甘夏蜜柑の枝の杖

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2012年11月14日
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ヨブ記第14章を読む。1節冒頭にヨブ曰く、人は女から生まれ、人生は短く 苦しみは絶えない。仏教の四法印 諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静を思わせる章である。もっとも神の存在を認め語りかけているところは根本的に異なる。つまり諸法無我は否定しているのである。諸行無常と一切皆苦は全く共通である。聖書一日一章の小宮山林也氏は 死んだらおしまいという絶望からの救いは 復活の信仰であると説いている。なるほど キリスト教の肝はイエスキリストの復活にあり。ヨブ記の解釈もキリスト教ではキリストの復活信仰のいわば預言の書と読むのであろう。仏教では諦めしか説かない、救いはキリスト教にありと説くのであろう。自力の悟りを諦めて、阿弥陀仏の本願に頼る他力信仰によく似ている。しかしである、
アウシュビッツの中でキリストの復活信仰を維持できるであろうか。コルベ神父はアウシュビッツの餓死房で神の栄光を現した。しかし神父は例外中の例外ではないのか。日本のキリシタンの殉教者にしてもしかり。ユダヤ人のアウシュビッツから生還した人で神の信仰を捨てた人も大勢いたらしい。一方で長崎の永井博士のように原爆被爆者で信仰を維持した人もいる。カルバンの予定説から見るならば、いかなる状況にあっても、神を信じることのできる人は そのこと自体が其の人が救われていることを証明しているのであろう。コルベ神父も永井博士も殉教者たちも みな選ばれていた人たちなのである。ヨブも神に選ばれているのである。ノアの洪水の箱舟に乗れる人たちなのである。箱舟に乗りたかったらキリストの復活を信じなさい。救われたかったら阿弥陀仏の本願にすがり念仏しなさい。もっともある人曰く、信じる者は足元をすくわれる。





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最終更新日  2012年11月14日 13時46分38秒
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