1964年に、近畿日本鉄道、朝日新聞社及び名古屋テレビが中心となって鈴鹿セブンマウンテンの登山大会が始まったのが由来とのことで、34年間この登山大会が続いたと記されている。大会のために設けられたのが鈴鹿セブンマウンテンである。始まったころは戦後の登山ブームの頃で気軽に出来るレジャーの一つが山登りであった。
今とよく似ているが、本格的登山も一大ブームであった点が違っている。社会人山岳会がいっぱいできて成果を競っていた。背景にはキャッチアップの時代があった。未踏峰も残され、ヨーロッパ3大北壁があこがれの的であった。しかし、今はアルピニズムという言葉はなくなり、一層レジャー化、スポーツ化、そして個性化が進んだ。アルプスにまで観光業者が入ってくる時代となった。これに健康志向も加わり老若男女の区別なく登山ブームになっている。評論するつもりはないが、本田勝一の『日本人の冒険と「創造的な登山」』を読み直すと、半世紀の思潮の変化と歴史に感慨深いものがある。
さて、このセブンマウンテン、様々な目的を持って登ってきた山もあるが、まだ登っていない山もある。御在所岳には何度も登った。理由はバットレスなどの岩場や氷瀑があるからである。アルピニズムの訓練の場所として足しげく通ったからである。鎌ヶ岳には歩荷と歩行訓練のために御在所岳から登った。最近では、竜ヶ岳を大井谷から沢登りで登った。藤原岳には山スキーで登った。こう考えると、それぞれ目的が違っていたことに気が付く。
最近は多くの知らない山を登りたくなっている。地理的な興味や歴史的な興味が増している。そこで、今回は鈴鹿セブンマウンテンを踏破する目的で釈迦ヶ岳に登ることにした。これで5つ目となるので残っている雨乞岳、入道ヶ岳、この2つの山はどのように登ろうか。