窓の外へ

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2011年05月11日
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ドロンジョさんからコメントを頂いて、はっと思いました。


では、私の「努力」という言葉のイメージは、いったいどこから来るものなのだろうかと。
私に「努力しなさい」と励ましてくれた人は、親ではなく、特に思い出すのはピアノの先生方です。

先生方の「努力」という言葉の裏に含まれていたイメージが、私に「努力」というものの質を伝えていたことに気づきました。
それは先生方からうかがったストーリーともつながります。

留学生の少なかった時代、親が田畑を売ったお金で外国に留学し、言葉も通じない所で孤独に学んだこと、あるいは物のなかった時代、ピアノは学校にしかなく、ひとりだけお正月にも学校に行ってピアノを練習した話。来る日も来る日も練習した話。

その中にはたくさんの思いが含まれているのだと思います。

辛い思いもあれば、喜びもあり、悲しい思いも、楽しい思い出も含まれているのでしょう。

たくさんの思いの中で私が拾えたのは、苦しみと意思を強く持つということ、不屈の精神、そのようなものでした。

「努力」という言葉を言う時の、先生方の表情、しぐさ、声色、息遣い、すべてのことが私の中でこの言葉のイメージを創り出しています。

だから、「努力」というものは生半端な気持ちではいけない、挫折してはいけない、楽しんではいけない、そのようなイメージで受け取っていたのでしょう。

もしかすると、もっと広い意味で、テレビなどでもこうしたイメージは知らず知らずのうちに、日本民族的なイメージとして受け取っているような気もしますが。

私の持っているイメージ、それは私のものでないことがあります。

私達は知らず知らずのうちに情報を受け、勝手に世界を創り出しているのでしょうね。

自分の創り出した世界だとも思わずに。






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最終更新日  2011年05月12日 00時17分52秒
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Re:言葉の裏には(05/11)  
ドロンジョ さん
ブログ拝読し、私は「努力」という言葉の裏に、極端にいえば「何らかの力(自分の意志なのか他者の意志なのかわからないけど)に縛られている」というイメージを持っているのかなと思いました。
私たちが何らかの情報や経験を人それぞれ勝手に解釈し意味づけしているのだとすれば、そのように意味づけする自分はどのように形成されてきたのかな?なんてことが浮かび上がってきます。さらに、その意味づけの癖は変わる(変えられる)んでしょうかねぇ?(読み流してください) (2011年05月15日 01時01分19秒)

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