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ここまで進んだ。三角はとりあえず、クリスマスツリー。ツリーの飾り付けまでまだ手が回らない。レッスンの準備できたら、やることにした。ま、それまで間に合わなかったら、木だけで。
December 18, 2010
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タイプを打っている途中で、なぜか、2回も消えてしまった。1回目はもうほとんど書き終わってたのに。。。。ということで、つらつら書くのが面倒になってきた。クリスマスレッスン、また、やることになった。いろいろ経過はあったけど、とりあえず。で、あんまり、飾り付けがクリスマスらしくない、と、言う、ご意見を頂いたので、小物を作ってみたけど、やっぱり、クリスマスらしくない。マトリョーシカ、サンタバージョンにしようとも思ったけど、とにかく、時間が足りなくなってきて、このとおり。肝心のレッスンの準備、まだぜんぜん出来てない、、、ってどうよ。焦る~~~
December 17, 2010
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『私の頭はなぜ虫が好きか?』 養老孟司著 日経BP社本の絵がないと、ページもモノ足らない感じだし、絵から入る印象がないと、読みづらいだろうな。楽天はこの本を扱っていないようだ。雑誌「日経エコロジー」に連載したもの。なぜ彼は虫が好きなのか、虫採り紀行、環境、里山とは、などを通して、虫と人間と自然や社会の関係を説いたもの。虫は役にもたたず、脚光を浴びることもなく、存在さえ知られない(気にも留まらない)。そういった虫を見、観察することで、いろいろなコトが見えてくる、というような話。この方も日高敏隆さんと同じ、虫が好き。大筋には彼らの考えている方向は同じだろうなと推測する。[ 本文より ]なぜ虫か。世の人はよくその種の疑問を発する。説明しようと思えば、その説明はいくらでもある。しかし、仮に説明したとしても、誰も本気では聞いていないに違いない。聞いたフリをするだけである。そんな虫なんか見て、なにになるものか。腹の底ではそう思っているにちがいない。政治とは、そうした世の中をいわば集約したものである。ありとあらゆる人間の欲がこね回されて、政治という形式に結晶化している。虫はそれにはおよそ関係がない。・・・・なぜ虫か、要するに、視点が増えるということである。その視点とは、現在の都会人に典型的に欠けるものなのである。・・・・虫が実在しない人に対して、虫の話をしなければならない。これは容易なことではない。まず虫の実在を、相手の脳に導入しなければならないからである。そんなことは、じつは不可能である。脳の実在感とは、他人の容喙をを許すような甘いものではないからである。・・人々に虫が存在することをいかにして説明するか。これはほとんど不可能だが、まあ微力を尽くして、やってみるしかない。 [ 以上 本文より ]と、これから、読者は、虫の話を聞かされ、ベトナム、アフリカ、アマゾンへと連れて行かれ、虫の存在を説得されるのである。(って、私は、虫の存在ほぼ認知してます。)私は、ようやく「ベトナム入り」した。
December 11, 2010
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生きものの流儀動物行動学者、日高敏隆さんのエッセイ「春の数えかた」を何年も前に読んだ。昆虫や植物がどうやって春を見分けるか、昆虫などが見ている世界、など、を書いているのだけれど、私は、彼の昆虫や植物や生き物に対する考え方にかなり影響されているし、彼の考え方がとても好きだ。今回の「生きものの流儀」。自然と生き物の生き方、われわれは何をみているか、生き物の論理、人間のこころ、生きる喜びといのち、意識と無意識、などについて書かれている。この本に書かれていること、どうしよ~と思うくらい、好きだ。人が皆、人間だけではなく生き物、自然、森羅万象、それぞれの違いを認め、尊重し、やさしい気持ちになれたなら、いいのになぁ。世の中いい人ばっかに、なる。それも面白みがななくなるか。。。この本を読んで、こんなことを↑(微妙に偽善ぽい)書けるくらいだから、この本はかなり、いい。ほんとに、涙がでそうになった。(この本で涙が出そうになるってのは絶対にオカシイ、それくらい、お涙ちょうだいに関係ない内容)余談:脳とこころ、意識と無意識、池谷裕二さんの脳解説とつながってくる。。。宗教的な内容はない。のに、全体的に、信仰的なのかな。。。
December 6, 2010
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うちの父親の失語症は、彼の音声だけ聞いていると、正確に話しているように聞こえるのだが、実際、まったく意味不明の音を発している。見たモノ、その名前、その発音、を認識し、それらを同一のものとして繋げる回路が途切れている。モノを見ればそれが何であるか理解するし、それの概念もわかっているのに、それの名前と音と絵が繋がらない。見たものと名前と音が繋がらないので、こちらから言った言葉も違う意味の回路につないでしまったりしているようだ。そして、通じたか否かを確認する手段は、やってみる、モノであれば見せてみる、ジェスチャーでする、絵を書いてみる、といろいろな方向からトライしないと正確に理解しているかどうかがわからない。でも、モノなり、行動なり、その概念の判断は正確に出来るので、一見、わかっていないかのように見えるのに、日常的なことは正確に判断できているようだ。そんな、ある意味言葉を失った父親の心中をどう察するか。ほんとに難しい。池谷裕二さんの、昨日の英語の本。あの終わりの理論の部分で、「昔のできごとを思い出したり、これからしなければならないことの計画を練ったりしているときも、声に出してはいないものの、しっかりと言語を活用しているわけです。」 と、ある。ということは、昔のできごとを思い出すにも言葉を活用するのであれば、言葉の回路が切れている父親はどう自分の昔を理解しているのか、ほんとに、わからない。言葉がなく、ただ感覚だけで、漠然と思い出すってできるのだろうか。それとも、切れ切れになった、間違えた言葉を使って、その感覚を漠然と表しているのだろうか。と、そこの部分を読んでそう思った。ほんとに、脳のほんのひとかけらでも壊れると、機能がしなくなり、脳が頭蓋骨に囲まれて創造された理由が目の前で見ることができる。昔は手遅れだった疾病も、命をとられることは免れたものの、障害が残り、余命をその障害を持って生きながらえる。病院、施設はそんな老人でいっぱいです。たま~に、それって、本人にとって、どうなんだろ、って思うことがある。
December 4, 2010
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怖いくらい通じるカタカナ英語の法則なかなか、おもしろかった。この人の話は筋が通っていて、わかりやすくて、好きだ。1970年生まれ、薬学博士。2002-2005年(アメリカ滞在2年半) 脳研究のために、NYコロンビア大学客員研究員として、渡米した。その時に、自分の通じない英語はどこがおかしいのか、など、真剣に考えるようになり、奮闘してわかったこと、が書かれている。私はとりあえず英語を専門にしてきたので、音声学も学習したし、アルファベットの文字の音も若い頃練習した(当時は正確にできなかった、今もどうだか)し、子音なのに母音をくっつけて発音する(ローマ字読みのように)ってことが少なかったかもしれない(けど、きっとアメリカへ行ってから学んだんだと思う)。たとえば、ドッグ dog 最後のgはguじゃない、喉の奥で鳴らす音かな、このgにウの母音をくっつけて発音する。ストロング、これなんかも、strongの単語の中に、母音が挟まっているのはroのところだけなのに、子音のs t gの後ろに必ず母音の音を入れて発音する。付けてはいけないところに母音を付けるから、次の単語や音に移っていくのが難しくなる。日本語のような英語の発音はここから来ている。まずは余計なところに母音をいれないようにすると、少しは英語らしく発音できる。(母音を入れないということが、どういうことなのかが、一般的にわかるのか、わからないのか、私には推測できない。)そして、これができないと、リエゾンができないし、速くしゃべれない。で、この本の大部分は、、、、What do you think about it? ちょっとこれを声に出して読んでみてください。どうなりました?ワルユテンカバウレッ。ってこんな感じになりましたか?そうなっている人は、通じます。(このくらいの文なら、日本語読みでも、たぶんいけると思うけど、程度にもよる。この池谷さんって、問題集とか書くだけの英語勉強で東大受かったんですかね、むちゃ、ベタベタのカタカナ読みしていたんですかね、何を言っても通じないなんて、ほんとに英文にカタカナうって、そのまま、一本調子で読む以外にないでしょうけどね。)こういう例文と単語をたくさん教えてくれます。私が発音しても、この本に書かれているような発音になりますね。私自体ネイティブさんのような発音ができるようになるのは、とーの昔に諦めているので、この本は面白く読めましたよ。最後は、彼の専門である脳と英語の発音・学習とを関連した理論でとてもおもしろかった。学術的な内容は別として、私が考えてきた内容(それに理論をつけてくれてうれしい)なので、彼のように説明できるようになりたい、と思った。
December 4, 2010
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