7月にキャシー・マデン先生の来日があり、レッスンが行われたのですが、私にとってとても印象的なことがいくつもありました。
その中のひとつですが、通常のクラスの中で行われたレッスンを見学していた時に起こりました。ひとりのトレーニーが「聞くこと」についてのレッスンを希望しました。
彼女は、自分が「聞くこと」について問題があるのではないかと思っていて、それを探求したいと言っていました。
彼女は小さい頃から「聞く」時に、落ち着いて聞いていられない、聞くときに動いてしまうことを、「自分はおかしいのではないか」と、気にしていたそうです。
その問題は、彼女とキャシーが会話をしている時に、いとも簡単に解決しました。
彼女が、「自分は片方の耳が聞こえないのだ」と言った時に、「あなたが動いたのは、あなたにとって必要なことをからだがやってくれているのよ。」ということでした。
ただ聞こえる方の耳で聞こうと、からだが考えるよりも先に動いて助けてくれたからではないか、という言葉でした。
その時の彼女の表情が忘れられません。
自分に対する愛情がワーッと出てきて、とても幸せそうな顔になりました。
「私はまわりの人達と違って、自分がだめだ、だめだと思っていたけれど、わたしのからだは私を助けてくれていたんだね。」と言った言葉に、また彼女がその問題を解決しようとしてたくさんのことを学んできた彼女の人生を聞いて、私はなんとも言えない気持ちになりました。
人と違うと、どうして私達は自分を責めてしまうのでしょう。
どうして学校で、世間で、人と同じ行動をすることを強いられるのでしょうか?
人と同じ行動をすることが、本当に「和」の心なのでしょうか?
彼女のような子が、「落ち着きがない」と親や先生に怒られたり、親が親戚や知りあいの人に「親の教育のせい」などと言われるのを聞いて、自分を責め続ける人生を送っていたとしたら...。
そう思うと私は悲しみでいっぱいになりました。
私達は他人の人生について、何も知りえないのだなあ、と思います。
たとえそれが小さな子供であっても、その子にとって何が必要で、何が不必要であるのかは、本人でないとわからないのですね。
不用意に他人の行動についてあれこれ言うのは、賢い選択ではないですね。
「教育」に対する考え方が、もっと優しいものになってほしいと思います。
本人が、自分の必要なことを自分で選択して生きていけるような、そんな力が育って欲しいと思います。そしてお互いにそれが許し合えるような、そんな社会になってほしいなあと思います。
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