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「危篤に陥り、病院のベッドで寝ていたお袋がいったん目を開けたとき、
つい『暗証番号は?』と聞いてしまった。
後で振り返ると申し訳ないことをしてしまったと、
今でも後悔することがあります」
こう語るのは、
『70歳をすぎた親が元気なうちに読んでおく本』(アスペクト)
の著者で、
フリーライターの永峰英太郎さん(47)。
2013年の秋、前年に初期のがんを克服した母(享年75)が、
別のがんでステージ4と診断され、
同時に父(78)の認知症が進行していることも判明した。
そして14年1月、
母は力尽きて自宅で倒れ、父も腰の圧迫骨折で入院した。
両親の同時介護が始まった。
父は現役時代、ラジオ局のアナウンサーとして活躍。
専業主婦の母は父の定年後、地元で保護司として活動を始め
、家を留守にすることが増えた。そのかわりに父はあまり外出しなくなったという。
「母は独立して生活している私や姉に心配をかけたくないと、父の病気のことは隠していました。母には万が一のときに備えてバッグの中に通帳、印鑑などをまとめて入れておいてもらいましたが、暗証番号を聞いていなかったため現金を引き出すことができませんでした」(永峰さん)
父に聞いても解決しなかったため、父が認知症であることを証明する介護保険証や、母が入院した際の病院の領収書などを銀行に持参し、直談判してなんとか引き出すことができたという。
銀行口座は名義人が死亡したことが金融機関に知られると、口座が凍結されてしまい、相続が確定するまで出入金ができなくなる。入院費や葬儀代など、まとまったお金を家族が立て替えるのにも限度があるので、預金を引き出しておく必要がある。
●7割以上が70代で病気
財産のことだけでなく、葬儀はどこで行い、誰を呼ぶのか。お墓や相続についての要望を聞き出せないまま、14年2月に母は他界した。近所の親しい人に葬儀の日時を告知してもらい、無事執り行った。フリーランスの永峰さんは、葬儀が終わるまで仕事をセーブした。親戚に相談して、先祖代々のお墓に入れてもらうことができたが、問題は母に金融資産があったこと。
母の財産を相続するには「認知症の父に成年後見人を立てないと資産は移せない」と銀行に言われ、葬儀後も実家の片付けの作業などに追われた。
「死に直面している人に向かって、死後の準備について聞き出すのは、“死刑宣告”をするような気がして、私にはできませんでした。母が危篤になってからは葬式の準備などに追われて、ゆっくりと最期のお別れができませんでした。とくにお金やお墓の話は『縁起でもない』と、遠慮していましたが、70歳頃から対応していれば、母の最期に向き合えた。そう思うと、後悔しかありません」(同)
日本人の7割以上が70代で病気を発症し、75歳を迎えると3人に1人が支援や介護の必要な生活を余儀なくされる。この年齢にさしかかった親を持つ40~50代はある日突然、親の衰えていく様子を目の当たりにすることになる。
●話し合う間もなく…
『介護破産』(KADOKAWA)の共著者で、淑徳大学総合福祉学部の結城康博教授の試算によると、介護にかかる費用の目安は、約546万1千円という。
「バリアフリー対策など介護の初期費用が平均80万円、介護にかかる月々の費用は平均7万9千円といわれていますので、これに平均4年11カ月という介護期間をかけますと、合計で約546万1千円になるのです。さらに、生涯の医療費の8割を亡くなる前の約2年間で使うというデータもありますので、終末期にまとまったお金を用意しておかなければ、家族の負担は大きくなります」(結城教授)
今年6月、小誌ではアエラネットの会員、40~50代を中心に「親の看取り」に関するアンケートを行った。
「看取り方を含めて誰とどのような相談をしたか」という問いに対して、親本人と話し合ったという人は39人中わずか4人。
「漠然と想像しているけれど、親やきょうだいと話したことはない」(自営業・女性・48)
「弟と『一度話をしようね』と言い合っているだけでまだ具体的には何も」(会社員・女性・58)
「父を看取った時、母と相談したかったが、母が現実を受け止められない感じでした。(父は)がんでしたが、そんなに悪いとは思っていなかったので、悩むこともあまりないうちに逝ってしまいました」(医療事務・女性・56)
迫り来る死に向き合えないまま、問題を先送りしている様子が浮き彫りになった。
「『看取り』について話し合う間もなく父が逝ってしまった」
こうため息をつくのは、「ブレイン横浜たなべ社労士事務所」(横浜市)代表の田邊雅子さん(59)。今年2月、関西の実家で暮らす父(享年89)が風呂場で倒れてそのまま帰らぬ人となった。2年ほど前から母(86)に認知症の症状が出始めてからは、父が母の世話をして、田邊さんは月に1度帰省する、“遠距離介護”を続けていた。
「父の最期を看るのが母のほうだと思い込んでいたので、母が先に介護が必要になるとは思いもよらなかったことでした。父の葬儀を行うため近所の斎場を利用しましたが、貯金通帳がどこにあるのかわからないので、私と弟ができるだけ立て替え、支払いは少し待ってもらいました」(田邊さん)
過去に親戚も利用していた斎場を使ったので融通が利いた。また、祖父の月命日に僧侶を呼んでいたので、宗派は特定できたが、会葬礼状に印刷する家紋がわからなかった。
「母は夫に先立たれたショックなのか、ぼんやりしていました。家紋などわからないことは親戚が教えてくれてとても助かりました」(同)
●延命しても苦しむだけ
潔い最期でした──。
2年ほど前に父を看取ったA子さん(医療事務・56)は、父の最期を振り返る。
「末期がんだった父は『延命治療は一切しない』という意思がとても固かったので、それに同意するしかありませんでした。同意書にサインをするのは死ぬことを後押しするようで後味が悪かったのですが、『このまま延命しても痛みで苦しむだけだから』という看護師さんの言葉に自分を納得させました」(A子さん)
さらに父は、母やA子さんたちに葬儀や相続で煩わしい思いをさせたくないと、葬儀会社の手配も友人たちに託し、自宅や土地を母の名義に変更していた。亡くなる10日前には株も現金化して、現金は孫に教育信託として贈与した。
「私は実家を出て四半世紀以上経つので、どこに何があるのかもわかりませんでした。頼りになるはずの母も父が亡くなった後は悲しみのあまりうつ状態で『何もわからない』を繰り返し、その後、認知症になってしまったので、父が私の娘たちに遺したお金も、『私たちが取った』と思い込んで、納得していない様子です」(同)
●親のそばに寄り添う
5年前のある日突然、父がくも膜下出血で急死したとき、B子さん(団体職員・34)の母が受けたショックは大きかった。
「母が憔悴して父の葬式では役に立たず、私と妹で乗り切りました。父が以前、祖父母や伯父の葬式の喪主をしているのを、私たちが手伝った経験がなければできなかった。母は身のまわりのことが一切できなくなり、心療内科を受診させ、私はその間、1週間休暇を延長して母に付き添いました」(B子さん)
投薬の効果もあって、少しずつ落ち着きを取り戻したが、母は8カ月ほど休職を余儀なくされた。
母を看取った前出の永峰さんは言う。
「私が実感したのは、親の死去でショックを受ける度合いは、子どもよりも残された親のほうが大きいという点でした。立ち直るには相当な時間がかかりますが、それが当然と割り切り、親のそばに寄り添うことが大事だと思います」
(ライター・村田くみ)
※AERA 2017年7月10日号
親の晩年とどう向き合うか、
実際には難しいことばかりでした。
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