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この連休は急激な季節変化を体験しました。 中房温泉から燕山荘に宿泊して餓鬼岳まで登山する計画を立てて出発した。初日5日の出がけは天気はまあまあで登り出したが、第3ベンチから小雨が降り出した。合戦小屋まで登ると風も加わって寒くなってきた。 合戦小屋には休憩所が作られていたので、身支度を整えて燕山荘を目指す。樹林帯を抜けると風はかなり強くなってきており雨は雪に変わってきた。 40年前に比べ小屋は立派になっていた。宿泊は初めてであったが、階段を3階まで上がったところが私たちの部屋であった。3人ごとに区切られており、コロナのため?パーテーション用のスクリーンが下せるようになっていた。1階では様々なグッズが売られていた。食堂とは別に喫茶室もあって、小屋でのエンジョイも申し分がない。 降雪はわずかずつであるが風は強い。明日の行動は微妙、小屋の予報は午前中曇り昼から晴れ。しかしこれは地上でのこと、翌日の朝に判断することしかできない。 翌朝、外を見ると積雪、これでは行動できないと判断して、9時から下山することを決めた。今回の雪線は2300mあたり、登ってくる多くの登山者とすれ違った。トレランの人もいた。運動靴????? 下は登山に差し支えない天気なのだろう。にほんブログ村
2023.10.06
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私たちもそうだが、憧れの旧道が復活したというニュースを聞いて行くことにした。 春のスキーシーズンに岩岳スキー場に行ったがあいにくの雨、そこで 長野県大町市の商店街にある『三俣山荘図書室』に行くことにした。ここは三俣山荘経営者、伊藤圭さんが北アルプス登山口の大町市で山のにぎわいを取り戻したいとの思いでオープンさせたものです。信濃大町は登山者には懐かしいが、確かに商店街は閑古鳥が鳴いていた。閉まっている商店も多かった。ここで2時間ほどを過ごしたが伊藤正一氏のことや伊藤新道復活の情報を聞き得た。 伊藤新道はかつて三俣⼭荘を建設するための歩荷道として開拓された。湯俣から槍ヶ岳北鎌尾根を登った者として当時の熱気を感じさせる道でもある。クラウドファンディングでの伊藤新道復活プロジェクトを通して、2023年8月に伊藤新道が開通した。復活 伊藤新道からルートマップを転載しました。https://kumonodaira.net/ito_shindo/index.html 営業前の湯俣山荘に宿泊して早朝に出発 噴湯丘 新設された第1吊り橋 ガンダム岩 楔が撃ち込まれているので安心できる 渡渉の連続 水量が少なかったので渡りやすかったしかし、安全性が高まっとは云え、沢の側面からの落石の危険を感じながらの遡行であった。ガンダム岩と呼ばれるところにはコの字の杭(タラップ)が設置されていたが、⾚沢周辺では落⽯や崩落による事故が発⽣しているとのこと。渡渉も十数回行ったが、水が多いと苦労すると思われる。 第3吊り橋 第5吊り橋 遡行はここまで 登山靴に履き替える 展望台 やっと着いたという感じ 北鎌尾根がガスの中から見えましたネット(https://kumonodaira.net/ito_shindo/index.html)では注意を喚起していることは当然であるが、この先事故は必ず起こると思われる。沢登りの経験は欠かせない。湯俣川の渡渉も十数回行った。今回は雪解け⽔も少なく増⽔していなっかったことが幸いした。それにしても、沢の遡行を終えてから三俣山荘までの道のりが長かった。 第一庭園 先はまだ長い ようやく三俣山荘に到着しましたにほんブログ村
2023.09.18
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法華経の聖地として有名な七面山は山岳信仰で知られている標高1982メートルの美しい霊山です。同じ名前の山はあちこちにありますが本元の山?に登ってみました。敬慎院・身延山久遠寺七面山登詣案内(https://www.kuonji.jp/shichimenzan/shichi-tokei.htm)には以下の通り記されている。 七面山が身延山とともに法華経信仰の聖地となったのは、文永11年(1274)日蓮聖人が身延山に入山されて以来のことです。日蓮聖人は身延山に草庵をかまえ、法華経読誦の日々を送りましたが、その草庵をとりかこむ山々のうち西方にひときわ高く屏風のようにそびえたっていたのが七面山です。 七面山への登詣は、険しい山坂を越えて行くものでたいへんな苦行を伴いますが、その道程が修行の道であり、祈りの道です。七面山の麓から山頂に行くには、表参道と裏参道のいずれかを利用しなければ登っていくことはできません。 この案内を読むと、法華経信仰の聖地であること、日蓮聖人が見たひときわ高く屏風のようにそびえたっていたのが七面山であったことなど、魅力的なことがいっぱいありそうでした。そこで敬慎院まで表参道から登り、敬慎院に荷物を置いてから七面山を往復することにしました。そして帰路は奥之院、大トチノキを通って角瀬バス停に下り、春木川沿いに歩いて羽衣の登山口まで戻ることにしました。さらに敬慎院で一泊して法華経のお勤めに出ることなど、今回の山登りでいろいろなことが体験できました。特に宿泊して法華経のことを知りえたことはよい学びとなりました。表参道入り口は、春木川にかかる羽衣橋の西詰めにあり、ここに駐車。ここの対岸に見えた滝は徳川家康公の側室「お万の方」が身を清めて七面山の女人禁制を解いたといわれる「白糸の滝」です。ここは帰りに寄ることにしました。用意をしていると「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながら団扇をたたく三人ずれが登り始めました。ここは団扇太鼓を用いる日蓮宗系の仏教宗派の山、下山する白装束姿の信者たちとも行き交いました。途中に宿坊やベンチがあるので休憩をとりながら登り、敬慎院まで1丁ごとに50丁までの灯篭も目印になりました。神力坊・2丁目から登詣道がはじまり、肝心坊・13丁目、中適坊・23丁目、晴雲坊・36丁目、和光門・46丁目を経て七面大明神が祀られる敬慎院に登っていきます。 山頂に近い平坦地に身延山久遠寺に属する敬慎院があり、身延山を守護する鎮守神として七面大明神がまつられています。五十丁目の標識 本堂の見学は後にして、荷物を置いてから七面山を目指しました。登り出してすぐの随身門の遥拝台から一望できる富士の姿を期待していましたが、あいにく富士山は雲に隠れて見えませんでした。途中の大崩壊地・大ガレは迫力満点で展望も良かったのですが、辿りついた七面山は木々が生い茂り展望はよくありません。しかし標識を見ると何かおかしいことに気づきました。山頂付近に1982.4mの三角点があり標識があるのですが、最高点の標高は1,989m。最高点まできっと誰か行っているはずと藪を漕いで1989mまで進んでみることに・・・・・・少し藪を漕いで踏み跡を辿ると赤いテープがありました!! GPSで調べると標高は1,989m、ここが最高点であることを確認しました。随身門の遥拝台に戻ってきましたが富士山の姿は見えません。戻ってきてから晴れることを期待していた富士山の展望はやっぱり雲の中。敬慎院で宿泊帳を書いて投宿。これからのお勤めと食事の時間を聞く。石鹸などは使えないがお湯に浸かれることはありがたい。夕食はどこで食べるのだろうと思っていたら部屋まで運んでくれました。清め?のお酒までついていたのでびっくりしました。桶に入っていたのは味噌汁です。夕食を済ませて、夜のお勤めが始まるまでに再び富士山を見に行きました。お寺の中に何とライブカメラがあるので今度はバッチリ期待できました。今から夜のお勤めが始まります。お勤めは初めての体験で素晴らしかった!!ここからは翌日の話です。早朝の富士山からのご来光を期待しましたが、残念ながらご来光は見えませんでした。それでも富士山の雄姿が望まれました。朝のお勤めの後、朝食を済ませて出発。総出でお寺の方が見送ってくれたことに感謝する気持ちがいっぱい!!帰路は、県指定の大イチイ、奥之院、大トチノキを通って角瀬バス停に下りました。ここからも富士山が見えました角瀬バス停に下りましたが、下は暑い暑い。駐車した登山口まで歩いて行くのが大変でした。表参道の登山口にある白糸の滝とお萬の方の像今NHKドラマで徳川家康が話題になっているので興味を持って調べてみた。以下引用。熱心な日蓮宗の信者で1608(慶長13)年、徳川家康が22世日遠上人の磔を命じた際には家康に助命を嘆願し、願いが叶わない場合は自らも死を選ぶ覚悟を告げて家康に日遠を放免させています。家康の没後は法尼「養珠院」となり、1640(寛永17)年、家康の25回忌の法要後に当時女人禁制だった七面山に登拝。女性に七面山参詣の道を開きました。にほんブログ村
2023.08.28
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コース 室生不思木の森公園 → 室生ダム → 龍鎮神社 → 深谷川添い → ビジターセンター南ゲート →北ゲート → 森脇峠 → 室生不思木の森公園 行 程 猛暑の夏、どこに行っても昼間は暑すぎる。信貴山で夜のハイキングをしていたが、近くで昼間でも楚々として歩けないかと見つけたのが龍鎮渓谷。室生ダムから周回できるコースがヤマレコに掲載されていたのでこのコースを歩くことにした。 ダムから龍鎮橋を渡って左へ渓谷に向かう道を辿った。水遊びに来ている家族連れも多い。説明では、龍鎮神社は同じ宇陀市にある海神社が雨ごい祈祷のために、約 500 年前の安土桃山時代に創建した境外摂社です。ご祭神は龍神として知られる高龗神を祀ります。 龍神が棲む「龍鎮の滝」落差約 4m の渓流瀑。龍神が棲むという大きな滝壷です。 今回のハイキングには目論見があった。暑いので川の中に入って体を冷やすこと。さすが神域ではできないのでしばらく歩いたが、進んでもなかなか人の姿が絶えない。さらに先に行き過ぎると沢から離れてしまう。そして見つけたのが小さな滝つぼ、ここで早速、水浴びをして涼を取る。でも静かな流れなので灰汁がいっぱい。そのあと、おにぎりを食べてさらに進むと室生寺に向かう道に出た。 室生寺に寄らずにビジターセンター南ゲートに向かう。ビジターーセンターは有料なのだが北ゲートから出ると近道ができる。 ついでにビジターーセンターの室生山上公園芸術の森を見学することにした。にほんブログ村
2023.08.13
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梅雨の合間にふさわしい気軽に登れる山でした。どちらがついでか分かりませんが、鍵屋の辻に建つ数馬茶屋もよかった。中腹にある霊山寺に車を止めて往復しました。霊山山頂(765.8m)には、平安時代〜江戸時代にかけての一大寺院跡がありました。その後、霊山寺は霊山中腹に再興され、天台宗より黄檗(おうばく)宗に改宗されたとのことです。錫杖岳にも登っているので他の布引山地の山を歩いてみることにします。 にほんブログ村
2023.06.29
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今年の雪解けが早いので、心配していたがやっぱりでした。渋峠スキー場は営業していたが、芳ヶ原までの滑走は2000mが限度でした。 今シーズンは山スキーはこれだけで終わりました。
2023.05.04
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恵那山に行きました。車で行くときは神坂峠に駐車して周回するのが良いと考えてました。ルートは神坂峠から崩れて通行できない道路を広河原の登山口まで下り、ここからは一般登山道の登りになります。しかし、下山のときの鳥越峠から千両山までの登りが辛かったです。歩いたコースは次の通りです。 富士見台パノラマコース入口⇒恵那山広河原ルート登山口⇒恵那山一等三角点⇒ 恵那山頂避難小屋⇒恵那山前宮ルートと神坂峠ルート分岐⇒大判山⇒千両山⇒神坂峠
2022.08.29
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大菩薩峠に行くことにした。遠出になるので天気を調べ、高速道路の割引のある土日、人が少ない平日に歩く、千石茶屋が営業しているのは土日だけ、いろいろ条件を思案して、日曜日朝に出発して千石茶屋に4時までに着き、ほうとうと桃ジュースを頂き、その日は戻って道の駅で9時前には車中泊、翌朝3時過ぎに起きて丸川峠入口の駐車場に車を置いて5時出発、丸川峠、大菩薩嶺、大菩薩峠を周回して駐車場に戻るという計画を立てた。 ところが、駐車所を出発しようとしたがエンジンが掛からない。さぁ~どうする どうする。ブースターケーブルは積んでいるので車中泊している人に頼むしかない。しかし朝が早過ぎる。薄明るくなってくる4時半ごろ、起きている人を見つけて頼んでみる。快く応じてくれたので、無事にエンジンが始動した。しかし、エンジンを始動させてすぐに出発するのは不安なので、30分ほど待つことにした。 と言う訳で、駐車場の出発は6時半過ぎになってしまった。丸川峠まで一回休憩して、峠近くで森が開けて気持ちの良い草原地帯に出た。気持ちが良い。ボランティアが自然保護のためロープを張って侵入を防いでいると書かれていた。間もなく丸川荘の立つ峠の案内看板に至る。丸川荘はhttps://yolo.style/randonnee/article/624744/が参考になる。 ここから大菩薩嶺を目指すがコメツガの林が足元に絨毯を敷き詰めてくれている。夏の割には涼しく感じられた。 まるかわ荘 富士山には雲が・・・ ほうとうに前菜が付いてました。 桃ジュースに満足しました。
2022.07.25
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久しぶりに岩湧山に行きました。岩湧寺からできるだけ違う道を辿れるように工夫して歩きました。 コースは岩湧寺からきゅうざかの道を登り、岩湧山東峰、岩湧山(大休止)、扇山往復、いわわきの道下り口、みはらしの道下り口、展望台・ぎょうじゃの道下り口、長寿水、駐車場まで周回する道をを歩きました。ぎょうじゃの道は古道として谷筋の雰囲気のある道でハイキングにちょうどでした。第一の発見は何度も岩湧山に登ってますが歴史を感じさせる山を体験できたことです。 山頂から扇山に向かう下りでハバヤマボクチが沢山咲いていました。名前がおもしろいので帰ってから調べてみました。 『漢字で「葉場山火口」と書き、レッドデータブックでAランクに指定されている植物でキク科の多年草。花の直径約5センチ、丈が1~2メートル。葉の裏に白い綿毛を持ち、昔、起こした火種を最初に移すための「火口」にその毛を使ったことが名の由来とされる。』と記されていました。第二の発見は季節が過ぎているものが多かったのですが岩湧山は花が多い山でした。今回はハバヤマボクチの由来を知ることができたことが発見でした。 山頂に63総体の記念碑があります。この記念碑は33年前に設置したものですが、写真を撮ろうとしたときは草に覆われていました。何人の人が気にするのだろうか、と思ったのが第三の発見でした。山頂の山名を書いたプレートや看板は気にするだろうけれど、特定の人だけに関わるものはどうなんだろう。
2021.10.11
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亀山7座の一つに野登山がある。この山だけを登り残していたので今回行くことにした。連休前半の天気もいまいちで今年もコロナ禍のため遠出は差し控えた。 最初は単に7座の一つぐらいに思っていたが、由緒ある山であった。コースは坂本からの周回コースにした。コース中に鶏足山(けいそくさん)表参道と表示されていたのでおかしいぁ~ ぐらいに思っていた。しかし野登寺に鶏足山の名前があったので合点がいった。 野登寺は亀山藩の祈願寺だったことなどから、周辺の樹木が保存されており、立派な杉並木やブナ林が残されている。他にも坂本棚田は平成11年7月26日に農林水産省より「日本の棚田百選」に認定されている。さらにミツマタ群生地としても知られている。時期が遅すぎたがお寺の周辺ではわずかに花が残っていた。
2021.05.04
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メンバー Sさん夫妻、Tさん、Iさん、Oさん 羽津子さんのちゃやを訪問するついでに熊野川支流高田川内鹿野谷に行くことにした。1日目 古民家喫茶ちゃやでジビエカレーをいただく。その後、丸山千枚田、熊野速玉神社訪問、水車小屋跡に移動して野営。2日目 下山の車道歩きのことを考えて口高田の林道終点近くに車1台をデポする。通行止めの看板があるが平行して村へ繋がる林道を上がる。デポ後、水車小屋跡に戻って入渓準備。内鹿野谷滝巡りの遊歩道を辿る。 ズリ岩はOさんが内部から通過、腰近くまでの渡渉でした。 ナマズ口の滝で休憩 落ち口へダウン 出合の滝 一ッ落ノ滝 一ッ落ノ滝の巻道は右側のルンぜから登り、大きく巻いてから左へバンドをトラバースした。さらにモンキークライムで踏み跡のあるリッジに至った。滝の落ち口には懸垂で降りれると思ったが、降りなかった。眼下には栂ノ戸滝が見えた。 栂ノ戸滝を超えたところにある7~8mの滝 導水管が通っている杣道に出る。しばらく歩くと車のデポ地に出て終了した。
2020.11.22
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秋の4連休、しかもコロナ禍で外出自粛が続いたため、新穂高に向かう車でいっぱいの光景、みんな欲求不満が溜まっているのかな。沢上谷の入渓地点まで上流から林道を車で下ることにした。終了点近くに車を1台デポしたので下山は林道歩きがなく楽であった。沢上谷は岩盤の発達したナメの連続する美しい沢で初心者でも安心できる。ガイドの案内コースになっているため、最後のナメ滝15mや箕谷大滝を高巻いた後の沢への下降路などすべてにロープがフィックスされ、補助用にスリングを使ったぐらいでロープなどの装備は必要なかった。ところで前日はSさんの山荘にお邪魔してすき焼きパーティで盛り上がった。飛騨牛のすき焼きは最高、次回は飛騨牛の焼き肉がいいかなぁ。下山後、たまたま見つけた荒城温泉恵比寿之湯に入浴した。スーパー銭湯と違って素朴な温泉でした。帰りもS邸によってコーヒーを頂いてから帰りました。連休はあと一日残っていましたが東海北陸道は渋滞、やっぱり人出の多さを感じました。
2020.09.21
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鈴鹿セブンマウンテンは有名であるが、鈴鹿山脈に続く.亀山セブンマウンテン(亀山7座トレイル)が整備されている。 亀山市の広報 https://www.city.kameyama.mie.jp/ に亀山7座の説明が載っている。7座は、仙ヶ岳、野登山、臼杵ヶ岳、四方草山、三子山、高畑山、錫杖ヶ岳の7つである。 そして、7座の選定理由として、 『本市出身の世界的アルピニストである故尾崎隆氏は、世界の8,000メートル級の14座のうち7座の登頂に成功しました。その輝かしい登山人生の出発点が鈴鹿山脈、特に石水渓の山々の登山であったことから、その偉業をいただいて、故人の故郷である亀山市域の標高約700メートル前後の山を7座として選定したものです。』と記されている。 そこで、鈴鹿セブンマウンテンは登り終えたので、今度はこの亀山7座を目指すことにした。以前2017年4月2日に錫杖ヶ岳に登り、昨年の5月11日に仙ヶ岳に登ったが、その時は亀山7座のことは知らなかった。 改めて調べて見ると亀山の良さと在りし日の東海道の魅力を繋げて考えることに興味が湧いた。先週、三子山・四方草山に登ったので、今回は高畑山の記録を掲載します。
2020.06.15
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長野県中野市にある高梨氏屋敷跡の櫻見物をして、お猿の入浴で知られる地獄谷温泉に行った。普段はなかなか予約が取りにくいが、コロナ騒ぎでキャンセルが多いため空いていた。緊急事態宣言の出ている東京からの客はすべて断っているそうである。観光業はどことも打撃を受けている。湯田中温泉も空いていた。 お猿が入浴するのは寒い雪の季節のため、今日も結構寒かったが入浴シーンは見られなかったのは残念であるが、テレビで見ていた外人の姿もほんの少しだけ。ゆっくりビデオの映像も見られ、かえって空いていてよかった面もあった。 地獄谷温泉の露天風呂では猿が寄ってきて、不安もありながら楽しかった。なお、地獄谷温泉は4月18日~5月10日まで臨時休業となっている。
2020.04.12
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南紀を駆け足で回りました。沢登では南紀は魅力的な場所ですが、どうしても沢や岩に関心があるため、訪れた地形のことは気になっても文化や歴史となると俄か知識しか持ち合わせていません。そこで、改めて南紀や熊野ことを知りたいと、今回の熊野詣を計画しました。そして、途中、久しぶりに熊野のはつこの茶屋を訪れました。訪問は2年ぶりです。コースは、12月26日(木)に自宅を出発。谷瀬のつり橋、熊野本宮大社、つぼ湯の入浴 湯の峰温泉(泊) 12月27日(金)川湯温泉入浴、紀和鉱山資料館、トロッコ往復乗車、道の駅 熊野・板屋九郎兵衛の里(泊) 12月28日(土)丸山千枚田見晴し台、通り峠~丸山千枚田ルート、伊集院さん宅、鬼ヶ城、花の窟神社、尾鷲神社、夢古道おわせ入浴、道の駅 海山(泊) 12月29日(日)道の駅から馬越峠~天狗鞍山ハイキング、阿曽温泉入浴(旧阿曽小学校の校舎を利用した日帰り温泉)阿曽瀧原宮 166号線~165号線経由で帰る。 今回の旅を通して、湯の峰温泉のつぼ湯や川をせき止めてつくった川湯温泉の露天風呂「仙人風呂」など魅力的な温泉巡りを行いました。 川湯温泉は2018年8月の台風20号で温泉街を被害に遭いました、老舗の亀屋旅館は被災から約半年後の今年3月1日にようやく再開。仙人風呂は12月~2月末日まで設けられていました。この季節でも海外からの多くの訪問客に出会いました。 温泉だけでなく、熊野古道の人気にも触れることができました。今回は通り峠、馬越峠だけを歩きました、通して熊野古道を歩くのも流行りになっている様子。今度は違う角度から歩いてみよう。
2019.12.30
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8月の予定を雨で延期していたので、9月14日からの3連休を利用して行くことになった。穴毛谷を遡行し笠ケ岳まで往復して笠新道を下った。天気は晴れ、参加者はY.T K.S M.Sと私の4名。 行程 9月14日 穴毛谷入口~穴毛大滝~杓子平 9月15日 杓子平~笠ケ岳往復~笠新道~ワサビ平~新穂高 昨年、穴毛大滝の巻道を偵察していたので余裕を持って行動できた。天気が良かったので、早朝の新穂高はごった返していた。有料駐車場が7時に開くので車がたくさん並んでいた。何んともスゴイ人出にびっくり。 穴毛大滝はいつ見ても素晴らしい。穴毛谷を抜けたところにある杓子の池で逆さ笠ケ岳を見れたこともラッキーであった。池に写る姿の方がくっきりしていて美しく感じた。写真はY.Tさんが撮影したもの。 日中は日差しがきつく快適ではなかったが笠ケ岳からの展望は申し分なかった。それにしても笠新道は激下り、笠新道入り口のお助け水をがぶ飲みした。久しく忘れていた命の水のうまさであった。 帰りは平湯温泉で汗を流し、S邸にて打ち上げをした。I.Oさんは福地山を往復した。
2019.09.15
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モンテネグロのドゥルミトル山はディナル・アルプス山脈に位置しており、ドゥルミトル国立公園の中にある。1980年ユネスコの世界遺産に登録された。国立公園は氷河期に形成された起伏に富んだ地形を形成しており、アルプス的な景観がある。リゾートとしてこれから人気化していくことだろう。観光客の増加が見込まれ開発の勢いが感じられた。2軒目の大型スーパーマーケットが3日後に開店すると言われた。自然保護と開発のバランスは難しく、開発の行き過ぎは好ましいことではないが、私たちも観光客なので便利さに期待せざるを得ない。アルバニアのコラブ山でも同じことを感じた。 今回はアイスケーブまでのハイキングと最高峰のボボトヴ・ククに登った。岩場もあるが山頂までの往復は楽しめた。昨日訪れたアイスケーブまでの縦走が良いと思ったが、車の回送がネックになる。 ドルミトルからの帰りにヨーロッパ最深と言われているタラ渓谷に寄ったが、こちらも様々なアクティビティが進んでいた。
2019.06.25
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アルバニアとマケドニアの国境にあるコラブ山に登ることを計画した。アルバニアの北部にはAccursed Mountainsと呼ばれる標高2500m級の山々が鋸の歯のように連なっている。今回、アルバニア側から眺めると良く分かった。 6月21日 事前調査ではコラブ山の詳細な資料や地図が手に入らなかったがラドマイヤ村から登れることが分かったので、前日の車のトラブルを乗り越えてグーグル地図で見ていたHotel Radomiraに無事着いた。主人に聞くと、ここからコラブ山に登ることができると教えてくれた。ホテルも空いていたので2泊することにした。他にパジェロの3人組と西洋人夫婦が泊まっていた。 6月22日 翌日、アルバニア側からは、私たちを含めて7人がコラブ山に向かった。私たち2人が先行したが、ところどころで道標のマークが発見できずウロウロさせられた。コラブ山に続くコルの方向を見ると、どこからアプローチしたのか分からなかったが雪渓を避けるルート上に3人の登山者が遠望できた。そこで彼らの姿を追いかけることにした。でも不思議なことに頂上では彼らの姿を見ることはなかった。私たちが頂上から15分ほど降りたところで、西洋人夫婦に会ったので、あと20分ほどの登りだとエールを送った。 アルバニア側は険しい山容で雪渓もかなり残っていたが、マケドニア側は穏やかな草原帯で多くの人が登っていた。多分、マケドニア国籍者には内務省からの特別許可は不要なのだろう。マケドニア側からの方が楽な様子である。アルバニア側からは標高差1500mを往復する距離の長い登山となる。 アルバニアはユーゴスラビアにも属さず、社会主義のもとで1991年まで鎖国状態を続けてきたため自由化されたとは言え開発の及んでいない村々や牧畜を営む素朴な村人の姿に触れることができた。思い出の多い山旅となった。
2019.06.22
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6月14日~7月7日までバルカン半島とルーマニアの国々の最高峰を登ることを計画した。ギリシャのオリンポス山は計画した最初の山である。北マケドニアのスコピエで車を借りてギリシャのテサロニキ、リトホロを経てプリオニアに向かった。 登山口のプリオニアの駐車場は満杯で路上に車が溢れていた。この日は日曜日のためか登山者が多い。こちらは路上駐車になった。登山口からゆっくり 3~4 時間程登った標高2100mのところにレフュージ Aという山小屋がある。日本から小屋の予約が取れなかったのでツエルトを担いで行くことにした。標高差1000mとはいえ暑さもあって消耗した。食事時に激しい夕立があったので惨めにもツエルトが浸水して濡れてしまった。火の使用は禁止されているので食事は各自好きなものをレストランで取ることになっている。のどの渇きもあって蜂蜜入り紅茶を3杯も飲んだ。 蜂蜜の甘さが心地よい。そういえば、ブルガリアの山小屋でも紅茶は蜂蜜で甘くして飲むようになっていた。 翌日、天気は回復したがガスのかかる天気であったので展望が望めなかったのが残念である。下山後、小屋に泊まったが 2人部屋の個室が与えられ快適であった。登山協会会員は11ユーロ、非会員は13EUR、宿泊費は出発前に日本から振り込んでおいた。 ルートはE4の標識に従えば迷うことはなかった。ミティカス・ピークに向かうときもE4の標識を忠実に辿った。スコリオス・ピークへ向かうルートが途中から分かれるので右寄りに辿りミティカス・ピークへの下降点に出た。ここから岩登りのバリエーションとなった。ガスのためピークがはっきりしなかったが、後から登ってきた3人組のロシア人?と共にピークに登った。写真はツエルト(緑)と宿泊した時の小屋の様子(前日は混んでいたが、この日はガラガラ)。食事は美味しかった。
2019.06.17
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能郷白山は両白山地に属しており、岐阜県本巣市、揖斐郡揖斐川町と福井県大野市にまたがる標高1617mの山。越美山地の最高峰である。 両白山地とは北部の加越山地と南部の越美山地のことで加賀白山は有名であるが、越美山地に属する能郷白山は少しマイナーなイメージがある。私も気にはなっていたが今回初めて登った。先月、薄墨櫻を見に行ったときに能郷白山への行き方を調べた経緯がある。 名前の由来は能郷谷の麓にある能郷集落から来ていると知った。本巣市、揖斐川町の最高峰である。両白山地の屏風山へつながる鞍部に国道157号の温見峠があるが現在通行止め。こちらから登る方が長い林道歩きがないので近い。最初は温見峠から登る予定であった。 山頂からは、少し霞んでいたが、白山、恵那山、北アルプスの山々の展望が広がり満足した。山頂にある標識と一緒に撮影した写真を見せるとうすずみ温泉が割引になると書いてあったので写真を撮って帰りに温泉に寄った。このうすずみ温泉は大変良かった。850円が写真を見せると500円になった。
2019.05.26
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今年は10連休とあって遠出も考えたが前半の天気は良くない予報とあって行先を思案していたが、日帰りの近場に行こうということで2週続きの入道ヶ岳となった。 先週、鈴鹿セブンマウンテンも残すところ入道ヶ岳一つとなっていたので登ったが、そのとき奥の宮の案内板に載っていた仏石のことが気になっていた。 帰ってから調べるとイワクラ尾根の途中にあることが分かった。そこで、先週はガスで山頂からの眺望もあまりよくなかったこともあり、仏岩を見るために今週も行くことにした。 当日の天気は晴天、山頂から伊勢湾や御在所岳、鎌ヶ岳などの山並みを望み、遠く北アルプスから御岳山、白山方面まで雪を被った山並みを展望することができた。雪を被っている時期の方がアルプスの姿は素晴らしかった。 仏岩はイワクラ尾根の途中にあった。名前に相応しい姿をしている。自然の造形物を崇める気持ちが、この岩を崇拝の対象として生み出したのであろう。日本には山や巌、滝をご神体とする箇所が多い。鈴鹿の山々も調べてみると奥深い歴史がある。人の生活と自然は繋がっている。先週訪れた椿大神社の奥の宮から知りえたことに感謝したい。 帰りに屏風岩に寄ってみた。先はキャンプ場になっているが今は使われていない様子で開発の残骸と化していた。架けられていたつり橋は1989年に設置されたとある。奇しくも平成元年である。
2019.04.28
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楼岳会の恒例山行で、今年は三輪山に登った。三輪山はご神体の山域であるので許可を貰わないと入山することができない。受付で神職から入山に当たっての注意などを聞いてからお祓いを受けた。写真はそのときに頂いた入山心得である。 山登りではなく登拝(お参り)が主眼であるので、お参りの気持ちを持って登って下さいと教えられた。確かにこの山にはそのような気持ちにさせてくれる神聖さがある。 三輪はそーめんが有名なので、下山してからの昼食はにゅうめん にした。ご一緒した卒業生に三輪に嫁いだ方がおられ、今もソーメン作りをされているので、工場の見学をさせていただき、お土産まで頂いた。
2018.11.11
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蒸し暑く霧雨が降っていたのでしばらく様子を見ていたが、天気は回復傾向にあったので7時半ごろ出発することにした。左に入る砂利道は300m程続いていて終点は駐車できる広場になっていた。ここに登山ポストがあったので計画書を提出した。 これより沢に下り谷筋の細い道をしばらく歩くと『御前ヶ遊窟登山道合流点』という標柱があり、ソウケイ新道との分岐点に出た。 岩峰群が見えるようになってからはロープや鎖を頼りに滑らないように注意しながら登っていくと、ガスで霞んでいたが素晴らしい岩壁や岩峰を見ることができた。 岩質のせいもあると思うがギリシャのメテオラの景観に似ていると感じた。低山でありながら、このような独特な景観が形成された不思議さを感じさせた。 さらに頭上の特徴ある岩頭を目指して急登していくと、赤いペンキで『かえり5m下 左』と書かれた大岩があった。ここから少し登ると、目的の遊窟に到着した。遊窟は大きな空洞になっていて奈良の大峰修験道に見られる洞窟を彷彿とさせた。修験者ではなく御前がこもっていたという伝説があるが、ここまで来るのは大変であったろうと思う。 帰路はソウケイ新道を下ったが、鍬沢までは急峻な岩場の下りもありクサリが取り付けられていた。鎖は滑りやすいので安心できず結構気を遣った。低山の割には面白い山であった。
2018.08.11
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4日に岩手山に登る予定であったが天候が良くないので翌日に延期することにした。そこで小岩井農場にある一本桜を見学しに行ったが、こちらはすっかり葉桜になっていた。桜と岩手山が有名であるが、岩手山もガスで見えなかった。一本桜があるこの草地は牧草を収穫する畑である。説明では、以前は牧草地で夏の強い日差しから牛を守る「日陰樹」として植えられたものと記されていた。岩手山は古来から信仰の山で山頂の外輪には取り囲むように石仏が設置されていた。遭難対策や自然保護にも熱心で地元民や登山者への愛着や配慮が感じられた。登山口には八合目の避難小屋に薪を持ち上がって下さいとの看板があった。こちらは担がなかったが、七合目で追い抜いていった登山者の方は薪を担いでいた。支えあう人の良いところが感じられた。故郷の山を愛する気持ちを大切にしたい。登山では三合目を過ぎるあたりから雪が出てきたが、昨日からの雨は雪になっていた。積雪量は八合目の避難小屋で10㎝ぐらい。風がきつく頂上への登りもふんばることがままあった。石仏にはエビのしっぽが張り付いていた。ちょっとした冬山状態であった。しかし頂上からは晴れ間が出て四方の山並みや麓の東北道が見えていた。
2018.05.05
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連休中でも残雪が豊富にあり山スキーが楽しめるとあって、秋田駒ヶ岳や森吉山から近い八幡平に登ることにした。八幡平は深田久弥の日本百名山の一つに挙げられている。山頂の展望台に深田久弥氏の記述を刻んだプレートが設置されていた。ゴールデンウィークになると頂上近くまでアスピーテラインが開通するが、早朝なのでふけの湯ゲートはまだ閉まっていた。ゲートは8時30分に開く。ゲート手前にはパーキングがあり、ここに駐車して八幡平頂上まで往復した。ただ標高差が余りないのでクロカンやスノーシューハイキングが適当かも知れない。八幡平スキー場も営業していたのでスキー場からアプローチしてもよかったかも知れない。この後、玉川温泉に行った。八幡平一帯も森吉山と同様、雪解けが進んだころや紅葉の時期に訪れて見るのもよいかも知れない。山頂展望台にあるプレート八幡平スキー場
2018.05.02
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ウィキペディアを読むと、[ 森吉山は日本百名山には選ばれていないが、『日本百名山』の後記には「森吉山、姫神山、船形山など、いい山ではあるが少し背が足りない」と書かれている。日本百名山は標高1500m以上の山を選んだものであるが、森吉山は46mほど不足している。] と記されていた。 さらに、[ 前岳近くにある森吉神社の裏には、奇妙な形で積み重なっている巨岩がある。この巨石は冠岩と言われ、神社のご神体である。巨石の前には江戸時代の学者である菅江真澄の歌碑がある。途中省略。冠岩には隙間があり、胎内潜りができる。] と記されていた。雪のある時の森吉山も良いが、花の名山としても知られ、豊富な自然が育まれている。北面の黒森と呼ばれる鬱蒼とした原生林やブナ林を中心とした広葉樹林、オオシラビソが繁っている。今回は山スキーで訪れたが、花の季節や紅葉の季節に再訪してみたいと思った。このあたり一帯はマタギが活躍した地域でもある。ツキノワグマやニホンカモシカ、クマゲラやイヌワシなどの希少種の生息地となっている。阿仁スキー場のゴンドラ乗り場には秋田犬の)北斗がお出迎えしてくれた。秋田犬はいま人気上昇中である。私たちは登りの片道切符で乗車、山頂だけでなく森吉神社にも立寄った。スキー場終点からの下りコースは閉鎖されていたが、昨日アドバイスを受けていたとおり雪を選びながら降りることができた。下山後、秋田内陸線の阿仁合駅によって内陸線の歴史や生活用具の展示を見学。その後、阿仁マタギの湯で食事しようと思っていたが、食堂は1時半で終わっていた。入浴だけ済ませて八幡平へ移動したが予定していた山間部の最短道路は整備前で閉鎖されていた。
2018.05.01
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今年の春は雪解けが早く雪が少ないので、火打山に行くのは止めにしようとTさんと話し合っていたがTさんの強い要望もあって行くことにした。想像通り十二曲がりは夏道沿いに板を担いで登り、ここを超えてから板を履くことになった。高谷池ヒュッテから山頂までも雪が少なかった。滑降が楽しめたのも上部200m程であったが、なかま同士で滑ることは楽しい。 頂上から、先週、偵察した放山や笹倉温泉、焼山、金山、妙高山、アルプス方面まで遠望することができた。下山後、東北の森吉山を目指して仲間と別れた。
2018.04.29
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シャルマン火打スキー場から放山に登り、笹倉温泉に降りる予定であったが、雪不足であるため、スキー場からの往復に切り替えた。 放山は焼山の北面台地などが見渡せる絶好のビューポイントであった。今回は空沢山へ向けて少し進んだところまで行って引き返した。来週は火打山に登る予定である。 山頂には地元の4人連のハイカーがピクニックを楽しんでいた。暖かい日差しの中、何んとないのどかさが感じられた。今年は春の訪れが早い。
2018.04.22
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ダイヤモンドトレイルを使って行われる、大阪府山岳連盟主催のチャレンジ登山にお手伝いとして参加しました。 地元の方も大変協力的で、ゴールで当日朝に収穫したタケノコの販売、カレーライス、手作りうどん、コーヒー、ビールの販売などをしていただきました。 村おこしとして地元の方や近隣の町から手作りうどんのために若者が来て、前夜からうどん作りをしてくれました。 今回は前日からの急な気候変化で冬型となり金剛山でも雪が降りましたが、昨年は雨でしたので今年はましでした。ランナー、ウォークの方、スタッフの方、大変ご苦労様でした。 紀見峠ゴール
2018.04.08
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映画で有名になった『あゝ野麦峠』で知られる野麦から乗鞍岳に登ることはロマンを感じさせる。明治の初めから大正にかけて女工がこの峠を越えた史実は日本の一時期を示す大切な歴史である。ドライブウエイ開通とスキー場開発によって乗鞍岳への利便性は増したが、野麦からの登山路は昔と変わりがない。飛騨と信州を結ぶ峠としてまだまだトレースしたいと思っている。 山の記録はこちらから
2018.04.01
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阿寺山をリベンジしました。昨年の5月連休に秋田駒ヶ岳に行く途中、立ち寄ったが全く雪がなく藪漕ぎで尾根の偵察だけに終わっていた。 阿寺山は新潟県南魚沼市にある山で、八海山から五龍岳を経て分枝する尾根上にある。五龍岳から中岳に向かう越後三山(八海山、中岳、越後駒ヶ岳)が有名なため、少し看過されている山である。 昨年、稜線の見えるところまで行ったが、来年こそは登るぞとリベンジを誓うと共に、八海山を含む越後三山に興味を持った。越後駒ヶ岳は山スキーで、巻機山は米子沢から登っているが、調べると越後の山には魅力的な山がたくさんあるので興味は尽きない。そんな訳で昨年の夏に八海山を登り、信仰の歴史を知ることができた。しかし夏は暑かった。山スキーは3月までが限界だと思っていたので、今年は白馬乗鞍岳に登った翌日に登った。
2018.03.26
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最近バックカントリースキーに燃えている友人に適当なところとして初級者向きコースとして有名な白馬乗鞍岳を選んだ。 前日の24日(土)は栂池ゲレンデでスキークラブとしての練習会を行った。8名の参加があったので久しぶりの賑やかな講習会となった。来シーズンは検定会ができそうかな~。 25日は3名が白馬乗鞍岳を山スキーで往復することにした。天気は快晴であったが風が強く体感温度は寒かった。途中、天狗原で一度だけ休憩し2時間半余りでケルンのある山頂についた。 登りはクラストしているところもあり、頂上ではシールも凍り付いていた。しかし、いざ下ってみると雪はモナカ状態で滑りが良くない。操作することも難しく難儀しているスキーヤーも多かった。A.Kさんも何度も転んで苦労していた。栂池自然園からは無理をせず林道を滑り降りた。
2018.03.25
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赤禿山で山スキーを楽んだ。今シーズンの始まりである。天気は晴れ。 かねてから行ってみたいと思っていたが、少し遠いので躊躇していた。今を逃すと雪不足になってしまうので、自分でチャンスをつくることにした。 山之坊の除雪されているところ(公民館付近)まで車で上がって駐車する。用意をしていると車が2台やってきた。「富山からは近いので楽だけどずいぶん遠くから来ているね」と声をかけられた。「遠くから来るぐらい赤禿山は有名なのですか」とも尋ねられた。ここは山スキーの記録が多く、富山や長岡からは距離も近いので人気になっているのであろうか。 積雪は十分。途中で一度だけ休憩したが2時間余りで山頂についた。先行していた4人パーティは頂上からさらに先へ滑って降りると言って滑って行った。暖かいので、こちらは頂上でゆっくり休んでから、元来たコース沿いに滑り降りた。雪が緩んでいるので滑りは悪いが、今シーズンの初滑りとしてはまあまあかなぁ~。 もっと先の聖山まで足を延ばすと更に充実したものになるだろう。2011年夏に栂海新道を歩いているので、この先が繋がっていることに旅愁を覚える。今は積雪を利用できるが、無雪期はブッシュ漕ぎが大変であろう。栂海新道も開拓されたものである。地形と山の説明は以下を参考にさせていただいた。 http://www.gekiyabu.sakura.ne.jp/public/2016/160423%20hijiriyama/hijiriyama.html
2018.03.18
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。恒例のスキーは鹿島槍スキー場での練習から始まりました。今シーズンは早くから雪に恵まれGoodコンディションです。今年もスキー技術をアップし、ゲレンデだけでなく山スキーも楽しみましょう。スキーの面白さを次世代に伝えていくことも大切です。地元の方も高齢化が進んでいるようです。戌年の願いとして、教育投資が地域活性化につながることをスキースポーツから起こることを祈念しています。
2018.01.04
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湖南アルプスに興味が湧いたので行ってみることにした。湖南アルプスは勤務地の裏山に当たるが気になることはなかった。しかし、先日、飯道山にハイキングに行ったので気になり出していた。 そこで今回はHPの記録を見て堂山・太神山・矢筈ケ岳・笹間ケ岳を周回して歩いた。最初から堂山までの道が分かりにくかった。GPSで沢の左側を登る予定にしていたが、左側に渡るところがはっきりせず、結局向かって右側を登って稜線に出て、そこから堂山までピストンした。あとで参考にした記事を見るとルートが判明した。https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1173726.html 4つのピークに登ったがそれぞれ特徴があって面白かった。低山でも初めてのところは興味が増す。鎧ダムは湖南アルプスハイキングの見どころとして人気がある場所。これを見たいと思っていたのでよかった。説明ではオランダ人土木技術者ヨハネス・デ・レーケの指導により日本人の田邊義三郎が設計した砂防ダム。1889年に建設されたが現在もその役割を果たしており、変形も少ないきわめて秀逸な歴史建造物と書かれている。他の記事はこちら⇒ この岩の真ん中付近に巨大なスズメバチの巣が作られていた。
2017.11.25
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恒例のNさんの夕日山荘での集まりの登山をどこにしようかと思案して、飯道山に行くことにした。まったく下調べもなく、Oさんが持っていた滋賀の山のパンフレットのみ。ナビで調べて行ってみたが、いろいろと調べてみると面白そうなハイキングコースになっていた。今までは湖西の比良山や高島トレールの山を登っていたが、湖南や鈴鹿山脈の西の山も歩いてみるのも面白いと思う。新名神高速が利用できるので便利である。 https://www.yamakei-online.com/cl_record/detail.php?id=27277 https://yamap.co.jp/activity/509223
2017.11.19
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ピークハンターではないが、長く山に登っていると求めるものも変化してくる。最近は百高山のピークハントを目指しているので、その対象を登るために扇沢からぐるっと一周した。 初日は蓮華岳を往復して針ノ木小屋に泊まった。小屋泊は楽であるが混雑するとやっかいである。今回は夏のピーク時を過ぎているためか、小屋の宿泊客は32名であった。テントの方は20張程度でそこそこの数であった。 マイテントが多いのは最近の傾向。一人で炊事して一人で食べて一人で歩くことはマイ登山として気兼ねが無くて良いのだろう。単独登山は止めましょうと言っていたことは今は訴求しないのだろうか。登山道の整備も進み、標識の設置など安全性は高まっているので何とも言えない。女性の単独も増えている。加藤文太郎の時代から見ると雲泥の差を感じる。服もおしゃれになりチャレンジャーの姿もすっかり様変わりしている。人気の秘密もこのようなところにあるようだ。 今回のコースは周回しているコースなのでトレランの人を多く見かけた。こちらはマイ登山とは少し違う。あくまでランナーの延長であって登山とは異なっている。山のトレイルのランニングが目的であり、発祥はヨーロッパにある。ヨーロッパ登山の経験から言えることは、ヨーロッパでは登山とトレランの区別ははっきりしていてトレランコースに高峰登山は含まれていない。高峰登山にはそれなりの装備が必要になるためトレランには不向きでありそもそも適さない。一方、日本の山の夏は雪渓が残るが縦走路の雪は消える。トレランに日本アルプスも含まれているのが一般的である。駆ける若者も多い。 話は変わるが、スポーツとしてのクライミングというジャンルもできている。オリンピックの種目として加えられたため、選手人口は増えている。こちらも登攀という呼び方はしない。登攀は登山用語であってスポーツクライミングとは異なった概念である。これから先、死語になるかもしれない。 登山も装備が良くなって軽量化が進み登山道の整備によって1回あたりの踏査距離は拡大している。小屋でのティータイムも楽しくできるようになってきた。種池小屋ではピザの今シーズン販売を終えることをアナウンスしていた。先月、涸沢ヒュッテのテラスで生ビールとおでんを食べ、北穂小屋で展望を楽しみながらラーメンやスパゲッティを食べて自前コーヒーを楽しんだことを思い出す。これからはコレかな?。
2017.10.08
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鈴鹿セブンマウンテンという名称は昔から知っていたが、7つの山名を正確には知らなかったし、関心もなかった。しかし、山への思向(思いが向かう方向の意味)の変化によって思考が変わって来た。今回、釈迦ヶ岳に行くことにしたので改めて調べてみると、セブンマウンテンの7つの山の一つと考えていた御池岳が入っていなかった。そして、この名前は地形的な自然条件から発生した名前でないことが分かった。 1964年に、近畿日本鉄道、朝日新聞社及び名古屋テレビが中心となって鈴鹿セブンマウンテンの登山大会が始まったのが由来とのことで、34年間この登山大会が続いたと記されている。大会のために設けられたのが鈴鹿セブンマウンテンである。始まったころは戦後の登山ブームの頃で気軽に出来るレジャーの一つが山登りであった。 今とよく似ているが、本格的登山も一大ブームであった点が違っている。社会人山岳会がいっぱいできて成果を競っていた。背景にはキャッチアップの時代があった。未踏峰も残され、ヨーロッパ3大北壁があこがれの的であった。しかし、今はアルピニズムという言葉はなくなり、一層レジャー化、スポーツ化、そして個性化が進んだ。アルプスにまで観光業者が入ってくる時代となった。これに健康志向も加わり老若男女の区別なく登山ブームになっている。評論するつもりはないが、本田勝一の『日本人の冒険と「創造的な登山」』を読み直すと、半世紀の思潮の変化と歴史に感慨深いものがある。 さて、このセブンマウンテン、様々な目的を持って登ってきた山もあるが、まだ登っていない山もある。御在所岳には何度も登った。理由はバットレスなどの岩場や氷瀑があるからである。アルピニズムの訓練の場所として足しげく通ったからである。鎌ヶ岳には歩荷と歩行訓練のために御在所岳から登った。最近では、竜ヶ岳を大井谷から沢登りで登った。藤原岳には山スキーで登った。こう考えると、それぞれ目的が違っていたことに気が付く。 最近は多くの知らない山を登りたくなっている。地理的な興味や歴史的な興味が増している。そこで、今回は鈴鹿セブンマウンテンを踏破する目的で釈迦ヶ岳に登ることにした。これで5つ目となるので残っている雨乞岳、入道ヶ岳、この2つの山はどのように登ろうか。
2017.09.24
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前穂高岳北尾根 2017年8月28日行程:涸沢(幕営地)-Ⅴ・Ⅵのコル-北尾根登攀-前穂高岳-岳沢-上高地メンバー:Y.T S夫妻 K.O 久しぶりの穂高である。北尾根も懐かしい。涸沢を5時半に出発。昨日に比べて雲が多いが今日一日は大丈夫。Ⅴ・Ⅵのコルへ向かう。最近は人気ルートとなっているので踏み跡はしっかり付いていた。個人的な感想として、45年の歳月は登山観の変化をもたらした。奥又白Ⅳ峰正面や前穂東壁への冬のアプローチとして利用していた北尾根も、今は前穂高岳へのバリエーションルートとして人気化している。娯楽化が進んでいる。 28日は8月の最終月曜日なので、先行パーティはⅢ峰で見かけた2人パーティのみであった。ルート待ちがなかったのはよかった。しかし、4人パーティで一人だけがトップを務めてロープ固定することは、どうしても時間が掛かった。 ルートはⅤ・ⅥのコルからⅢ・Ⅳのコルまで踏み跡を慎重にトレースし、Ⅲ・Ⅳのコルから20m程登った取り付き点でロープを出した。登攀スタイルはトップがロープ1本で登攀してロープを固定。2番手は別のロープ1本を担いでアッセンダーで登攀、終了点でトップにロープを渡しトップの確保をさせた。2Pに分けてロープ固定した。Ⅱ峰から数メートルの懸垂をして、頂上へと至った。
2017.08.28
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北穂高岳東稜 2017年8月27日 Y.T S夫妻 I.O K.O 予想通り天気は快晴。北穂東稜をトレースするため涸沢のキャンプ場を6時前に出発する。南稜との分岐点ケルンが積まれていたので間違うことはないだろう。 後続を待っていると別の3人パーティが上がってきて、リーダーが東稜へのアプローチについて質問してきた。彼らは、釜トンネルに自転車で到着し、そこから歩き続けてここまで来たとのことである。東稜登攀後12時までに北穂に着いた場合は、奥穂まで行って釜トンネルの閉まる20時までに戻り、そのまま自転車で帰ると言う。 展望の良い東稜の稜線からは、目立った危険性もなくゴジラの背をトレースして行った。先の先行パーティに少し待たされたが、北穂小屋に昼12時に着いたので、小屋のテラスで1時間半ほどラーメンやスパゲティを食べ、Tさん自家製コーヒーを飲みながら、ぜいたくな時間を過ごした。こんなにゆっくりしたことが今まで無かったので、感慨が一層深まった。帰りに北穂高岳頂上から眺めた滝谷も懐かしかった。
2017.08.27
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白峰南嶺を奈良田から大門沢を経由して広河内岳、大籠岳、笹山と歩き、ダイレクト尾根を下って、元の出発地である奈良田の駐車場に降りた。 今年は天気が不純なため日程選びに苦労した。 8月 13日(日)、奈良田湖に架かる吊り橋前の駐車場から出発。大門沢小屋へ向かう。今日は小屋泊なので昼頃に着き、小屋の前でゆっくりと過ごした。盆休み中なので小屋の宿泊者は多かった。テントも20張程。これだけの賑わいに驚いた。登山ブームとは言え、昔とは大違いである。様々な登山者をウォッチしながら登山者の最近の変化などに感慨深くした。ただ、ツアーリーダーの音頭で夜にツアー客が騒いでいたのは頂けないと思う。こちらはとっくに就寝しているのに・・・・・・。 2 日目の14日は大門沢小屋を3時前に出発した。雨やガスを心配したが、雲海の上に富士山や南アルプスの山々、遠く北ルプスが望め、まずまずの天候に恵まれた。大門沢分岐では風がありウインドブレーカーを着用したが冷え込むほどのことはなかった。 広河内岳で池ノ沢コースに尾根が分岐するので下山方向に注意する。✖の黄色ペンキあり。これより大籠 岳〜白河内岳〜笹山(黒河内岳)北峰~笹山南峰~水場入口~奈良田湖駐車場へと向かったが、笹山からの下りはきつい。全体に、白峰南嶺 は這い松に踏み跡が隠れた所など不明瞭なところも多いが、ケルンを見つけて歩くと問題はなかった。ピン クの蛍光リボンの目印はトレランの人も助かると思う。ガスで方向を見失う可能性もあるので、地形図とコ ンパスだけでなくGPS は必須。白河内岳から少しコースが分かりづらかった。 笹山から奈良田まで約 1,900m の下りはきつかった。疲労を残さないように平均タイムより1時間弱多 くの時間を掛けたので奈良田湖に架かる吊り橋.に 18 時に着いた。奈良田温泉は終わっていたので西山温泉で 汗を流した。 さあ出発です。 今日は小屋まで。 広河内岳から白峰南嶺へ。 戻ってきました。
2017.08.14
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行程:小赤沢三合目登山口~苗場山~神楽ケ峰往復~苗場神社〜小赤沢三合目登山口 苗場山は新潟県南部と長野県北東部の県境に位置する標高 2,145m の火山。頂上付近は多くの池塘を築き四方に高層湿原を展開している。百名山にもなっているので人気がある。この日は小赤沢から登る人は少なめあったが和田小屋からは多かった。和田小屋のある東側の山麓にはかぐらスキー場がある。以前、山スキーで神楽ケ峰まで登り、苗場山へ至るコースの様子を見ていたので、今回は神楽ケ峰まで往復してみることにした。 西側の中津川に沿った峡谷には秘境秋山郷がある。時間の余裕があったので、切明温泉で河原の手掘り温泉を開拓きるので挑戦してみた。温泉が出ているので水はぬるく感じたが浸かるほどの温湯は期待できなかった。 苗場山の下山後は小赤沢温泉の楽養館に寄り、有馬温泉と同じ含鉄泉を愉しんだ。貴重な温泉として炭酸泉、放射能泉、含鉄泉があるが、ここの含鉄泉は「赤湯」と呼ばれている。空気に触れる前は透明だが空気に触れて酸化すると不透明な黄色(褐色)になるとのことである。参考記事⇒
2017.08.06
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コース:屏風道~八海山~入道岳~新開道 2合目登山口~屏風道七合目(ノゾキの松)~千本檜小屋~~八海山(大日岳)~八ツ峰~入道岳往復~新開道概要 八海山はスキー場として知っていたが山のことはまったく知らなかった。NHK 趣味百科の「ベストスキー」(35 年前に平沢さんが担当したベストスキーの第2弾)の担当講師を務めた平川仁彦氏をよく知っているからである。八海山スキー学校代表でもある。大阪府スキー連盟75 周記念誌に寄稿をお願いした経緯もある。5 月に阿寺山に山スキーに出かけた折に、日本酒でその名が知れ渡っている八海山が岩峰群となっていて、古くから霊山として有名であることを知った。そこで今年は海外へ行かないので、夏に行ってみることにしていた。 スキー場のロープウェイを利用することもできるが、今回は、八ツ峰と呼ばれる山頂の岩峰群を歩くことだけでなく、記録を読むと屏風道が面白そうなので登りに使うことにした。駐車場の看板に屏風道コースは登り専用との勧告が記されていた。なお、八海山の主峰は大日岳であるが、最高峰はそのさらに奥の入道岳という山と言うことなので、そこまで往復した。コース上の岩場には鎖が垂らしてあるので安心できたが、当日は蒸し暑く体力と気を遣うルートであった。新潟の山は標高が低いので汗まみれの山行になる。 増水時に使う野猿八ツ峰が見える
2017.08.04
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前日の夜、はつ子さんのちゃやでジビエカレーと手作り野菜、シカ肉のルイベなどをおいしくいただいた。宴会に話が盛り上がり一年ぶりの旧交を楽しんだ。ご主人も元気。クライマーやスキーヤーの姿も、今はおばちゃんとおっちゃん。 野菜の直売もやっている。大阪から移住して15年ほどになるが、こちらもそれだけ年を取る、畑を始めた友もいるが、畑仕事は身近なところで出来るので成長と収穫の歓びを感じさせてくれるのがいい。老後は時間つぶしだと言った友もいるが、社会的交流は難しく気をもむが、これを流してくれるものがある。そんなところに憧れるのかも知れない。 赤倉谷は短い割には見ごたえのある滝が3つ連続している。滝の写真は順番に並べてある。遡行後、沢沿いに下るのは味気ないので、源流のナメ床を詰めて丸尾山まで登り、下山は尾根伝いに一ノ水峠(最後の写真は峠を示すプレート)まで進み、林道に出てから300mほど歩いてトンネル出口(車のデポ地)で終了した。 丸尾山のピーク手前からは熊野灘の海が見えて景色が素晴らしい。一ノ水峠は昔の熊野街道が通っている。今は好事家しか行かないと思うが、苔むしたお地蔵さんが安置されており長尾山との十字路になっている。石段の残る道も残されている。
2017.05.28
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今年は残雪が多く、駐車場から先の林道には雪が多く残っていた。今回は、杓子岳を正面に長走沢を詰め、夏道から白馬鑓温泉へ行き、帰りは小日向のコルを経由する周回コース、しかし、夏道を襲った雪のブロック崩壊のため、夏道ルートを諦め、眼下のトレースに向けて下に滑り降りた。少し遠回りの周回コースとなったが残雪期のルートとしての発見があった。 尾根上に上がると、鑓温泉までトレースが続いていたが、突然、轟音と共に雪のブロックが崩壊して落石の音が轟いた。落石は眼下に伸びるトレース上にも降り注いだ。山肌を縫うように付けられたトレースは危険と知らされたので、安全を見越して、できるだけ雪の斜面を下へと降りる事にした。鑓温泉まで1時間以上も残すことになったが、この時期のコース取りの難しさを知った。雪が落ち着けば、沢筋が安全と言えるが、尾根に近いところは上部からの落石やブロックに注意しなければならない。 鑓温泉に着くと、数人が温泉を楽しんでいた。以前と比べると改修が進み、湯の量も多い。湯温が熱いのでスコップを使って雪でうめている。早速こちらも入浴してしばしのぜいたくを味わうことができた。こんな雪景色と温泉風情はこの時期にしかできない。このままのんびりしたいが、滑って帰らなければならないことが辛い。小日向のコルへの登りも待っている。
2017.05.21
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春のゴールデンウィークの終わりに、神奈山と妙高山の麓にある温泉で有名な燕温泉に寄った。2つの露天風呂である『河原の湯』と『黄金の湯』がある。冬期は利用できないが、訪問した時期は『黄金の湯』は開いていた。雪の斜面を滑らないように登ると、お堂があり、その奥が露天風呂になっていた。 燕温泉は白い濁り湯が特徴と言われていたが、実際に行くと白い濁り湯が設けられていた。残雪の時期で風情があってよかった。 関温泉スキー場は経営されているが、燕温泉スキー場は2005年冬から休止され2007年3月に廃止された。
2017.05.06
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昨年のゴールデンウイークに、秋田駒ヶ岳の登山口(アルパこまくさ)まで出かけたが、天気は雨、しかも雪がなく諦めていたが、今年は雪も豊富にありそうなので、思い切って出かけることにした。実際、昨年より残雪は多いようだ。着いた午後に下見したが、旧スキー場跡を少し登ればスキーが利用できることを確認した。 登山当日、ヤマレコの記録から利用させてもらったGPSのコースで車道と出会うところまで上がった。その後、GPSは林道に沿ってトレースしていたが、こちらはトレースを外れて、そのまま直上するコースを取った。左側に除雪車が見えたので、左沿いに寄ろうとするが沢が大きく入り込んでいる。沢を避けて斜面をシールで登っていくと、沢は浅くなってきたので左にトラバースしたが、また大きな沢に出くわした。止む無くこちらは沢を横断したが、相棒はスノーシューで直上した。斜度がきついので心配したが、上で合流することができたのでホットした。 合流点付近は傾斜が落ち男女岳を一周する夏道が通っているところである。ここから上部は斜度はきつくなるが、トレースできそうなので、そのまま男女岳めざして直上することにした。雪も緩み、時間の余裕があるので、ピークまでひと頑張りである。頂上手前は雪はなくなっていたが、直上できたことがよかった。頂上からの眺めは素晴らしく、眼下には阿弥陀池小屋もよく見えた。 予定していた八合目小屋から阿弥陀池小屋を経由するルートとは異なり、滑降に適したルート取りができた。頂上に登るとやっぱり達成感が沸いてくる。今回は遠路からの再訪であったが、山が与えてくれる感動は素晴らしいものがあった。 下山は登りとほぼ同一コースを快適に滑ることができた。旧スキー場は雪がでこぼこになり滑りにくくなって来たが、楽しい山スキーツアーであった。 帰りは、露天風呂水沢温泉に寄って帰ったが、ここの温泉も満足できた。山スキー後の温泉もまた楽しい。
2017.05.04
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金糞岳の取り付きに架かる橋の下見が目的であったが、車で向かう途中で横山岳への登山口の標識を見つけ、帰りに立ち寄ってみた。横山岳のことは聞いていたが、この時に登るとは思ってもみなかった。下調べも何もなし。地図もなし。計画書も用意せず。計画性と安全性がイコールだとすると、これは無謀な登山となって責められるのか落ちである。最近の世間は厳しく責任が問われるので大変である。 登山口の駐車場には登山ポストと立派な山小屋風の小屋があり、屋内には山の歴史や花の写真、今西錦司氏の足跡などが紹介されていた。下りに使った三高尾根の三高と言う名前は京都大学の前身である三高山岳部に由来している。歴史を感じさせる名前である。 この小屋は、長浜市木之本町杉野で横山岳の登山道の整備や管理などに取り組む住民団体(杉野山の会)が、横山岳の白谷登山口に建設した山小屋であることが紹介されていた。帰ってから調べると2010年の建設とある。http://ameblo.jp/my-you/entry-10663420517.html杉野山の会の熱意に感謝すると共に、こうした努力が日本の山を愛する人々の力となっているのだと思った。 登山ポストの可愛い扉を開けると、入山届の用紙とコースの概略図が整然と用意されていた。これで少し安心できた。コースの表記時間から白谷本流コースを登って、下山は三高尾根を使うことにした。案内を読むと東尾根コースも魅力的な様子であった。次回、山スキーで来るときは東尾根コースを使うことにしよう。でも、お花が綺麗な山と紹介されているので、今の春の時期が最も良いようである。 白谷本流コースには経ノ滝や五銚子ノ滝を経て横山岳西峰に至ると表記されていたので、滝見物が楽しみであった。しかし、道には残雪が多く残っていて運動靴では歩き辛かった。結構な難コースに感じたが、五銚子ノ滝の高巻きにはロープが設置されていたので助けられた。駐車場にはマイクロバスなど十数台の車があったが、頂上に人影はなかった。少し遅い時間であったので登山中、人には会わなかった。下山は三高尾根から鳥越峠に降りた。急峻な下りで滑りやすく、こちらにもお助けロープがたくさん設置されていた。 ところで山小屋内の掲示物を読むと横山神社があったと図示されていた。山岳霊場の山としての歴史があるのである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%B2%B3 帰ってから調べるといろいろな報告が目についた。写真など丁寧に紹介されていた。動画も良かった。https://www.youtube.com/watch?v=--yiuI-OTM0
2017.04.23
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2017年4月16日 天気 晴れ 参加者 M.K A.M(青穂) I.O K.O(記) 今年は正月明けまで、積雪が少なかったが1月半ばから雪が多くなった。4月に入っても寒い日が続いたり温くなったりと寒暖の変化も大きかった。昨年、三方岩岳(1736m)に山スキーに出かけたが、雪が少なく苦労した。そこで今年はリベンジすることにした。昨年より半月遅いが、ゲート入り口の残雪は1メートルほど、雪の豊富さがよく分かる。 山スキー仲間のM.Kさん、山スキーが初めての A.Mが一緒した。前日遅くに白川郷ホワイトロード料金所まで行って仮眠。 翌早朝、昨年通りのコースで尾根に上がったが、天気がよく眺めは素晴らしい。さらに尾根上をシールで登るとホワイトロードと合流する所に出た。すべて昨年と同じコースなので気が楽である。 山スキーに慣れていないA.Mさんのことを考えて、M.Kさんの判断で、2人は1586.3m地点にて行動を終了することにした。こちらは天気が良く、時間に余裕もあったので、三方岩岳を目指すことにする。私たちも昨年は1586mのピークで断念しているので気負いと嬉しさが沸いてくる。一旦下ってから、正面に見る三方岩岳の岩の姿は素晴らしい。懐かしい野谷荘司山へ続く稜線もよく見える。 頂上手前のトラバースを心配していたが、雪が緩んでいるのでエッジが取りやすく安心できた。先行者がトレースしたところを辿らせてもらった。頂上に登ると達成感が沸いてきた。気持ちの持ちようで眺める山の景色も違ってくる。 下山は白山白川郷ホワイトロードと合流する所までは快適に滑れたが、徐々に木々が増え、ブナ林の樹木下が大きく抉れてツリーホールができているので、コース取りを慎重に行う。 帰りの道中は白川郷から156号線を南下し、大白川温泉しらみずの湯に寄って帰った。のどかな満足できる楽しい山スキーと温泉であった。
2017.04.16
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天候は気まぐれなものであることは百も承知しているが、今年を含めて最近の天気は地域性が顕著になっていると感じる。もちろん科学的な根拠があっての話ではない。過去のデータから読み取る安心感は薄れていると思う。 今シーズンは残雪が豊富なので山スキーで赤禿山に行く予定にしていたが、足の不調もあって止めにした。そこで急遽、錫杖ケ岳と呼ばれている山と三重県芸濃の名所を訪ねてみた。 名阪国道から三角形の形をした目立つ山が見えるが、この山が錫杖ケ岳、登ってみると面白い山であった。標高は676mと低いが、頂上からのパノラマは素晴らしく、人を呼ぶ力となっている。登山ルートも楽しめる。ネットの報告も多いので概要は分かりやすい。 登山コースは錫杖湖から東側の道を使って登り、下山は柚之木峠を経由する周回コースにした。道は地元愛好者によってよく整備されていた。ただ、下山に利用した峠から先の道は少し荒れており、最後は北畑川の渡渉になるので、増水時は注意が要る。およそ3時間の行程であった。 ところで、この河内と呼ばれている地区は歴史的に由緒あるところであることを知った。下山後、下調べは何もしていなかったが、成覚寺に寄り、このお寺が平清盛の孫維盛が開基した岩間山成覚寺と呼ばれていることを知った。維盛の菩提もあり、この寺に嫁がれた方から丁寧な案内を受けたうえ、案内パンフや手作りの楊子セットまでいただいた。 さらに近くの楠原にはパワースポットとなっている石山観音公園がある。三十三観音を巡拝できるように順路が整備されていた。岩肌に彫られた観音様に感動させられる。楠原地区は伊勢別街道の宿場町であり、格子の家並が見られた。山だけでなくこうした歴史文化を学べるところは意義深い。 錫杖ケ岳・成覚寺の奉納樹 ブログ記事 http://allmountain.seesaa.net/article/448946979.html
2017.04.02
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