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…早いもので、あれから2年半が経ちました。すっかり元気になったのをいいことに、術後1年以降はまったく手付かずになってしまいました…。全く更新もしていないのに、アクセスしてくださる方がいらっしゃることをとても嬉しく思っています。ありがとうございます。術前は精神的にもかなりヘビーでしたが、今では体力も精神力も回復…、それどころかさらにパワーアップし、とても元気に過ごしています。ブログの中に何度もウエストのサイズの話題が出てきますが、今でもしっかりキープしています(笑)。2年半前に病気が発覚した時、多くの方のブログを読ませていただいたことがブログを書くキッカケになりました。私の経験がどなたかのお役に立てるなら、とても嬉しく思います。甘栗♪
2008年11月12日
朝から仕事。4時半に終了、次の打ち合わせまで時間があったので歩く。東京タワーに向かって三田通り(だったと思う)を歩く。感慨深い。去年の今日、病院の窓からタワーを見下ろしていた。普通に外を歩いて、仕事もして、タリーズでお茶して、メイクを直して、次の仕事に向かう。それだけで幸せだ、って思った。私には、今日は特別な日。打ち合わせは、何だか暗礁に乗り上げた感じ。だんだんイライラする。せっかくの日なのに… あーあ。それでも、いろんなことでプラスマイナスがあり、そして「入院1周年」の日はあっという間に過ぎ、帰りの地下鉄に乗る頃には「手術1周年」の24日になっていた。「がんばって乗り越えれば、きっといいことがある」とAちゃんは何度も言ってくれた。いいことは、本当にありました。「まあこれぐらい我慢したのだから、これぐらいは…」と期待していた10000倍ぐらいの勢いの、いいことがあった。だから、これから私と同じ体験をしなければならない人達だってきっと何か、そのあとにいいことがあるはず。いや、「はず」ではなく、かならずいいことが待っている。だからこその「大丈夫日記」。ね。
2007年03月23日
更新をサボりすぎた。もう3月も終わりそう…自分でも情けなくなる。2月も、3月も、仕事、そして音楽に明け暮れた毎日だった。体力はすっかり回復してこの冬は風邪を引かずに過ごせたし、今年になってから何度か朝帰りもしたけれど(遊びすぎ)翌日元気に普通に仕事に行くことができた。お腹にコブちゃんがいた頃は、やっぱり健康体ではなかった気がする。顔色が変わった、肌がきれいになった、と今でも言われる。ちなみに、体型は変わらず。術後しばらくすると太る…という説にも負けず、リバウンドなし!ウエストは術後の58cmのまま。今後もキープするぞ。さて、そして。明日で入院の日からついに1年。未だに3ヶ月ごとの通院は続いているけれど無事に1年を過ごすことができて、感無量。元気になって社会復帰できたからこそたくさんの出会いがあったし、それは本当に嬉しいことだった。こんどの日曜日にはAちゃん夫妻がなんとお寿司でお祝いしてくれるし~。生きててよかった。ずっとサボっていたのに、覗きに来てくださっている皆様、ありがとうございます。またボチボチ、書いていきますのでよろしくお願いいたします!
2007年03月22日
きちんと新年の「誓い」などを立てるつもりでいたのにいろいろ慌しくしているうちに、もう20日…。とりあえず、元気です。風邪も引いていないし、毎日楽しくやってます。またいずれ、ゆっくりと…。今年はいろいろ、やります!
2007年01月20日
今までの人生の中での最大の出来事は、母の死だった。これに勝る大きな出来事はその前も後もひとつもなかったし、これからもそれ以上のことなどあるわけ無い、と思っていた。今年、それを上回る出来事がいきなり目の前にドカンと現れた。「自分の病気」。これだけは縁がなかった。風邪やケガはあっても、入院も通院も大きな検査も、何も経験したことのない素人だった。大きな病気を疑われ、それがキッカケでコブちゃんが発覚、入院までのたくさんの出来事、入院、手術のこと、そしてそれからの毎日…。恐ろしかったMRI検査、パニックの発症、Aちゃんに支えてもらいながらの通院の日々、ビックリ!な病理の結果、M先生との出会い~別れ~再会~別れ、膠原病疑惑、胃カメラ…。本当にいろいろなことがあった。苦しかったこともあったけれど、それでも「これでよかった」と思える1年だった。病気にならずにいたら、わからなかったことがたくさんあったし、無理せずに「無理しない」「無理できません」と思える自分になれたことも進歩だと思う。そして何より、たくさんの人に出会うことが出来た。尊敬できる素晴らしい先生方や病院のスタッフの方達、ブログやネットの掲示板を通して知り合えた多くの方々…。そんな意味で、「これでよかった」な1年、そして、今までのどんな経験よりも、大きく衝撃的な1年でした。みなさま、来年もどうぞよろしくお願いいたします。↓来年の賀状です。なかなか気に入ってます。
2006年12月31日
27水 友人と会う約束をしていたが、 「麻酔疲れから回復してからのほうがいいよ」という 気遣ってもらい、延期。 言われたとおり、かなり疲れた。まだボーっとしている。28木 朝から遠方で仕事。 今日のメンバーのために、また例のドーナツを用意してくれていた。 それにしても、せっかく「プレゼント」って言ってくれてるのに 「これいくらなんですか?」 「こんなにいただいては申し訳ないです(曇り顔)」っていう反応はないだろう。 隣りで聞いてるだけでシラけてしまった。 移動して、15時から別件。ミーティングの約束2つ。 次に待っている人がいるのに、 なんで上着着てコート着てマフラー巻いて楽器しょって…って 時間のかかる支度を部屋の中でするの? ドーナツに引き続き、またイライラする。 終了後、こんどは六本木へ移動。 新しい仕事の打ち合わせ。そのあと同じメンバーで忘年会。 お鍋のパーティー。 先日のライブの映像を見ながら、楽しく美味しくいただいた。29金 水曜から延期になっていた会合。 来年に向けて、やるべきこと。やりたいことが山積み。30土 Aちゃんと横浜で年内最後のお食事会。 たくさん食べて喋る。 性格が似ているようで全くの正反対なので、 お互いにいろいろな発見がある。 また来年もよろしく!と明るく解散。 帰宅後、年賀状の作成。 なかなかよい出来なので、ここにもアップしよう。
2006年12月30日
8時に起床。起きて少ししてから、パニック時のための頓服「ソラナックス」を飲む。「不安を感じなくなる薬」があるなんて、病気になるまで全く知らなかった。今年はいろんなことを学んだ1年だった。お風呂に入り、身支度。メイクは患者らしく簡単にして、9時半に出発。…久しぶりに薬を飲んだので、電車に乗る頃にはすっかりフワーっといい気持ちになり、眠くなる。検査では鎮静剤を多めに打ってもらうことになっている。「麻酔」ではないので大抵の人は意識があるままでボーっとするだけらしいのだが、それでも検査時の苦痛は無くなるという。でも、私の場合は「薬は多めで」というオーダーが内科の先生から出ているし、絶対に寝る!と眠る気満々。雨の中、10時半過ぎに病院に到着。ここに来るたび、入院していた頃を懐かしく思い出す。年末でガラガラだと思っていたのに、検査室周辺は検査を待つ人で混み合っていた。11時に名前を呼ばれて検査室の中へ。「はい、まずこれを飲んでね」と看護師さんから小さいコップを渡される。水で溶いた片栗粉状のもので…これがとにかく、まずーーーーーーーーーーーーい。うげーとなっていたところで、今度は喉の麻酔。喉の奥に溜めて吐き出す、というあれか。家でお茶で何度か予習していたので、これは自信がある。…しかし、これもまずかった。それに、吐き出さずに飲んでください、と言われた。麻酔がどんどん効いてきて喉が膨張したように感じて、なかなか飲めない。やっとの思いでごくんと飲み込む。この時点でイヤーな気持ちになってきていたが、看護師さんの「ではこちらに来てくださいねー」というサクサクした仕切りで、検査用ベッドに寝かされる。「はい、こちらに身体を向けて横になってください」と横を向いて足を軽く折り曲げ、検査用のポーズでそのまましばらく待つ。隣りの検査ベッドから「うげー、うげー、げほげほ…」という患者さんの苦しそうな声が延々と聞こえてくる。…私はどうせ寝ちゃうから平気平気、と思いながらボケーっとしていたら、担当してくださる先生登場。優しくて爽やかな感じ。本当にこの病院は素敵なドクターが多い。「はい、それではこれを」とマウスピースをテープで固定される。ここからカメラが入るのか。口が開きっぱなしの状態で固定されているので、収まりが悪い。「では、お薬を注射しますね。まず消毒しますよー」優しい口調が、M先生に似ている。…M先生元気かな。「はい、ちょっとチクッとしますよー」チクッとしてすぐに、頭の中がボワーっとなって意識が無くなった。…検査室のザワザワした音で目が覚める。 あれ、ここどこだっけ?あー、病院だ。周りには誰もいない。1人で気持ちよく寝ていた。マウスピースも咥えてない。あら、もう終わったの?と思ったものの、まだ眠い…。誰もいないし、もうちょっと寝ちゃえ、と思ったら「はい、注射のところのテープだけとりますねー」と看護師さんがカーテンを開けて入ってきた。「麻酔で気持ちよくなると気が大きくなる」という前例と同じく、やはり今日も態度が大きくなり「まだ寝てていいんでしょ?」と馴れ馴れしく訊く。「はい、大丈夫ですよー」という看護師さんの笑顔に安心して、本格的に2度寝。それからまたかなりの時間、寝たと思う。「もうそろそろ起きられますかー?」と優しく起こされ、やっと「起きてみるか」という気持ちになる。時計を見たら、午後1時半。こんなに時間が経っていたとは…。「まずは食事を採って、しばらく休んでから帰ってください。 まだまだ薬が効いているので、駅のホームを歩く時は 落ちないように端を歩かないで。あと今日はカフェインはダメです」など 今後の注意をいろいろ聞く。最上階のレストランで昼食をとる。まだまだ頭がボーっとしている。会計を済ませて外に出たらますますすごい雨。近くのカフェでホットミルクを飲んでボケボケしながら帰る。それにしても、本当によく眠った。気持ちのいい昼寝だった。胃カメラ、ホントに飲んだの?というぐらい、全く何も知らないうちに終わっていた。それにしても、薬ってすごい。MRIも、こうやって眠らせてもらえば怖くなかったのに…。帰宅してからも喉や胃の痛みはなく、ホッとした。結果は年明け。とにかく無事に終わってよかった。
2006年12月26日
18月 ライブ。無事に終了。19火 Aちゃんと帝国ホテルでディナー。 いろいろ爆笑。そしてちょっと涙。女の人生はいろいろある。20水 仕事場の忘年会。中華料理。焼酎のお湯割りを作ったり、 その筋のオネエサンのように甲斐甲斐しく働く。 21木 朝から仕事。午後は会議。 中学以来の友人と吉祥寺で飲む。 話が積もり過ぎて終わらない。 それにしてもこの人はすごい。 中学~大学卒業後に至るまで、 私が(「私を」ではない)好きになった人、ほぼ全員に会っている。 22金 遠方での仕事。 帰り、抹茶フラペで休憩。やっぱりこれに限る。 23土 またもや遠方での仕事。 いつも一緒に仕事をしている方から いま話題の新宿のドーナツを貰う。 開店1時間前から並んで買ってくれたそうだ。 …思わぬ嬉しいクリスマスプレゼントだった。 祭日&クリスマスなので街は人出が多い。 ユニクロでセーターを買った。自分にプレゼント。24日 午後外出。 夕方から夫とともに某会合へ。 「妻」として一応、それなりの行動をする。 その後、友人とお茶。 25月 午前中から仕事。 「お昼、何を食べるか」それだけを考えながら、仕事を頑張る。 明日は胃カメラなので20時以降は飲食禁止だ。 迷って結局エスニックのランチ。 家で穿く用のカラフルなソックスを買う。あったかーい。 明日は胃カメラ。 「カメラ」を「飲む」というのに、この余裕は何だろう。 初めての入院騒ぎを越えてから、ホントに慌てなくなった。 まあ。何とかなるでしょう、と思いながら就寝。 素敵なドクターが担当してくださいますように、と 不謹慎なことを考えながら寝る。
2006年12月22日
念入りにブローしてメイクして、コンタクトも付けて15時に会場入り。少ししてPさんも会場入り。楽屋で衣装を広げるPさんとお話する。「またぜひ一緒にやりましょう!」と一番新しいCDをいただいた。同じ楽屋で談笑していることが信じられない。毎日毎日、i-podに入れて聴いている大好きな曲を歌っている、ホンモノのご本人…。18時の開場まで、ずーっとリハ。Pさんの歌う横顔を見ながら、やっぱりこれは夢ではないのか、と思ったりして。19時に本番スタート。出番が多くて、楽屋とステージを行ったり来たりする。弾いている時は何ともないのだけれど、あまりにも長い休み(2コーラスのサビまでなど)がある曲だと、ちょっと不安になった。やっぱりまだ病気なんだなー。華々しくフィナーレ、無事に終了。お仕事仲間の友人が駆けつけてくれていた。家族が観に来てくれたような、あたたかい気持ちになる。Pさんとの出会い、そして後ろでピアノを弾かせていただいたこと、今年一番の素晴らしい思い出になった。いろいろ…我慢して頑張った甲斐があった。生きててよかった。ホントに。
2006年12月18日
術後265日・退院256日目。午前中から2時半まで仕事。お昼はパスタのサラダとパン2個、ちょっと食べ過ぎた。電車で移動、某先生のクリニックへ。今日はM先生との最後の診察日になる。前回の検査結果を聞く。膣の中が炎症を起こしてしまっていたのだがそう心配ない、とのこと。「働きすぎなんじゃないの?」と、M先生は今日も気さくだ。お別れか…あーあ。「何か聞きたいことある?」と言ってくださったので胃のポリープのことを聞いてみる。「珍しい症例」の再発かも、と少し不安だったので子宮の手術とポリープとの関連性も質問してみる。「ないない、ない! そんなことになったら世界で初めてだよ!」とM先生。それから、今後の受診について先生と話す。術後1年になる来年3月に、CTかMRI検査を受けること。順調だからあまり気にしなくていいけれど、「なんでもない」ということを確認するために3ヶ月に1度は必ず外来に来ること。このクリニックに通うなら某先生、大学病院に戻るならI先生に診てもらうのがいいよ、と言われる。大学病院よりはここのほうが便利だから、クリニックかなぁ…。ていねいにご挨拶をして、診察が終わる。結局、8月と12月、たった2回だけでM先生とまたお別れになってしまった。M先生に会えたから、手術も、その後の不安も乗り越えることができた。帰り道、そんなことを考えていたら急に涙が出てしまった。気を取り直してスタバで抹茶フラペ。クリーム多めでパワーをつける。元気出さないと。電車で移動、6時半からリハーサル。ライブ前、いよいよ今日はリハーサル最終日。7時前に憧れのPさん登場。おとといは巻き髪のポニーテールだったのに今日はストレート。真っ黒で素敵…。ポニーテールを真似しようかと思ったけれどストレートも素敵だ…。リハーサルの合間に、持参したCDにサインをいただいた。「この曲とこの曲が好きです」「そうそう、これいいよねぇー、あたしも好き」フランクにお話してくださる。ご本人とこんなふうに会話出来る時がくるなんて…。音楽を続けていて本当によかった。生きていてよかった。リハーサルの時、私のピアノで歌うPさんの背中を見て思った。歌っている人の「背中」というのは、この仕事をしていなければ見ることはできない。感激しながら通しリハも消化、0時近くに終了。帰りは車で順番に送っていただいて、一番最後だったこともあって家に着いたのが3時前。お別れに泣いたり、感激したり、忙しい1日だった。いよいよ月曜日はライブ本番。何を着ようかな。
2006年12月15日
午前中から会議。仕事の書類と、リハーサルの楽譜と、明日の着替えを持って出かける。お昼前に会議終了、近くの会社で仕事しているAちゃんに電話をして、ちょっとだけ抜け出してもらって立ち話。この数分の時間がホッとする。ありがとう。タリーズでベーグルとお茶で1人ランチして移動。午後の仕事。ボーっとしているうちに終わる。地下鉄で移動、ホテルにチェックイン。リハーサルは21時半からなので、時間まで仮眠。2時間近く眠った。これで体調は万全!張り切って早く着き過ぎてしまったのでコンビニに寄り道してからスタジオへ。憧れのPさんとのリハーサル。Pさんはとっても気さくで笑顔が素敵、演奏中も笑いかけてくださる。私もこういう人になりたい。なろう。Pさんのきれいな声を聴きながら、「あー、CDと同じ…」と思いつつ弾く。昨日しっかり練習したので、無事にクリアできた。嬉しすぎたのと空腹とで、夜はなかなか眠れなかった。
2006年12月13日
ずいぶん長いこと、更新をサボってしまいました。M先生の異動のショックから未だに立ち直れずにいますが、とりあえず元気です。4月 休み。ゆっくり寝る。洗濯。5火 渋谷で遅くまで仕事。 空きっ腹に飲んだビールのせいか、帰りの電車で具合が悪くなる。 耳がシュワーンと聴こえなくなって、フラーっとした。 これは貧血…? 途中下車して水を買って冷たい風にあたって回復。 倒れなくてホントによかった…。 6水 仕事のあと、デジタルパーマをかける。 時間がかかって終わったのが10時近く…疲れた。7木 仕事ふたつ。移動の時間が長かったので疲れ気味。8金 仕事のあと、スタバで明日の録音の予習をしてから 品川でAちゃんとディナー。楽しく盛り上がる。 9土 夕方まで仕事、その後移動して録音のお仕事。 始まったのが遅かったので、午前1時半までで とりあえず4曲録る。車で送っていただいて2時半に帰宅。10日 午前中から仕事。午後1時に終了。 さすがに眠かった…。帰りにデパートのバーゲンで洋服を買う。 最近、買い物し過ぎかも。11月 仕事。早めに帰宅。今週は「怒涛の1週間」なので いろいろ準備する。洗濯、食事をまとめて作りおき。12火 午前中から仕事。夜は和食のおいしい店でご飯。 …で、明日から怒涛の1週間。 来週の火曜日にライブがあり、水~金まで毎夜リハーサルがある。 明日は何と21時半スタート、というハードな感じ。 木曜の午前中も仕事があるので、明日はホテルに泊まることにした。 今回、このライブで、 大学生の頃から憧れていたある女性シンガーの方の ピアノを弾かせていただくことになった。 先日、その方から郵便で資料(楽譜とMD)が届き、 当日の演奏曲の中にいつも聴いていた大好きな曲も入っていた。 今までいろいろな場でいろいろなお仕事をさせていただいたけれど ファンとして聴いてきたアーティストさんと、このような形で ご一緒できるのは初めてなので、本当に嬉しい。…そんなわけで明日、いよいよ21時半から憧れのご対面。
2006年12月12日
今日は、休み。天気がいいので、洗濯に励む。明日仕事で着る白いシャツも洗う。…昨日のことが頭から離れない。病気がわかって、それまで無縁だった(←これがそもそもいけないのだが)婦人科を受診しなければならなくなり、不安でどうにかなってしまいそうだったところで偶然M先生に出会い、入院~手術を担当していただいた。「別に大したことないよ、大丈夫」「普通でいいです、普通で」というM先生のフランクさにいつも救われて、あれほど恐怖を感じていた手術も入院も、面白がっているうちに乗り越えることが出来た。…でも、乗り越えなければならないものが、 その先にもう1つあった。私の病気は疾患そのものは「子宮筋腫」だが病理の結果、とても稀な症例であると判断された。そのため、これからも定期的に経過を見ていかなければならないことになっている。M先生からの説得(?)に病理の先生まで登場しているのはそんないきさつからだ。退院の3日前、M先生からそのことと、先生の異動を同時に告げられた時は本当にショックだった。自分が大変だからといってワガママになってはいけないと思うけれど、当然、M先生が全ての経過をいちぱんよく知っている。だからいちばん、安心できるし、信頼できる。ほとんどの人がそうであるように「良性です、よかったですね」と何事もなくスッキリ退院できたなら、ここまでこだわらなかったと思う。でも昨日、「みんながちゃんと診ている、知っている」と聞いてそうだ、確かにそうだな、という気持ちにもなった。近いうちに、F先生に相談に行かなければ。某先生のところに通いなさい、と言われるんだろうな…。私の症例は、世界的にも珍しいものなのだそうだ。…そのうち学会で発表されたりするんだろうか。つくづく思ったのは、「稀」というのはゼロではない、ということ。それにしても「稀な症例」ということが、こんなにも大きな宿題を残したのだった。
2006年12月02日
「はまた」とはAちゃんとの共通語で、「は?またかよ」の略である。またか…チェッ…というような時に「はまただね…仕方ないよ」などと慰めあったりする。今日かなり大きな「はまた」な出来事があった。12月になり、M先生の診察を受けねばならない時期が来た。たまたま午後から時間が空いたので、予約をとってクリニックへ。大学病院と違って、クリニックはいつも空いていて待ち時間がほとんどない。家からも近いし、M先生がここに出向(?)してくださってホントにラッキーだなと今日もまた思う。名前を呼ばれ、診察室へ。まずは、その後の体調の報告。今日は細胞の検査はしなくてよいので、内診と超音波で診てみましょう、ということになった。そのあと、M先生が言いにくそうに言った。「それで…僕ね、転勤することになったの」「えっ?どちらにですか?」「○○市」「あっそうですか、ではそちらに伺いますよ」…と明るく即答してみたものの、 本当はそういう問題ではないことぐらい、 自分でもわかっている。 顔では笑ってM先生と話しながら、これから自分がどうなるのか、どうすればいいのか、不安で頭の中がグラグラになる。M先生は、このクリニックのオーナーで大学病院での上司にあたる某先生に診ていただくことを勧めてくださった。私の総合主治医のF先生の大親友でありながら、まだ1度もお会いしたことのない某先生。(入院中、病棟で1度だけお見かけしたけれど面識は無い)また新しい先生と、新しく信頼関係を築いていかなければならないのかと思うと気が遠くなる。…何てワガママな患者なんだろう。自分でも呆れる。でもまあ、○○市は、通院するにはちょっと遠い。いや、かなり遠い、かも…。それでもまた主治医が替わるのは嫌だ。「大丈夫、某先生だって優しいよー」…私が「優しい先生」に釣られる患者であることを、 M先生はとっくに見抜いている。 「あのね、僕だけじゃなくて、 病院のみんなで診て、みんながちゃんとわかってるから。 I先生も手術に立ち会ってくれているし、 某先生も(私のことを)ちゃんと知っているよ。 病理の先生はね、C先生っていうんだけど(初めて聞いた) 某先生の同級生だよ。」だから、このまま病院を替えずにいたほうがいい。…そうか、確かにそうだ。私が一番話しやすくて大好きなのはM先生だけれど、私が存じ上げない先生方も、私のことを知っていてくれるのか…。心はグラグラのままだけれど、M先生を追いかけて行くことへのアキラメはこの時点でついた。…超音波は異常なし、膣が炎症を起こして不調なので検査してもらった。再来週、結果を聞きに来てね、と言われて終了。それにしても…あーあ、である。これが「はまた」。退院とともに先生は異動、夏にやっと再会できたと思ったら、またお別れ。失意のまま、そのあとAちゃんに会う。いろいろ話してスッキリ。それでも…心細い。なんだか今年は、お別ればっかり。
2006年12月01日
朝から仕事。現在持っている仕事の中で、一番遠方なので早起きする。退院直後は、そこに行くことを考えただけでシンドイなー、と暗い気持ちになっていたものだ。とても朝から行動する気力が持てず、会議は午後からにしてもらい、2時間ぐらいでサッサとと帰ってきていた。いつのまにか、早く起きて電車に乗って午前中から仕事、しかも午後の会議までダブルヘッダーも平気でこなしている。気がついたら体力も回復していたということだろうか。ああー、働き者だ。本当に偉い。午前中の部が終わって会社の人と一緒にランチ。デザートも注文していいですよと言われ、上機嫌でコーヒーゼリーをいただく。…食べものに釣られるわかりやすい人間。午後、引き続き会議。女史はまた顔がふっくらしていた。終了と同時に急いで東京ドームに向かう。ビリー・ジョエル様のコンサート。行きたいなぁと思っていたところに、友人からお誘いを受けて行くことになった。スタンド席だったけれど、ステージの真正面でとても観やすい場所だった。音響もよかった。さすが今の技術は違う。…昔の曲を、昔のままのスタイルで演奏する、というその心意気が素敵。懐かしい名曲に涙腺が緩みっぱなし。新しい自分に挑戦、などと言って、何か違うことにチャレンジし続けるアーティストも多いけれど、スタイルを変えずに、そのままの音楽を続けることが旧いファンにとっては本当は一番嬉しいということをきっと彼自身がよくわかっているのではないかと思った。感動の涙で、マスカラもアイラインもサッパリと流れてしまった。ショボショボの顔のまま、夕飯を食べる。友人も同年代、ビリーの音楽とともに青春を過ごした人なのでしみじみといろんな想い出を語りつつ楽しく過ごす。…毎日いろんなことがあるけれど、こうしてまた、音楽に救われた。術後250日・退院241日目。
2006年11月30日
9時半に家を出て、大学病院へ。F先生に書いていただいた紹介状と、健康診断の胃エックス線フィルムを持参。2月以来、久々に内科・E子先生の診察を受ける。6月に受けた健康診断で、「胃にポリープあり、来年も健診を受けること。 大きいものではないのでとりあえず様子見。」と診断された。F先生に報告したところ、心配ないだろうとのことだったが、念のために胃カメラ検査を受けたら?とアドバイスをいただいた。F先生のクリニックでも出来るが、鎮静剤を使わないのであなたには辛いかも、大学病院は薬でほぼ眠った状態でできるから病院で受けたほうがいいよ、と言われて今日に至った。今年の冬のリンパ腺腫れ~悪い病気かも~お腹のコブは?~手術ですね、のあの騒動に比べたら、今回は「あっそうですか」ぐらいのものだ。E子先生はフィルムを見て「心配なさそうだけど、せっかくだし、胃カメラしておきましょう」「またパニックになっちゃうかしら…」と心配してくださった。サインペンを手に持って、「これぐらいのカメラを飲むんですよ」「麻酔は喉の奥に溜めたまま3分ぐらい…」と詳しく説明を受ける。検査中は、しっかり眠ってしまいたいと伝える。「じゃあ麻酔の薬を多めに、って書いておきますね」と申し送りしてくださった。それから「内視鏡科」に行って、検査日の予約をする。年末も押し迫った、クリスマス後の12月末に決まった。また何か、やらかしそうな気がするが、何事も経験だ。年末まで胃を荒らさないように、あまり食べ過ぎないように過ごそうと思う(無理かも、だけど)。…数えてみたら、今日で今年通算38回目の通院(入院時は除く)。 ホントに今年は病院づいていた。 来月は婦人科の診察もあるし、確実に40回は越える。 コブちゃんにはじまり、膠原病の疑いまで… 激動の1年だった。 助けてくださった先生達、本当にありがとうございます。
2006年11月25日
おととい、急に決まった取材の仕事。男性向けの雑誌、そして今回は写真撮影もありということで張り切って念入りに支度する(馬鹿)。現在「モノクロ衣服排除キャンペーン」を実施中なので、先日買ったちょっと派手な色のセーターを着た。そういえば独身の頃、友人に連れられて飲みに行った店のマスターが占いも出来る人で、その人に「黒い洋服ばっかり着てたら絶対にモテないよ」とキッパリ言われたことがあった。モテないよりはモテたほうがよいし、とにかくこの冬は「色」のある自分になるのだ。早めに家を出てスタバでお茶、ホットホワイトチョコレートのアイスを頼んでみる。美味しい。やさしい味だ。お茶しながら、送られてきたファクスを眺めながら、質問への答えを考える。いつも同じようなことばかり訊かれるので毎回同じようなことを答えているわけだが、それでもちゃんと予習しておかないと不安。そして、5時前に現場へ到着。まずは撮影から。普段は1日中バカ笑いばかりしているのだが「では笑顔でお願いします」と言われてもなかなか笑えるものではない。「痩せて見える写真を載せてくださいね」などと言って笑いも取りつつ、何とかクリア。その後、ライターの方とお話。ここ数年、お会いしたライターさんは全て女性ばかり。女性の活躍が目立つ分野なのだろうか。よいことだ。確かに女性だと、お話しやすいということもあるし。予定の時間を1時間オーバーして終了。取材とは関係ない、脱線した話題のほうが面白かった、と言われた。帰りにデパ地下でお惣菜を山ほど買って帰宅。
2006年11月24日
術後244日・退院235日目。あれから8ヵ月が経過した。体力はほぼ回復、仕事には全く支障はない。基礎体温はちょっとガタツキがあるものの、一応二層に分かれているので、まあ合格。…お腹の手術痕が最近、少しずつスベスベになって、目立たなくなってきた。実は入院の前日以来、つい先日(12日)までずっとシャワーのみで入浴を済ませていた。5月の診察で既に「もう何をしても大丈夫ですよ」と言われていたから、とっくにOKだったのだけれど。開腹したお腹と「縫ってある」という身体の中の傷のことが気になって、湯船に浸かるのが怖かった。しかし、日に日に寒くなり、シャワーだけでは入浴後の体温キープが出来なくなってきたので解禁した。何もこんなに引っ張らなくても…と自分でも思うけれど。あったかい湯船に浸かって身体を温めたら傷の周りの角質(?)が自然に剥がれたらしく、一段階、凹んだような気がする。…もしかして「垢」がたまっていた、ということ?いずれにしても、身体をあたためて清潔にすることがとても大切であることには間違いない。Aちゃんのアドバイスによると、傷は1年も経てばほとんど目立たなくなるから大丈夫だよ、とのこと。ありがとう。そうこう言っているうちに、来月はM先生の診察。3ヶ月って、あっという間だ。
2006年11月23日
ゆっくり起きて、温かいお茶を飲む。昨日は1日雨だったけれど、少し陽も差してきた。窓の外には巨大な観覧車。ゆるゆる廻っているのを見ているだけでも、全然飽きない。平日だというのにこんなにのんびりできるなんて幸せ。お昼にチェックアウト、ホテルのビュッフェでブランチ。食べ続けて…約4時間。手術の直後、病室に戻った途端に「お腹空いた、何か食べたい」と騒ぎ、呆れられるほどの頑強な胃の私であるが、さすがに今日は食べ過ぎた。でも、それぐらい楽しくて、美味しかった。食後、海の景色が素敵なエリアを散歩。「最良デートコース」についてAちゃんからレクチャーを受ける。…よいね。使える(謎)。歩いてもお腹が全然楽にならない。腹が重い。またホテルに戻って、今度はティールームでお茶。外はほどよく日が暮れて、いい感じ。観覧車を眺めながらAちゃんに、真剣な人生相談をする。自分のことだからこそ、答えが出ないことがある。でも前向きになれそうな気がする。もう大丈夫。8時半にホテルを出て、解散。楽しすぎたあと、急に1人になると発作が起こりやすいので心配だったけれど、無事に帰宅できた。たくさん食べて喋って、本当によい休日だった。またしっかり仕事して、いい旅しよう。
2006年11月20日
入院前から「元気になったらお泊りしようね!」と、約束して励みにしてきたAちゃんとのイベントがやっと実現した。家事を全部済ませて、2時に横浜で待ち合わせ。まずはイタリアンで遅いランチ。ゆっくりお喋りしながら楽しく食べたあと、ショッピングモールを散策する。夕方チェックインしたあと、夕食の買出しへ。途中でちょっと寄ってみたベネトンで値下げ中の真っ白なダウンジャケットを発見、試着し「いいね!」とAちゃんの言葉に安心して衝動買い。この冬はモノトーンから脱却するのだ。いろんな色を着るぞー。それからチーズやサラダ、パンを買ってホテルに戻る。1年後にAちゃんと開けよう、と思いながら去年の解禁日に買ったボジョレーで乾杯。その後の病気騒動など、当然想像もしていなかったわけで、しみじみと1年を振り返りながら飲む。食べる。美味い。深夜まで話は尽きずにベッドに入ったのが2時。それでもまだ話は終わらず、寝たのは4時頃だった。
2006年11月19日
11時から仕事。デパ地下でお弁当を買って持参。2時半にお仕事終了。その後移動して、大学病院に向かう。予約時間までまだ時間があったので、地下鉄2駅分、歩いてみる。本格的に寒くなってきて、いろんなことを思い出す。去年の今ごろ、お腹の中ではコブちゃんが急成長しているとも知らず、猛烈な忙しさに耐え、毎日頑張っていたこと。今年がこんなに1年になるなんて、夢にも思っていなかった。4時少し前に病院に到着。廊下を歩きながら、入院していた時のことを思う。これから何度来ても、思い出すのだろうなぁ。外来は、もう待っている患者さんも少なくて静かだった。10分ぐらい待って呼ばれ、診察室に入る。先生は髪がずいぶん伸びていた。いつも思うけれど、どこから見ても先生は「精神科医」に見える。「絵に描いたような」とは、こういうことを言うのだね。メガネが前回と違う。新調したのかな。ちょっとウルトラマンみたい。いつものように、まず最近の心身の状況を報告。パニックの発作は無し、頓服は9月に2度、美容院に行く時に飲んだだけ。乗り物も大丈夫だけど、電車は、駅と駅の間で止まったままになるとちょっと嫌。バスも、渋滞でエンジン切って立ち往生したりするとダメ。電車に乗っても平気、頓服もほとんど必要なし、ということで「だいぶよくなっている」と考えていいそうだ。それから、いま北海道での仕事の話が来ているのだが、飛行機に乗っても大丈夫かどうかを相談。「飛行機のことを考えると、 ちょっと嫌な気持ちになるのですが、 先生が大丈夫って言ってくだされば大丈夫な気がするし、 乗ってみたいという気持ちもあります」と言ってみる。仕事でも遊びでもさんざん飛行機に乗って出かけていたのに、まるで別人のように、1度も乗ったことがない人みたいにこんな相談をしている自分が信じられない。…でも「当たり前のことが出来なくなること」 それが病気だから、仕方ない。先生の答えはシンプルだった。「大丈夫。乗っていいよ。 薬飲んで寝ちゃえばいいんだから。 パニックにはならないよ。」おぉー、いいのか。大丈夫なんだ。「まだ早い」と言われることも覚悟していたのだけど。これで仕事を断らずに済む。ホッとした。1度にたくさん薬を飲んで乗るのではなく、乗る前に1錠、不安だったらまた1錠というように飲みなさい、と言われる。…大丈夫だと言ってもらうと、大丈夫な気がしてくる。 私は本当に単純な人間だから、 担当してくださる先生には全幅の信頼を寄せる。 なので、先生の言葉が薬以上に心身に作用する。「思い込み」って本当に大切だし、ありがたい。その他、日ごろの生活の中で、気になることを質問してみたのだが…「何でも病気のせいにしてはダメ」と アッサリ一蹴されてしまった。「突然パニックになってしまう」のが 私の病気の症状であって、それ以外のことは病気とは関係ない。 だから、何でも病気に結び付けて薬に頼らないこと。「そうしないと、いざという時に効かなくなるよ」 頻繁に頓服を飲んでいたわけではないけれど、気持ちの上では先生の言うとおり、いろんな心の症状を病気に結び付けて考えてしまうことが多くなっていた。それで、つい自分にも甘くなってしまっていた。ちょっと反省。「薬に頼らないこと」って今日はじめて言われた。 言われただけでも(頼ってないのに)緊張するものだな。そういう段階まで回復してきたと考えてもよいということなのだと、とりあえず思うことにする。北海道…。函館の朝市、ジンギスカン、ラーメン、ソフトクリーム…。仕事なのに考えることは食べ物のことばかり。薬飲んで寝ちゃえばいい…この言葉をお守りにすることにしよう。術後238日・退院229日目。お腹の痛みはだんだん落ち着いてきた。体温はちゃんと変化しているので、ひとまず安心。
2006年11月17日
アッという間に過ぎて行った。日曜日…部屋の片付け、掃除。 現在「捨て捨てキャンペーン」実施中につき、 家中の要らない物をどんどん捨てる。 空気がスーっと通る感じ。月曜日…午前中から仕事。 夕方いったん帰宅したあと渋谷でリハーサル。 最近いろいろあって悶々としているのだけれど 音楽にまたもや救われる。 これでツジツマを合わせて、何とか生きている。 来月恵比寿でライブ。生き様を音に込めて弾くぞ。火曜日…午後から会議。 女史、何か太ったなぁ。更年期かな? どんな議題でも、深刻な議論でも、 「嫌な感じ」ではなく、楽しく、明るいほうがいい。 人に反論する時、そんなに怖い言い方しなくてもいいのに…。 でも、もう慣れた。水曜日…午後から夕方まで仕事。 夕方からホテルのビュッフェで仕事仲間3人の会。 話題は尽きない。 最近、女性同志のお付き合いが本当に楽しい。 主婦として、働く大人として、いろんな人の話を聞くと とても勉強になる。 気がついたら11時。こんな時間まで出歩けること、 当たり前のように思うけど、もしかしたら幸せなのかも。木曜日…朝早く家を出て、遠方での仕事。 中学時代からの友人が一緒。 彼女と会話していると、 それを聞いた周りの人に必ず笑われる。 どうも中学生モードで会話しているらしい。 やっぱり友達っていいな。
2006年11月16日
10時半から仕事。あいにくの雨…寒いし、お腹は時々痛いし、ちょっと嫌な感じ。しかし、女史とは違うグループになったので良かった。変なストレスは溜めずに済む。午後1時に午前の部終了、イタリアンのランチへ。好きなものを頼んでシェアしましょう、ということになりテーブルにサラダやパスタやピザが並ぶ。幸せ。私は「これが済んだら何を食べたいか、食べるか」を考えることが仕事への原動力になっている。わかりやすい人間だ。3時から午後の部、スタート。5時に終了してサッサと帰る。ソワソワしながら移動。6時に横浜のスタバの前で姪と待ち合わせ。沖縄修学旅行に持って行く、水着を買うのにつきあうのだ。今日はジーンズを穿いて、これまたキュート。先日プレゼントしたピアスが似合っている。1年中オバ馬鹿全開。本当におめでたい。早速買い物へ。水着の店に行ってみる。今の水着は可愛くてオシャレなものばかりだ。ほとんどがビキニなのにも驚いた。黒地に白のドット柄のを3枚試着。もっとあれこれ迷うかと思っていたのだが、案外すんなりと購入。夕食は姪の希望でヘルシーに「そば」を食べる。その後カフェに移動、巨大なパフェを食べる。最初は2人で半分ずつ…などと言っていたのに気がついたら結局1人ずつ注文していた。長いスプーンで巨大パフェをつついている時に姪が急に言った。「ねぇおばちゃん、いま急に思い出した! あーちゃん(私の母)が入院してる時、 病院からおばちゃんと2人で買い物に行って、 不二家で苺のパフェ食べたよね」…あー、そんなこともあったなぁ。母は、最期の2ヵ月、ホスピスで過ごしたのだが、ちょうど夏休みで、まだ小学生だった甥と姪は姉に連れられて、よく見舞いに来ていた。あれから7年か。小学生だった姪も、来年は大学受験だ。母がいたら、孫の成長に目を細めていただろう。今は私が母の分まで目を細めている。今日も予定外で、また洋服を買ってやってしまった。まるで、援助交際にハマる中年。11時近くまで楽しく喋って、横浜駅で解散。別れる時、姪はいつも本当に寂しそうな顔をするので私まで悲しくなる。(でもちょっと嬉しかったりもする…)…今日も若さのパワーをもらいました。ありがとう。
2006年11月11日
あっという間に過ぎていく。気がついたら、先週の日米野球からもう1週間。それだけ元気になった、ということなんだろうか。術後231日・退院222日目。…しかしここ数日、お腹が痛い。主治医M先生だけでなく、日曜日の回診の先生からも「靭帯を切り離したところだから、1ヶ月ぐらいは仕方ないよ」と言われていた、脇腹に近いところのピリっとした痛み。先生のコメントのとおり、1ヶ月ほどで痛みはなくなったのに今ごろになって似たようなピリピリ感…何なんだろう。ロキソニンを飲もうかと思ったけれど、結局飲まなかった。基礎体温が低温期に入ったところなので、本来なら生理の時期。身体のどこかに「生理ですよね」というスイッチがまだ残っていて、体温(要するに、ホルモン)の変化にシンクロして、それがオンになる=バーチャル生理痛?のような気もする。来月、M先生の診察なので質問してみることにする。『ないない、関係ない』と笑われそうだけれど。寒くなってきたせいもあるのだろうか。手術から200日も過ぎてしまうとつい遠い昔のような気がしてしまうけれど、まだ1年経っていない、と考えたら、まだまだ大事にしなければならない時期なのかも。あんまり頑張り過ぎないようにしよう。…と思いながらも、今日は頑張って食べ過ぎた!Aちゃんとホテルのビュッフェでディナー。頑張って食べて、話が盛り上がりすぎて、お腹が痛くなるほど笑った。ナチュラルキラー細胞がかなり増殖したと思う。明日は仕事のあと、姪とデート。いよいよ沖縄への修学旅行が迫っている。自分が行くわけでもないのに、何だかドキドキする。明日はお小遣いを渡さなければ。姪の大好きなジャイアンツのジャビット君の背番号、555にちなんで、5555円。…夢があるなー。ああ、何て素晴らしいオバなんだろう(自画自賛)。
2006年11月10日
待ちに待った、姪とのデートの日。11時半に待ち合わせ。先日買ってあげた黒のミニスカートが似合っている。ブーツもお洒落だ。あー、なんて可愛いんだろう。ランチの前に、修学旅行のための買い物をする。姪はいろいろ欲しい物があったのに、母親に交渉しても理解してもらえず、悩んでいた。…私の姉は、病的なまでにケチである。「上手なケチ」なら、自分のケチを主張せず、相手にも気づかれず、周囲を不快にもさせず、水面下で密かにケチっぷりを発揮できるものだけれど、不器用な姉は、それが出来ない。そしてさらに、娘に新しくきれいな物を持たせて、気持ちよく修学旅行に送り出してやろう、という思いは残念ながら持っていないらしい。祖母(母)が生きていたら、まず一番に姪の味方をしただろう。母が生きていたら何をしていたか、そう考えれば、私は何をすればいいのかがわかる。そんなわけで、買い物。「これで安心して修学旅行に行ける…」と姪はホッとした顔で喜んでいた。買い物のあと、予約していたホテルのレストランでランチ。ビュッフェのオードブルとデザートをお腹いっぱい食べつつ、いろんな話をする。友達のこと、お洒落のこと、家族のこと、17歳なりに悩んで考えて生きているのだなーとしみじみ思った。結局3時間かけてランチ終了、夕方まで周辺を散歩したあと、いよいよ日米野球へ。…今日のみどころはなんと言っても、小笠原選手。かっこよすぎる。感動した。しかし、さらに感動したパフォーマンスがあった。米国側のサポーター(?)として来ていたマリナーズのマスコット、mariner moose。メンバー紹介の時に始まり、3回裏のダンス、5回裏のYMCA、そしてネット裏のお客さん達へのサービス…と大活躍していた。仕草がとにかく可愛い。お茶目で愛嬌がある。トナカイなのに、「ロバ君」と勝手に名づけて呼んでいた。ロバ君…懐かしすぎる。試合は米国がサックリと勝って終了。試合後、再びホテルのレストランで休憩。あんなに大量にランチを食べたのに大きなチョコレートパフェを平らげる。ドームが目の前に見える席に座り、姪は大満足。また近いうちに会おうね、と約束して解散。…おばちゃんに、働く張り合いと生きる目標をくれて、ありがとう。
2006年11月03日
術後223日・退院214日目。入院の際、いろいろとお世話になった仕事関係の知人を誘って汐留でランチ。最高によい眺め、そしておいしい和食。ゆっくりお喋りもしてのんびり楽しく過ごす。その後、いっしょに武道館へ移動。ザ・ワイルドワンズのコンサートでのセッション企画の一員として、ステージに乗るのだ。アンコールでメンバーの方達と共に「想い出の渚」を演奏する。それだけでもお腹いっぱいに楽しみなのに、今日のゲストは沢田研二さんというではないか。4時に会場入り、楽器を持ってステージでリハーサル。ステージ袖に着いた時、ちょうど特別ゲストの加山雄三さんのリハーサルが始まったところだった。ステージ脇の巨大スクリーンに映る加山さん。スクリーンに映った姿から、オーラが出ている。すごい。こんな人、初めてみた。大物は違う。その後、ステージに上がり、100人+加山さんも含めた皆さんと「想い出の渚」を通して演奏。和やかに進み、本当に楽しかった。「リハーサルだけで、もうお腹いっぱい!」と参加された皆さん達、みんな本当に嬉しそうに楽屋に戻る。あっという間に開演時間になり、コンサートが始まる。アリーナの後ろで立ち見。開演してから1時間後、ジュリー登場。タイガース時代の曲、洋楽メドレー、そして「TOKIO」などを熱唱。ジュリーのコンサートは今まで何度か行ったけれど、今日のステージが生で観た中でいちばん素晴らしかった。そしていよいよ、我々の出番。楽器を持って、ステージへ。場内が明るく照らされ、2階席の一番上のお客様までハッキリと見える。憧れの武道館のステージ。本当に、本当に楽しい瞬間だった。今年はいろんなことがあったけれど、元気になってよかったなー、と思えるよい1日だった。神様ありがとう。また武道館で演奏できますように。次は鍵盤で。
2006年11月02日
午後1時から、いつもの水曜日のお仕事。早いもので、本年度ももう後半戦。サッサと済ませて早々と退散。デニーズで休憩。早めの夕食を食べようと思ったのにこのデニーズは通常のメニューとは違うではないか。品数が少なすぎるし、ハーブティーも無い!小さく怒りつつ、仕方なくフルーツパンケーキを食べる。それから電車で移動して、某歌手さんのコンサートへ。日頃からお世話になっている方がバックバンドのメンバーである関係で、見学させていただけることになった。典型的な「歌謡ショウ」。演歌や歌謡曲は、食わず嫌い(聴かず嫌い)の人が多いけれど本当に歌の上手い歌い手さんのステージは、素晴らしい。2時間半のステージがあっという間に感じられた。やっぱり音楽はいい。お客さん達が満足した表情で帰っていく雰囲気も良いものだ。バスと電車を乗り継いで帰宅。明日はまた大イベント。武道館。
2006年11月01日
だいぶご無沙汰してしまった…。なのに、アクセス数が伸びている。嬉しい。というわけで、10月下旬のまとめ。21 休み。22 休み。散歩などをして優雅に過ごす。 洋服置き場と化していた母の部屋(かつては両親の部屋)を 片付ける。着なくなった洋服や古い物を山のように捨てる。 ベッド周りもキレイにして、今日からここを寝室にする。23 仕事のあと、夏に受けた健康診断の結果表を持参して 主治医、F先生に報告に行く。 なんと、「胃体部ポリープ 1年後再検査」という 判定を見落としていて、先生に指摘されて初めて気がついた。 「胃カメラを念のために受けておくと安心だよ」と言われて 即座に覚悟する。意識をなくしたまま検査してもらえる 大学病院での検査を勧められた。 いろんな検査にも、もうだいぶ慣れた。意識無いなら大丈夫。24 事件勃発。朝、風呂上りに髪にドライヤーをかけていたら 突然、上唇の真ん中あたりが腫れだし、口の周りが痺れた。 みるみるうちに口が腫れて変な顔になり、どうしようと焦る。 とりあえず、近所のクリニックに駆け込む。 虫刺されなら痒いはず、痺れというのはレアなケース、 こういう症状の場合「膠原病」の疑いもあるから、と血液検査。 そして血圧も測定。昨日F先生のところでは120だったのに 今朝はなぜか160以上もある。膠原病?結果はあさって。 アレルギーと血圧を下げる薬を出してもらう。 会議には遅刻、お昼ギリギリに到着。皆さんに心配をかけてしまった。 原因として挙げられたのは ・アレルギー説 ・血管に異状が起こった説 ・膠原病の症状説 など。 (未だにハッキリとした原因はわからず。膠原病では無かった。)25 膠原病かも…の覚悟もしつつ、様子を見ながら過ごす。 午後から仕事。 夕方からAちゃんと夕飯。シズラーで食べて喋って笑う。 病気って1度乗り越えると免疫ができるものだね、と話した。 もしそうなら仕方ない、そういうことが自分にも起こり得るかも、と 1度経験してよくわかった。だからこそ健康な毎日がありがたい。26 朝から仕事。夕方終わると同時にダッシュで帰宅の途へ。 クリニックに血液検査の結果を聞きに行く。 膠原病の抗体の検査は異常なし。その他のデータも安全域なので 深刻な病気ということはまず無さそう。血圧だけは様子を見ること、 と言われホッとする。 「まあ、身体っていうのはいろんなことが起こるものだよ」と 先生は明るく笑って言ってくださった。本当にその通りですね。27 午前中から仕事。今週は病院通いと唇腫れ騒動で疲れてしまったので ウロウロせずに早めに帰宅。家事は今日も手抜き。28 仕事。ランチに用意されていた「Paul」のパンの美味さに感動。29 休み。1週間分たまった「芋たこなんきん」の録画を見て泣く。30 今日も休み。天気がよいので洗濯機3回回し。散歩。31 朝から仕事。ランチはハワイアンレストランで「ロコモコ」。 夕食に手抜きしたい時、ロコモコって簡単でいいかも!などと 思いながら食べる。 午後、女史と会議。来週に控えたプロジェクトの班割りが発表される。 彼女とは全日違う班だった!神様ありがとう。
2006年10月31日
11時から仕事。お昼を食べている時、ダイエットの話題になった。私、最近ちょっとだけ太りました、と発言したらお見舞いにも来てくださったいちばん親しい先輩から「退院したばっかりのころは、 痩せちゃってフラフラしてたねぇ…」としみじみと言われた。え? フラフラだったのか私。ホッソリと痩せ、細いズボンを穿いていい気になっていた、あの頃。体力は今ひとつだけどすっかり元気、のつもりでいた、あの頃。人から見ると、頼りなくフラフラしていたとは知らなかった。やっぱり一大事だったんだなぁと、今ごろになって改めて思ったのだった。2時半に仕事終了、大人の遠足その2に出発。まずは大学病院の近くのコンビニへ。先日のコンサートの日、楽譜をコピーした際にコピー機の中に原稿のノートを置き忘れてきたのだ。カーディガンや傘は何度もいろんな所に忘れてきたけれど、自分で書いた楽譜、しかも大切な五線ノートの置き忘れ…。中には書きかけの詩の断片もあったりして、持ち物の中で最も人には見られたくないものなのに。まあそれだけ舞い上がっていたのかもしれないが、本当にバカなことをした。ちゃんと保管していただいていたおかげで無事にピックアップ。反省しながら次の目的地へ移動。海の見える場所へ。1人遠足で必ず来るところ。東京はちゃんと「海」も完備しているところがスゴイ。ベンチに座ってひたすらボケーっとする。本当は日が沈むまで座っていたいのだがお腹が空いて耐えられそうにない。とりあえず移動、近くのカフェでお茶とデニッシュ。すっかり日も暮れたので、移動。穴場の夜景鑑賞スポットへ。東京タワーに登ってしまうと、タワーが見えずツマラナイ。なので、いつもここに来る。椅子に座って、またボケーっとする。いろんなことを考える。タワーのあの向こうに、父と母の墓がある。タワーの向こう側のずっと向こうに、仕事場(その1)。海のこっち側に、仕事場(その2)。そしてあっちの方向に、お世話になった病院。橋を渡ったずっと向こうが、私が生まれた場所。…東京で生まれて育って、いろんなことがあった。まだこれからいろんなことがあるんだろうな、とちょっとかっこよく思ったりして。たっぷりと夜景を堪能してから帰宅。早速「いろんなこと」の第1弾として、夜遅く電話がかかってきた。とてもよい、仕事の話。もしかしたら、とは聞いていたが、決まりましたのでよろしく、とのこと。嬉しい。仕事は何でも引き受けるほうだけれど、弾く仕事はやっぱり格別。今週は遠足でリフレッシュしたのがよかったのだろうか。何か、ついてきたかも。「フラフラ」から元気に戻れて、ホントによかったー。
2006年10月20日
朝から仕事。新しいプロジェクトの第1回目。中学~大学でずっと一緒だった仲の良い友人に声をかけ、協力してもらうことにした。友達としてずっと親しくしてきた人と仕事の場で時間を共有できることはとても幸せなことだな、とつくづく思った。「中学から一緒なんです」と紹介すると、みんなビックリする。ホントに長い付き合いになったものだ。お昼過ぎに終了、みんなで遅いランチ。彼女の有能さをみんなが評価してくれて、鼻が高かった。その後解散、彼女は帰り、午後から私は別の会議。女史が一緒だが、最近は上手く交わすようにしているので被害は特に無し。でも…私のノートを覗き込んで「あら、ねぇ、この日程じゃなくてこっちよ」とツッコミを入れてくるのって、どうなんだろう。個人的に他人が書いてるものを勝手に見たり、ましてやそれを訂正したり、ってするものなんだろうか。やっぱり変わった人…なんだと思う。
2006年10月19日
午前中ゆっくり朝食を食べ、洗濯も済ませて家を出る。1時から仕事。午後4時前に終了。昨年の年度末には入院が決まっていたので今年の仕事スケジュールを決める時、かなりユルユルにしていただいたのであっという間に終わってしまう。帰り道、街を徘徊。ちょっとした普段着を買う。一昨年、大ダイエットを決行して大幅に痩せて以来、そのへんに売ってる洋服が何でも着られるようになり、洋服代が安く済むようになって助かっている。巨デブ時代はただでさえ品数の少ない「大きいサイズ」コーナーの中で自分に合ったサイズを探さねばならず、本当に面倒だった。体型がみっともないのでオシャレする気も起きず、母も死んだばかりで、何をするにも気力そのものが湧かず、結局たどりついたのはカステルバジャックの男物のデカいシャツ。夏と冬のバーゲンで大量に買い込み、いつもこればかり着ていた。もう一生、素敵なスカートとかブラウスとか着ないんだろうな…とやる気のない身体と心で思っていたのだが、一念発起してよかった。なんと言っても、お腹の贅肉が無くなったからこそ「あら、このコブは?」と内科の診察で異状を発見してもらえたのだ。たぶん太ったままだったら自覚症状のない私の筋腫はどんどんお腹の中で育って、今ごろ大変なことになっていただろう。そう思うと、人生ってうまく出来ている。術後208日・退院199日目。奈良のニュースに胸が痛む。
2006年10月18日
10時から仕事。家を早めに出る。40分前について、ドトールでお茶。昔はこんなこと考えられなかったけれど、余裕を持って行動することが、やればちゃんと出来るようになってきた。お昼に終了。昼食のお誘いをいただいたが丁重に辞退して帰る。本当はこういう時、ご一緒させていただいたほうが何かとよいのだろうけれど、「任意」というフィールドでは我侭上等。申し訳ありません。サッサと電車に乗り込み、目指すは上野。30分ほどで到着。ずっと前から来たかった、上野動物園で1人遠足。パンダ…熊…アリクイ…ペンギン…ヤギ…可愛い。みんな可愛すぎる。特にアリクイの「ココ」。サンシャイン水族館で檻から逃げ出して翌日、ペンギン達と一緒にいるのを発見されてニュースになった「タエちゃん」と同種のミナミコアリクイ。あんまり可愛くて、ずーっと見ていたかった。1人で動物を眺めて癒され、もしかしてけっこう疲れているのかなー、などとしみじみ思ってみたりした。気がついたら4時間近く、ずーっと外を歩いていた。退院後こんなに長時間、野外を歩いたのは初めてかも。夕方5時半、上野駅のタイレストランで遅すぎるランチ(?)。デザートまで食べて、機嫌よく帰宅。仕事ばっかりではなく、たまにはダラダラ遊ぶ時間も必要なんだなと思った。
2006年10月17日
10時からバスで、予約したスタジオに向かう。仕事抜きの活動なので、頻繁にはなかなか実行できないのが残念だが、楽しみなサブジェクトの1つである。音楽も楽しいが、喋るのも楽しい。30分で終わらせるはずのランチが、結局喋ってばかりで1時間になってしまう。喋り日は別に設定すると決めて無理やり切り上げ、(そんな時間があるのかどうかは別として…)3時まで続きを創作し、終了。友人は仕事へ、私は吉祥寺の街を徘徊。スタバにてクリームフラペチーノで休憩。シロップ追加無料キャンペーンだったのでアーモンドシロップを指定してみたが、やっぱり抹茶には勝てないな。ダメだった。術後206日・退院197日目。ここ数日、傷が痒い。手術のあとは、退院直後の測定ではお臍の下から約10cmだったのだが、今は、9cmしかない。1cm縮んだのは、お腹が凹んだせいだろうか。上部約1cmは、ほとんど見えない薄い線になった。残りの8cmはミミズ腫れっぽい感じの赤い線で、いちばん太いところは1cm近くある。いちばん痒みのひどかった術後3ヶ月の頃よりは、この赤い線そのものが柔らかくなってきた気はする。まう半年も経ったのにまだ痒い、という「ザ・自己主張」な感じに、やっぱり開腹手術ってスゴイ、すごいことしたんだな、と、変に感心してしまう。
2006年10月16日
朝起きたら、猛烈に喉が痛い。昨日の帰り、肌寒かったせいだ。しくじり感いっぱいで起床、しかし、基礎体温は平熱だったのでホッとする。久しぶりに焼いたくるみパンで朝食。コラーゲンがお肌にいいとテレビで見たので昨日時間をかけて作った鶏肉のスープと一緒に食べる。午後、ダラダラ…ひたすらダラダラと過ごす。夕方近くなってから、昼寝(っていうのかな)。目が覚めたら、10時半だった。夫は適当に自分で夕食を食べたようだった。もう今日は何もしなくていいのか。あー楽だなぁ。ヨーグルトを食べたりハーブティーを飲んだり、だらけながら結局深夜まで過ごしてから就寝。何とか本格的な風邪には至らずに持ちこたえた模様。
2006年10月15日
久々に、土曜日にお仕事。今日から新しいプロジェクトが始まったので来年の2月まで、月2回は通うことになる。…それにしてもいい天気。Tシャツに薄手のパーカーで大丈夫。夏から全然、着るものが変わってない…芸が無いな。正午に到着、お昼にサンドイッチをいただく。4時半に終了。帰りはさすがに肌寒い。お天気もいいし、傷の痒みもなし。夕食は手抜きキャンペーン中なので、お惣菜中心。明日は久々の在宅日。寝るぞー!
2006年10月14日
ナショナル、イオニティーの素晴らしい働きのおかげでブロー時間が今までの3分の1ぐらいに短縮され、いつもより早く家を出ることが出来た。奇跡。手作りパンを持参、途中デパ地下でサラダを買う。時間があるので何を買おうかゆっくり迷えた。食べ物のことで迷うのは本当に楽しい。飽きない。11時から仕事。14時半に終了。どこでお茶するか、これまた迷いながら地下鉄に乗る。デパートをちょっと徘徊してみるものの、これといって買いたいものは、特になし。今日もまた、ライオンズ感謝セールの恩恵にあずかり、2割引で「紅茶ケーキ」とアイスティーで一服。ケーキを味わいながら、入院前のいろんなことを思い出していた。本当に、いろんな人にいろんなことを言われたなー。今だから余裕をもって思い出せるけれど、ヘビーな言葉もずいぶんあった。裁判したら絶対勝てそうなセクハラまがいの言葉から、「もっと大変な病気の人もいるんだから大袈裟にするな」とか、「○○じゃなくてよかったね」という大変失礼で無意味な比較とか、「何で病気がわかったの?大出血でもしたの?」と昼食時に ズケズケ訊いてくる女史とか、人間のさまざまな思いが入り乱れ、それはまるで「人間図鑑」を見ているような感じだった。~つづく~
2006年10月13日
1時半から会議なのに、駅に着いたのが1時半。「遅れます」というメールを書くこと自体が遅れ、携帯に「今どこですか?」の電話。わー、気まずい。気をつけていたのに、ダラシナイ奴であることが、少しずつバレてきている。2時近くになって会議が始まる。遅れてすみません。4時には終了。天気もいいし、早く終わっていい気分。どこでお茶しようかさんざん迷いながら帰る。こんなことでいろいろ迷えること自体、元気になった証なんだろうな。結局、サッサと帰ってきて地元の駅ビルの中のカフェへ。「西武ライオンズ応援感謝セール」で、ケーキが何と2割り引きなのだ。食べない手はないではないか!マロンケーキとアイスティーで今日の一服。カフェイン断ちしているが、少しの紅茶なら大丈夫だ。夫は遅いようなので、夕食を先に食べる。早く食べたほうが翌朝の目覚めもよいので、最近は1人で先に済ませることが多い。8時過ぎに、おととい注文したドライヤーが届く。姉宅で使ったナショナルイオニティーのあまりの素晴らしさに感激して思わず楽天様で衝動買いしたのだ。明日からの朝の支度が楽しみだ。早く使いたい。術後202日・退院193日目。いつのまにか、術後200日を過ぎていた!気温が高いせいなのか、今日はお腹が痒かった。傷の真上ではなく、なぜか傷の両脇。ちょうどホチキスがとまっていた場所のあたり。家に帰ってから豪快に掻いていたら赤くなってしまった。200日経っても、身体は手術のことを、まだ全然忘れていないようだ。家の仕事が何もないので(ホントはあるのだが見ないふり~♪)今夜も早く寝る。最近はとにかく、よく寝るようにしている。体調もよくなってきた。やはり睡眠が第一。
2006年10月12日
午後1時から仕事。早めに起きて、ゆっくりご飯を食べて、ゆっくり支度して余裕をもって家を出るはずが、モタモタし過ぎて結局最後は慌しく出発、遅刻寸前に到着、というパターンが連日続いている。今日もそんな感じ。それにしても何だか、今年の水曜日(の仕事)は冴えないのだ。年度初め、入院で休んでしまったせいなのか何なのか、いつものようにガーっとインパクトを出せずにいる。消化試合のように仕事を終わらせて、帰る。スタバで抹茶フラペ。旨い。仕事の後の一服は本当に幸せ。帰り、フラフラとジュエリーの店をのぞいたら、姪に買ってやったスカートに似合うような、オニキスの可愛いピアスがあるではないか。来月の修学旅行(沖縄)用に、海の色のようなきれいな石のも一緒に、合計2組買う。秋休みが終わってもまだ、おばバカ全開モードである。病気になってから閉所がダメになってしまい今はとても飛行機などに乗れないので無理だが、もしも今、とても元気な状態だったらおそらく私は姪の修学旅行の日程に合わせて沖縄入りしていただろう。同じ飛行機に乗ったらさすがに嫌われるだろうから、空港とか首里城とか、植物園とかホテルのロビーで待ち伏せして姪の無事と笑顔を確認して「あー、やっぱり来てよかった」とか思うんだろうな。…自分用にも「ブルーカルセドニー」のピアスを買う。前から気になっていた青い石。ちょっといい感じ。帰宅してから「ブルーカルセドニー」について調べてみた。精神を安定させるパワーを持つ石なのだそうだ。今の私には合っているかも。アロマもそうだけれど、無意識のうちに自分に必要なものを選び取っている人間の力って不思議だ。
2006年10月11日
ついに、アクセス10000を迎えました!退院直後の4月初旬から、入院中の日記を読み返しながら書き始め、はや半年。「術後○日・退院○日」のカウントはやめるキッカケが見つからず今だに続行中であるものの、ブログの内容は、病気とは関係ないところに集中しつつあり、看板に偽りあり、ではないか?と気になったりもしています…。しかし今後も、術後の身体の変化、心境の変化を見つめつつ、できる限り、ここに反映させていこうと考えています。少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
2006年10月11日
夕べも夜更かししたので、今朝もダラダラと起きる。昨日もおとといも話す時間がなかった甥と、やっと話が出来た。姪と同様、この甥も世界一可愛いのだ。甥が生まれた時、私はまだ20代の前半だったけれど、最初から「おばちゃん」と呼ばせた。あまりにも可愛がり過ぎたため小さな甥にもその愛が通じたのか、4才ぐらいになるまでは「大きくなったら何になるの?」ときくと「おばちゃんになる!そういう顔になるの!」と私を指さして言っていたのだった。そんな彼ももう10代…。昔は毎日肩車をして遊んでいたのに、早いものだ。しみじみしながらいろんな話をし、とはいっても「勉強頑張りなさい」と、本当はいちばん言いたいことをあえて言わないようにしておいた。いいオバだなー(自画自賛)。午後、ゆっくり帰宅。帰る途中、電車が緊急停止、駅と駅の間の線路でしばらく電車が止まったままになる。発病以来、いちばん苦手な線路上での停車…。「でもこの電車はトイレがついてるから大丈夫」「嫌な気分になったら薬があるから大丈夫」と自分で自分を励ましながら、電車が動くのを待つ。7分ほどで電車が動き出し、心からホッとする。発作に至らず、こんどは自分で自分を「えらかった」と誉める。そんなわけで秋休み終了、のんびり過ごして充電するつもりだったのに、姉を叱り、姪を甘やかし、甥にホレボレし、すっかり疲れてしまった。疲れ果てて、10時半に就寝。
2006年10月10日
午前中、兄の次女の運動会を観に行く予定だったが夕べの深夜デニーズで体力を使い果たしたため、欠席。姉が代表で観に行ったので、姪と2人でのんびり朝食を食べる。食べてからまた寝る。外は晴天。姉宅は海から5分、窓からの風は潮の匂い。あー、至福。長い冬を乗り越えて、元気になってホントによかった。午後、姪とともに近くのショッピングモールへ。ハーフパンツを試着したい、と言っていろいろ探す。その近くにあったスカートが姪に似合いそうだったのでちょっとこれも試着してみて、と着せてみたらあまりにも可愛い。似合いすぎる。おばバカ全開モード。ハーフパンツもよく似合う(当然)。もう、ほんとに可愛い。ハーフパンツは姪が自分で購入、私はスカートを買ってやった。タリーズでお茶していても、買い物していても、何をしても嬉しそうな姪と一緒にいると、本当に楽しい。父親がいないことでこれからいろんな苦労があるかもしれないけれど、きっといいこともある、と思いたい。
2006年10月09日
昼過ぎまで、昨日の校正の続き。見直しに見直してから送り返すための梱包、発送すればとりあえず完了。急いで支度して、姉宅に向かう。いよいよ秋休みに突入。2時間近くかかって到着、姉宅には姉だけでなく、姪もいた。早速ハグする。もうホントに、世界一可愛い。近所に住んでいる兄一家が夕食を食べに来ることになっていて、姉はその準備に追われていた。人など呼んだことないのに、思いつきで招待した姉。兄の子供は2人とも小さく、子供用の食器やその他、いろいろ配慮が必要なのに、何にも手はずが整っていない。そこで、怖い妹(私)は姉を容赦なく叱り飛ばす。「兄一家」との付き合いは血の繋がった妹---姉のように気楽にはいかないのだ、ということを、姉は全くわかっていなかった。ダメだなー、姉。しっかりしてくれよー。怒りながら掃除機をかけたり、食器のチェックをしているうちに、あっという間に約束の時間が近づく。そして兄一家、そろって到着。「もてなし」に関して結局、あまりにもツメが甘すぎるまま、ディナーは進む。明日、次女の運動会なので今日はこのへんで、と早めに兄一家は帰宅。やれやれ。一段落して、まだ7時。姪とともにテレビで巨人阪神戦を観る。応援の甲斐あってか、延長10回、見事な見せ場により巨人の勝利。試合終了、さて、ちょっと出かけますか、と姪を誘ってデニーズへ。いろいろ話しつつ、夜食を食べて盛り上がる。閉店の2時まで粘って過ごし、帰宅。布団を並べて姉と姪と3人で寝る。ジャビット君の枕で眠る姪があまりにも可愛くて、みているだけで幸せな気持ちになる。こんなに可愛い姪のおばちゃんで、ホントに幸せだ。明日はまた「援助交際」状態になりそうな予感…。
2006年10月08日
久々に晴れた!体調も、ちょっといい感じ。朝、宅急便で原稿が届いて起こされる。今日は、これの校正をやらねばならない。よい天気なのでとりあえず洗濯。ずっと雨だったのでだいぶ溜まっていて、2回まわし。昨日のぺペロンチーノを朝もまた食べる。作るのも食べるのも本当に楽しい。私はおそらく、普通の人の何倍も食べることが好きな人間だ。そして、食べることに幸せを感じるレベルも、人より何倍も大きいと思う。食べることを考えている時間も、普通の人よりもずっとずっと長いだろう。午後、原稿を持参し、近所のファミレスへ。先週入稿した原稿の校正。何度も何度も何度も見直して、直したい箇所に赤ペンを入れる。ひと通り見終わったら、また最初から。音を聴きながら、また最初から。それでも、ずっと後になってから間違いが発見されたりする。気の済むまで見直してとりあえず一旦終了、スーパーに寄り、買い物して帰宅。1人は気楽でいいな。
2006年10月07日
術後196日・退院187日目。最近、ちょっと不調である。雨が続いていて気分がすぐれないことと、仕事が重なり、寝不足気味だったことが原因かも、と考えてみる。M先生は今日、クリニックでの診察日なので診ていただこうかとも考えたのだが、とりあえず様子を見ることにした。2時半に仕事終了、サッサと帰る。今日から夫が留守なので、1人暮らし満喫ライフが華々しくスタート。明日は外出の予定はないので、夕食はニンニクを思いっきり入れた「きのこぺペロンチーノ」を大量に作り、豪快に食べた。ゆっくりお茶を飲んだり、本を読んだり、ダラダラと静かな夜を過ごす。1人っていいなー。
2006年10月06日
本当に毎日毎日、よく雨が降るなー。14時から仕事。会議2連戦。雨なのでタクシーで現場入り。トイレで女史に会ってしまった。すごい雨ねぇ、と話しかけられたのでタクシーで来ちゃいました、と答えたら「私もタクシーに乗ろうと思ったんだけど 電車の中で居眠りしちゃって、駅で慌てて降りたのね、 それで…そんなわけで…云々」と長々とお話が続いた。何を言っているのか最初はわからなかったのだが、自分がタクシーに乗らず徒歩で来たことについて、言い訳しているらしい、としばらくして判った。なにも、そんなことにまで張り合わなくても…。別に私は何にも思っていませんよ。つくづく不思議な人だなぁ。淡々と会議は進んで、18時過ぎに終了。夕食は今日も手抜き、デパ地下で購入して帰宅。雨のせいか体調が今ひとつすぐれない…。
2006年10月05日
術後194日・退院185日目。時々生理痛のようにお腹が痛くなることがあって、前からちょっと気になっていた。もう「生理痛」は無いはずなのに、身体が覚えているのかな、とかいろいろ考えてみたりして。M先生に訊いても、たぶん『気のせい。気にしない気にしない』と言われるんだろうなぁ、と思っていたのだが、先日の診察の時に試しに訊いてみた。『あー、排卵の時に、お腹痛くなることあるかも』『先生、それはお腹のどっちか片方(卵巣)ではなくて、 お腹の真ん中あたりってことですか?』『そう』『なるほど…で、排卵したモノはどこへ行っちゃうの?(相変わらずバカな質問)』『お腹の中に吸収されるの』『へえ~』 と、こんな感じだった。かつて排卵痛を感じたことはあって、いつも脇腹が痛んでいたのだけれど、先生のコメントは「真ん中が痛む」ということだった。で、まさに今日、そんな痛みを感じた。体温の変化から判断すると、辻褄の合う痛み。「バーチャル生理痛」ではなかったのね。まさしく、腹部中央の排卵痛。またもや、M先生の言ったとおりだった。当たり前なんだけど、やっぱり感服してしまう。そんなことを考えながら10時~12時 会議移動して13時~17時 仕事 今日も働き者。17時~シズラーで夕食会。主婦としての本音をぶちまけあう会。アイスティーを何度もおかわりして、たくさん食べる。たくさん喋ってスッキリして、気持ちよく帰宅。お腹の痛みも治まった。明日、あさっては消化試合(失礼)のような仕事でそれが終われば火曜日まで休み~。しかも金曜~日曜までは、主婦業も休み~!よい秋を過ごそう。
2006年10月04日
昨日、「明日午前中会議です」と突然聞かされてえ~、と思いつつ、しぶしぶ出席。早く到着したのでエクセルシオールカフェでジュースを飲む。スタバより好きな店。とにかく椅子の座り心地がよいのだ。でも、抹茶フラペLoveな私には、まっりた系のフラペ類がないのが寂しい。会議のあと午後の仕事に向けて急いで移動。ゆっくりランチする時間がなくて、今度はスタバに駆け込む。久々にサンドウィッチを食べる。カロリー高いなこれ…。午後は、女史と一緒だった。ストレス高いなこれ…。である。しかも、しかもですよ。女史は加わっていない、ということが救いだった私のオアシスのようなプロジェクトのあさっての会議に「私も出ておいて、って言われたの。行きますから」だって。うへぇーーーーーーーーーー。何が嫌かって、隙あらば病気のことを根堀り葉掘りきいてくるのが嫌なのだ。いくらでも検索すれば情報なんて集められるのだから、自分も同じだからって(手術せず、逃げ切りを待っている)いろいろしつこく、私に訊かないで欲しい。悶々としながら帰宅。たまにはパスタでも、と思い夕食はスパゲティ。仕事が一段落&きらり最終回で燃え尽きなどを経てようやく落ち着いたら、疲れがドッと出て眠くてたまらない。考えてみれば9月は・兄の納骨・知人の披露宴(演奏した)・病院でのコンサート・原稿→6種・楽譜書く→2種・作曲→ひとつ・通院2回(M先生 痛い検査もした)・きらり最終回こんなにいろいろあったのだった。体力がすっかり回復したので、乗り切れたんだなと思う。それと、先月からM先生のクリニックに通院できることになっていろいろな心配ごとから解放されたこともパワーの源になった。いやー、それにしても、眠い。珍しく早寝。
2006年10月03日
10時から吉祥寺で仕事。サクサクっと、午後1時に終了。お昼は、カロリー控えめに寿司。好きな店なのだが、カリフォルニアロールが無いのが本当に残念。その点、やっぱり池袋・若貴寿司は最強である…。帰りに仕事をする時にいつも行く近所のファミレスに寄り、木曜日締め切りの仕事をやっつける。このごろ、こうして早く行動できるようになった。帰宅後、簡単に夕食を済ませて原稿の清書して完了の後、これまた木曜日までに間に合わせなければならない新しいラジオ番組のテーマ曲の録音にとりかかる。友人に頼んで出来上がってきたカラオケに歌をかぶせる。何度も何度も番組名を連呼して歌って練習して、やっと完成した。これも完了。メールで送信して終わり!本当に働き者だ。偉すぎる(自画自賛)。術後192日・退院183日目。歌もピアノももう、バリバリに大丈夫になった。5分でお腹痛くなっていた頃は本当に心細かった。「半年は無理しないこと」→「半年は無理が利かないよ」ってことなんだと思う。先輩から言われた言葉、本当にそのとおりだった。
2006年10月02日
世界で一番かわいい姪と共に、東京ドームで野球観戦。姪は17才、自分の母親と正反対の「何でもあり」なキャラのおばちゃんである私を慕ってくれている。可愛さのあまり、援助交際にハマる中年の親父のように、一緒に出かけると何でも買ってやりたくなってつい何でも買い与えてしまうのだが、今日は我慢した。姪が持参した「24」のユニフォーム(なぜか2着持っている)を2人で着用し、応援バットを持って一緒に応援して盛り上がる。「あのね、野球選手と結婚しなさいよ」「うん、私もそれが夢…どうしたらいいのかな?」「そんなの、おばちゃんが何とかするから大丈夫だよ」「えー、すごい、さすがおばちゃん!」「だから、とにかく一生懸命英語を勉強するんだよ、 弓子夫人のように、大リーガーの夫を支えるためにね」「うん、がんばる。」大変だ。野球関係のコネ、何かあったかな…。何とかしなければ。
2006年10月01日
目覚ましをかけたわけでもないのに始まるちょっと前の時間に目が覚める。寝ぼけながら観たせいか、今ひとつ頭に入らず。「桜子は死んでない」と解釈した。昼の再放送でもう一度観て、今度はやっぱり死んじゃったのか…と覚醒した頭で別の解釈をして、泣いた。最終回って、本当に燃え尽き症候群になる。音楽、ピアノ、親の死…と共感できる点が多すぎて味わいの濃いドラマだった。忙しかった仕事も一段落、昨日無事に入稿も済んだし、心の底から燃え尽きて、昼寝する。術後190日、退院181日目。半年過ぎてもまだ、数えています。
2006年09月30日
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