、よく考えるべきです。どういうことをしなければいけないのか、どんな能力を身につけたらいいのか、どれだけお金が必要になるのか、具体的に考えて、早く準備をし、早く実行すべきです。(118P)------------------ 若い人に密度の濃い仕事を与えない中高年経営者、管理職は、企業の発展を邪魔しています。密度の濃い仕事をさせれば、実力がつき、企業の力を高めます。若い人には重要な仕事をどんどんさせるべきです。有能な人は早くから経営者として抜擢すべきです。 多くの人は、経験豊かなベテランでないと経営はできないという考えにとりつかれているようですが、それはたいへんな思い違いというものです。経営者は的確で素速い判断を下さなければなりません。 そのためには豊かな経験が必要ですが、それは歳を食えばいいというものではありません。むしろ密度濃い仕事をし、いつも最高の判断をし、責任をもって決断する訓練を早くから積むことでこそ、経験は豊かになっていくものです。 ・ ・ ・ 僕は、もっと若い人たちを経営者の地位に就かせるようなことをしたほうが、日本にとってもいいと思っています。それだけ若い人は能力をもっています。自分たちの居場所を守るために、若い人たちの可能性を奪うようなことはやめてほしい。これだけははっきり言っておかなければなりません。(79-80P)---------ともにライブドア堀江さんの文章ですがこれはベテラン世代への要望とともに、若い世代へのエールでもあると思います。上からの指示のみによって動くのではなく自分で考え、決断、実行し、多少の困難があっても完遂をしていく、そういう経験や仕事を積み重ねていく意識が必要だよ、ということでしょう。若い人にはエネルギーばかりでなく能力もある。それを伸ばし開花させる場を提供していくのも教育の一つになるということですね。
October 17, 2004
『原稿用紙10枚を書く力』(齋藤孝著/大和書房)を読みました。--------- 書くことは、無から有を生み出すことではなく、頭の中で構想したものを形にしていくこと、すなわち構築することなのだ。(37P)---------まったくの無から有を生み出そうと考えると、長文を書いていくのは大変に感じてしまうと思います。そうではなく、常日頃から頭の中にあることや調べてインプットしたことを骨組みやパズルのようにしてつなげていくことを考え、それを吐き出していく、というイメージでいると長さに対してもへこたれないでいられるということでしょう。書き出す前に簡単な構成のレジュメを作成することも齋藤さんは勧めていらっしゃいます。インスピレーションに従って白紙の状態からそのまま書いていくというのも一つのやり方なのでしょうが、それだと息切れ・挫折してしまうことも多いよ、という教えだと思いました。
September 25, 2004
『お笑いニッポンの教育』(テリー伊藤さん/和田秀樹さん著 PHP研究所)を読みました。--------テリー 日本の教育は、どうやってモチベーションを持つかっていうことをぜんぜん教えないよね。それと、もうひとつ大事だと思うのは「だれかに嫌われる」という教育です。日本では、人に好かれるようにすることは教えるけど、「だれかに嫌われろ」とは、だれも教えないでしょ。これは「人が嫌がる悪いことをしろ」っていう意味じゃなくて、「たとえ嫌われても、これと思ったことをやる」という意味も含めて「だれかに嫌われる」ってことなんです。 これはほんとうに大切なことなんだ。人生って、「嫌われながら、どう生きるか」なんですよ。俺自身も、嫌われることを怖れているときは、自分で「ぬるいな」と思うの。 ・ ・ ・日本人は「人間、丸くなったな」というと、まるでいい人になったみたいでしょ。ものわかりがいいとか、若い人と気が合うとかさ。丸くなったとかいうのは、裏を返すと、自分の自信のなさなんです。自分に自信がないから、若い人にくっついていったり、ものわかりがよくなっていくわけ。自分にものすごく自信のあるやつは媚びない。だから、嫌われることはすごくいいことなんだ。年をとれば、人間は嫌われていったほうがいいと僕は思っているの。そういう教育を若いときからしていかないと、強い日本はできないね。 (78-83P)--------嫌われることに対する恐怖感というのは、人間本来の性質としてあることだと思います。でも、そういう気持ちと格闘しながらでも嫌われることを厭わずに自分のやり方を貫く姿勢がないとやりたいことを成し遂げて成長していくということはできないのかもしれません。急激に押し出て行こうとすれば、抵抗が生じてきます。目立とうとすれば嘲笑をあびることも珍しくないですしトップになれば反発があるし尖っていこうとすれば反作用を受けます。生きたいように生きようとするにはときにそういうものに対抗できる強さも必要なのでしょう。つまり、自己実現を求めるというのは決して楽な道程ではなく、精神的な強さが要求されてくるもの。安易には掴み取れないものなのかも知れません。それを楽しんでいけるかどうかが分かれ目というように思います。考えてみると人に好かれようと意識してしまうことから、悩みが生じたり迷いが出てきたりすることも多いのかも知れません。嫌われようが平気でいられる強さをどうやって持つのか、それは究極的には自分に自信を持つことなんだと思います。いい男、いい女は嫌われることも多いといいます。むしろ、あるピンポイントの層にしか受けないものなのかもしれません。嫌われたな、ということがあっても進路変更せず、自分のいい男・いい女ぶりに磨きがかかったと思って進んでいけばいいのではないでしょうか。
September 24, 2004
「さいとう・たかをのゴルゴ流 サバイバル人生論」PHP研究所を読みました。---------- 同じ人生なら、「幸せ」と感じる時間が多ければ多いほどいいに決まっている。なるべくたくさんの「幸せ」を感じてやるのが、自分自身に対する義務であり、礼儀である。 ・ ・ ・ 幸福とは、長く続く状態ではない。精神的にも肉体的にも「心地よい」と感じるその瞬間、瞬間でしかないのである。そうした瞬間をなるべく多く作ってやることが、自分を大事にするということなのだ。 一杯のコーヒーを「ああ、こんなうまい物が飲めてありがたい」と感謝するのと、「こんな物」と無感動に飲むのとでは、その時点でどちらが幸せだろう。それを考えてみてほしい。 悩み事をいつまでも抱えて、クヨクヨ考えてばかりの人がよくいる。そんなとき、私はこう聞くのだ。 「悩んでいて、楽しいか?」 たいていの人は、そう聞かれて目を白黒させる。 「いや、別に楽しいというわけじゃないけれど……」 「楽しくないなら、ほどほどにしておけよ」 自分で自分で幸せにするのが義務ならば、楽しくない時間はなるべく作らないことだ。悩み事ができるのは仕方ないが、ただ悩むことに時間を費やすべきじゃない。 (182-184P)----------自分を大切にするとは自分が心地よいと感じる状態をなるべく多く作り出していこうとすることなんですね。それは自分がそう感じる環境を求めていくということもあるでしょうが、いま置かれた状況で見方・考え方・捉え方を変えてみることで獲得できることも多いということだと思います。社会的な義務、ということは意識しますが自分自身に対する義務や礼儀といった考え方は普段なかなかできません。エゴとか自分勝手とセーブしてしまわずに、自分自身に対する責任だと思って自分の幸福を追求してみていいのかもしれません。
September 23, 2004
『日記の魔力』(表三郎さん著/サンマーク出版)を読みました。------ 形あるものというのは、膨大な潜在的エネルギーに支えられた氷山の一角でしかない。 見えない部分がなければ、人は生きていけないのだ。 だから、自分のアビリティの部分だけを見て、自分にはこれしかできないと思うのではなく、見えない部分、キャパシティの部分に意識を向け、自分の隠れた大きさを信じて生きていくことが大切なのだ。 そして、日記をつけていくことによって、その形のないもの、自分のキャパシティが見えてくるのである。 日記にはそんな魔力があるのだ。(200-201P)------とは深い言葉だと思いました。「形」とは外にあらわれて出ている部分です。そこから私たちは氷山の海面下部分を推測したり想像したりするわけですが、自分自身のものについてすら、はっきりとつかみ切ることはできません。まして他人の海面下については、あるときは過大評価をし、あるときはその逆になり、ほとんど幻想を見ているようなものなのかも知れません。どういう幻想を作り出そうと構わないのでしょうが、本人に伝えるときには、いい幻想を口に出して言うようにします。それがその人の海面下をアップグレードし、自信につながっていったりするのです。
September 7, 2004
『夜回り先生』(水谷修さん著/サンクチュアリ出版)を読みました。------ 警察は、私のことを「日本で最も死に近い教師」と呼ぶ。中でも口の悪い警官は「あんたはいつか頚動脈を切られて死ぬか、おもりをつけて海に沈められるぞ」と言う。子どもたちを守るために、たとえ暴力団の事務所でも、暴走族の集会でもかまわず突入していくからだろう。(32P)------「夜回り」というのは、水谷さんが長年行っている繁華街の深夜パトロールのことです。12年間、5000人の子供たちと関わってこられたそうです。凄い先生だな、と思いました。子供たちを護るのに体を張っていらっしゃいます。暴力団の組長と話をつける場面があり、カフェで読んでいたのですが「本当にそこまでできるものだろうか」と寒気と感動がないまぜになったようなものが背筋を通り過ぎていきました。 (138-145Pです、ご興味のある方はぜひご覧になってみてください!)決して綺麗事でなく、生の現場を深く見聞きされてきた先生の言葉を読み、身を正される思いがしました。
September 6, 2004
神宮外苑花火に行きました。 石井貴士さんとプチリタ会員など20人ほどが集まって夏の風物詩を堪能してきました。僕は彼の隣に座らせてもらい、密度濃く(?)話をさせていただきました。(その隣は作家の内藤みかさん) これが石井さん。花火もよかったですが、マツケン(松平健)サンバのライブも強烈に印象に残りました。
August 8, 2004
『斎藤一人とみっちゃん先生が行く』(みっちゃん先生著・KKロングセラーズ)を読みました。------人のことを怒鳴ってて、「これも愛だ」っていう人もいるんだけど、怒鳴られている人は愛を感じられないことって多いんだよね。相手が愛を感じてないのに、それを「愛だ」といい張るのって、強姦と同じだからね。(P59-60)------なるほど、そう考えればいいのか、と思いました。人間は怠惰なところがありますから、叱らなければ下や周りが動かないという場面もあるでしょう。でも、それを「相手のことを思って」と考え、簡単によしとするのはダメなのだと思います。きちんと相手の反応を見ながら、コミュニケーションを取りながらでないと、ビジネス上での結果はよくなったとしても、心にダメージが残ることになってしまいます。それは大きな目で見ていったらマイナスになります。勉強になりました。
July 22, 2004
映画 69(sixty nine) を銀座で見ました。原作は村上龍さんの自伝的小説です。大学生のときに読んで、『パワフルな高校時代だったんだな~』と思った記憶がありました。自分の人生、賢く生きるのがいいのか、楽しく生きるのがいいのか。やっぱり楽しく生きて、周りに笑い声を響かせてやればいいというほうが面白いんだと思います。でも、知らず知らずのうちに賢く生きようとしてしまいます。賢いというのは、ルールの上で、効率を考えて生きるということです。功利的に生きるということです。功利性を無視して自分の道を進む、それもひとつの立派な生き方です。それをどこまで貫くか、というところに根性が試されます。そんなことを考えました。
July 17, 2004
少し前になりますが『前田義子の迷わない強運哲学』(小学館)を読みました。------幸せ感はその人自身の問題です。私の幸せがほかの人の幸せとは限りません。だから、自分の幸せ感はなんなのかをきちんと持って、だけどこの地球上にたくさんの人が生きている中で、人の幸せ感とのバランスもとることが大事なのではないでしょうか。みんながその距離を持たないから争いが起きたり摩擦が起きるのだと思います。自分の周りにいる人たちが幸せな顔ができないということは、結局自分に跳ね返って戻ってきます。あまりにも幸せ感のないところに自分がいると感じたら、迷わずそこを出たほうがいい。ドアを開けて出て行っていいのです。がまんする必要はないし、自分が幸せでいられることが周りの人を幸せな気持ちにしていくと思います。(91P)------この本を通じて自分がいかに快適にいられるか、五感をゴキゲンにして幸せでいられるか、を重要視する前田さんの姿勢が伝わってきました。自分の快、不快を物事の判断基準として据える。それが我儘や傲慢さにつながってはダメでしょうから、そういうことに注意しながら、自分の感覚を大事なセンサーとして用いていく。そういう視点を学ばせていただきました。
July 6, 2004
「湘南ひらつか七夕まつり」に行ってきました。最終日だったのですが平日のせいか、混み具合が僕にはちょうどいいと感じられるくらいでした。もちろん賑わっていたのですが、全然前に進めないとか、帰りの駅がごった煮状態になっているとか、そういうことがなく、変な表現ですが、なかなか快適なお祭りでした。大きめの短冊に願い事を書いてきました。「いい仲間たちと、たくさんの面白いビジネスができますように」どうか、かないますように!
July 5, 2004
人と付き合うというのは、その人の視点を学ぶことでもあると思います。付き合う相手のものの見方が知らず知らずのうちに自分の身についているのに気付くことがあります。それは、自分のものを見る角度がひとつ増えたということです。世界の見方が一段深くなったのです。付き合うというのは、好きな異性に限りません。仕事でつながる人もそうですし、本や映画などのメディアを通じてのつながりもあるでしょう。人が大事、というのはそういうところにもあると思います。いろいろ気付かせてくれ、心を豊かにしてくれるのは、自分の周りの人、でもあるのです。幸せを感じる心が大切だといいますが、それとともに自分の周りの人との付き合い方も大事だと思います。付き合ってくださっている方々に、心からの感謝です!
July 3, 2004
昨日の日記の続きです。高橋さんと、駅から2分ほどのところにあるカフェに入りました。セルフ形式のお店で、カウンターの前で一緒にオーダーしたのですが、高橋さんは注文するときの声が違います。まるでテレビに向かってニュースを伝えているかのようにはっきりとしたわかりやすい声で『●●をひとつください。』と注文をされていました。意識してそうしているのか、もう無意識のうちにそうなっているのか今度聞いてみようと思います。
July 1, 2004
今日は、『経営者・ビジネスマン 話し方/プレゼンテーション 講座』の講師、フリーアナウンサー高橋さんと打合せを行いました。駅前で待ち合わせて歩き出したところ、コーナーを設けて香水のプロモーションキャンペーンを行っているのが目に入りました。pasha!(パシャ) グレープフルーツ香水shupa!(シュパ) ベルガモットオレンジの天然香料から作ったグリーンオレンジの香りの香水ぱっと商品(↑)をみて「化粧品関連だな」と思い、通り過ぎようとしたところ、高橋さんがささっと近寄っていって、においのついたサンプルの紙を受け取って嗅ぎ始めました。僕もそれに見習い、隣の女性からサンプルの紙をもらって嗅ぎ、少しの間商品の説明をしていただきました。(ちょっと、手首にもつけてくださいました)体につけるだけでなく、部屋にまいたり、お風呂に噴いたり、枕につけてもいいということです。ストレスに効くし、子供から年配の方まで幅広く利用できるということでした。男女兼用タイプのものだったのですが、僕は「自分には関係ないや」と思ってスグに通り過ぎようとしてしまったのでした。職業柄もあるのかもしれませんが、高橋さんは好奇心旺盛だしフットワークもあるな~と感じました。ヤバイヤバイ、自分も見習わなければ、と切に思いました。
June 30, 2004
『経営者・ビジネスマン 話し方/プレゼンテーション 講座』の販売ページに、講師高橋さんの40秒程度の挨拶動画を載せています。→http://www.viscute.com/presentation/の右側の「●挨拶&ガイダンス(↓) 」ですこれはセミナーの当日、会場内をセッティングしながら「サイトに1分くらいのこういうの載せましょうか」と僕が提案したのに対し、「ああ、いいですね」とその場でササーと原稿をつくってださり、収録したものです。ほとんど時間もかけずにすぐカメラの前にお立ちになり、1回ちょっと失敗があったのですが、2回目にはちゃんとOKとなりました。さすがプロだな~と思いました。様子を見ていて、いままでの現場でいろんな修羅場を経験してきたことがうかがわれました。その他にも、一緒にお仕事をさせていただく中で、「へぇ~、そういうところにこだわるのか」とかたくさん発見があって面白いです。(また機会をみつけて書いてみたいと思います)ビデオCDもジワジワと売れてきています。もうすぐ値上げしてしまいますので、ご興味をお持ちの方はお早めにどうぞ。 現役アナウンサー高橋祐介の『経営者・ビジネスマン 話し方/プレゼンテーション 講座』
June 28, 2004
昨日の日記に書いた『セミナー/交流会 開催術』は今年の3月に行ったのですが、参加者の中には「全国経営者連合会」の社長さんもいらっしゃいました。(ほんと光栄でした)セミナーや交流会をバリバリ行われている方がいいのかな、ちゃんとお役に立てるんだろうか・・・という思いも少しあったのですが、昨日そこの社員の方に「あのセミナーの資料は大事に使われています、僕も参考にさせていただいています」という話をお聞きしました。お世辞が含まれているにせよ、大変嬉しかったです!でも、なぜかインターネットからは売れていません。すこしアピールの仕方を変えようかな~と思案中。
June 25, 2004
池袋で行われたプレゼンテーション&名刺交換会に参加してきました。主催者は、『セミナー/交流会 開催術』を受講してくださった方だったのですが、順調に第2回目を行われていて、すごいと思いました。セミナーを行ったとき、これがちゃんと次につながったら嬉しいなと思ったのですが、実際にその現場を拝見し、主催者冥利につきる思いがしました。(藤岡が主催、講師は知人の山本多聞さんに依頼しました)本日の会は参加者がそれぞれ事業やサービスのプレゼンを行い、宣伝したり協力者を探ったりするという趣旨のものだったのですが、「そんなビジネスがあるんだ」など、発見もいくつもありました。金沢市からいらっしゃった20代の経営者の方に、「地元でもこういう会はありますか?」とたずねたところ「ほとんどないですね~」という答えが返ってきました。東京はやはり情報に触れたり発信したりするチャンスにより恵まれている場所なんだな、と思いました。
June 24, 2004
『前田義子の強運に生きるワザ』(小学館)を読みました。FOXEYを設立された前田義子さんの本です。------ 日本に戻って来るたび感じるのは、自分のことを「つまらない人」「ちっぽけな人間」と思っている人が意外に多いのではないかということです。それは多分、子供のころからの教育の問題が大きいと私は思います。ほめられることよりも怒られる回数のほうがきっと多かったのではないでしょうか。アメリカの教育は、ほめられる回数のほうが断然多いから、自分に自信を持っている人がとても多いんです。 自信を持つということは、とてもすごいエネルギーなんです。「私ならできるに違いない!」と思うのと、「私なんかできないに決まっている」と思うのとでは、気持ちの上で既にスタート地点が違いますよね。(P113)------学校だけでなく、企業でもそうでしょうが、ほめる側の訓練・練習が必要なのかも知れないと思いました。やり方どうのというより意識の方向性がズレていて、せっかくの機会をまったく生かせていないということも多いのではないでしょうか。企業は利益を出すという目的がありますが、それと同じくらい社員を生き生きさせることに知恵を使おうとする意識があっていいのでは?と思います。日本人スポーツ選手が海外で活躍する姿をみて応援するとか、プロジェクトXをみて感動するとか、感覚的には同じでいいと思います。頑張って、そして何らかの結果を出したらそれを肯定的に評価することでその人の能力を伸ばしてしまう。簡単なことだと思うのですが、そういうチャンスを逃している場面って毎日のようにあると思います。続けて、『前田義子の迷わない強運哲学』を読みました。それについてはまた別の日に。
June 20, 2004
知人が主催したワークショップに参加してきました。それぞれテーマを持ち寄って、その内容について時間を区切ってブレーンストーミングを行うというものでした。テーマに特に制限はないのですが、参加者は皆ビジネスマン&ウーマンだったので、仕事上で現在かかえているものを題材にしている人がほとんどのようでした。それ(持ってきたテーマ)により、その方が何をどういうスタンスでどれくらいの深さまで取り組んでいるか、取り組もうとしているかが何となく伝わってきて面白かったです。(皆さん真剣だったので感動しました)この日はワークショップという形でしたが、最近飲んだり食事をする機会を振り返ると、その場をブレストの場として活用していることが多いということに気がつきました。飲み会や食事会のみならず、雑談しているときもブレストは行われています。漠然としたテーマは曖昧な話の進み方になってしまいますが、自分が具体的なテーマを持つと話も一層楽しくなります。
June 19, 2004
アーティストのНАИΝАНさんがインタビューに答えておっしゃっていました。「私にとって音楽は日常生活の一部。音からはじまって音で終わる」そう言い切れる(ものを持っている)のはすごいな、と思いました。何を自分の日常生活・習慣としているか、を意識してみようと改めて思いました。気づいたらそうなっていた、そうせざるを得ないというものもあるでしょうが、それらも含め自分の選択を見つめなおしてみるのも価値あることだと思います。
June 18, 2004
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