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赤ちゃんと話そう!生まれる前からの子育て胎内記憶について本を読みたいなと思ったときに、ふと手にとった1冊です。その本には、胎内記憶以上にひきつけられる内容がありました! それがタイトルに書いた「命をありがとう」です。著者も触れていますが、妊娠・出産・育児に関する本で、流産や死産に関することが書かれていて、本当に驚きました。でも、今年4月に流産した意味を自分なりに考え、認めるきっかけとなりました。「命を宿したこと、その子が生きていた時間があるということだけで、すばらしいこと。流産・死産・正常出産のどの過程をとっても、赤ちゃんがお母さんのおなかの中から出て来る過程は同じ」流産も死産も正常出産もすべてお産であることには変わりない、死を通して学ぶべき何かがあるなら、流産や死産も赤ちゃんからのすばらしいプレゼントではないかという言葉が心に強く響きました。私の場合、特に初期流産だったので、お産とは誰も認めてくれませんし、どうしようもなかったんだよと慰めてもらっても、何とも言えず、成仏できない感情だけが残りました。確かに初期流産に関しては、普通に生活をしていても、安静にしても、ハードな生活をしても、結果は同じだったと思いますが、事実と感情は違うのです。私には前の日記に書いたように、お腹から出てきた感覚は今でも覚えています。本当、出産で最後につるんと赤ちゃんが出てくるような錯覚に陥り、妊娠と流産の両方に気づくきっかけになったのですから… ただ、多くの方にはこれをお産として認めてもらえません。でも、この著者は「流産も普通のお産と同じで、家で流産したら自宅出産、病院で手術するなら帝王切開のようなもの」と明記してくれていて、本当涙が出てきました。私は「自宅出産したんだ」と思えただけで、すごく気持ちが楽になったんです。もちろん、以前書いたように、トイレの中なので拾えませんでしたが、それでもなんです… そこで重要なのは、赤ちゃんからのメッセージを受け取ることであり、逆に流産を後悔したり、トラウマに残す必要がないそうです。とても辛い体験をしているのだけど、そこから得られた気付きが母親を励ますためのポジティブなメッセージとなるそうです。それはひとりひとり違うのですが、時間がいくら経過してもかまわないのですが、流産を通して、ふと何かを感じたその思いだそうです。さらに、「この流産で人生変わりました」と強く思えるなら、赤ちゃんのメッセージは充分すぎるほど伝わっているそうです。赤ちゃんが生まれてくる目的には、親(特に母親)を大きく成長させることと、赤ちゃんが自分の人生を追求する中で、多くの方に役立つという2つがあるそうで、その最初の目的を果たしたことになるからだそうです。私は幸い、もえちゃんから赤ちゃんのメッセージを受け取ることができました。将来的にアレルギー関連のことは何かの形でやりたいなという、小さな夢はあります。でも、この夢はもしかしたら運命なのかもしれないと思えるようになりました。子ども達がアレルギーという疾患をもって生まれてこなければ、今の自分はいないし、これを読んでくれる多くの方に出会えることもなかったと思います。このように思えるようになったことは、お空にいった子どもと今生きている子ども達からのメッセージを少しは受け止められたのかもしれません。また、「この流産で人生変わりました」と思えるようなことも、実は流産をきっかけにどんどん舞い込んできているのです。詳しくは後日に書こうと思いますが、私の大きなトラウマの2つがまるで払拭されるかのように… 最終的には自分で選んでいるのかもしれませんが、周囲がそのレールを引いてくれている思いがとても強いんです。 上の子のアレルギーがわかってから、約5年半になります。トラウマはいずれもママ友(友ではないかもしれないけど…)とアレルギーになります。アレルギーが発覚してまもない頃と入園後の2つのトラウマです。特に2つ目はこのブログもやっていたし、多くのアレルギーっ子のママの友人もいたのですが、普通のママと上手くかかわれないトラウマです。2つ目のトラウマが出たときは、私を最初からスタッフとして快く引き受けてくれた特別な思い入れのある母乳育児サークルにさえ参加できなくなっていたのです。もちろん、サークルの方々にはまったく関係がないのに、特別な用件がない限り、足が動かず、事情をつけては欠席していました。断乳予定していた今年3月には、さすがに長期間の母乳育児とその大きなストレスにより、体力もなくなっていました。最初はそれが流産の原因だと思っていました。でも、流産をしたことで、友人たちやブログを読んでくれている多くの仲間に支えられていることがわかりました。まだ、流産から約6ヶ月足らずですが、流産を少しでも乗り越え、かつ上記のトラウマを少しでも払拭するきっかけを与えてくれた方々がいます。生協の某委員会2つに誘ってくれた入園以来あまり話したことがなかった園のクラスのママ2人と前回の日記にも書いたけど、ママイキを紹介してくれたこぶたちゃん、そして、私がママイキを受講できるように、主催してくれた母乳育児サークルのスタッフである友人2人です。2つの委員会もママイキも普通のママたちの集まりです。私が最も苦手な場所です。彼女達は事情を知りませんが、自分の殻やトラウマを乗り越えるきっかけはないものかと、実は流産直前頃から考えていました。それをまさしく察してくれたような出来事だったのです。これらのおかげで、今の私は自分に多少自信をもてるようになり、普通のママとも付き合える勇気が出てきました。もちろん、まだまだ頭では色々ぐるぐるしています。詳しくは別の機会に書くとして、1つ言えることは、ママイキに出会わなかったら、もえちゃんのメッセージをもらうことはなかっただろうし、この本にも出会うことがなく、いまだトラウマと流産の悲しみに打ちひしがれていたのかもしれません。もちろん、100%乗り越えたわけではないので、時々グルグルしては、話を聴いてもらって、心の整理をしての繰り返しの日々ですが… 嫌な顔ひとつせずに聴いてくれている方々、ありがとう♪上記の本を読んだのが約1ヶ月前、感銘も大きく、すぐにでもブログに書きたいなと思いながらも、諸事情で放置をしていました。そんな状態で、先日、ママイキ講座を受けました。そこで、なんとお腹から出てきたもえちゃんと初めて会うことができた上に、もえちゃん親子と一緒に受講しました! これも本当に偶然の話ですが、必然の出会いなのかもしれません! 私ともえちゃんのママの福子さんは同じ母乳育児サークルの友人ですが、彼女が妊娠後に初めて会ったのがサークル主催の千葉のLucky☆Mom's Supporterさんによるママイキ、産後に初めて会ったのがひろっしゅコーチによるママイキ、何とも言えない必然性を感じます! ママイキをはじめて紹介されたときは、コーチングとは何? 普通のママ主催の講座なんか、絶対に私向きじゃないと思いつつも、HPをお気に入りに入れても、なかなか読む気力も出なかったけど、親友の紹介だからと無碍にせず、少しずつでも読んでみて良かった。おかげで、最近、片足(両足?)がどっぷり使っているので、しばらくは、抜けられない状態です(笑)。最後に、私の人生に大きな影響を与えてくれた、もえちゃんの胎内からのメッセージとイラスト集が、今回紹介した本の著者である池川 明先生との共著で、来年本として出版されることになりました! 赤ちゃんからのメッセージは多くの方へ生きる勇気や希望を与えるものになると、私は今から期待をしています! また、池川先生の胎内記憶などに関するブログがあります。興味のある方はご覧下さい!
September 26, 2006
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胎児との対話楽天では売り切れなので、アマゾンで購入予約しましたが、この本は胎児がその母親を通して、さまざまなメッセージを母親の手を借りて描いたイラストとともに綴る本です。配達予定日は来月下旬なので、自分の誕生日プレゼントにしようかな…(笑)ところで、この本を読んだ友人の福子さん(2006年9月出産予定)は、ご自身のお腹にいる赤ちゃんとお話ができるようになりました。その赤ちゃんの名前はもえちゃんで、赤ちゃん自身が教えてくれた名前です。先日、福子さんと会う機会があり、その翌朝、もえちゃんが私にくれたイラストとメッセージです。福子さんともえちゃんの許可を得て掲載させてもらい、私の宝物にするとともに、これからの人生の道しるべにさせてもらうことにしました。上記は、笑っている二人のあかちゃんが描かれた絵です。お腹にいるピンクの赤ちゃんが、近い将来私のお腹に来るかもしれない新しい命、そして、青い赤ちゃんがお空にいった赤ちゃんです。以下、もえちゃんからのメッセージ(筆談)全文です。 まま、いのちは つながっているんだよ。 これは ちかさんのあかちゃんのえ だよ。もういない あかちゃんが あたらしいいのちを はこんでくるよ。だから ちかさんに かなしまないで とつたえて。 もえは かなしむ ちかさんはみたくないよ、はやくげんきになってね。 ちかさんはたくさんのこどもをたすける しめいがあるから はやくげんきになってほしいんですよ。 これからも たくさんのこどもが ちかさんにたすけをもとめにくるから、どんどん かれらをみちびいてあげてね。あれるぎーは ちきゅうにたまったどくを からだがすってしまってなるびょうきだから、ちきゅうがきたなくなってしまっては なかなかなおすことができないけど、ちかさんなら あれるぎーとうまくやっていくほうほうをしっているから、たくさんのこどもに それをおしえてあげてね。どうしても、なおらないときは、きれいなみずをたくさんのむといいよ。 きれいなみずは やまからでたばかりのみずで、だいちのきが たくさんはいったみずなので、からだをきれいにするちからがあるよ。かわのみずはきたなくなっているので すこしのみ。たくさんきれいなみずを のむようにしてね。いえでも きれいなみずを かってのんでね。もえは たくさんのいのちが けんこうで いきていくことをねがっています。 ありがとう ちかさん。きゅうに こんなことをかいたので びっくりしたでしょう。 でも、しんぱいしないでね。もえは あかちゃんのメッセージを つたえたかっただけなの。これからも、ママといっしょに たくさんのいのちをすくう たすけをしていってね。 おねがいね。 それでは、またね。 あかちゃんに よろしく。福子さんからも、まだまだ命のためにできることはたくさんあるから、お互いにがんばろうねと暖かいメッセージをもらいました。もえちゃんは多くの人に胎教の大切さと命の大切さを伝えていきたいそうです。実は、このメッセージのおかげで、心の奥底の足かせから、いくつか開放されそうです! それは自分がはじめての子育てで、アレルギーっ子育児で1人で苦悩したことから、自分の経験や得た情報を提供することで少しでもその苦悩を味わう人が1人でも少なくなれば…と思って、ブログなどを書きはじめたけど、その自分を顧みても、100%アレルギーっ子育児ができてるわけではなく、きっと50%もできていれば、自分を褒められる状態だと思っていました(爆)。家事も掃除も嫌い(苦手)な上に、料理も苦手、特別なこともできないので、「満足な子育てもできていないくせに、どうして育児支援&母親支援をしていると言えるの?」と日々責められてる自分が常に心の中にありました。そのため、自分のやりたいことと、育児を含めた家庭のこととのバランスを見失ってる自分。その見失った自分を取り戻そうとした矢先の流産で、ますますアンバランスが生じた心で、精神的に不安定になっていました。その不安定感をなくすために、実際は、心の奥底にしまいこむために、自宅では気が狂いそうになるので、外での活動を増やしていました。その中で見えてくる、いくつかの過去のトラウマが表に出てきはじめて、その葛藤も同時に押し寄せてきました。とても辛かったときもあります。でも、そういうトラウマを抱えた私だけど、乗り越えられるかどうかの賭けにでました。失敗すれば、外ではじめた活動はもちろんのこと、ネットでの活動もかなり縮小するつもりで、縮小というよりは、精神的にできなくなる可能性の方が高いのですが… その賭けの場がもえちゃんからのメッセージをもらうきっかけとなった、サークル主催のママイキ(参加型子育てコーチング講座)でした。コーチは千葉のLucky☆Mom's Supporterさんでした。結果はリラクゼーションマッサージを受けた感じです。心も体も軽くなる、それはその場よりも、時間経過とともに翌朝になるほど強く感じました! 感じ方は個人で違うと思うので、あくまで私の場合なので、お間違いなく! その翌朝に送られてきたのが、もえちゃんからのメッセージでした。たまたま偶然なのか、そういう運命だったのかわかりませんが、赤ちゃん達が私のやってることを認めてくれたことで(ママイキでいう承認:今回は「聴く」でしたが、次回のテーマが「承認」)、とても心が開放された思いになりました。もちろん、それでもトラウマは残っています。でも、時間をかければ、徐々に乗り越えられるのではないかと思いはじめることができるようになりました。ちょうど、この日は生協の地区委員会での「エコライフと食物アレルギー」の企画の日でした。アレルギー対応食品の試食と食物アレルギーのお話を担当させてもらいましたが、過去のトラウマに襲われることなくできたように思います。その2日後の食物アレルギーっ子の親の会も同じで、企画の疲れがほとんど出ない(はじめてかも…)、いつも以上の楽しさで過ごせました! 赤ちゃんやもえちゃんという、これから世の中に出て来る新しい命が私を認めてくれて、それを伝えてくれたこと、ようやく自分を認め、心の開放ができるきっかけとなりそうです。赤ちゃんたちが教えてくれた大切な命を守るお手伝い、自分のできることはとても微力だけど、これからも続けられたらいいなと思います。ブログ更新は相変わらず1ヶ月に1度くらいのスローペースかもしれませんが、これからもみなさんと何らかの形で繋がらせて下さいね。よろしくお願いします♪ 最後に、福子さん&もえちゃん、千葉のLucky☆Mom's Supporterさん、サークルスタッフのひららさん&ちゃりさん、そして、これらの縁をくれたハッピーなこぶた♪ちゃん、ありがとう! 私の生きる方向性を再確認するきっかけをくれたことに感謝します。もちろん、これを読んでくれた多くの方にも感謝! 書きながら、涙が止まらなくなっちゃいました… <最後に>最近、オラクル系にはまってますが、決して現実を見ていないわけではありません。現実をきちんと捉えるための手段の1つようなもので、上記も信じる、信じないは、個人により受け止め方がかなり異なると思いますので、ご理解下さい。あくまで、私の心の問題です…
June 19, 2006
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前回の「お休み宣言」に対して、多くの方から暖かいコメントを頂き、どうもありがとうございました。直接メールをくれた方にもとても感謝しております。アレルギー関連のことで、とても悩むべきことができたように思われた方も多かったのですが、前回の追記に書きましたように、まったく関係なく、流産が原因でした。本来はひとりひとりにお礼を申し上げるべきなのですが、このブログでお礼に代えさせて下さい。ミクシなどから徐々に復帰にむけて努力をしていますが、コメントを書いてる途中から、手が震えるため、これからもスローペースになると思いますが、ご了承下さい。そして、先週1週間の経緯を書かせて下さい。少しグロテスクな部分もあると思いますので、嫌な方はスルーして下さい。この記録は赤ちゃんが私のお腹に少しでもいたという証拠として残したいのです。今回の原因は不全流産(6週)で、オペを10日の月曜日に行いました。オペは全身麻酔によるものなので、痛みどころか、記憶もまったくありません。ただ、オペ前の筋注がいまだに痛くて、それがオペの名残となっています。14日金曜日に受診をして、体の方は順調に回復をしているので、普通の生活は可能になっています。下腹部の鈍痛も16日頃から軽減し、今はほぼなくなりました。あとは心の問題だけになりました。この復帰にどのくらいかかるかわかりません。ただ、先週前半よりはかなり良くなってきていると思いますが、下の子(2歳)のイヤイヤ期もあり、精神的・体力的に辛いときに、それが重なると、抑うつ状態が激しくなり、自分でも手に負えない状態になります。初期の流産は誰でも起こりうるし、特に6~7週では10人に1人とも言われているくらい多いのが現状です。自己勝手な理由から、今年中に3人目を欲しかったにもかかわらず、今回の妊娠にまったく気づきませんでした。流産の兆候が始まった7日夜(くしくも旦那の誕生日)に、はじめて流産では?との疑いを抱いたものの、それでも本格的な生理ではないかと思い込もうとした自分がいました。でも、疑いをうやもやにすることもできず、9日に信頼している助産師さんのアドバイスのもと、即産婦人科を受診し、胎嚢は認められたものの、輪郭がはっきりとせず、もやもやで、このままお腹にとどめる処置をしても、泡状奇殆となる可能性も高いこと、かつ出血量が多いことから、すぐに不全流産と診断されました。翌朝オペの日程を決めるための受診予定でしたが、早朝に大量出血を2回したため、朝一で受診して、即オペとなりました。結局、私は3人目の赤ちゃんが自分のお腹に宿ってることを、たった1日しかわかってあげることができませんでした。7日の夜にはじめて流産を疑った時点で、赤ちゃんはすでにお腹から消えた可能性も高いので、この赤ちゃんの存在を1日たりとも認めてあげることができなかったのかもしれません。その夜までは、茶褐色の血が少し混じる程度のおりものが2週間も続く生理は無排卵月経かなとか、2月の産後初の生理も同様だったので、ホルモンバランスが授乳時から非授乳時の状態になるための変遷期で乱れているのだろうなとしか思っていませんでした。そして、今月5日帰省から戻った日に、軽度の腹痛がはじまり、少し鮮血が混じりはじめたのですが、今頃本格的な生理再開?とのんびりと考えていました。そして、7日夜、トイレに直径約4~5cmもあると思われるような丸い塊が鮮血とともにポトンと落ちました。なぜか、それをはっきりと見えたのです。偶然なのか、お知らせなのか… 一瞬、?状態だったのですが、すぐにまさか…と思いました。拾うべきか、拾わざるべきか、数分悩みました。結局、拾えずに、そのまま流してしまいました。生理とは異なり、名残惜しく便器に残る血液。私の心に鮮明に記憶として残りました。流産のオペ後、これが頭に浮かび、私を苦しめました。6週なら、赤ちゃんとしては0.5~1cm弱くらいの大きさの可能性があります。産後初の生理も茶褐色の血液がおりものに混じる程度だったから、万が一、その時に妊娠していた可能性がわずかでもあるなら、約10~11週のはず。この週なら約3cm前後。塊の大きさがちょうどあうのです。いずれにせよ、0.5~3cmの赤ちゃんが育っていると仮定すると、私には血液の塊から、赤ちゃんを見分けて取り出すことができる技術はあります。それをしなかった自分は赤ちゃんを見殺しにしたとしか思えないのです。子どもを望みながら、こんなひどいことをした私は生きる資格があるのだろうか? これが私の苦しみを増幅させました。万が一、塊の中に赤ちゃんを見つければ、最後のお別れに違いがあったのではないか? それがどんな方法かは思い浮かばないけど、このような後悔は多少なりとも軽減されたのではないか? もちろん、いなければ、それで納得できたはずなのに… 医師は胎嚢はできているけれども、もともと受精卵がきちんと着床できていなかった可能性が高いからと説明をしてくれたけど、それは私の心を落ち着かせてくれるように配慮してくれたのだと思います。流産と診断された日曜の夜は、このことをかなり後悔しました。号泣です。そんなときに限って、パンパースのパンフレットを取ってきて、子供達は「このおもちゃが欲しい!」と言いました。「うちは今パンパを使ってないから駄目だよ」と言うと、「じゃあ、赤ちゃんが来たらもらえるんだ」と嬉しそうに答えます。その言葉は私にはとても辛すぎました。上の子が今年に入り、異様に赤ちゃんを欲しがっていました。その気持ちを考えることも辛かったし、年長になった始業式も結局オペと重なって行くことができませんでした。上の子には流産と診断された夜にきちんと説明をしました。「○○ちゃんの赤ちゃんはお空に行ったの。ママのお腹をきれいにお掃除しないと、新しい赤ちゃんが来ないから、始業式に行けなくてごめんね」と言うと理解できたらしく、一緒に泣いてくれました。そして、「赤ちゃんがお空に行ったことは悲しいけど、また戻ってきてくれるのなら、うれしい」と… それで2人で一緒に寝ました。お腹にはすでにいないかもしれない赤ちゃん(エコーでも見えなかった)と過ごす最後の夜。「ほぎゃ~」と泣く赤ちゃんの声が1回だけ聞こえました。上の子でも下の子でもない、赤ちゃんの声。それは夢である可能性が高いにもかかわらず、鮮明に覚えています。こんな私に最後のお別れをしに来てくれたのでしょうか? それから数日はかなり抑うつ状態が激しく、食欲が減退し、アレルギー的にも良くない食事や甘いお菓子ばかりを体が要求しました。もちろん、隠れて食べるのだけど… でも、食べたからといって、アレルギー症状を起こすわけでもありません。これがますます私の生きる価値を喪失させました。断乳した先月17日は妊娠していたことになります。その2日後にマヨネーズを少し食べて強めのアレルギー症状を引きおこしたり、帰省後も自宅ではなかなかできないと思い、卵・乳製品の加工品や卵焼きを1切れ食べて、腹痛や下痢を起こしていたのは、除去期間が長かった過敏性の可能性が高いけど、実は赤ちゃんからのアレルゲン摂取をやめてのメッセージではなかったのか? 次の子もアレルギー体質であることを承知の上で、3人目を考えているのに、妊娠はまだしないだろうという安易な考えのもと、自分が食べたいがために… オペ後は卵・乳の加工品を食べても、アイスを食べても、まったく症状が出なくなりました。この3~4週間に体がアレルゲンに慣れてきたという考え方もできますが、そんなに早く慣れるものなのでしょうか? そのため、赤ちゃんのヘルプのサインを読み取ることができなかった自分に対して、かなり自信がなくなりました。もちろん、生理予定日から始まった長い生理だと思っていたし、つわりもなければ、そんなことくらいで…と落ち込む必要性がまったくないと思われるかもしれません。今考えれば、冷ご飯が食べられなくなったこと(腐った味がする)や米を1~2食を食べるのが精一杯というのは、二人目妊娠中の典型的な兆候だったのに、そんな嗜好の変化はすっかりと忘れて、授乳中に米を食べ過ぎた反動くらいの甘い考えの自分がいました。そのため、アレルギーに関する相談には、まったく答えられない状態に陥りました。頭が働かないのです。自分の赤ちゃんのヘルプのメッセージすら気づくことができない私に、その資格がないのではないかとも思いました。また、育児にも自信がなくなるし、本当辛い1週間でした。今は少し改善傾向にありますが、ふとしたときに、精神状態が不安定に陥ります。でも、多くの方や家族の支えにより、ほんの少しずつですが、元の生活に戻れるように頑張りたいと思っています。ところで、生きる自信を失った私に対し、上の子は、「ママはひとりじゃないんだよ。○○も、パパも、おとーともいるんだよ。みんな仲間(家族)なんだよ。ママがお空に行ったら、駄目なんだよ」と言いました。下の子はオペ後の経過観察のために病院に連れて行きましたが、内診台の後方で、内診とエコーが終えるまで、「ママ大丈夫? ママ頑張れ!」と先生の声がまったく聞こえないくらいの大声で叫んでくれました。育児も満足にできない私なのに、この子達のためには生きないといけないと思いました。この子達の食事管理ができるのも私だけだし(充分な管理ができていないことも多いけど…)、来年以降の入学や入園を迎えるにあたって、給食問題など乗り越えていかなくてはいけない課題は多いと思います。お空にいった赤ちゃんも大切ですが、今生きてるこの子達の命を守ることの方が大事であることに気づかせてくれました。だから、私も新たな1歩を踏み出そうと思います。これからも苦悩はたくさんあり、今回以上に抑うつ状態が激しくなることがあるかもしれません。でも、家族や今回暖かく見守ってくれた周囲の方々に感謝しながら、新たな目標(生きがい)に向かって、それらを乗り越えながら、少しずつ前進できればいいなと思えるようになってきました。今回は、赤ちゃんからのサインを充分に受け止めることができなかったことに対して、申し訳ない気持ちで一杯です。でも、お空から私たちを見守ってね。そして、またいつか私たちのところに戻ってきてね。本当に短い間だったけど、私のもとに来てくれてありがとう。そして、あなたが私のもとに来てくれたことは一生忘れません!<追記>今回予定日を聞くことができなかったので、計算してみました。2月中旬が最初の生理だと仮定すると、本来は7週なのですが、診断は6週でした。私の生理周期が5週と長いためかもしれません。それで6週で計算すると、予定日は12月1日、私のお腹にいた期間は6週2日です。上の子が年始より、自分が6歳になったら、赤ちゃんが生まれると言ってました。6週だと予定日の3日前が誕生日になります。もし、順調だったら、私は予定日より早く出産する傾向が高いので、同じ誕生日だったのかなとふと思いました。なにせ、上の子は自分と同じ名前の男の子が生まれると断言していたくらいです。さらに、上の子は4人できるとも言ってるので、それが本当になるといいな。次は女の子のようですが… ただ、私は今回の赤ちゃんの名前は○○と勝手につけました。まだ誰にも言ってないけど… ひらがなだと男女どちらでもいいと思うけど、漢字を考えたら、女の子になっちゃったな(笑)。さらに、追伸。HiROTAROさん、子育てにゃんママさん、妊娠おめでとうございます。何度も訪問しているにもかかわらず、かつ「おめでとう」のコメントを残したいと強く思いながらも、こんな状況で残せませんでした。ごめんなさい。予定日が1週しか違わないので、私のお空にいった赤ちゃんを重ね合わせながら、これからの妊娠経過や成長を見守らせて下さい。そして、HiROTAROさん、まだ早いけど、来年にはオフ会やママズで、赤ちゃんを抱かせて下さいね。楽しみにしています♪楽天はこのブログをもって復帰しようと思います。
April 17, 2006
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今日はアレルギー・アトピーっ子育児には直接関係ありませんが、新しい命を迎える上で読んでみたい絵本、また、子どもに生まれてきてくれて嬉しかったことを伝えるための絵本を見つけました♪ 上の子にアレルギー・アトピーがあると、次の子を産む不安があったりするけど、やはり、次の子も大切な命。その大切な命を家族で迎えるための絵本だと思います♪うちにあかちゃんがうまれるの作者の4人目の赤ちゃんを自宅出産で、家族全員で迎える様子を写真で、それも6歳のお姉ちゃんの視点から絵本にしたものですが、子どもが生まれるときの様子や「子どもに生まれてきてくれてありがとう♪」という愛情を語るときに良いかなと思っています♪参考になる紹介は、こちらかな…来月助産院で出産を迎えるふくふくさん、家族で迎える新しい命、結構、参考になる絵本だと思いますよ。はーちくんとパパの参考になるかも…(笑) 次に会えるときはかわいい赤ちゃんとの対面、楽しみにしています♪ 今日はありがとう!
July 8, 2005
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