全4件 (4件中 1-4件目)
1
昨日(3月25日)行われた山梨学院ー札幌第一戦は、山梨学院が24安打を放ち24得点、札幌第一を5点に抑えて大勝しました。この試合は、実に記録尽くめでした。山梨学院の24安打は、チーム1試合最多安打タイ。そして山梨学院・野村健太の2本塁打は、個人1試合最多本塁打タイ(23人目)。さらに山梨学院の打線が達した先発全員安打は史上71度目。そして当ブログが注目するのは、チーム1試合最多安打の記録「24」。これは史上2度目のこと。1度目は2000年センバツで智弁和歌山打線が相手・丸亀高が繰り出す4人の投手から24安打で20点を奪い大勝した試合。この時、強打智弁和歌山を支えていたのは、のちに早稲田大を経てヤクルトに入団した武内晋一。そして、のちに慶應義塾大を経て新日本石油に進んだ池辺啓二ら。しかし、これだけの強打をもってしても優勝は成らず。決勝に進出したものの、エース筑川利希也(東海大ーホンダ)を擁する東海大相模に2-4で敗退した。ちなみに、夏の大会におけるチーム1試合最多安打記録は、1985年にPL学園が記録した「32」(対東海大山形戦)。この当時のPL学園は最強を誇ったKK時代。この試合の先発投手は、桑田真澄ではなく清原和博でした。(写真上)山梨学院・野村健太がこの試合2本目の本塁打を放つ (NHKより。以下も同じ)(写真中・下)スコア
2019.03.26
コメント(0)
大学野球も開幕間近。いま佳境のオープン戦をのぞいてみた。【法政大・鈴木昭汰(3年、常総学院)】 3月21日の対日本通運戦に先発登板。5回、被安打8、与四死球2、奪三振2、失点4。強風が吹き荒れ、平凡な外野フライが安打になったものも。今季は先発ローテに加わることが出来るか? 2016年夏の甲子園に出場、3回戦で安田尚憲(現ロッテ)や寺島成輝(現ヤクルト)らを擁する履正社を7-4で破り準々決勝に進出するも、松尾大河(現横浜DeNA)、九鬼隆平(現ホークス)のいる秀岳館に1-4で敗れた。この試合に登板した秀岳館・川端健斗は、現在同じ東京六大学の立教大に所属。【立教大・三井健右(3年、大阪桐蔭)】 3月24日の対富士大戦に7番・レフトでスタメン出場。5回には左中間の最深部にソロ本塁打を放ち(写真)、大物ぶりを発揮した。昨年春は4本の本塁打を放ちリーグ最多本塁打賞を獲得したが、昨年秋は打率.240、本塁打0に沈んだ。本来の力はその程度ではないはず。 2016年センバツに、大阪桐蔭の4番として出場した。三井の前を打つ3番は吉澤一翔(現早稲田大)だった。初戦の土佐戦は9-0で大勝したが、2回戦の木更津総合に1-4で敗退した。この試合、木更津総合の投手は、現在早稲田大の早川隆久だった。【立教大・山田健太(1年、大阪桐蔭】 3月24日の対富士大戦に6番・ファーストでスタメン出場した。初回に三塁線を抜ける二塁打を放つと、3回にはセンターの頭上をはるかに超える大飛球(三塁打)を放った。リーグ戦も、1年生ながらいきなりスタメン? 2017年センバツに正三塁手として出場し優勝。翌年センバツも優勝(山田は正二塁手)、同年夏も正二塁手として出場し優勝した。「恐怖の7番打者」として怖れられた。チームメイトだった宮崎仁斗も同じ立教大へ。中川卓也は早稲田大に進学。根尾昂は中日、藤原恭大はロッテ、柿木蓮は日本ハムにそれぞれ進んだ。【富士大・宇賀神陸玖(3年、作新学院)】 3月24日の対立教大戦に先発登板も、初回に4連打を含む5安打を浴び4失点(自責点6)で1アウトもとれずに降板した。三塁線を破った二塁打2本は決して強い打球ではなく、宇賀神にとってアンラッキーに思えた。リーグ10連覇中の富士大の大黒柱として活躍を期待したい。 2016年夏の甲子園に、エース今井達也(現西武)の控え投手としてベンチ入り。準決勝の明徳義塾戦に途中登板した。
2019.03.24
コメント(0)
今日(3月23日)、センバツ大会が開幕しました。 第3試合は、星稜対履正社の強豪対決。注目の星稜・奥川恭伸投手はMAX151kmの速球に加え、変化球も抜群の制球力で強打を誇る履正社打線を翻弄、結局17三振を奪う快投で完封勝利しました。9回、130球、打者31、被安打3(うち内野安打1)、与四死球1。前に飛んだ打球は計13本、うち外野へ達したのは安打になった2本だけ。このことだけでも奥川の快投ぶりが分かろうというもの。試合終了後、奥川のコメント。「コースをつくことができたし、打者との押し引きもできた」。 17奪三振を目の当たりにして、1試合あたり(9イニング)の奪三振記録を調べてみました。大会記録はPL学園の戸田善紀(のちに阪急ー中日)が昭和38年春に達成した「21」(対首里戦)です。 その前年に甲子園初出場したPL学園にとって、この時は黎明期。戸田の後ろで一塁を守っていたのは、のちに大洋で活躍する中塚政幸。落語家の月の家円鏡さんにそっくりだったことから「球界の月の家円鏡」と呼ばれていました。 さらに背番号11をつけた控え内野手の中村順司も。そう、のちに甲子園通算58勝を挙げた名将、PL学園の中村監督です。写真:NHKより
2019.03.23
コメント(0)
東筑高元監督の喰田孝一(しょくた こういち)さんが亡くなったそうです。享年83歳。・・・訃報記事はこんな内容でした。「東筑高校野球部の捕手として1953年、元近鉄バファローズ監督の故・仰木彬さんとバッテリーを組んで夏の甲子園に出場。社会人野球を経て61年から母校を指揮した。監督として春夏計3回の甲子園出場に導いた」と。 「仰木彬」の名を目にすると興味が湧く性分です、わたしは。調べてみると、4番打者兼エースの仰木さんとバッテリーを組んで出場した甲子園は、初戦で大阪・浪華商に0-3で敗れたそう。※ちなみに、この時、浪速商の捕手は片岡宏雄。後に立教大に進み長嶋茂雄や杉浦忠ら「立教三羽ガラス」の一学年下、杉浦の女房役として活躍。その後はプロに進み、ヤクルトのスカウトをされていた、あの片岡さんです。 さて、喰田さんは東筑高を卒業後、ノンプロに進み、61年に母校に戻り野球部監督に就任しました。そして94年に引退するまで(途中、いったん母校を離れることもありましたが)、春1回(85年)、夏2回(78年、87年)、チームを甲子園に導きました。春(85年) 1回戦 ●東筑0-2天理夏(78年) 1回戦 〇東筑4-3金沢、2回戦 〇東筑1-0日大二、3回戦 ●東筑1-4豊見城夏(87年) 1回戦 ●東筑2-3習志野 喰田さんの戦術は、公立校のハンディを足で補う足を使うもの。相手が走れそうな捕手と見たらどんどん走る。ホームスチールだって躊躇しない。「走って、1-0で勝つ野球」を標榜。象徴的な試合は78年夏、栽弘義監督率いる豊見城高との対戦です。以下、『ブログ 高校野球、あまり目立たない名勝負物語』より(一部編集)。「それは1点差を追う2回、二死三塁の場面。さっそく喰田監督が仕掛けます。打者・太田清治の時、突然に三塁走者・諸藤克明がホームスチールを敢行。相手・神里昌二はカーブの握りだったため、焦って外角低めに外れてしまいセーフ」(以上、ブログ・・・名勝負物語) 結局1-4で敗れましたが、まだ序盤ながらリスキーなプレーで強引に1点を奪い、同点に追いつきました。これは仰木マジック、もとい、喰田マジックの真骨頂と言えるでしょう。合掌。※なお、豊見城高の神里昌二投手は、現・横浜DeNAの神里和毅外野手(糸満高ー中央大ー日本生命)の父。そして捕手は、阪急などで活躍した石嶺和彦さんでした。監督一代 [ 喰田孝一 ]
2019.03.10
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1